新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

まるで特攻隊員のようなせりふを繰り返す火の玉岸田文雄が見たい

2024年06月11日 11時54分07秒 | 岸田文雄

全国各地から首長選の敗北が連日報じられ、さすがの厚顔の自民党も、都知事選に自前の候補者を擁立もできず、ついに小池百合子頼みとなったようである。
 
自民のすり寄り、小池百合子知事にはありがた迷惑? 『不戦敗』避けるため便乗…『蓮舫氏の思うツボだ』」 
 

東京都知事選(6月20日告示、7月7日投開票)で自民党東京都連は10日、現職の小池百合子氏を支援する方針を確認した。裏金事件での党勢低迷で独自候補を立てられない自民は、小池氏に便乗し「不戦敗」を避けたい考え。ただ、出馬表明した立憲民主党の蓮舫参院議員が「反自民、非小池」を唱える中、小池氏の周辺では「自民色」に懸念の声も聞かれる。
◆2016、17年の選挙で自民は苦汁
 

 
 「小池さんが3選の出馬をするならば、支援する方向で考えていく」。10日、党本部での都連会合後、萩生田光一都連会長が記者団に説明した。「知事サイドのお考えもあると思う」と小池氏への配慮もにじませた。国会・地方議員ら出席した約200人から異論はなかったという。
 自民と小池氏の関係は紆余曲折(うよきょくせつ)をたどってきた。2016年の都知事選で小池氏は、自身も所属していた都連を「ブラックボックス」と批判。自民、公明両党の推薦候補らを破り初当選した。翌年の都議選でも小池氏が率いる地域政党「都民ファーストの会」が大勝し、自民は議席を大幅に減らした。
◆関係修復も党内には温度差
 だが、18年11月には、小池氏と気脈を通じる二階俊博元幹事長が取り持つ形で、小池氏が「過去の選挙で言葉が過ぎたこともある」と都連に陳謝。前回20年の知事選で、自民は小池氏を実質支援した。
 両者の接近は最近の都内の選挙にも表れている。裏金事件で自民への逆風が強まる中、昨年12月の江東区長選では小池氏が擁立を主導した候補を自民が推薦。今年1月の八王子市長選では自民の推薦候補が苦戦し、小池氏が選挙戦終盤で応援に駆けつけ勝利に貢献した。5月26日の都議補選(目黒区)でも自民公認の新人を小池氏が応援した。
 都知事選への対応を巡り、ある都連幹部は「小池氏しか選択肢がない。かといって、積極的に賛成という人もいないのでは」と明かす。これまでの経緯から自民内に温度差がある一方で、知事選と同日の8都議補選や来夏の都議選で小池氏の支援を得たいとの思惑も見え隠れする。
◆党派色…「マイナス面しかない」
 小池氏に近い都民ファの関係者は10日、自民の支援方針に「党派色を出されると迷惑。蓮舫氏の思うつぼだ」と苦々しく語った。
 蓮舫氏は5月末の出馬会見で、小池氏が8年間で自民との距離を縮めた点を指摘。「自民の延命に手を貸した」とするなど、自民と小池氏を重ね、知事選での追い風にする戦略を描く。
 実際、都内で4月以降にあった目黒区長選、都議補選(目黒区)、港区長選では、自民の推薦・公認候補が相次いで敗北した。都民ファ関係者は「自民が支援しますと言えば言うほど、マイナス面しかない」と危機感を募らせる。
 当の小池氏は同日昼、記者団に「各所から大きなエールを送ってもらっている」と明確な言葉を避けつつ「保守の方々から大きなエールももらっている」と、自民への配慮をうかがわせた。

 



