ちゅーたのたび

人生メロメロ奮闘記!?

疲れたぁ。

2015-09-21 | 旅行記

どうしてこうも方向音痴なんだ。
Mapを見て確認して動いているのに
なぜか90度ずれている。
目標点を誤ったかね。
おかげで15分ほど無駄に歩いたよ。
それに、今日おろしたての靴だったから
靴擦れ起こしてえらいさわぎ。
途中コンビニで絆創膏を買って貼りまくった。
今宿では外して乾燥させている。
まだ風呂に入れないな。
というか、今日は暑くて汗かき放題。
早くシャワーでも浴びたいのに。
うぅぅぅ~~~~。



聖徳太子を訪ねる旅13

2015-08-19 | 旅行記

2014年6月18日

飛鳥・・・・ではなく、王寺界隈。
はて、なんで予定変更したのか・・・・・
もう1年以上前の事。
忘れた。(笑)

結局この日は初はない。
すべて御朱印目当て。
ということで、まず行ったのは
額田部にある額安寺を目指した。

その途中にある推古神社。

そばの池を通り過ぎて

そういえば前回に通ったときアヒルがいたな。

今回もいたよ。

神社がある額田部は推古天皇の出身地と言われている。



「征露紀命」なのかな。
隣には「征露戦勝祈願燈」と書かれた燈籠がある。
ロシア戦争の時にたてられたのかな。
推古天皇は戦争はしていないが・・・・


と、ここで手を合わせた後、目的の額安寺へ。
聖徳太子御遺跡霊場第22番「額安寺」

無事に中に入ることができた。

前回来た時は、開門が10時で
オレは9時に訪ねた。
それで、お寺なのに9時で開いていないってどういうこと?
と、怒った覚えがある。
なので今回は10時過ぎに訪れた。

思い出した!
この日雨が降っていた。
だから飛鳥をやめて、御朱印めぐりに変えたんだった。
この写真見て思い出したよ。

木心乾漆虚空蔵菩薩半跏像を拝みました。
なんだか、しばらく呆けていた気がする。
住職にどうでしたか?と聞かれ溜息しか出なかった。

無事に御朱印をいただいて次へ向かった。

聖徳太子御遺跡霊場第19番「達磨寺」

前回きたときは歩いてきたっけ。
今回はバスを使った。
慣れたもんさ(笑)


ここには小さな古墳がある。

二号墳。

三号墳。
本堂の下には達磨大師が眠っていると言われている。

ここも無事に御朱印をいただくことができた。
相変わらず太子石を見つけることができず。

まさかね。
それはあきらめて、次へ向かった。

線路のそばにあるお寺。
聖徳太子御遺跡霊場第21番「平隆寺」

毎回このアングルの写真を撮っている気がする。


門には「御用の方はチャイムを鳴らしてください」みたいなことが書いてあった。

鳴らしてみると
門からではなく、どこからやってきたのか・・・・
横から「お待たせしました」とやってきた。
「御朱印をいただきたくて」と言ったら
「雨の中わざわざご苦労様です」と言って中に通された。


中が見たかったな・・・・
本尊は石佛の阿弥陀如来(鎌倉期)で、これは秘佛なんだそう。
残念。

御朱印をいただき、次に向かったのは
聖徳太子御遺跡霊場第2番「大聖勝軍寺」
ここは前日の上ノ太子・中ノ太子と並んで
下ノ太子と呼ばれている場所にある。
前回説明を書いたように
物部との戦の時に隠れた場所。
前回たくさん写真は撮ったので
今回はこれだけ(笑)

鐘楼が前回見当たらなかった。
今回なぜか目に入り撮った。
ここでも無事御朱印をいただくことができた。


ということで目的達成。

雨もやんだんだったかな。

ホテルへ向かう。

この日のことはあまり覚えていない。
御朱印をいただくことだけが目的だったから。
淡々と時間が過ぎた1日だったような気がする。

ということで、次は本当に飛鳥へ向かう。


聖徳太子を訪ねる旅12

2015-08-19 | 旅行記

2014年の旅。
御朱印も残すところわずか。
今回の旅は結構余裕を持ったスケジュールにしてみた。
4度目なのでだいぶわかってきたつもり(笑)

