過去録写真の中からモノクローム化により、思い出を増幅させる意味を込めて数枚UPいたします。
◆花巻市にて屋外保存され、ライトアップされる花巻電気軌道(電鉄)の馬面電車
◆真岡鉄道・茂木駅での花火と佇むC1266&走り去るレールバス
◆藁葺屋根の保存家屋を横目に走るD51498
◆昭和の匂いがするJR北海道・苗穂工場にて>全検中のC11171
●新津レールセンター付近の旧国鉄家屋
●NHK「すずらん」のロケ地となった恵比島駅(=ドラマ中では“明日萌”)
●只見線・大白川の給水塔 ●やまぐち号の過ぎ去った後の踏切を渡る郵便配達員
●鹿島鉄道・石岡駅にて↓ ●大井川鉄道に1両ある白熱灯装備のオハフ33
●五泉市安田資料館(?)にて ●小出駅にて
◆花巻市にて屋外保存され、ライトアップされる花巻電気軌道(電鉄)の馬面電車
◆真岡鉄道・茂木駅での花火と佇むC1266&走り去るレールバス
◆藁葺屋根の保存家屋を横目に走るD51498
◆昭和の匂いがするJR北海道・苗穂工場にて>全検中のC11171
●新津レールセンター付近の旧国鉄家屋
●NHK「すずらん」のロケ地となった恵比島駅(=ドラマ中では“明日萌”)
●只見線・大白川の給水塔 ●やまぐち号の過ぎ去った後の踏切を渡る郵便配達員
●鹿島鉄道・石岡駅にて↓ ●大井川鉄道に1両ある白熱灯装備のオハフ33
●五泉市安田資料館(?)にて ●小出駅にて
昨年末のことですが、狂電関人さんのご好意により、昔当方から氏に送った写真を数十年ぶりに里帰りさせていただきました。
その中からEF56・57・58の写真を数枚をUPいたします。・・・FAXスキャナーのため低画質ご容赦願います。
●1974頃、蓮田付近を走行する荷41レ・EF564
●1975.11大宮駅にて,白Hゴム窓枠のEF5711
●1977.1白岡~蓮田・404レ「津軽4号」牽引のEF571
●1977.1白岡~蓮田の元荒川鉄橋を渡る101レ「八甲田」牽引EF575(5号機の最終仕業)
●日時不明>蓮田駅発車・125レ牽引EF5714
●1973頃のEF5715(ラストナンバー)…窓枠原型、ヘッドライトはD51498のものと同型でガラス面のやや大きいLP-403の変形タイプ
◆1978.8.7写真右は宇都宮所で最後までSG車だったEF5810
●1980.9.21大宮にて、「北陸」を牽引する長岡区の電暖装備のP系EF58110
●1978.6.13大宮にて、EF5871牽引20系「天の川」 ●1978.6.2蓮田付近を行くEF58116牽引20系「北星」
●1978.9蓮田~東大宮・荷48レEF58144+EF58?とEF651030単 ●1980.9.21>EF5860牽引「紀伊&出雲」
その中からEF56・57・58の写真を数枚をUPいたします。・・・FAXスキャナーのため低画質ご容赦願います。
●1974頃、蓮田付近を走行する荷41レ・EF564
●1975.11大宮駅にて,白Hゴム窓枠のEF5711
●1977.1白岡~蓮田・404レ「津軽4号」牽引のEF571
●1977.1白岡~蓮田の元荒川鉄橋を渡る101レ「八甲田」牽引EF575(5号機の最終仕業)
●日時不明>蓮田駅発車・125レ牽引EF5714
●1973頃のEF5715(ラストナンバー)…窓枠原型、ヘッドライトはD51498のものと同型でガラス面のやや大きいLP-403の変形タイプ
◆1978.8.7写真右は宇都宮所で最後までSG車だったEF5810
●1980.9.21大宮にて、「北陸」を牽引する長岡区の電暖装備のP系EF58110
●1978.6.13大宮にて、EF5871牽引20系「天の川」 ●1978.6.2蓮田付近を行くEF58116牽引20系「北星」
●1978.9蓮田~東大宮・荷48レEF58144+EF58?とEF651030単 ●1980.9.21>EF5860牽引「紀伊&出雲」
国鉄~JRのみならず全国津々浦々と活躍の場を広げたDE10(DE11,DE15)の近年の活躍を振り返ります。昨年末には東北でDE10三重連ブルトレや九州ではリバイバルブルトレ牽引など注目度アップしている反面、美祢線の貨物列車全廃、客車列車の淘汰、除雪車両変更によるDE15の余剰など予断を許さない状況です。
