新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

宰相5条件・①無私の精神②信念と哲学信③教養と誠実さ④ロマン⑤歴史的直覚力

2024年09月10日 13時09分52秒 | 総裁選

まさに有象無象の輩のオンパレードの様相を帯びてきた自民党の総裁選。
 
2日後には出馬した連中が「各馬一斉にスタート」となるのだが、すでに街頭演説も始まっているらしい。
 
投票権のない一般市民に何を訴えているのかはしらないが、「そんな素晴らしい政策ならばもっと早く矢やればよかったのに!」とツッコミを入れられる候補者も決して少なくはない。
 
そしてその候補者の「勝ち馬」にうまく乗ることができれば、今後の「キングメーカー」としての老後の楽しみにしている老兵もいる。
 
麻生太郎キングメーカー残留狙いで「石破茂に乗る日」…次の総理総裁『「進次郎なら亡命』」 
 

「人気投票になっては絶対にいけない。国の将来を間違えることになる」
 自民党総裁選(12日告示、27日投開票)で河野太郎デジタル相(61)を支援する麻生太郎副総裁(83)が、こんな発言をしていたという。麻生派に所属しながら茂木敏充幹事長(68)の支援を決めた参院議員が、7日に宇都宮市で開かれた茂木の総決起大会で明らかにした。
「次の総裁に誰がふさわしいか」という人気投票のような世論調査の結果への皮肉か、河野の不人気ゆえの負け惜しみか。現状、世論調査ではトップ争いを石破茂元幹事長と小泉進次郎元環境相(43)、3位に高市早苗経済安保相(63)という順で、河野は4、5位やそれ以下に沈んでいる。麻生はキングメーカー脱落必至、政界引退も囁かれるほどの落ち目だが、麻生発言を深読みする自民党関係者はこう言う。
「人気投票がダメというのは『進次郎はNO』という意味でしょう。麻生さんは近しい周辺に『進次郎が総理総裁になったら亡命する』とまで言っているそうです。総理経験者として、進次郎さんの政治経験の浅さが不安なのは当然ですが、それ以上に問題なのは、進次郎さんのバックにいるのが菅義偉前首相(75)と武田良太元総務相(56)だということ。特に、同じ福岡県が地元の武田さんとは犬猿の仲です。地元の地方選挙を含め、常に対立してきた。麻生さんは、武田さんを利することだけは絶対に許せないはずです」
■決選投票が下馬評通り「石破vs進次郎」なら…
自らの政権時に“麻生降ろし”に走った石破とは長年の確執があるといわれてきたが、総裁選の勝者が1回目の投票で決まらず、決選投票が下馬評通り「石破vs進次郎」なら、究極の選択で麻生は石破に乗るのか。
「岸田派は決選投票で石破さんに乗る可能性が高い。岸田首相ひとりにキングメーカーの座を奪われるくらいなら、麻生派の票を石破さんに乗せて恩を売るかもしれません」(前出の自民党関係者)
 どこまでも醜い権力争いで懲りない面々。たとえ麻生が本当に亡命しても、国民は嘆かないだろう。

 







 
もっとも、自民党の内規では麻生副総裁の任期はあと1年足らずらしいので、あまり老醜をさらさずに政界引退を考えたほうが身のためである。
 
さて、先週の毎日新聞の「倉重篤郎のニュース最前線」にこんな記事が出ていた。
 
30年前と酷似、政権交代しかない 細川護熙が緊急発言 自民総裁選、立憲代表選に告ぐ
 
政治改革の先駆者・細川護熙が緊急発言
国民の政治不信と内外の激動、そこに自民総裁選と立憲代表選が絡むという、まさに時代は転換期の様相だが、果たしていま、変革の兆しは見えるだろうか。かつて、55年体制を打破して非自民連立政権を生み出した改革者・細川護熙氏が、政権交代への道筋を熱く語る。
宰相5条件
 ①無私の精神
 ②信念と哲学
 ③教養と誠実さ
 ④ロマン
 ⑤歴史的直覚力

