ちゅーたのたび

人生メロメロ奮闘記!?

忘れていた

2011-07-08 | 日記・エッセイ・コラム
今日家でビールを飲んでいるときだった。
母に今日の2時間ドラマを録画して欲しいと頼まれ
設定している時
HDDの中身を消すことも頼まれた。
確認すると、半年近く前の録画が残っていた。
それはオレが録ったもの。
DVDに焼こうとして失敗してそのままロックをかけて
放置していた。
今日ビールを飲みながらそれを見た。
若泉敬さん(沖縄返還の密約)の話。
ドキュメンタリー&ドラマ。
ちょっと前に・・・・・だいぶ前に問題になった
沖縄返還の裏に、有事の時は
アメリカ軍の核弾頭を設置することを認めるという約束
そもそも、「返還」の意味合いが違っていることに
若泉さんは苦悩していたんだろう。
そんな感じがした。
『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』という自身の著書を
英文に翻訳した原稿を出したその日に亡くなっている。
すい臓がんを告知され、沖縄へ行き自害を図ろうとしたが
まだできることがあると、その時は思いとどまり
遺骨の捜索等をしながら英文訳を作成。
しかし完成後、青酸カリによる自殺だったとされている。
その密約にたどり着くまでの苦悩は計り知れないが
沖縄の人々に対する陳謝(・・・・・になるのかな)の気持ちは
そうとうな物だったのだろうと思う。
「結果責任」と言う言葉を残している。
きっと、沖縄返還のとき若泉さんは
米軍基地が将来なくなるものだと思っていたのだろう。
しかし、無くなるどころか犯罪や被害が続き
本当の安全保障とは何なのかを自問自答しながら
国民に問題定義したかったのだろう。
だって、安全保障とうたうアメリカのアメリカ軍人が
日本国で日本人に傷を、死をもたらすとはどういうことなんだ・・・・
ちっとも安全ではないじゃないか!ということ。
後一月もすれば原爆投下及び終戦記念日。
毎年の事ながら、思い出し、考え直し、日本を見直す機会が来る。
地震などの災害もだが、戦争だって忘れてはならない。
戦争を知らないが、知った振りしてでも忘れてはいけない
苦悩の果て犠牲になった人たちがいることを忘れてはいけない
傷跡はたくさん残っているということを忘れてはいけない。
そう思う。