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CTNRX的文學試行錯誤 No.007

2023-04-23 21:00:00 | 出来事/備忘録

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
 ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
 人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容げて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
 ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。

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 これは『草枕』夏目漱石著、頭の文章ですよね。


 夏目漱石 略歴
 本名:夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏。
 明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日に通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪のうちの一人。
 代表作は、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。
 明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなった。
      〔ウィキペディアより引用〕
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 私が若き日、手帳の最後のページに書き記した記憶があります。

〔ストーリー概要〕

  日露戦争のころ、30歳の洋画家である主人公が、山中の温泉宿に宿泊する。やがて宿の「若い奥様」の那美と知り合う。出戻りの彼女は、彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面、「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもあった。そんな「非人情」な那美から、主人公は自分の画を描いてほしいと頼まれる。しかし、彼は彼女には「足りないところがある」と描かなかった。ある日、彼は那美と一緒に彼女の従兄弟(いとこ)で、再度満州の戦線へと徴集された久一の出発を見送りに駅まで行く。その時、ホームで偶然に「野武士」のような容貌をした、満州行きの為の「御金を(彼女に)貰いに来た」別れた夫と、那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあった。そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を横で主人公はみてとり、感じて、「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」という筋を背景に、漱石の芸術論を主人公の長い独白として織り交ぜながら、「久一」や「野武士(別れた夫)」の描写をとおして、戦死者が激増する現実、戦争のもたらすメリット、その様な戦争を生み出す西欧文化、それに対して、夏にまで鳴く山村の鶯(ウグイス)、田舎の人々との他愛のない会話などをとおして、東洋の芸術や文学について論じ漱石の感じる西欧化の波間の中の日本人がつづられている。また、漱石がこだわった「探偵」や「胃病」が脈絡無くキーワードとしてでる。

    〔ウィキペディアより引用〕

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 夏目漱石、草枕のキーワードで検索すると必ず、この画像がヒット
します。

〔新宿区立漱石山房記念館展示ポスター〕
 このポスターの絵は『オフィーリア』(Ophelia)
 1851年から1852年にかけて制作されたジョン・エヴァレット・ミレーによる絵画。

 漱石山房記念館さんが、この絵を採用された意図的な理由はわかりませんが。
 オフィーリアはウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物のひとりで、この作品では彼女がデンマークの川に溺れてしまう前、歌を口ずさんでいる姿を描いています。

 さて、この絵にもうひとり、印象を与えた人がいます。それは誰でしょう?
 もうおわかりですよね、有名だし。

そう、樹木希林さんなんです。

 樹木希林さんは、悠木千帆時代から知っていて『寺内貫太郎一家』を好演されました。好きでしたね、お祖母さん役。