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余命告知を受けたらどうするんだろう。
昨日、話があると言って呼び出された。
その人とは一緒に仕事はしたことないが
今は仕事をいただいている。
取引先のお偉いさんだ。
その人が余命告知を受けたと切り出した。
もちろん、半年や1年といった短い時間ではなかった。
血液のがんで、治療は終わって
今は安定しているという。
ただ、完治しない病気なんだそうだ。
感染症にかかったら一巻の終わりだという。
つまり、爆弾を背負っているということ。
そんな話をされても、オレは同情とか憐みとか
まったくわかなかった。
その人の見た目まったく病気もちだと思えないことも起因しているんだろう。
本人も言っていた。
みんなからは「本当にガンなのか?」と言われるそうだ。
そんな笑い話なんかしているから
情なんかわいてこなかった。
だから、こっちもつられて
「案外長生きして、しぶとい奴だななんて言われちゃったりして」
なぁ~~んて言ってしまった。
本人は笑っていた。
腹の底では覚悟はできているように見えた。
ただ、自分の体がどう変化していくのかわからないから
それが不安だと言っていた。
まぁ、みんな何時かは死ぬんだから
早いか遅いかだけ。
そこでふと思った。
オレだって、余命告知は受けていないが
事故や何かであっけなくこの世とおさらばすることだってあり得る。
そんなときのために
後悔なく、楽しく、自由に生きていたいと思った。
しかし、実際告知を受けたら自分はいったいどうするんだろう。
考え方に変わりはないと思うが
生き急ぐ恐れはあるかも。
あれやりたい、これやっておきたい・・・・・なんて
普通に生活していればいいものを
下手にいろんなことやりすぎて
病気というより、疲労で死んじゃったりして。
どっちにしても、最大の心構えは後悔しないことだと思う。
話は少しそれるが
最近いじめによる自殺がまたクローズアップされている。
もちろんいじめはよくない。
最近の陰湿陰険ないじめは特におかしい。
オレらの時代だっていじめはあった。
だけど、今のようないじめではなかった。
そのいじめを苦に自殺をするのはもっとよくない。
つらい気持ちはわかる。
オレもいじめにあった。もちろんいじめる側にもついたこともある。
今は後悔している。
そう、後悔しない人生の第1反則項目である。
しかし、過ぎたことはかえられない。
自分の過去として事実を受け入れ、二度としないと思うだけ。
つらいのはその数年だけ。
小学校から中学は、あまり周りに変化はないだろう。
だけど、高校へ上がり、大学へ行き
社会人になり環境はどんどん変化していく。
トラウマとして残りやすい時期の苦痛だとは思う。
でも、もっと大きく考えて、今の世の中人生80年という長寿。
その中のたった数年のことだ。
その数年のために人生を短くしてしまってはもったいない。
もっと長く生きたいのに
病気で死んで行ってしまう子供たちだっている。
いじめより苦しい抗がん剤を打ちながら回復を待つ子
先天性の腎臓の病で毎週透析をしなければならない子
奇形の心臓を持ってい生まれた子
そんな子たちのことを考えたら
自分から命を絶つなんて考えられない。
じゃぁ、我慢しなければならないのか・・・・・ちがう。
もう、自分の足で立ち上がるしかない。
親や学校、警察、児童相談所・・・・・そんなところの大人たちに頼っても
蓋をされて放置されるに決まっている。
だから、自分の足で立って、立ち向かって
喧嘩して、怪我して、痛みを知って、優しい人間になって生きてほしい。
・・・・・・・しかし、昨今怪我では済まない実情も浮き彫りにされてきている。
これは大人が何とかするべきだ。
学友同士で殺人はあってはならない。
学校側も警察もモンスターペアレンツに尻込みしてどうする!
親も共犯だ。
そういう親から罰していくべきだ。
権利だけを主張し、義務を果たさない親に
ものを言わせてどうする!
・・・・・ちょっと過激に走りそうなのでこの辺でやめておこう。