久々に兼続の天地人ネタ!
仲間と福島県会津若松市神指町にある 神指城(こうざしじょう)跡 へ行ってきました。
今回は、会津の史跡研究家の大御所の皆様に案内をしていただけた、超豪華な旅!
豊臣秀吉により1598年に会津へ移封された上杉景勝が、関ヶ原の戦いに敗れ、徳川家康によって1601年に米沢へ移封されるまでの3年数ヶ月。
秀吉亡き後、家康と険悪になった景勝が兼続に命じ、1600年5月から家康と一戦交えるつもりで建て始めた城。
上の写真が土塁の復元図。
外側の土塁の一辺がほぼ300m、内側本丸の一辺が180mと広く、鶴ヶ城の2倍くらいの規模。
どちらも水堀がセットです。
左上が変形しているのは、後の洪水で削り取られたため。
一番上の写真は、下の写真の「現在地」という場所で、東北の角に残る土塁。
築城の頃からある「高瀬の大木」という、根本の直径12.6mの大ケヤキ。
そこから本丸の土塁跡を見るとこんな感じ。
遠い・・・広すぎ!
当時、幅18m、高さ10mの土塁が築かれたが、現在は少しが残るのみ。
結局、城も完成に至らず、米沢移封時に景勝が自ら破却。
石垣の石が、鶴ヶ城の石垣に使われている。
「私の先祖が、築城のために移転させられ、苦労したんです。」
川沿いの肥沃な土地から13ヶ村が、築城のため移転させられた、地元ならではの生きた話も聞けましたし、なかなか入手できない資料もいただき、勉強になりました!
天下分け目の戦は関ヶ原でしたが、天下分け目のエネルギー「直江状」は、ここ福島から発信されていました。
涼しくなったら、今度、ゆっくり土塁跡沿いに歩いてみたい。(*^_^*)♪
皇心のセッションルーム Angel's smail です。
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