 
ところで、昔、現場で取材しないで記事を書くことを「こたつ記事」と揶揄され卑下されたものだが、やはり現場主義を貫いてきたジャーナリストも少なくはない。
 
誰も言わなかった不都合な真実…日本の自然災害は「政治の人災」である《著名ジャーナリスト、怒りの警告》
 
■防災というテーマはジャーナリズムの使命
33年前の1991年6月。「自然災害と防災」が私のライフワークであり、使命とさえ思うようになったきっかけがある。
長崎県雲仙普賢岳で発生した火砕流。山の斜面を高速で一気に流れ、町を飲み込んだ。そこにいた消防団員やマスコミの取材陣などが行方不明になった。翌朝、当時テレビ西日本の報道記者だった私は、福岡からヘリで現地に飛んだ。明け方近くに炎も随分おさまったが、まだ一部では火の手が上がり、一面を白く降り積もった火山灰が覆っていた。陸上からはまだ到底現場には入れない。
そんなとき、眼下の一角に、溶岩で潰された車と、その横に灰を被って倒れている遺体を見つけた。
あのショックは永遠に忘れることはない。遺体を目の前にして、無力な自分を思い知らされ、また、それまで意気がっていた私の報道も、自然災害にあまりに無知であり無力であると突きつけられた。この仕事を辞めようとも思った。数週間ほど悩み続け、私が出した結論は、「防災というテーマはジャーナリズムの使命だ。平時にあっても常に追い続ける」と自分に課すことだった。
私はその後、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震……。地震だけではない、豪雨、台風、火山噴火、酷暑など、自然災害とそれへの対応を取材し続けてきた。近年、自然災害は人知を超え、常軌を逸するレベルになりつつある。
どれほどの命が奪われたか。被災者にはなんの罪もない。しかし、政府の対応は、時間も予算も大がかりで法改正にも時間がかかるとあって、過去の教訓をその後に生かすことをせず、根本的な防災対策に取り組んでこなかった。挙げ句には「未曾有の災害だった」などとその度に言い訳をして逃げてきた。度重なる自然災害の犠牲や被害は「政治の人災」と言えるのではないか。
■法律や既成の「平等」が壁に
今年、元日には能登半島地震が発生した。官邸の初動は明らかに遅かった。私はこの度刊行した『シン・防災論―「政治の人災」を繰り返さないための完全マニュアル』で徹底検証したのだが、対策本部を設置する経緯などを見てみれば、それは明らかだ。初動の遅れを挽回するかのように、岸田政権は中央指導で「やれることは何でもやる」と息巻いたが、「中央で旗を振る」こと自体、じつは過去の教訓を生かしていない。重要なのは、現場主義に徹することなのだ。
阪神淡路大震災では、右往左往していた官邸に、危機管理のエキスパートたる後藤田正晴元副首相が押しかけ、自社さ政権の村山富市首相に進言し、現地にベテラン政治家を派遣することになる。村山首相が「すべて現地で判断してくれ。現地が欲しいものは最優先で何でも叶える。法律違反というなら法律を変える。自分が責任をすべて取る」と現場主義に徹したからこそ、復旧へ動き出した。それをなぜ今回も実践しないのか。
また能登半島地震で、岸田政権は省庁の官僚らを送り込み、首相は「現地にミニ霞が関を作る」と豪語した。これも間違っている。
確かに実務は官僚がやるのだが、官僚や公務員は法律を犯したり、既成の平等概念を壊してまで物事を進められない。だが、災害時に法律や既成の平等は壁になるのだ。東日本大震災では法律によって使いたいところに公金を使えなかった。また、自治体は、避難所で食料や毛布の数が被災者の人数と同じに揃うまで配れなかった。寒さを少しでもしのぎ腹を満たせばいいものを、特定の場所だけ配ると不平等になるというのが理由だった。
つまり官僚を送りこんでミニ霞が関を作ってもしょうがないのだ。「一番困っている人たちを優先しろ。既成の平等などに縛られるな」と政治決断できる政治家、いわばもう一つの首相、もう一つの政府を現地に置かなければならないのだ。