「歴史は繰り返す」(歴史家クルティウス・ルフス)のか、「韻を踏む」(マーク・トウェイン)のか。
 政局は、自民党総裁選(9月12日告示27日投開票)、立憲民主党代表選(7日告示23日投開票)と第1党、2党の二つの党首選が同時進行、すぐ後に衆院の解散、総選挙の実施が取り沙汰されるなど、過去あまり経験のない「3連選」に向け、胎動し始めた。2党首選を誰が制するか。総選挙での野党共闘がどうなるか。展開によっては、日本の戦後政治はまた一つ転換点を迎えるかもしれない。
 そんな予兆を感じさせるのは、理由がある。31年前に、政治改革を目指し細川護熙(もりひろ)非自民連立政権が誕生した時と、取り巻く環境が酷似しているからである。
 一つは、安全保障環境の激変である。あの時は東西冷戦の終焉があった。冷戦秩序が崩れ、地域紛争が頻発、米国を世界の警察官とする一極支配体制となった。日米同盟は、共通の敵ソ連を失って漂流を始めた。今はどうか。米国はその力の衰えから世界の警察官を降り、ウクライナ、ガザの二つの戦争を止める力を失った。一方で、中国の台頭で米中間の覇権争いという別の形での「冷戦」が始まっている。日米同盟はその中国を新しい共通の敵として運命共同体的一体化のフェーズに入りつつある。逆ベクトルながらの転機だ。
 二つに、経済環境の変転である。あの時はイケイケドンドンの金融バブル体制が崩壊、日本経済はその後延々と続く蟻(あり)地獄のような資産デフレの門口に立っていた。右肩上がり経済が終わりを告げた時でもあった。今はどうか。安倍晋三政権以来10年余続けてきた異次元金融緩和政策の手仕舞いを迫られ、日本経済はこの先長期にわたり、その負の遺産である国家財政・日銀財務の悪化、産業競争力の劣化という事態に向き合っていかなければならない。ゼロ金利との決別を宣言した節目でもある。
 三つに、「政治とカネ」をめぐる事件の勃発である。あの時は、リクルート、東京佐川急便、ゼネコン汚職とバブリーな経済を背景にスキャンダルが続発した。「濡れ手に粟」(リ事件の未公開株譲渡)だったことや、「事務所が一つの金庫だった」(東京佐川急便事件の金丸信事務所)ことが国民の怒りを呼び、世論が政治改革、政権交代のうねりを作った。今はどうか。派閥のキックバック裏金事件で、国民は再び自民党政治家の順法精神の低さ(政治資金規正法違反)に呆(あき)れた。事件の経緯、背景をきちんと調査、総括する意思と能力の低さ、再発防止のための法制度整備の不十分さにも不満を感じている。
時代を変える一瞬を摑む感覚を持て
 これだけの共通項がある中、歴史はどう進むのか。やはりこの際は31年前、時代の風をいち早く察知し、独り敢然と体制刷新の狼煙(のろし)を上げ、政治改革の旗頭を務めた細川護熙氏の登壇を願うのが筋ではないか。
 氏も今や齢(よわい)86。2月には急性肺炎で1カ月入院した。呼吸困難がひどく管3本つけたまま5日間救命救急室から出られず、一時は医師に匙(さじ)を投げられ、アフリカにいる娘さんまで呼び出された。体重は15㌔落ち、脚もかなり痩せたが、ようやく体調も整い、リハビリを兼ね絵筆を握ることができるようになったという。
 会っていただける、というので、北品川の沢庵和尚で有名な「東海寺」地続きにある氏のアトリエを訪ねた。言うまでもなく、氏は旧肥後熊本藩細川家の第26代当主であり、五摂家筆頭近衛家の第30代当主で昭和初期に首相を務めた近衛文麿の孫でもある。還暦を機に議員辞職、政界引退後の20年余はむしろ陶芸家、書家、襖絵(ふすまえ)画家として活躍、ウィキペディアにも「陶芸家、茶人、第79代内閣総理大臣」の順で紹介されている。その出自からくる宿命的な歴史視野、文化的な感性から何が見えるのか。時代認識、宰相の条件、政治改革のあり方などを聞いた。
