あの日から一週間が過ぎました。
月曜日は待機命令があり火曜日に職場で同僚達と再会しました。
お互いの無事を喜ぶとともに、あれが無い、これが買えない等の話をしました。朝夕の通勤や停電は大変ですが、一人暮らしの子は暗い部屋で待機しているよりも、こうやって何気ない話を喋ってるだけで結構落ち着くものですよね。
森のなかまは結構お店とかで店員さんに話かけたりします。
迷惑な顔をされる事もありますが、「よく訪ねてくれました」とばかりに喋ってくれ、お買い物が何倍も楽しく印象深くなる時があります。
「お店でのお話」と言えば「床屋」さんが定番です(ですよね?)。
日曜日に
「なめこ」の缶詰を頂いた床屋さんに髪を切りに行ってきました。
自然とあの日の話になります。丁度お客さんを仕上げた直後に地震があったそうです。被害は飾っていた額縁が落ちた位で済んだそうです。
額縁は借金してお店を出す時に銀行から出店祝いで頂いた「赤富士」の絵でした。
2メートル位の高さから落ちたそうですが不思議と割れなかったそうです。
「店の歴史そのものだからね」と笑いながらも「壊れなかったから、まだ働けって事だよね」と70を過ぎでこれまで大病で2回命を落としかけたおじさん(店主)が言います。
輪番停電では床屋さん商売あがったりで、特に昼の営業時間に当たるとしんどいそうです。一人もお客さんが来なかったらお店を閉めてしまおうと思っていた所、停電が終わるとお客さんが二人現れたそうです。
「いやぁ~本当神様に見えましたよ。今日なんかは停電ないから沢山のお客さんが来てくれて有り難くって仕方ない」とシミジミ言うおじさんです。
食べていく事もあるのですが、仕事ができるのに仕事ができないという状況はとても辛いです。私も人為的な要因から半年間なんの仕事もさせてもらえなかった事があり辛かったです。
仕事があって、仕事ができるという状況は、様々な文脈や有り難い事が重なってできていて、とても幸せなん事なんですよね。
話は「買い物パニック」になります。
「こんな時はね贅沢いっちゃいけないの。だから買い占めもしちゃだめだし、組合の温泉旅行も自粛かな」。。とおじさんが言っていると奥様がちょっとモノ言いたげです(笑)。
森のなかまも、質素を美徳とするおじさんの考え方は嫌いではないのです。むしろ好きだったりします。
でも、こういう時に打撃を受けやすいのが趣味とか余暇を基盤としている産業です。
辛い思いをされている方々を思うと何かを我慢しないといけないような自粛ムードが漂います。その矛先が向けられるのはいつもそういった所です。
その産業で商売をされている方だって仕事をしないと食べていけませんし、仕事をしたいはずです。
継続して仕事ができるから、行きたい時に店や宿を開けてられるので、なんとなく自粛だからといってキャンセルしていては仕事として成り立たないのではないでしょうか。
ハーモニカだって買わなければメーカーはやっていけなくなります。
安いものだけを求めていれば「それなり」のハーモニカしか世の中に出てこなくなります。
一定の水準を維持する為にはそれなりに必要なものは必要となります。
極限まで追い込まれれば、それを打破するイノベーションが出る事も時にはあります。そういった事までをプロセスに組み込んでいる企業もあるでしょう。
でも、それだけでは出てこないものがある事は日頃汗水して働いている人達なら分かって頂けるかと思います。
ということで、奥様と一緒におじさんを説得します(笑)。
だって年に一度の組合旅行を楽しみにしているのはおじさん自身なんですから。。
働ける人は働いて(余裕があれば)自分が応援しているところに金を使う。じゃないと仕事したくても出来ない人が増えてしまうのです。
森のなかまは余裕しゃくしゃくではありませんが、多少の余裕はあるくらいは働かせてもらっています。
なので趣味や余暇のものであっても、それが被災地の生活を脅かすものでなければ(水や燃料等のライフラインを脅かす)、不謹慎でもなんでもないと考えています。
むしろ「不謹慎にあたるのかな」と思わせる出来事を忘れないでい続ける事の方が大切だと思います。
お寿司を食べたい人、ブランド物の服が欲しい人、音楽が聞きたい人。
今までのようにオンデマンドは無理かもしれませんが、お互いが支えあってきたのであれば、これからも支え合っていきましょうよ。
知り合いの方からダライラマさんのTwitterから以下の一文を教えてもらいました。
"One of the best ways to begin familiarizing ourselves with the virtue of patience is to reflect systematically on its benefits."
「耐える事の美徳について知りたいのであれば、その恩恵(耐える事によって得られる)について、きちんと(Systematically)考えてみてはどうでしょうか」
しまらない拙訳で申し訳ないです。勘違いがあれば教えて頂ければ幸いです。
ダライラマさんは自身はそれほど英語が得意ではないと伺っていますが、Systematicallyという言葉を使われているのが印象的でした。
美徳といった抽象的な事を考える上で、人生観、宗教観、民族の立ち位置等は大きなファクタとなります。
敢えてSystematicallyという言葉を使われたのは、それら個別の文脈がなくても「落ち着いて、丁寧に物事を考えてみて下さい」という事ではないかなと考えています。
平たく、また乱暴な言い方をすれば「合理的に物事を考える」と言ってもよいかもしれません。
この考える能力で人間は便利な生活を手に入れ、病気に打ち勝ったり、宇宙へも行き、ありもしないお金が動き一喜一憂するような奇怪な世界をも作り出せるようになりました。
いずれにせよ人間がもつ素晴らしくも、恐ろしい能力です。
その能力の殆どは、人を出し抜いたり、負かしたりすることに一生懸命向けられる事が多いのですが、今のように「自分にちょっとした我慢が必要な時」に働かせてみると世の中ってそれほど悪くないなと思えます。今はそうとらえています。
緊急で必要としている人々に優先するものは何か?
自分は何を我慢するべきなのか?
自分が応援している人達が何を必要としているか?
色々な情報が飛び交い、自分では決められない事も多々あるかもしれません。でも一生懸命考える事を止めてはわかるものも、わからなくなってしまいます。
収穫するためには種をまかなければなりません。
丁度今は春です。何を育てるかは人それぞれです。何かステキな種をまいてみませんか?
P.S.
終わりが何故か「花の子ルンルン」の「セルジュ」さんみたいになってしまいました(笑)。
無意味に点在する写真は「ハクモクレン」です。
最近おばさんとメールのやり取りをする事になり「コブシの花が咲いていますね」と書いたら「まだ見れてない」との事だったの土曜日に港が見える丘公園に撮りにいってみました。
小さい花をマクロで撮るのと違い、こういったムォーッと群れて咲く花はとても難しいです。
コブシというと頭の中では勝手に
越路吹雪さんを連想してしまう自分のシナプス結合はどうなっているのかいささか吹き出してしまいます(笑)。
勘違いしていたのですが、港が見える丘公園のは「ハクモクレン」で「コブシ」ではありませんでした(汗)。
またコブシに似たもので「タムシバ」というものもあって見分けるのが大変です(笑)。
#モクレン、マグノリアは種類が沢山ある事もしってビックリです。
コブシを紹介したページを見ていた所「花は農作業の目安」になるそうです。
小さい奇妙な世界ですが、なんだか色んなものが繋がっているような気がします。