もちろん今回も近鉄を使った。

2014年6月17日。

まずはご挨拶で上ノ太子。
夏もすぐそば。

天気は良いとは言えないが
雨が降らなかっただけよかったか。

「太子和みの広場」にて。

御廟のレプリカ。

中はこんな感じになっているのだとか。

もちろん17条憲法も撮ってきた。

さらに、たくさんの絵巻が紹介されていた。


そして霊場へ向かう途中にあったマンホール。

土地土地のユニークなマンホール。

聖徳太子御遺跡霊場第6番「叡福寺」

お邪魔いたします、ということで
旅はスタート。






叡福寺の向かいにあるこちらも霊場。

聖徳太子御遺跡霊場特番「西方院法楽寺」

創立は推古天皇30年(622年)開基は聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女
善信(俗名月益、蘇我馬子の娘)
禅蔵(俗名日益、小野妹子の娘)
恵善(俗名玉照、物部守屋の娘)により
聖徳太子廟がある叡福寺の門前に法楽寺の寺号で創建したとされている。

聖徳太子作の阿弥陀如来像を本尊として遺髪を納めたと伝わっている。


残念ながら御朱印をもらわず退散。



この上ノ太子は磯長陵で多くの天皇や豪族の古墳がある。

聖徳太子の父・用明天皇や推古天皇の御廟もある。
用明天皇の古墳へ行ってみた。

用明天皇は聖徳太子の父。

「日本書紀」では橘豊日天皇
いみなは池辺皇子、『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』の表記である。
用明天皇の父は欽明天皇、母は蘇我稲目の娘・堅塩媛。


ここへ来る数日前に残念ながら桂宮さまがお亡くなりになられた。

追悼旗が掲げられていた。

この後推古天皇の御廟にも行きたかったが
これは断念。
暑さと距離だ。
次は涼しい時に訪れ、推古天皇や小野妹子の御廟も回ってみたい。

さて、気を取り直して
次に向かったのは、何度も挑戦している
聖徳太子御遺跡霊場第4番「西琳寺」

今日こそは御朱印を
と思って張り切っていってみたが
やっぱり無理だった(涙)


何故ここはいつ来ても誰もいない感じなのだ?

本当に御遺跡霊場なのか!?