 時代状況どう見るか?
「外も内も大変転の時代だ。米国内では分断が進み、トランプが復活するか否かで、世界は大きく変わる。ウクライナとガザでの二つの戦争を世界は止めることができない。欧州でも右寄りの勢力が台頭し始めている。一衣帯水の大国・中国も何を考えているかわからない。妙なことはしないだろうと思うが、軍用機が領空侵犯したりする。内でも、物価高、格差の拡大、経済力の劣化、アベノミクスの後始末と課題満載だ。これから選ばれる日本の指導者には、くれぐれも間違いないよう、しっかり舵(かじ)取りをしてもらいたい」
 今の指導者に何望む?
「一つは西郷隆盛に代表される無私の精神だ。薩長同盟の成立や王政復古、江戸無血開城など、無私でなければ、あの時代にあれだけの仕事はできなかった。
二つ目に、自分なりの信念、哲学をどう持つか。私は、隣の東海寺開祖・沢庵宗彭(そうほう)和尚の『百戦百勝するも一忍に如(し)かず』という言葉が好きだ。戦争という手段ではなく話し合い、譲歩、外交で問題を解決せよ、という教えだ。家康、秀忠、家光ら徳川家三代の師匠としてのこの助言が、長く続いた戦国時代を終わらせ、外国とも戦を構えない260年の徳川治世を築きあげたと思っている」
「三つ目に、教養も必要だ。博識であることではない。相手の立場で考えることのできる思いやり、誠実さだ。論語には『夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ』とあり、江戸の儒学者・佐藤一斎の『政(まつりごと)を為すの着眼は情の一字に在り』(言志晩録)にも通じる。
四つ目に、指導者にはロマンも欲しい。プラトンは言った。『人間には3種類ある。死んでいる者、死んではいないが、ただ生きているだけの者、海に向かって旅立つ者だ』と。ほとんどの人が前二つに分類されるであろうが、ぜひ海に向かってほしい。海とは理想であり、夢であり、ロマンであり、志だ」
「五つ目が、歴史的直覚力だ。ナポレオンに学びたい。1798年のエジプト遠征時の話だ。兵士たちが、暑く長い砂漠の行軍で意気阻喪した際に『4000年の歴史がピラミッドの頂から諸君を見ている』と全軍を鼓舞、カイロに入城する。シーザーもアレキサンダーも、その時の歴史的直観で、ルビコンを渡ったり、時代を一歩前に進めたりした。歴史の一瞬を摑(つか)む感覚が指導者には大切だと思う」
 あなたも31年前の細川政権誕生でそれを摑んだ?
「私も私なりにそういうことは意識していた。本当に摑めたかは別だが、自社55年体制という日本におけるベルリンの壁をぶっ壊す、という歴史の一瞬を摑もうとしたのは事実だ。私は学校では落第生だったが、勉強もしないで、そんな本ばかり読んだりしてきた」
 歴史的直覚力は才能か?
「直感だ。私の場合はたまたまそういう時が来たということでしょう」
 400年余の歴史を生き抜いた細川家の宿命的勘?
「宿命かどうかわからない。でも細川幽斎(細川家中興の祖)さんは本当に優れた人だと思う。ものごとや人との距離感が絶妙だった。戦火に明け暮れる時代、六十数回戦に出たが、1回も負けてない。しかも、足利義晴、義輝、義昭、信長、秀吉、家康と6代の政権に、誰からも恨まれず、筋を通して仕えた。教養と人間力にあふれる人だった。私は足元にも及ばない」
 でも日本新党を創設、1年2カ月で政権を獲った。
