![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/8d/0cf580bbcce86b07fa8a0afae30aac48.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/26/a13e86901f738d778252c6796dd70dd1.jpg)
相変わらずの覚え書きです。
以前、瞑想中に「人間は、人という現象である」という言葉をもらったのを、ふっと思い出して、そうだなぁ~と、あらためて可笑しくなった。
「私は問う」。
「私」は「問う」。
この2つを切り離すことはできない。
私は「私」だから問いが発生する。
大なる一つなるもの、ワンネス、スピリット、魂、そう呼ばれるものには問いがない。
その中には一切の問いが存在しない。
「え?」と思うことすらない。
問いも答えも、すでに内包されているともいえる。
それが、あるがまま、そのまま、すべてOKといわれる由縁。
「私」は、問いがなくなることが怖いことに気づいた。
捉まりどころがなくなってしまう感じがするから。
「私」とは?
他人様はどうか知らないが、私の場合「私」は頭の中にいる。
身体と一緒に頭の中にいるもの。
たぶん「思考」とか「マインド」と呼ばれるものなんじゃないか?
だから私は「え?」と『思う』。
え?と立ち止まった瞬間から、過去と未来、時間というものが発生する。
そして「私」が発生する。
あぁ、そうなんだと何となく思った。(笑)
ただ過ぎ去るに任せたならば、何にもしっかと捉まることがないならば、還るべき場所に還り着いているのかも知れないね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_pink.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます