過去の感想はコチラ。
柿澤@彼
登場から大学生に見えない、安定の俺様な”彼”。
今回、野鳥席からの観劇なため、
”私”しか観る気が無かったが、
終始、一貫して俺様モードなのは、
声の演技から伝わる、安定さ。
それでも、”怖いんだ”で、
一気に崩壊していく様子だけは、ガン見。
さっきまでの俺様モードが崩壊し、
無表情に横たわる”私”に、逃れる事の出来ない恐怖から
何とか助けて欲しいと訴えかける口づけを交わす様が、
一種の哀れみを誘い、"私"の告白を理解出来ず、
その後の階段後ずさりでの退場で、
自我崩壊、確定という過程が相変わらず、秀逸。
尾上@私
審議会から、ボソボソとしゃべり、オッサンな私。
審議会シーンは全て、これで、台詞が一部、聞き取り辛い。
ここで、こういう事を話すという事を、
観る側が知らないでいると、置いてきぼりになりそう。
で、一転して、過去シーンで(口調が)若返る。
梨園というか伝統芸能の人に特有の、
鼻にかかる発声のため、若いというか、明朗というか。
歌に関しても、そのノリで歌うため、
ちょっとベンヴォーリオ的脳天気っぽさに。
ただ、大変にハモリがわかりやすい。
若干、柿澤氏にあわせる気がないとも取れる。
上手い、のでなく、声量(マイクバランス?)がある。
で、段々、若さの切り替えがなくなり、
事件後、事情聴取を受ける時には、
”彼”と話す時と審議会の差が無くなる。
ともかく、目の演技が印象的。
元々、最小限の演技と表情で、
若さが無くなると、更に感情が出ない。
そんななか、一カ所、叫ぶシーンも。
あまりに唐突で、『そこで?』となった。
そして、”怖いんだ”と”彼”が
心情を吐露するシーンで、無表情に横たわり、
”彼”からの口づけを受け入れた後の、
”目”が大変に、退廃的で様式美。
こういう仕草が、女形が演じる”私”なのだろうか。
その後も、時折、”彼”に魅せる”笑み”が、
明らかにこの世界観の”私”とは違う。
確かに冒頭から『動機は彼と居たかった』と、
告白し、同性愛的な側面があるが、
この”私”は恋愛要素よりも、
偶々居たのが、男性だけだった的ノリ。
やはり、歌舞伎から来る印象が強いのかも。
と、ザックリいうと、歌より演技派な”私”。
何故か、日曜日の公演が存在しない組み合わせ。
今回の再演で、観たい組み合わせがコレだけだったので、
諦めていたら、なんとか、観ることが出来た。
歌の”彼”に対し、演技派の”私”。
ただ、その演技がちょっと特異で、
こういう”私”像もあるのかと思わせる時点で
既存ペア・シャッフルでの上演の意味はあった。
↑
を観にいった、という意味です。
なんとなく、読み直したら、スゴい上から目線(笑)
要はホリプロ商法に乗っかって、正解的意味。
柿澤@彼
登場から大学生に見えない、安定の俺様な”彼”。
今回、野鳥席からの観劇なため、
”私”しか観る気が無かったが、
終始、一貫して俺様モードなのは、
声の演技から伝わる、安定さ。
それでも、”怖いんだ”で、
一気に崩壊していく様子だけは、ガン見。
さっきまでの俺様モードが崩壊し、
無表情に横たわる”私”に、逃れる事の出来ない恐怖から
何とか助けて欲しいと訴えかける口づけを交わす様が、
一種の哀れみを誘い、"私"の告白を理解出来ず、
その後の階段後ずさりでの退場で、
自我崩壊、確定という過程が相変わらず、秀逸。
尾上@私
審議会から、ボソボソとしゃべり、オッサンな私。
審議会シーンは全て、これで、台詞が一部、聞き取り辛い。
ここで、こういう事を話すという事を、
観る側が知らないでいると、置いてきぼりになりそう。
で、一転して、過去シーンで(口調が)若返る。
梨園というか伝統芸能の人に特有の、
鼻にかかる発声のため、若いというか、明朗というか。
歌に関しても、そのノリで歌うため、
ちょっとベンヴォーリオ的脳天気っぽさに。
ただ、大変にハモリがわかりやすい。
若干、柿澤氏にあわせる気がないとも取れる。
上手い、のでなく、声量(マイクバランス?)がある。
で、段々、若さの切り替えがなくなり、
事件後、事情聴取を受ける時には、
”彼”と話す時と審議会の差が無くなる。
ともかく、目の演技が印象的。
元々、最小限の演技と表情で、
若さが無くなると、更に感情が出ない。
そんななか、一カ所、叫ぶシーンも。
あまりに唐突で、『そこで?』となった。
そして、”怖いんだ”と”彼”が
心情を吐露するシーンで、無表情に横たわり、
”彼”からの口づけを受け入れた後の、
”目”が大変に、退廃的で様式美。
こういう仕草が、女形が演じる”私”なのだろうか。
その後も、時折、”彼”に魅せる”笑み”が、
明らかにこの世界観の”私”とは違う。
確かに冒頭から『動機は彼と居たかった』と、
告白し、同性愛的な側面があるが、
この”私”は恋愛要素よりも、
偶々居たのが、男性だけだった的ノリ。
やはり、歌舞伎から来る印象が強いのかも。
と、ザックリいうと、歌より演技派な”私”。
何故か、日曜日の公演が存在しない組み合わせ。
今回の再演で、観たい組み合わせがコレだけだったので、
諦めていたら、なんとか、観ることが出来た。
歌の”彼”に対し、演技派の”私”。
ただ、その演技がちょっと特異で、
こういう”私”像もあるのかと思わせる時点で
既存ペア・シャッフルでの上演
↑
を観にいった、という意味です。
なんとなく、読み直したら、スゴい上から目線(笑)
要はホリプロ商法に乗っかって、正解的意味。
知りませんでした。というか気にしてなかった。
私も組み合わせがこの一択なので、24日に観てきます。
松也くんも昔は女形が多かったのに、最近少ないんですよね。かなり好みの女形さんでした。
きっと、どちらかに、日曜日レギュラーの仕事が、
入っているのか、それとも、動員が期待出来なかったからか…。
また、この舞台の客席にしては、珍しく年輩の男性客が
多かったので、尾上氏の関係者が観に来てるのかな、と。
なんせ、最前列に年輩の御夫婦が座っていたので(笑)
あ、女形役者では無いのですか、尾上氏。
Wikipediaで、『若女形を中心に活躍』と
書いてあったので、てっきり、女形役者かと思ってました。
危うげな色気があって面白かったのになぁ。
来春の浅草では曽我五郎や勘平ですもん。
彼の家は大幹部という訳ではないので、配役や演目に文句も言えないでしょうし。
まぁ、歌舞伎には女形さん主役の芝居は少ないですし。
歌右衛門さんや雀右衛門さんが亡くなり、時蔵さんのような専門の方が少なくなってきましたし。
梨園の事情には疎いので、理解しました。
ただ、そういうキャリア・事情があるなかで、
あえて"私"役を選んでいるというのがポイントですかね。
かなり忙しいスケジュールですけど、
今後もミュージカル作品で観られるのやら。