備忘録

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『1984』小川演出

2018-04-29 09:38:38 | 国内ストプレ
ネタバレしてます。



かなり、テキトーなあらすじ。

個人の情報から行動まで、すべて
ビッグファーザーに監視されている近未来。

ある男が手記を書く処から物語は始まる。
その男の名は情報を統制する機関に所属するウィンストン。
仕事の内容は政府の都合の良いように事実を改竄する仕事。
しかし、ウィンストンは、真実を紙に残すように考える。

そんなウィンストンに近づく女性、ジュリア。
ジュリアはメモを残し、ビッグファーザーに
見つからないように、ウィンストンと会おうとする。

二人は親密になるが、ウィンストンは、
更に、見つからない部屋を借り、密会を繰り返す。

そこに、オブライエンという男が、
ウィンストンに近づき、忠告をする。

しかし、いつものように、ウィンストンが
ジュリアと会うと壁からオブライエンの声が聞こえる。

実は、監視されていた事が分かり、拘束される二人。

ウィンストンは事実を改竄し、
真実を残そうとした事を咎められる、拷問を受ける。

その拷問により、政府の言いなりになり、
記録に残した事も、無かった事を約束する。
その返答に満足するオブライエン。

『最後に聞きたいことは無いか?』
と聞かれ、ジュリアの心配をするウィンストン。
この状況でも、人の心配をする
ウィンストンに、さらなる拷問が。

それは、ネズミ嫌いのウィンストンに、
空腹のネズミを入れた籠に頭をつっこませ、
顔をかじり尽くされる、という拷問。

激しく抵抗するウィンストンは、
遂に、自我を捨て、ジュリアを
身代わりにするように懇願してしまう。


暗転後、小説『1984』の読書会に。
その内容はウィンストンについて書かれていた。

その傍らに居るウィンストン役者の元に、
コーヒーを差し出すジュリア女優。

ジュリアに謝るが、それはウィンストンが
知っているジュリアでは無かった。

そして、読書会は散会して、退場、幕。


井上@ウィンストン
ナーバスな演技が、
何時ものイノウエ演技というか、
こう予想通りな緊迫感(主に声)な演技。

一番の見せ場の拷問シーンも、
肝心な所は、暗転しての声のみなので、
事後の表情しか分からないけど、
その放心した表情とか目つきが、イノウエ演技。
(視線の先に希望が見えない表情)

ただ、ラストシーンでのスーツ姿での対応シーン。
ここで、今までの出来事は全て無かった事に、
なっているのかも感を醸し出す、リセット感。

衣装を着替えるだけでなく、
表情から何から、リセットし、
先ほどの切迫感とか一切、ミエない。


ともさか@ジュリア
映像のイメージだと、
もっと舌っ足らずな印象だけど、
意外に舞台女優然とした雰囲気(滑舌)。

その一方で、何時、ウィンストンを裏切るか、
その期待だけが著しいのだが、そういうシーンは無かった。

何か裏が有るのでは?
と思っていると期待ハズレな結果に。

何故、そういう風に思ってしまったのかは、
舞台を観ていたからではなく、ナカの人のイメージ。


森下@パーソンズ&宮地@パーソンズ夫人
親バカっぷりを発揮するも、
その娘に通報される父親。

母親としてよりは、党にも女性が
居ること、その要因の方が強い。

ただ、それ以上に子供の頃の
ウィンストンの母親役として存在。


曽我部@チャリントン
足の悪い男。
また、ウィンストンに部屋を紹介。

3人の男性の中で、一番、キャラが立つ。


神農@オブライエン
先入観のせいだとは思うが、
佇まい、サングラス、話し方と、
大杉氏がどうしても彷彿。
後半はそこまで感じなかったが、
前半はとにかく、雰囲気が似てた。

後半は理詰めで、追いつめ、
その独特の存在感からその印象は払拭。


小川演出。

冒頭からウィンストンの手記が映像。
ただ、それが上からのカメラの俯瞰中継なのか分からず。
日付が同日のモノだったので、ライブ中継なのか?

その後も部屋のシーンが映像で流れるが、
その一室が舞台に登場し、映し出される映像が、
舞台での実際の映像なので、ライブ中継なのかも。

どこまでが事前収録で、
どこまでがライブ中継なのか。
かなり気になる。


目玉である拷問シーン。
指と歯というのは視覚的に、
訴えるので、痛そう。

拷問されている時に、
『座って観ているな』というウィンストンの台詞が。
これは、防護服を着ている拷問人の事なのか、
観ている観客の事なのか、どっちとも取れる表現。

しかし、それ以上に、ネズミ拷問。
ただ、ネズミは人形。動かないので、
そこは映像を追加しても良さそうなのに。
その前にジュリアという言葉が投影されるのだし。

というか、実は映像を使うけど、
背景としての映像演出は無いのかも。
あ、森の風景が有ったか。


映像を使用という舞台は、別に珍しくないけど、
それが両脇に同じ映像を流す、台形型のセット。
台形なので、後ろに写せば良いのに、敢えて、
脇の二カ所に同じ映像を流す。

片方からの映像しか見えない位置に座っていたが、
二つ同時に流す演出の意図が分からなかった。


最後、若干のメタ的展開になり、
ウィンストンは1984という小説のキャラという表現が。
そもそも、読書会に登場する1984の物語が良く掴めていない。

そのため、拷問後に、読書会シーンが入ると、
ウィンストンの拷問自体が、小説のなかの話なのか、と。
最後のウィンストンとジュリアは、
先ほどまでの二人とは違う設定なのか?

その辺の理解を放棄し、
なんとなく、抽象的に理解しまま、終演。
観劇中に、オチを把握出来ず。

観劇後に、最後の場面(と冒頭の読書会)が、
未来の場面という事を補完。
なので、やはりウィンストン俳優と
ジュリア女優は別人設定だし、
いつの間にか、1984の世界に入っていたらしい。


小川演出作品はそれなりに観ているけど、
特徴的なモノが、まだ、掴めない。
脚本によって、柔軟に変えているのかも。

拷問部屋も最初は奥に有ったのに、
暗転を繰り返すうちに、前に出てくる。
ただ、視覚的にキツい拷問は奥で、
電気ショック的な、役者の演技に左右される拷問は、
前で演じるとか、そういう気遣いは有るのかも。

この拷問内容によって、
位置が変わるという謎の親切演出。
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