このように過去の自然災害の教訓を生かせず、今年の能登半島地震でも繰り返した失政が多々あった。
■軽々しく「寄り添う」と口にする行政
政治・行政が常套句のように使う「寄り添う」という言葉がある。だが彼らは、果たして本当の意味が分かっているのだろうか。
13年前の東日本大震災。復興庁によると、今年3月時点に至っても、避難者は何と22900人もいる。全国に散っている。福島や宮城の太平洋側の故郷に戻りたいが原発問題や町の産業や経済が不安でいまなお将来を見通せない。いずれ帰るのか、いやこのまま避難地を永住の地にするのか、いまも選択を自らに課している人たちがたくさんいる。
「息子が来年高校受験だが福島の高校を受験させたい。おととし避難指示が解除されたが、やはり心配で戻っても大丈夫なのか。相当迷っている」(福島県双葉町に居住していた建築業者、現在・新潟県在住)
「道路はきれいになったが元の町並みはなく、もはや知らない場所。人口も減ったから経済はどうなのか。子供たちは独立して妻と二人。帰りたいが、果たして食べて行けるのか」(宮城県石巻市に居住していた和菓子店主、現在・茨城県在住)
被災者はあの日を忘れない。心の中でも、暮らしにおいても、時は止まっているとも言えるのだ。「寄り添う」というのは、そういう被災者が自らの意思で前を向いて進み出すそのときまで、インフラや経済や仕事やあらゆる復興政策をずっと継続していくことではないのか。軽々しく「寄り添う」などと口にする政治・行政はその覚悟を持っているのか。
私は今度の新刊で、過去の自然災害の現場で起きていた政治・行政の舞台裏、被災地の数々のストーリー、後藤田正晴、石原信雄、達増拓也、小野寺五典、石破茂ら、政治家や官僚、自治体の首長などの当事者の体験と言葉、さらには津波から命からがら逃れた芸人のサンドウィッチマンの故郷・東北での活動など、これまで防災に関わって取材してきたテーマを集大成して問題提起させていただいた。
読者の皆さん、政治行政をはじめとする多くの方々に活用していただ軽々しく「寄り添う」と口にする行政
政治・行政が常套句のように使う「寄り添う」という言葉がある。だが彼らは、果たして本当の意味が分かっているのだろうか。
13年前の東日本大震災。復興庁によると、今年3月時点に至っても、避難者は何と22900人もいる。全国に散っている。福島や宮城の太平洋側の故郷に戻りたいが原発問題や町の産業や経済が不安でいまなお将来を見通せない。いずれ帰るのか、いやこのまま避難地を永住の地にするのか、いまも選択を自らに課している人たちがたくさんいる。
「息子が来年高校受験だが福島の高校を受験させたい。おととし避難指示が解除されたが、やはり心配で戻っても大丈夫なのか。相当迷っている」(福島県双葉町に居住していた建築業者、現在・新潟県在住)
「道路はきれいになったが元の町並みはなく、もはや知らない場所。人口も減ったから経済はどうなのか。子供たちは独立して妻と二人。帰りたいが、果たして食べて行けるのか」(宮城県石巻市に居住していた和菓子店主、現在・茨城県在住)
被災者はあの日を忘れない。心の中でも、暮らしにおいても、時は止まっているとも言えるのだ。「寄り添う」というのは、そういう被災者が自らの意思で前を向いて進み出すそのときまで、インフラや経済や仕事やあらゆる復興政策をずっと継続していくことではないのか。軽々しく「寄り添う」などと口にする政治・行政はその覚悟を持っているのか。
私は今度の新刊で、過去の自然災害の現場で起きていた政治・行政の舞台裏、被災地の数々のストーリー、後藤田正晴、石原信雄、達増拓也、小野寺五典、石破茂ら、政治家や官僚、自治体の首長などの当事者の体験と言葉、さらには津波から命からがら逃れた芸人のサンドウィッチマンの故郷・東北での活動など、これまで防災に関わって取材してきたテーマを集大成して問題提起させていただいた。
読者の皆さん、政治行政をはじめとする多くの方々に活用していただけると幸いである。