※毎度の形式的写真がほとんどですが近年の写真を何枚かUP致します。
●大船渡線の「ドラゴンレール号」 ●磐越東線にて
●北上線のD51牽引列車を一ノ関まで回送 ●信越本線・亀田付近を行くSLひな街道号回送
●今は無き美祢線貨物牽引JR貨物DE10 ●石巻線貨物牽引JR貨物DE10
●嵯峨野観光鉄道のDE10・梅小路にて ●ばんえつ物語号客車入換えのDE10・新津にて
●DE151001・酒田にて ●SL「冬の湿原号」を後押しするDE15
●真岡鉄道で客扱いのSL真岡回送牽引のDE10 ●石北本線でSL「常紋号」の候補機DE15重連
●函館本線にてSL「ニセコ号」の復路(蘭越~倶知安)先頭に立つDE15
●留萌本線・峠下~恵比島のオメガカーブで一瞬森の中から姿を現し、SL「すずらん号」を後押しするDE15
●大船渡線の海沿いを行くDE10+白帯24系「ドラゴンレール号」
●雌阿寒岳バックにSL「冬の湿原号」の候補機を務めるDE15
☆水郡線での活躍は↓にて
http://blog.goo.ne.jp/d511001/e/a6ed01c56f02f51bec2c66454306b728
※毎度の形式的写真がほとんどですが近年の写真を何枚かUP致します。
●大船渡線の「ドラゴンレール号」 ●磐越東線にて
●北上線のD51牽引列車を一ノ関まで回送 ●信越本線・亀田付近を行くSLひな街道号回送
●今は無き美祢線貨物牽引JR貨物DE10 ●石巻線貨物牽引JR貨物DE10
●嵯峨野観光鉄道のDE10・梅小路にて ●ばんえつ物語号客車入換えのDE10・新津にて
●DE151001・酒田にて ●SL「冬の湿原号」を後押しするDE15
●真岡鉄道で客扱いのSL真岡回送牽引のDE10 ●石北本線でSL「常紋号」の候補機DE15重連
●函館本線にてSL「ニセコ号」の復路(蘭越~倶知安)先頭に立つDE15
●留萌本線・峠下~恵比島のオメガカーブで一瞬森の中から姿を現し、SL「すずらん号」を後押しするDE15
●大船渡線の海沿いを行くDE10+白帯24系「ドラゴンレール号」
●雌阿寒岳バックにSL「冬の湿原号」の候補機を務めるDE15
☆水郡線での活躍は↓にて
http://blog.goo.ne.jp/d511001/e/a6ed01c56f02f51bec2c66454306b728
カシオペア、北斗星、あけぼの、北陸、日本海、トワイライト・・・客貨両用交直流電気機関車として幅広く活躍するEF81ですが、いよいよこの3月改正からその任を一部、EF510に譲るなど新旧後退の大波が押し寄せてきた状況で今後も目を離せません。
>そんなEF81の普段着の活躍をシチサン写真で数枚UP致します。
■DD53鳥海&出羽撮影行の際撮影したEF8110号機
■ちょっと離れてますがEF812号機です
■風雪横転事故慰霊碑付近を行くEF8129(撮影前にお参りをさせていただきました)
■SLひな街道号撮影の際撮影のヒサシ無しEF81109号機です
■そのSLひな街道号の回送を牽引するヒサシ付きEF81140号機
■只見線キハ52撮影行の際訪れた信越本線・見附付近を行くEF81502(再掲になりますが違うアングルにて)
>そんなEF81の普段着の活躍をシチサン写真で数枚UP致します。
■DD53鳥海&出羽撮影行の際撮影したEF8110号機
■ちょっと離れてますがEF812号機です
■風雪横転事故慰霊碑付近を行くEF8129(撮影前にお参りをさせていただきました)
■SLひな街道号撮影の際撮影のヒサシ無しEF81109号機です
■そのSLひな街道号の回送を牽引するヒサシ付きEF81140号機
■只見線キハ52撮影行の際訪れた信越本線・見附付近を行くEF81502(再掲になりますが違うアングルにて)
