CTNRXの日日是好日

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アーミッシュ

2023-04-25 21:00:00 | 千思万考

 私達、ライフラインとして電気、ガス、水道と公共料金を払って供給されているし、当たり前と言えば当たり前の生活。
 しかし、災害などでライフラインは、瞬時に止まる。当たり前の生活が当たり前ではない状態に陥る場合もある。
 それを想定して避難訓練は成されているんだろうけどイマイチ、ピンと来ない。来ないのは、想定と実際とのギャップがあまりにも想定外含め、かけはなれてるのではないだろうか。
 というのは、一日だけの訓練で把握出来まい。最低、一週間単位の規模じゃないと。各家庭於いては事情もあるし、時間もないんだけれど・・・
 やらないより、やった方が良いに決まってますが。

 昔、電気ガスがなかった時代に火事等で家を追い出された庶民は、どういう生活をしていたんだろ?
 粗悪な油と、今現在より粗悪な水で。
 そう考えると、想像つかないくらい今の時代はライフラインに依存し過ぎでは?と思えてしまいます。

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■アーミッシュ
(英語: Amish、ドイツ語: Amische)

 アメリカ合衆国のペンシルベニア州や中西部、カナダのオンタリオ州などに居住するドイツ系移民(ペンシルベニア・ダッチも含まれる)の宗教集団である。    
 アメリカのキリスト教者共同体であり、 移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られる。
 原郷はスイス、アルザス、シュワーベンなど。2020年時点での推定人口は約35万人とされている。
 
発祥

  アーミッシュとメノナイトはルーテル派(ルター派)とツヴィングリ派の新教再組織から分かれてスイスのチューリッヒで生まれた一派で、宗教的迫害を受けたのちにドイツ南西部やフランスのアルザス地方に移住した。キリスト教と共同体に忠実である厳格な規則のある派で、創始者のメノ・シモンズの名前をとってメノナイトと呼ばれた。そのメノナイトの一員であったヤコブ・アマン(英語版)は、教会の純粋さを保つために、ほかのグループから離れて暮らすことを考え、更に保守的な一派を作った。アーミッシュという呼称は彼の名に由来する。ライフスタイルは少し違うが、メノナイトもアーミッシュも基本的信条は同じで、ひとくくりにアーミッシュと呼ばれている。
   〔ウィキペディアより引用〕

 アーミッシュは、スイスからの移民集団で、移民当時の農耕や牧畜の自給自足の生活スタイルを現在も維持している人々です。原則として、電気や電話を使わない生活スタイルで、移動には自動車ではなく馬車を用います。「ペンシルバニア・ダッチ」と呼ばれる独特の言語を話し、男性は、無地のシャツに黒いズボン、帽子をかぶり、大人はひげを伸ばしています。女性は、丈の長い無地のワンピースにエプロン、ボンネットと呼ばれる帽子をかぶっています。 アーミッシュの子供は、思春期を迎えると一度親元を離れて俗世で暮らす「ラムスプリンガ」という期間が与えられ、その掟からは完全に解放され、私たちにとっては日常に使う電子機器、自動車、音楽等の快楽を経験します。そして、成人になる(ラムスプリンガを終える。)と、アーミッシュであり続けるか、アーミッシュと絶縁して俗世で暮らすかを選択しなければなりません。 多くは、そのままアーミッシュであり続けることを選択するそうです。
▼情報元
 栃木県庁 庁舎案内
TOCHIGI PREFECTURAL GOVERNMENT
法人番号:5000020090000
〒320-8501 栃木県宇都宮市塙田1-1-20 電話番号:028-623-2323
   
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TV 番組 カムバック Vol.03

2023-04-24 21:00:00 | 出来事/備忘録

 私達の世代、忘れられないテレビ司会者はやはり“大橋巨泉”さんだと思います。
 亡くなられてから、何年経つのでしょうか。調べたところ、没年月日は2016年7月12日(82歳没)との事。
  