悔しい気持ちを心に残したまま次へ。

午前中に行った上ノ太子に対して
こちらは中ノ太子と呼ばれている場所にある。
聖徳太子御遺跡霊場第5番「野中寺」

太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされている。

飛鳥時代~奈良時代前半には、大規模な伽藍が存在したことは明らかで
渡来系氏族の船氏の氏寺として建てられたという説もある。


伽藍跡の土壇や礎石の列が残っていて
創建当時は東に金堂、西に塔を配置する
法隆寺式の伽藍配置だったことが判明している。





金堂跡や塔跡だけでなく
中門跡・講堂跡・回廊跡にも多くの礎石が現在も存留しており
「野中寺旧伽藍跡」として国の史跡に指定されている。

しかしここ野中寺はいろいろあって
天武天皇の寺ではないか、とか
安置されている弥勒菩薩半跏思惟像の制作がいつなのか、とか
論議のネタに尽きないお寺のようだ。



この日はこれで時間切れ。

ここから奈良まで戻る。
宿泊はもちろんいつものスーパーホテル大和郡山。

暑くて、梅雨入り前の湿気もあり
なかなか思ったように動き回ることができなかった1日。
それでも野中寺では御朱印をいただくことができて
とりあえず収穫有り。

次は何度も訪れている飛鳥。
今回はゆっくり散策になるかな。
もちろん自転車は借りるとして。
聖徳太子とはちょっと離れて
飛鳥のロマンに浸ってみたいと思う。


聖徳太子を訪ねる旅11

2014-12-21 | 旅行記

2013年9月26日

最終日。

前回と同様、京都によってから帰ることに。
もちろんまず向かったのは
聖徳太子御遺跡霊場第24番「広隆寺」


今回来た理由は、秦河勝が祀られているという記事を
どこかで目にしたから
どこにあるのか探しに来た。
ところがどっこい、よくわからない。



だから宝物殿によって終わり。


さて、嵐電で四条大宮まで。
っと、太秦の駅で思わず目を開いた。


!?
パトカラー。




自分が乗る電車ではなかった。
普通の紫の電車だった。

そしてバスに乗って晴明神社へ。
前回忘れたお守りを置いてきた。
おみくじ引いた。
くだらなかったから置いてきた。
・・・結んできた。

んんんん、時間が余ってしまった。
かなり余った感じ。
広隆寺であまり時間を使わなかったから・・・・・・
仕方ないから(?)
二条城によってきた。



豪華絢爛!




あっちにもこっちにも金!



































なんだかな。


さて、旅もここでひと段落。
たくさん宿題を残して現実へと戻る。

次は2014年6月17日からの旅。
佳境を迎える旅になる。

もっとゆったりとした旅をしたいものだ(笑)
ゆったりとはしていたんだが
何か落ち着かない感じがしていた。
現実逃避をしているはずが
現実から過去を覗くような
何とも言えない感じ。

心を空にして出かけられたらな・・・



聖徳太子を訪ねる旅10

2014-12-21 | 旅行記


2013年9月25日
良い天気に恵まれ少し遠出。
吉野線に揺られ六田駅まで。
向かった先は
聖徳太子御遺跡霊場第7番「世尊寺」(比曽寺跡)
と、そこにたどり着くまでに
駅からずいぶん歩くことになる。

途中で分岐。
山道を選ぶか、遠回りしても大通りを選ぶか・・・・・
迷った挙句、山道を選択。
これが後に後悔することになる。

上り下りが半端ない。
もう少しゆるいかと思っていたオレが甘かった。
運動不足の足腰にはかなり堪えた。

道すがら撮った写真。
栗がたくさん!




人んちのだから、もちろん眺めてるだけ(笑)



良い天気で、残暑・・・・・・
世尊寺に着くころには汗だく・・・・・・

この日一つ目の参拝ですでに体力消耗。
今日一日持つんだろうか・・・・・



そう思いながら境内へ。



31代用明天皇勅願によって聖徳太子が建立した。
元は比蘇寺と呼ばれ、飛鳥寺・四天王寺・法隆寺の四大寺院の一つだった。
天武天皇が天位の禅譲を断り僧となって入寺。



御本尊は阿弥陀如来坐像
他に十一面観音菩薩立像



この太子堂には聖徳太子十六歳孝養像が安置されている。



太子堂は県指定有形文化財となっている。


奥には桜の木が。
その下に松尾芭蕉の句碑が。

「世にさかる 花にも念佛 まうしけり」

ちょうどお昼度時で
御朱印を頂こうと思ったら
鐘をついてからでもいいかと言われ
もちろん構わない。
昼時の鐘の音をありがたく聴いていた。




太子が用明天皇のために建立した東塔は文禄三年に秀吉によって伏見城へ
慶長六年には家康よって大津・三井寺へ寄進。

西塔は推古天皇が敏達天皇の供養のために建立したが
戦乱で焼失。

現在は「史跡・比蘇寺跡」に指定。

御朱印を頂き、また六田駅まで歩くのかと思うと
憂鬱になりつつも、出発した。

帰りは大通りを選んだ。
もう上り下りは結構。
その道すがら、世尊寺に参詣しようとしていた二人の女性に出会った。
「世尊寺」はどう行ったらいいかと尋ねられたので
自分が通った道を・・・・・と言っても
道なりに来ただけだから
まっすぐ行けば突き当りにあること、何分ぐらいかかるかを教えた。
同じ思いをしていたのだろう
まだ先なの?って顔して苦笑いして向かっていった。