1975.12/14・C57135により最後のSL牽引225レが運行され学生の当方はただNEWSを見るだけでしたが、12/末国鉄スト権ストの影響で期末試験の日程がズレ、12/23から3日間は採点休みと言う幸運に恵まれ、勇んで特急「みちのく」~青函連絡船~急行「すずらん」(…立ち席で眠れず)を乗り継いでクリスマスイブの24日に夕張線・滝ノ上に到着。既に、D511086牽引A16仕業・6763レとD51465牽引A10仕業1791レは夕張に向けて走り去っており、最終日1本目はD511086の折り返し5782レからとなり、川端~滝ノ上の有名鉄橋で撮りましたが無煙で転がって坂を下りてくる感じでした。その後、知人達はさらに川端寄りの有名鉄橋へ向かいましたが、カメラ3台(NikonF2,PENTAX‐SL、ヤシカフレックス6×6、コムラーズーム715)にラジカセ(ナショナルMac)と友人から借りたW方式のシネ8mmの荷物が重く圧し掛かり、途中のSカーブでD51603牽引変A6仕業5797レを待つことに>逆光ながらみごとな爆煙でした。そして、D51241牽引A17仕業・9799レは滝ノ上近くのカーブ踏切のイン側からの撮影をしました>白煙ながらギースル独特の噴煙が見事で暮れ行く陽光の中忘れることの出来ないワンシーンとなりました。滝ノ上では交換のD51465牽引5792レが待っており、最後になるであろう発車シーンを狙いましたがなぜか転がるように音もなく発車して行き、SLの末路の寂しさを印象付けるシーンでした。日も暮れて、後は夕張からの2本の戻り貨物で最終となり、D51603牽引5794レを清水沢バルブで撮るべく交換DCの乗ったものの、5794レのセキの両数が多く駅構内の外れが先頭でたどり着くことなく発車してしまいました>何とか録音のみ録りましたが、荷物の重さがここでも仇に… そして、いよいよ最終のD51241牽引6788レですが、追分で迎えようと駅で暖を取りながら待っていたのが不幸の始まりで睡眠不足による過労で急激にズクがなくなり、寒さと荷物の重さに負け、構内外れの停車位置まで行かず、D51241の光跡のみをバルブで流し撮影を終えてしまいました>このことは今でも悔やまれることですが、待ち構えている時に追分に近づくにつれ何度もこだまし聞こえてくる汽笛が今でも自分の記憶の中で生きており、その後の青春(鉄人生)時代の礎になったと言っても過言ではありません。
余談ですが、3月に渡道した時はスト権ストの影響で、C58大雪崩れ、勇網線9600、名寄本線9600、そして常紋のD51に行けなくなり一生の悔いにもなりましたが、この時ばかりは感謝した次第で運命的なものを感じ、さらにこの時出合った小学生(なんと博多から1人でDC特急を撮りに来ていた!)の某氏を介して後年に狂電関人さんとも知り合うことができたのも一部の方には周知のところです。
■本線貨物が消えても昼夜を問わず追分構内の貨車の入換えに励む49648
(PENTAX-SL スーパータクマー50mmf1.8 1秒 F2.8 イルフォードHP4 D76{1:1})
■入換えの小休止で構内に佇む、形式プレートの39679(1976.3.2の最後の入換えをしたにも拘らず解体された悲運のカマ)
(NikonF2フォトミックs SCニッコール50mmf1.4 30秒 F5.6 プラス-X マイクロドールX{1:3})
■正面つぶれて写真では良く判りませんが、唯一静態保存された赤プレートの49648
(NikonF2フォトミックs SCニッコール50mmf1.4 60秒 F5.6 コダクロームⅡ)
●最終運行の後も1月まで火が入っていたD51241>煙室扉ハンドルは最終日にD51603と交換 ●D51241の代わりに保存されているD51320
※この時は海外でコダクロームⅡに代わる25が発売され、国内では輸入品が少数入荷していたためコダクローム25で現役SLを撮る機会は最初で最後と思い使用したものの現像体勢が整っていなかったせいか、青味がかった色彩になってしまい失敗したと感じました。
※残念ながらD51241は僚機603,465,1086そして79602とともに1976.4.13追分扇形庫の火災で焼失してしまい残念です。(603号は頭部のみ共栄興業社長の西野氏により保管され、現在は嵯峨野駅前の19世紀ホールで展示)