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 ▼大橋 巨泉
(おおはし きょせん)(1934年/昭和9年3月22日〜2016年/平成28年7月12日)は、日本のテレビタレント、放送作家、元参議院議員。 テレビ司会者のほか、競馬評論家、ジャズ評論家、時事評論家としての活動も行い、馬主でもあるなど、日本のマルチタレントの先駆けとなった。
 実業家でもある芸能プロモーターとしてオーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)を創業し、取締役会長を務めたほか、海外でお土産物屋「オーケーギフトショップ」を経営するオーケーギフトショップグループの取締役社長を務めた。オーケーエンタープライズ所属。
    〔ウィキペディアより引用〕

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 ■主なバラエティー出演番組

・『11PM』
・『お笑い頭の体操』
・『巨泉まとめて百万円』
・『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』
・『巨泉のチャレンジクイズ』
・『クイズダービー』
・『世界まるごとHOWマッチ』
・『巨泉のこんなモノいらない!?」
・『ギミア・ぶれいく』等



CTNRX的文學試行錯誤 No.007

2023-04-23 21:00:00 | 出来事/備忘録

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
 ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
 人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容げて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
 ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。

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 これは『草枕』夏目漱石著、頭の文章ですよね。


 夏目漱石 略歴
 本名:夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏。
 明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日に通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪のうちの一人。
 代表作は、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。
 明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなった。
      〔ウィキペディアより引用〕
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 私が若き日、手帳の最後のページに書き記した記憶があります。

〔ストーリー概要〕

  日露戦争のころ、30歳の洋画家である主人公が、山中の温泉宿に宿泊する。やがて宿の「若い奥様」の那美と知り合う。出戻りの彼女は、彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面、「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもあった。そんな「非人情」な那美から、主人公は自分の画を描いてほしいと頼まれる。しかし、彼は彼女には「足りないところがある」と描かなかった。ある日、彼は那美と一緒に彼女の従兄弟(いとこ)で、再度満州の戦線へと徴集された久一の出発を見送りに駅まで行く。その時、ホームで偶然に「野武士」のような容貌をした、満州行きの為の「御金を(彼女に)貰いに来た」別れた夫と、那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあった。そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を横で主人公はみてとり、感じて、「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」という筋を背景に、漱石の芸術論を主人公の長い独白として織り交ぜながら、「久一」や「野武士(別れた夫)」の描写をとおして、戦死者が激増する現実、戦争のもたらすメリット、その様な戦争を生み出す西欧文化、それに対して、夏にまで鳴く山村の鶯(ウグイス)、田舎の人々との他愛のない会話などをとおして、東洋の芸術や文学について論じ漱石の感じる西欧化の波間の中の日本人がつづられている。また、漱石がこだわった「探偵」や「胃病」が脈絡無くキーワードとしてでる。

    〔ウィキペディアより引用〕

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 夏目漱石、草枕のキーワードで検索すると必ず、この画像がヒット
します。

〔新宿区立漱石山房記念館展示ポスター〕
 このポスターの絵は『オフィーリア』(Ophelia)
 1851年から1852年にかけて制作されたジョン・エヴァレット・ミレーによる絵画。

 漱石山房記念館さんが、この絵を採用された意図的な理由はわかりませんが。
 オフィーリアはウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物のひとりで、この作品では彼女がデンマークの川に溺れてしまう前、歌を口ずさんでいる姿を描いています。

 さて、この絵にもうひとり、印象を与えた人がいます。それは誰でしょう?
 もうおわかりですよね、有名だし。

そう、樹木希林さんなんです。

 樹木希林さんは、悠木千帆時代から知っていて『寺内貫太郎一家』を好演されました。好きでしたね、お祖母さん役。



消費期限と賞味期限

2023-04-22 21:00:00 | 日記

 パンは、バケットが好きでよく食べます。中でもヤマザキのバケットが良いですね。
 他社に比べて値段はリーズナブルだし、ボリューミー。私のお気に入りのパンです。
 ただ、難点なのは消費じゃなくて、賞味期限の短い事。買ったその翌朝にはパサパサ感、半端なくあり、美味しく頂けない状態に。
 良いものは良いのだけれども喩えて言うのなら“美人薄命”というところか。
 こういう場合、製造月日も記載してほしいものだ。法的に義務化されてないから、記載してないんだろうけど、メーカー側に良心があれば、記載すべきだと思います。消費者側も納得されないにしても、購買する目安はできると思います。
 食品の安全性に関して、JASマークだったり、アレルギー28品目だったりと記載の義務化は進んで来ていますが、まだまだ食品に対する『曖昧さ』は、拭いきれませんね。良質なものをより良くする為に。
  