吉野川。
数日前の雨で濁っていた。

駅まであと少し、汗が止まらない・・・・・

駅について冷たい飲み物を一気飲み(笑)
電車に乗って天国かと思うぐらい涼しくて
逆に体が冷えてしまわないかちょっと心配しながら
次に向かったのは飛鳥。

飛鳥に着いたとき、すでに暑さと長距離歩行で体力は半減・・・・
半分どころではないな。
でも、せっかく来たのでレンタサイクル。
あぁぁ、もう汗でぐちゃぐちゃな頭や服なんてどうだってよい(笑)
破れかぶれ状態で飛鳥の町をサイクリング。


天武天皇・持統天皇の陵墓「檜隈大内陵」。
特に正面に行ったりはせず通過。
向かった先は
聖徳太子御遺跡霊場第8番「橘寺」

ここに到着するまで坂道が多く
体力を温存しておかなけらばならないと思い
途中で自転車を降りて押していた(泣)
そして下馬に着いたとき
何だか天気が怪しい・・・・・・

降る前に・・・・って降るって言ってたっけ!?

ここの説明は割愛。

一時の雲のいたずらだったらしい。



「三光石」
聖徳太子が勝鬘経を講讃した時に太子の冠が日・月・星の光を放ったとされる。








この角度が一番好き。


橘寺を満喫し、次に向かったのは
聖徳太子御遺跡霊場第11番「飛鳥寺」
ここも説明は割愛します。






西から出てすぐにある蘇我入鹿の首塚。



この付近は、飛鳥時代に槻(つき)の木の広場があった場所とされている。
大化の改新の功労者である中臣鎌足が中大兄皇子と初めて出会うのは
この広場での蹴鞠の会。

乙巳の変と呼ばれるクーデターの舞台となったのは
皇極天皇の飛鳥板蓋宮。
皇極4年(645)の旧暦6月12日。
その日女帝が臨席して大極殿にて三韓朝貢の儀式が執り行われた。
その外交儀式の最中に蘇我入鹿が惨殺された。
そのとき入鹿の首は切り落とされ、この地まで飛翔してきたという。

関裕二さんの本に感化されたせいか
蘇我入鹿は冤罪、無実の罪を着せられてしまったように考えてしまう。
本当のところはよくわからない。





さて、飛鳥寺を出発。

次に向かったのは
「甘樫丘」
今はないが、蘇我蝦夷らの居住地


疲れ果てているにもかかわらず
頑張ってこの丘を登った。


飛鳥の地を一望できる。






気が生い茂っていて見えない・・・・・・

パノラマ撮影挑戦(笑)
どこからどこまで!?


さて、一息ついて展望を楽しんだ後は
橿原神宮前まで帰る。
その途中に寄った。


吉備姫王の墓。



奇妙な石像。
墓の中にある。
猿石と呼ばれるもの。
吉備姫王は欽明天皇の孫で、皇極(斉明)天皇と孝徳天皇の母。




この近くに第29代欽明天皇の陵墓がある。





本当は「鬼の雪隠」や「鬼の俎」を見たかったんだけど
何故かたどり着けなかった。
見過ごしたのかな・・・・
看板はあったんだけど・・・・・
宿題になってしまった。


ということで、今回の飛鳥はこれだけ。
最後のひと踏ん張りで橿原神宮前に到着。


汗だく・・・・
早く帰って風呂に入った。

そして今回は宿の隣にある洋食屋。





おいしいものを頂き、汗かいて疲れて
ベッドに横たわってバタンキュー~~~。

2013年の旅は次で終わり。
現実に引き戻される日になるだろう。