◆現在のD51603です↓・・・追分搬出時のもようは北海道放送制作のラジオ番組でC57135最後の機関士塚田氏を取材した「汽笛が違う」の中で挿入されました
余談ですが、3月に渡道した時はスト権ストの影響で、C58大雪崩れ、勇網線9600、名寄本線9600、そして常紋のD51に行けなくなり一生の悔いにもなりましたが、この時ばかりは感謝した次第で運命的なものを感じ、さらにこの時出合った小学生(なんと博多から1人でDC特急を撮りに来ていた!)の某氏を介して後年に狂電関人さんとも知り合うことができたのも一部の方には周知のところです。
■本線貨物が消えても昼夜を問わず追分構内の貨車の入換えに励む49648
(PENTAX-SL スーパータクマー50mmf1.8 1秒 F2.8 イルフォードHP4 D76{1:1})
■入換えの小休止で構内に佇む、形式プレートの39679(1976.3.2の最後の入換えをしたにも拘らず解体された悲運のカマ)
(NikonF2フォトミックs SCニッコール50mmf1.4 30秒 F5.6 プラス-X マイクロドールX{1:3})
■正面つぶれて写真では良く判りませんが、唯一静態保存された赤プレートの49648
(NikonF2フォトミックs SCニッコール50mmf1.4 60秒 F5.6 コダクロームⅡ)
●最終運行の後も1月まで火が入っていたD51241>煙室扉ハンドルは最終日にD51603と交換 ●D51241の代わりに保存されているD51320
※この時は海外でコダクロームⅡに代わる25が発売され、国内では輸入品が少数入荷していたためコダクローム25で現役SLを撮る機会は最初で最後と思い使用したものの現像体勢が整っていなかったせいか、青味がかった色彩になってしまい失敗したと感じました。
※残念ながらD51241は僚機603,465,1086そして79602とともに1976.4.13追分扇形庫の火災で焼失してしまい残念です。(603号は頭部のみ共栄興業社長の西野氏により保管され、現在は嵯峨野駅前の19世紀ホールで展示)
◆現在のD51603です↓・・・追分搬出時のもようは北海道放送制作のラジオ番組でC57135最後の機関士塚田氏を取材した「汽笛が違う」の中で挿入されました
宇部線と言えば1980年代初頭まで旧型国電の宝庫として有名路線だったのは周知のとおりです。
夏の陽の長い日に山口線「SLやまぐち」の撮影後に良く訪れたことも今では良い思い出です。また、近年
ではクモハ42006が最後の奮闘をした事も記憶に新しいところで、旧作~近作の写真を数枚UP致します。
■朝の本線上を支線運用に向けて走るクモハ42006です(原版スライドフイルム)
■長門本山からの折り返しを後追いにて
・・・晩年は黄色の警戒塗装がなくなりました(原版スライドフイルム)
■支線から本線を宇部新川に戻るクモハ42006
・・・6月で陽が長く、19:20過ぎでも写真が撮れました(原版スライドフイルム)
●こちらは新性能電車の単行です
・・・雲が竜の如くで好きな写真です>ASIAのデビューアルバムのジャケットを連想します。(原版スライドフイルム)
■最後はS55頃の本線列車です(原版モノクロネガ:KodakTri-X使用)
夏の陽の長い日に山口線「SLやまぐち」の撮影後に良く訪れたことも今では良い思い出です。また、近年
ではクモハ42006が最後の奮闘をした事も記憶に新しいところで、旧作~近作の写真を数枚UP致します。
■朝の本線上を支線運用に向けて走るクモハ42006です(原版スライドフイルム)
■長門本山からの折り返しを後追いにて
・・・晩年は黄色の警戒塗装がなくなりました(原版スライドフイルム)
■支線から本線を宇部新川に戻るクモハ42006
・・・6月で陽が長く、19:20過ぎでも写真が撮れました(原版スライドフイルム)
●こちらは新性能電車の単行です
・・・雲が竜の如くで好きな写真です>ASIAのデビューアルバムのジャケットを連想します。(原版スライドフイルム)
■最後はS55頃の本線列車です(原版モノクロネガ:KodakTri-X使用)