「当初は、ドン・キホーテの真似事(まねごと)とみられた。そんなことで38年続いた自社体制が崩れるはずはない、と言われた。竹下(登元首相)さんがそう仰(おっしゃ)っている、ということが伝わってきた。ただ、1992年5月に立党、7月の参院選で4議席、翌93年6月の都議選で20議席、7月の衆院選では35人が当選、時代の風を満帆に受けて、自民党1党支配体制を引っ繰り返した。(大軍を奇襲で撃破する)桶狭間(おけはざま)的な展開だった」
 ある意味時代の要請があった。似た事態が起きる?
「わかりません。それにしては民意が未成熟というか、理解できないことがある。先の都知事選での石丸(伸二氏が165万票取った)現象にも驚いた。政策を何も語らず、ただ冷笑的な人に多くの人が動かされた。背景に国民意識の変化があるのか。本や活字を読まない時代だ。1億総スマホ時代の情報環境との因果関係があるのかどうか」
 細川現象再来は困難?
「そうとも言えない。今『日本の衰退』が言われているが、その原因を端的に言えば、『変われない日本』にあると思っている。どの国でもそうだが、一国が変わる最大のきっかけ、原動力は政権交代にある。私たちは『変われない日本を変える』政治の土台作りを30年前にきちんと済ませている。政権交代可能な選挙制度をこの手に持っている」
 だが1強多弱が続いた。
「本格的政権交代にはそれなりの時日がかかるのも歴史の教えるところだ。英国では、サッチャー、メージャーの保守党政権からブレア労働党政権ができるまで18年。今回のスターマー労働党政権までは14年だった。日本では私の政権から30年、民主党政権から12年経過している。日本もブレアか、スターマーが出てくれば実現する」(中略)
小選挙区制を上手に活用してほしい
 現行の小選挙区比例代表並立制見直し論があるが。
「いくつかの誤解がある。自民党案を丸呑(の)みしたと言われるが、私と河野洋平自民党総裁(当時)で政治決着した案は、第8次選挙制度審議会の答申内容そのものだった。政治家が小粒化、個性がなくなった、というが、同じ小選挙区の英米では聞いたことがない。今は学歴が高く多彩な経歴の人が多くなった。官邸1強というが、首相の主導力が派閥政治に埋没していたので、意図的に強化した。むしろ改革の成果が出たと思う。2大政党制を目指したのではなく、ずっと穏健な多党制と言ってきた」
「メリットもあった。同士討ちのサービス合戦、政官業癒着、派閥政治の弊害はだいぶ見られなくなった。政権交代も2度実現、政治資金は大幅に減った。そこを改めて確認し、この制度をもっと上手に活用してほしい。
中選挙区制に戻せ、連記制がいいという議論がある。私も一時、取りあえず中選挙区制の弊害を緩和する措置として提起したことはあるが、本格的改革が実現したのだから、今の制度を守るべきだ。戦後初の総選挙(1946年4月)で都道府県単位(大選挙区)の連記制を実施したが、何が民意なのか明確にならないということで、1回だけで終わった。変えるべき点があるとすれば、30年前に『5年後に見直す』とした企業・団体献金を、裏金問題を契機に廃止することだ」
   ◇   ◇
 最近作陶は如何(いかが)、と振ると、骨壺(こつつぼ)を作っていると仰る。ご自分のですか、と突っ込むと、それも含めてですと。よくある大ぶりの白いものではなく、遺灰だけ入れる小ぶりの彩色ものという。それなら納骨堂や仏壇でもスペースを取らず鑑賞も可能、使うまでは花入れや梅干しでも入れておけばいいんですと。先日京都で展覧会をしたらよく売れましたと笑った。齢重ねても時代の空気を摑むのが巧みな人である。それにしても選挙制度という彼の作品。政権交代にもっと有効に活用できるはずだ、とのメッセージと受けとめた。