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 《JASマークについて》



 品位、成分、性能等の品質についてのJAS(一般JAS)を満たす食品や林産物などに付されます。 



 有機JASを満たす農産物などに付されます。有機JASマークが付されていない農産物、畜産物及び加工食品には「有機○○」などと表示することができません。



 相当程度明確な特色のあるJASを満たす製品などに付されます。
 
〔お問合せ先〕
  消費・安全局消費者行政・食育課「消費者の部屋」
ダイヤルイン:03-3591-6529


《情報元》
 農林水産省
 ◆◆◆◆◆
住所:〒100-8950 東京都千代田区霞が関 1-2-1
電話:03-3502-8111(代表)
代表番号へのお電話について 法人番号:5000012080001



CTNRX的文學試行錯誤 No.006

2023-04-21 21:00:00 | 出来事/備忘録

 『確執と覚悟』


『シズコさん』佐野洋子著

 本書は、題名が端的に示すように、著者の母親佐野シズを描いたものです。           
 母親への積年の恨み辛み、無念と自己嫌悪など一切合財の想いを宿すシコリが、シズの認知症と死を経て和解するまでを描いたのが、『シズコさん』のあらすじということになります。
 豪放かつ繊細な感受性で記された母親との悪縁の内訳は、同時に戦前戦後の時代背景を生々しく浮き彫りにもしていて感性に素直な筆致は、佐野洋子のエッセイすべてに通じる特徴で、荒ぶる時は小さなスサノオの如し。露悪的にすら映る乱暴狼藉が四方八方に吐き出されはするものの、底意地の悪さがないものだから愛嬌になる。
 正直なことは「裸の王様」の少年の如し。
 けれども著者が指さすのは、心の内を晒して怖じけない佐野洋子自身である 。      心の裸身を呆気ないほど無防備に見せてしまう危なっかしさは、それ以上の痛みや剥奪を先制防御する煙幕のようですらあります。
 本書が母親への愛憎に苦しむ世の娘たちに希望や慰安をもたらすのかどうか、私には分らない。そもそも、老いた娘が更に老いた母のベッドにもぐって寄り添うとは、なんとも無粋な所作ではないか。何も同衾しなくたってよかろう、と鼻白んでしまうのは私だけだろうか?冷静に考えれば、幾つになっても、要はこども心の落とし前なのだから、添い寝に辿りつくのは道理でもある。認知症の母親も折良くこども返りしていることで、過不足なかろうと思わないでもない。それでも興醒めを免れないのは、私のつむじか臍が曲がっているからだろうか?私の母子関係など佐野洋子の足元にも及ばず、ちっともドラマティックではないからだろうか?それとも、これは単なる意固地な美意識の問題な のだろうか? 無益な詮索はどうであれ、『シズコさん』から佐野親子の葛藤を引き算したものこそがわたしには悩ましい。「母を金で捨てた」、「愛の代わりを金で払った」と繰り返す佐野洋子は、母親を老人ホームに託すことになるが、母親の末期は自分のガン告知と軌をひとつにする。
 事実、本書刊行(2008年4月)の2年後に著者は他界している。『死ぬ気まんまん』(死後刊行2011年)では、より直栽に自らの死を語った著者が、『シズコさん』執筆時にどれほどの切迫感をもって余命をカウントダウンしていたのかはわからない。死の予感が執筆に深い影を落としていたには違いないが、『シズコさん』の佐野洋子は「死ぬ気まんまん」には未だ至らず、生者としての務めを気丈に果たしている。 生者は、死者を見送り、想起し、悼む。著者は『シズコさん』によって、見事に母親を見送り、想起し、悼んでいる。けれども、さらに痛ましいのは、著者のこども時代に他界した父親、兄1人弟2人に捧げられている深い哀悼である。兄については、『右の心臓』(1988年) において、既に切なる追悼がなされているとはいえ、著者の晩年の声には異なる含蓄がある。死という不気味な事態への覚悟が読める。