 
残念ながらこのようなジャーナリストが絶滅危惧種になりつつあることが日本の政治の劣化に拍車をかけている。
 
 
 
政治資金規正法の改正案は先週6日、衆院を通過し、参院での審議に移ったが、国民はもう辟易だ。改正案のザルぶりでわかったのは、案の定、盗人に自分をお縄にする法改正などできっこないこと。そんな政党に加担する卑しい権力亡者がまだいることだ。そんな連中が「数を固めている」以上、「やったふり」で終わるのは見えている。裏金政治家の「掴み金」は温存ということだ。こうなったら「政権交代」しかないのだが、そこで大きな注目を集めているのが今月20日告示、来月7日投開票の東京都知事選だ。
 立憲民主党の蓮舫参院議員と女帝、小池百合子都知事の事実上一騎打ちになるとみられているが、いち早く、出馬を表明した蓮舫は参院議員の座をなげうち、「反自民党政治、非小池都政」を明確に掲げた。あえて地方の首長選に「国政の是非」を持ち込み、真っ向から争点化したのである。
 これによって、都知事選は最大の「岸田審判」の場と化したが、その背景は言うまでもない。衆院3補選、静岡県知事選、広島1区の町長選、東京・港区長選など、軒並み、地方で負け続けている岸田自民党にとって、東京都での敗北は決定打ともいえる「最大のダメージ」になるからだ。いくら自民党が独自候補を出さず、小池支援も明確化せず、陰で動き回ってもダメだ。有権者は小池の裏に萩生田光一・自民党東京都連会長がいて、与党の公明党がバックアップし、自民党利権政治を全面支援のゼネコンが連なっていることを知っている。現職の女帝が負ければ、それはすなわち、岸田自民党の敗北となるのである。
■結果次第で一気に岸田おろしへ
 それだけに永田町もこの選挙結果にウの目タカの目だ。政治ジャーナリストの山田惠資氏が言う。
「解散権を封じられた岸田首相が総裁選再選のためにどんな改造をやるのか、できるのか。それによって、総裁選は誰が出てきて、どうなるのか。具体的な動きがなかなか見えてこないのは、みんなが東京都知事選の結果を見極めようとしているからです。ここで小池都知事が蓮舫参院議員に負ければ、岸田政権は改造もままならず、党内は一気に岸田おろしの流れになっていく。7月7日以降、大きく政局が動くことになると思います」
 浮足立った自民党は「選挙に勝てる総裁」探しに右往左往し、石破元幹事長あたりに雪崩を打つかもしれない。
 とはいえ、誰が総裁になったところで、同じだ。蓮舫が掲げているのは「反自民、反裏金政治」なのであって、そこに有権者が明確な審判を下せば、自民党の存在そのものが否定されることになるからだ。だからこそ、この都知事選は政権交代の「前哨戦」なのである。有権者はもちろん、その構図を見極めている。裏金政治に鉄槌を下すべく、腕をぶしている。岸田自民党はもう逃げられない。
「前哨戦」だけでなく「予行演習」の意味もある
 今度の都知事選の結果が重大なのは「政権交代の前哨戦」の他にもさまざまな要素があることだ。淑徳大大学院客員教授の金子勝氏(財政学)も都知事選の行方に最大限の注目をし、「国が変わる予感」に興奮しているひとりだ。
「これまでの立憲民主党って、腰が定まらないところがあって、有権者も半信半疑だった。でも、今回蓮舫さんは退路を断って、自民党の悪政、小池独裁を止めるべく“捨て身の覚悟”を示した。これはとても大きいと思います。有権者に野党の本気度が伝わりましたからね。そのうえで、もし、蓮舫さんが勝てば、さまざまな改革に手を付けるでしょうから、有権者は政権交代の予行演習を目の当たりにすることになる。トップ(政権)が変われば、こんなふうに行政、政治が変わるのか。有権者が認識すれば、国政での政権交代への流れも決定的になっていくと思います」
■自己アピールで予算私物化の小池都政