 
さすがは、旧肥後熊本藩細川家の第26代当主であり、五摂家筆頭近衛家の第30代当主らしい素晴らしい眼力と含蓄豊富な話である。

すでに具体的に「最強の政治改革」に向けて動き始めているコンビがいた。 

与野党を超えた友情が政界をひっくり返す!自民・元法務大臣と国民民主・国対委員長が掲げる『最強の政治改革』」 
 

候補者乱立の自民党総裁選が盛り上がりを見せるが、自民党派閥の裏金問題に端を発した「政治改革」が総裁選のお祭り騒ぎで忘れ去られてはいないか。そう憂慮するのが、選挙制度改革の超党派議連を立ち上げた自民党の古川禎久元法相(59歳)と国民民主党の古川元久国対委員長(58歳)だ。同じ年生まれで名前は一文字違い、ともに東大法学部卒という経歴で、政界では「古古コンビ」と呼ばれている。
■よく名前を間違えられて…
―与党と野党、本来であれば対立関係のお二人が、親交を深めた経緯を教えてください。
元久 知り合ったきっかけは、席が五十音順で決まる東大の入試で隣り合わせたことです。もっとも、大学時代はさほど付き合いはなかった。
禎久 元久さんは在学中に最年少で司法試験に合格して新聞に載るなど有名人でしたから、もちろん存在は知っていましたが、当時は学内で顔を合わせることもなかった。
元久 それはヨッシー(禎久氏のこと)がほとんど大学に来てなかったからでしょ(笑)。卒業後、私は大蔵省(現財務省)、禎久くんは建設省(現国土交通省)に入省しましたが、お互い官僚を辞めて国政選挙に打って出たのも偶然、同じ'96年の衆院選だった。小選挙区制で行われた最初の選挙です。候補者一覧に禎久くんの名前を見つけて、奇縁に驚きました。
禎久 最初の選挙で元久さんは当選し、私は落選。ところが、名前が紛らわしいので私のところに当選祝いの電話がかかってきたり、モト(元久氏のこと)が旧民主党政権で大臣になった時も祝電や花が届いたり、そのたびに「自分ではありません」と説明するのが大変でした(笑)。
元久 民主党が下野して以降、野党がバラバラになる中で、私は野党の中心から端っこに、禎久くんも第二次安倍政権で反主流派となって党の端っこに位置するようになった。お互い端っこ同士で一緒に行動するようになったんです。
禎久 名前が似ていても、「元久は脳みそが二つあり、禎久には肝臓が二つある」と言われるくらいタイプは違いますが、私は元久さんの見識と教養に敬意を払い信頼している。それで、国の未来や政策課題を考える時など、折にふれて意見を聞くようになり、それが様々な超党派議連の立ち上げにつながっていきました。
元久 最初に二人で手がけたのが'20年の国会での「気候非常事態宣言」決議で、全会派一致での可決に漕ぎつけた。その後も、医療防災産業創生推進議連、石橋湛山研究会など、いくつもの超党派議連を一緒に立ち上げています。
―二人が呼びかけ人になり、今年6月に選挙制度について議論する超党派議連「政治改革の柱として衆議院選挙制度の抜本改革を実現する超党派議員連盟」が発足。また共同代表に就任しました。
禎久 自民党、立憲民主党から共産党、れいわ新選組まですべての政党・会派が参加して発足したので、共同代表は10人。参加者はすでに衆議院議員の約3分の1を数え、今も増え続けています。
■国民に背を向ける「ヒラメ議員」たち
―現在の小選挙区制度の問題点はどこにあると考えていますか?
禎久 民主政治は民意に力強く支えられて初めて政策推進力を得ることができる。しかし、今の選挙制度は民意が反映されていないのではないか。選挙区で一人しか選ばれないシステムは無用な対立を煽ることにもなる。国難に直面した時に、与野党が足の引っ張り合いをして物事が進まないのは実に不幸なことです。
元久 リクルート事件に端を発した30年前の平成の政治改革の議論は、いつの間にか選挙制度の話に議論が収斂されてしまった。カネがかかる中選挙区制から小選挙区制に変えれば、「政治とカネ」問題の温床である派閥はなくなり、政党本位・政策本位の選挙となり、政権交代可能な二大政党制ができて政治に緊張感が生まれる。あたかも選挙制度を小選挙区制にすれば、全ての問題が解決し、日本の政治は良くなるかのように語られました。しかし、'96年から9回この選挙制度で選挙をやって、それが幻想だったことがハッキリした。
―選挙区で落選させたはずの候補者が、比例復活するシステムも有権者には分かりづらいですね。
元久 二大政党制を志向して選挙区で一人しか当選しない小選挙区制と、幅広い意見をすくい上げるために少数政党が議席を得やすくなる比例代表制は、そもそも制度の理念がまったく違う。それを無理やり合体させて小選挙区比例代表並立制にし、重複立候補と惜敗率による順位づけを認めたことで、比例区は落選議員の救済制度になり果てています。
―小選挙区制になって国会議員がサラリーマン化した、政治が劣化したとよく言われます。
元久 ここ10年あまりの自民党を見ると、党の公認をもらえれば、比例復活を含めてほぼ確実に当選できるわけですから、公認権を握る党執行部の顔色を過度に窺うのは当然です。議員が党執行部の方ばかり見て、国民に背を向けている状態は、サラリーマン化したと言われるのも仕方ない。そんな「ヒラメ」議員で「国民の代表」と呼べるでしょうか。
