ちゅーたのたび

人生メロメロ奮闘記!?

聖徳太子を訪ねる旅10

2014-12-21 | 旅行記


2013年9月25日
良い天気に恵まれ少し遠出。
吉野線に揺られ六田駅まで。
向かった先は
聖徳太子御遺跡霊場第7番「世尊寺」(比曽寺跡)
と、そこにたどり着くまでに
駅からずいぶん歩くことになる。

途中で分岐。
山道を選ぶか、遠回りしても大通りを選ぶか・・・・・
迷った挙句、山道を選択。
これが後に後悔することになる。

上り下りが半端ない。
もう少しゆるいかと思っていたオレが甘かった。
運動不足の足腰にはかなり堪えた。

道すがら撮った写真。
栗がたくさん!




人んちのだから、もちろん眺めてるだけ(笑)



良い天気で、残暑・・・・・・
世尊寺に着くころには汗だく・・・・・・

この日一つ目の参拝ですでに体力消耗。
今日一日持つんだろうか・・・・・



そう思いながら境内へ。



31代用明天皇勅願によって聖徳太子が建立した。
元は比蘇寺と呼ばれ、飛鳥寺・四天王寺・法隆寺の四大寺院の一つだった。
天武天皇が天位の禅譲を断り僧となって入寺。



御本尊は阿弥陀如来坐像
他に十一面観音菩薩立像



この太子堂には聖徳太子十六歳孝養像が安置されている。



太子堂は県指定有形文化財となっている。


奥には桜の木が。
その下に松尾芭蕉の句碑が。

「世にさかる 花にも念佛 まうしけり」

ちょうどお昼度時で
御朱印を頂こうと思ったら
鐘をついてからでもいいかと言われ
もちろん構わない。
昼時の鐘の音をありがたく聴いていた。




太子が用明天皇のために建立した東塔は文禄三年に秀吉によって伏見城へ
慶長六年には家康よって大津・三井寺へ寄進。

西塔は推古天皇が敏達天皇の供養のために建立したが
戦乱で焼失。

現在は「史跡・比蘇寺跡」に指定。

御朱印を頂き、また六田駅まで歩くのかと思うと
憂鬱になりつつも、出発した。

帰りは大通りを選んだ。
もう上り下りは結構。
その道すがら、世尊寺に参詣しようとしていた二人の女性に出会った。
「世尊寺」はどう行ったらいいかと尋ねられたので
自分が通った道を・・・・・と言っても
道なりに来ただけだから
まっすぐ行けば突き当りにあること、何分ぐらいかかるかを教えた。
同じ思いをしていたのだろう
まだ先なの?って顔して苦笑いして向かっていった。


吉野川。
数日前の雨で濁っていた。

駅まであと少し、汗が止まらない・・・・・

駅について冷たい飲み物を一気飲み(笑)
電車に乗って天国かと思うぐらい涼しくて
逆に体が冷えてしまわないかちょっと心配しながら
次に向かったのは飛鳥。

飛鳥に着いたとき、すでに暑さと長距離歩行で体力は半減・・・・
半分どころではないな。
でも、せっかく来たのでレンタサイクル。
あぁぁ、もう汗でぐちゃぐちゃな頭や服なんてどうだってよい(笑)
破れかぶれ状態で飛鳥の町をサイクリング。


天武天皇・持統天皇の陵墓「檜隈大内陵」。
特に正面に行ったりはせず通過。
向かった先は
聖徳太子御遺跡霊場第8番「橘寺」

ここに到着するまで坂道が多く
体力を温存しておかなけらばならないと思い
途中で自転車を降りて押していた(泣)
そして下馬に着いたとき
何だか天気が怪しい・・・・・・

降る前に・・・・って降るって言ってたっけ!?

ここの説明は割愛。

一時の雲のいたずらだったらしい。



「三光石」
聖徳太子が勝鬘経を講讃した時に太子の冠が日・月・星の光を放ったとされる。








この角度が一番好き。


橘寺を満喫し、次に向かったのは
聖徳太子御遺跡霊場第11番「飛鳥寺」
ここも説明は割愛します。






西から出てすぐにある蘇我入鹿の首塚。



この付近は、飛鳥時代に槻(つき)の木の広場があった場所とされている。
大化の改新の功労者である中臣鎌足が中大兄皇子と初めて出会うのは
この広場での蹴鞠の会。

乙巳の変と呼ばれるクーデターの舞台となったのは
皇極天皇の飛鳥板蓋宮。
皇極4年(645)の旧暦6月12日。
その日女帝が臨席して大極殿にて三韓朝貢の儀式が執り行われた。
その外交儀式の最中に蘇我入鹿が惨殺された。
そのとき入鹿の首は切り落とされ、この地まで飛翔してきたという。

関裕二さんの本に感化されたせいか
蘇我入鹿は冤罪、無実の罪を着せられてしまったように考えてしまう。
本当のところはよくわからない。





さて、飛鳥寺を出発。

次に向かったのは
「甘樫丘」
今はないが、蘇我蝦夷らの居住地


疲れ果てているにもかかわらず
頑張ってこの丘を登った。


飛鳥の地を一望できる。






気が生い茂っていて見えない・・・・・・

パノラマ撮影挑戦(笑)
どこからどこまで!?


さて、一息ついて展望を楽しんだ後は
橿原神宮前まで帰る。
その途中に寄った。


吉備姫王の墓。



奇妙な石像。
墓の中にある。
猿石と呼ばれるもの。
吉備姫王は欽明天皇の孫で、皇極(斉明)天皇と孝徳天皇の母。




この近くに第29代欽明天皇の陵墓がある。





本当は「鬼の雪隠」や「鬼の俎」を見たかったんだけど
何故かたどり着けなかった。
見過ごしたのかな・・・・
看板はあったんだけど・・・・・
宿題になってしまった。


ということで、今回の飛鳥はこれだけ。
最後のひと踏ん張りで橿原神宮前に到着。


汗だく・・・・
早く帰って風呂に入った。

そして今回は宿の隣にある洋食屋。





おいしいものを頂き、汗かいて疲れて
ベッドに横たわってバタンキュー~~~。

2013年の旅は次で終わり。
現実に引き戻される日になるだろう。



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