 小池といえば、湯水のように金を使い、神宮外苑に象徴されるような巨大開発や、思い付きのようなバラマキ、16億円もの予算をかける都庁外壁へのプロジェクションマッピングなど、人気取りに邁進してきた。その一方で置き去りにされてきたのは「格差」や「子育て」などの生活者支援で、ついに東京都の合計特殊出生率は0.99となり、「1」を割った。小池は「所得制限なしで0歳から18歳まで1人あたり月額5000円を支援する『018サポート』や高校授業料無償化などをやってきた」と自画自賛しているらしいが、てんで成果が上がらないのは全てが人気取りのパフォーマンスで、そこに一貫した理念、哲学がないからだ。億ションばかりが乱立し、高い家賃に困窮している世帯が大勢いるのに、晴海の五輪選手村跡地のマンションはいまや、金持ちや法人の投機対象で、レガシーもなにもない。大企業を儲けさせる大型開発に巨額の予算を割くくせに、庶民には「目くらまし」の「施し」でゴマカしてしまう。そのくせ自己アピールには余念がない。目立つことしか考えていない。そのために予算を私物化してきたのが小池都政の8年間だ。
「結果、東京は日本で一番、子育てがしにくい街になってしまった。こうなったら、大胆に予算を組み替えていくしかないのです。蓮舫さんといえば、民主党政権時代の事業仕分けが思い出されますが、あれは財務省のパフォーマンスに利用されて失敗した。今度は都庁の役人を上手に抱き込んで、“ゼネコンの手先のような都政”から、“困っている人のための都政”に変えて欲しい。神宮の杜再開発に待ったをかけるのはもちろん、共働き支援、家賃補助、教育無償化の拡大などやるべきことはたくさんある。無駄で無意味な開発ではなく、女性や子育て、教育のために予算を割く。こうして都民に活力が生まれれば、国政も同じなんだと有権者は気づくはずです」(金子勝氏=前出)
 蓮舫が勝てば、東京都が国を変える壮大な実験場になるのである。
■凄まじい蓮舫バッシングが始まった
 言うまでもないが、防衛費倍増に血道を上げる岸田・自民党政権下では経済はへたり、少子化は止まらず、国の衰退が加速していくだけだ。
 自民党政治なるものが国民のためでなく、裏金を出してくれる大企業のために行われているからだ。防衛予算はすぐつけるくせに、少子化対策の財源はケチり、医療保険にまで手を突っ込んでいるのだからメチャクチャだ。
 そんなイカサマ政治ではなく、教育や子育て、科学技術振興に予算を大胆に振り分けていく。都知事選を改革の突破口にするしかないのだが、“敵”もさるもので、そうなると、自分たちが干上がってしまうものだから、いまや、蓮舫バッシングにシャカリキだ。
 二重国籍問題を蒸し返し、息子や母親、元亭主にまで取材攻勢をかけて、アラさがし。一方で小池はこのタイミングでいきなり、低所得者に1万円の商品券を配ると言い出した。白昼堂々、選挙買収みたいなものだが、それだけ、小池陣営=自民党やそれに連なる日本の権力構造も追い詰められている裏返しだ。
 立憲民主党の幹部は「いまは15年、20年に一度あるかないかの激動のタイミング。ここで政治を変えるしかない。だから、蓮舫も決断して立った」と言った。だとしたら、有権者も覚悟を決めて「1票」を投じるべきである。
 裏金に歪められた「大企業優遇の衰退政治」を続けさせるのか。少子化に歯止めを打ち、生活者・国民のための政治を取り戻すのか。「200万~300万票を奪い合う女性の一騎打ち」は多数の候補者が入り乱れ、空前の「情報戦」になりそうだが、この選挙の本質を見誤ってはいけない。

 





 
「命がけで」とか「火の玉となって」。まるで特攻隊員のようなせりふが常套句になっているが、いざ実行となると「粛々と」とか「しっかりと」など一歩も二歩も引いた口ぶりとなる。
 
過去の特攻隊員たちは「お国のために見事散ります」覚悟だったが、残念ながら岸田文雄にはこれっぽっちの覚悟も見当たらないが、それを指摘されると平然として「そのような指摘は当たらない」と居直ってしまう。
 
都知事選が始まり、街宣車の上で岸田文雄と小池百合子が並び立つ様は「史上最悪の醜悪コンビ」になるかもしれない、とオジサンは思う。  

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