■小泉首相に逆らって党を追われたり…
元久 小選挙区制は、候補者というより党に投票する感覚が強い。そうではなく、この人に託したいから投票する「人を選ぶ選挙制度」にすべきです。
禎久 私は初挑戦した'96年衆院選で落選し、次の'00年衆院選でも落選。'03年の衆院選で初当選を果たして自民党に追加公認されました。当時は、選挙制度が小選挙区制になっても、党内にはまだ中選挙時代のムードが残っていた。それが劇的に変わったのが'05年の郵政選挙でした。だって、執行部の方針に逆らうと党を追い出され、刺客が送られてくるんですよ。私自身、郵政民営化に反対票を投じて離党し、無所属での戦いを余儀なくされた。政界の雰囲気は、あの郵政選挙でガラッと変わったと思う。
元久 ヨッシーは7年間の浪人生活を経てようやく当選したのに、人気者の小泉純一郎首相(当時)に逆らって党を追われたり、安倍政権でも石破派の事務総長を務めて冷遇されたり、もっと器用に立ち回ることもできただろうに、筋を通してあえて困難な道を進んだ。そこがいいところですよ。
―9月27日に行われる自民党総裁選で誰が選ばれるかによって、政治改革の帰趨にも影響がありそうです。
禎久 無様な裏金問題を引き起こし、政治に対する国民の信頼を大きく毀損した自民党にとって、今回の総裁選は剣が峰です。相も変わらぬ派閥の論理や、誰なら国政選挙に勝てるかという基準でトップを選ぶ総裁選になれば、今度こそ国民から見放されるでしょう。
元久 選挙のために国民人気が高い党首を選ぼうとする傾向にも、小選挙区制が影響を及ぼしている。党首や政党に「風」が吹けば、候補者本人の資質にかかわらず、党の看板だけで当選できるからです。しかし、実力ではなく人気でトップを選ぶと、すぐに馬脚が現れ、「次の選挙に勝てない」となると、すぐまた新しい人気者に表紙を取り替えるという悪循環がこの30年間続いてきた。
禎久 政治不信が極まれば、安易なポピュリズムが台頭しかねない。そうならないために、今こそ本気で政治改革に取り組まなければならないし、自民党もそういうリーダーを選ばなければならないと思います。
■「政界再編」も遠くない⁉
―それでも自民党が変わらず、野党にも期待ができないのなら、いっそ「政界再編」を、と望む声も聞こえてきます。
元久 平成時代に目指した「二大政党制の実現」というチャレンジは失敗に終わりました。そもそも日本には英米の階級対立や南北対立のような二大政党の基となった社会的対立構造がない。それを、無理やり二大政党を作ろうとしたことで、逆に「一強多弱」となり、議会制度が形骸化してしまいました。
禎久 日本政治は未だに戦後の55年体制を引きずっている。しかし、世界情勢を見てもこれだけ時代が変わっているのだから、モデルチェンジしなければ日本の舵取りはできません。新しい政党政治のあり方、あるいは新しい憲政の常道を構築する必要がある。
元久 二人でやってきたさまざまな超党派議連は、次の政治の核となるテーマを扱ってきたつもりです。思想で言えば「小日本主義」を掲げた宰相・石橋湛山。「経世済民」を第一に考え、独立自尊、寛容、現実主義を軸にした政治志向です。産業政策では、医療防災のような国民の安心安全につながる産業を経済の中心にする試み。そして政治に必須な国民の政治に対する信頼を取り戻すための政治改革。その柱の一つが選挙制度改革です。
禎久 今の政治制度のままで、日本が直面する内外の課題に対応できるのか。大きな時代のうねりにきちんと対応できる制度はどういうものなのか。政治資金の透明化、国会改革、選挙制度改革などを一体にして、未来に向けて改革していかなければならない。ここまで政治が信頼を失ってしまった今だからこそ、「令和の政治改革」を一気にやるチャンスにもなり得る。
元久 来年は昭和で言えば100年の節目です。「政治とカネ」に象徴される昭和から続く古い政治から一日も早く脱却し、令和に相応しい政治体制を構築する必要があります。現在の与野党の枠を超えて超党派で課題に取り組む中から、新しい政治体制を作っていきたいと思います。
 
ふるかわ・よしひさ/'65年、宮崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、建設省(現国土交通省)に入省。2度の落選を経て'03年に衆院議員初当選。財務副大臣や法務大臣などを歴任
ふるかわ・もとひさ/’65年、名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。'96年に旧民主党から出馬し当選。内閣官房副長官や国家戦略担当大臣などを歴任

 
「来年は昭和で言えば100年の節目」であることから、いまから新しい政治体制を楽しみに待つことにしよう。 
 
それにしても、残念なのは現在の最大の問題が、自民党総裁選の候補者連中が「宰相5条件」を1つも持ち合わせていないということだろう、とオジサンは思う。   

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