紀宮さまと黒田さんの婚約内定会見がやっと行われましたね。
最初は、新潟県中越地震の被災者に配慮しての延期、次は当日、高松宮妃喜久子さまのご逝去を受けての急遽延期、そして今日ですものね。
延ばし延ばしにしていた家の掃除をしながらテレビをつけて会見をちらちら見ていたのだけど、終盤にさしかかって、いきなりのように画面が切り替わってしまった。
最初は、何が起こったのかと思った。
奈良の女子児童誘拐殺人の容疑者が特定できたというニュースが入って、画面がそちらに切り替わったようなのである。
いろいろな方に配慮して、この年末の発表になったのに、こんなことになってしまって、本当に間が悪いとご同情申しあげます。
こんなことにめげずにお幸せになっていただきたいものです。
ニュースを見たり、友人知人の実体験を聞いたり、自分自身に重ね合わせても、人智に及ばない何かが働いてると思うことはありませんか?
先の新潟の地震の際も、瓦礫の下敷きになった親子3人の車、あと5分、いえ、1分でも早くか遅くかにあの場所を通っていれば、被害に遭わなかったのではないかと思います。
そして、同じ被害に遭っても、母と姉は即死状態で、弟は生き残っていたというのも、そういう何かが働いているのではないかと思います。
阪神大震災にあった私の友人も、落ち着いてから、こう話してくれました。
「私、危なかったの。」
聞けばあの日、彼女は男友達と飲み歩いていたそうです。
朝まで飲んで(おいおい!!)さあ、ラーメンでも食べて帰ろうかと言うことになり、店を出て数分後に地震が発生したそうです。
彼女と男友達は、波打つ地面に這いつくばって、地震をやり過ごしたらしいけど、出てきたばかりのバーも、これから行くはずだったラーメン屋も、跡形もなく潰れていたそうです。
バーとラーメン屋の距離は、ゆっくり歩いても10分かからないところにあったので、もし、彼女たちが店を出るのがあと5分早くても遅くても、彼女は生きていなかったかもしれないと話してくれたのでした。
ほんの数分が、生死を分けることってあるんだなあと思います。
かくいう我が家の上の子も、2回ほど死にかけています(^^;
そのたびに、適切な処置をしてくださった人がいたので、今こうして憎ったらしい顔をしてのさばっていますが、もし、処置を誤っていたら、「いい子だったのに・・」と、悪いことはみんな忘れて、涙にくれていたかもしれないのでした。
本当にいろいろなことがあった2004年もあと少しで去っていきます。
来年こそは、いいことが多いように祈っていきたいと思います。
私の周りの家族や友達、私を支えてくれたみんな!本当にありがとう!
こんな私だけど、これからもよろしくね!
みなさん、よいお年を!
最初は、新潟県中越地震の被災者に配慮しての延期、次は当日、高松宮妃喜久子さまのご逝去を受けての急遽延期、そして今日ですものね。
延ばし延ばしにしていた家の掃除をしながらテレビをつけて会見をちらちら見ていたのだけど、終盤にさしかかって、いきなりのように画面が切り替わってしまった。
最初は、何が起こったのかと思った。
奈良の女子児童誘拐殺人の容疑者が特定できたというニュースが入って、画面がそちらに切り替わったようなのである。
いろいろな方に配慮して、この年末の発表になったのに、こんなことになってしまって、本当に間が悪いとご同情申しあげます。
こんなことにめげずにお幸せになっていただきたいものです。
ニュースを見たり、友人知人の実体験を聞いたり、自分自身に重ね合わせても、人智に及ばない何かが働いてると思うことはありませんか?
先の新潟の地震の際も、瓦礫の下敷きになった親子3人の車、あと5分、いえ、1分でも早くか遅くかにあの場所を通っていれば、被害に遭わなかったのではないかと思います。
そして、同じ被害に遭っても、母と姉は即死状態で、弟は生き残っていたというのも、そういう何かが働いているのではないかと思います。
阪神大震災にあった私の友人も、落ち着いてから、こう話してくれました。
「私、危なかったの。」
聞けばあの日、彼女は男友達と飲み歩いていたそうです。
朝まで飲んで(おいおい!!)さあ、ラーメンでも食べて帰ろうかと言うことになり、店を出て数分後に地震が発生したそうです。
彼女と男友達は、波打つ地面に這いつくばって、地震をやり過ごしたらしいけど、出てきたばかりのバーも、これから行くはずだったラーメン屋も、跡形もなく潰れていたそうです。
バーとラーメン屋の距離は、ゆっくり歩いても10分かからないところにあったので、もし、彼女たちが店を出るのがあと5分早くても遅くても、彼女は生きていなかったかもしれないと話してくれたのでした。
ほんの数分が、生死を分けることってあるんだなあと思います。
かくいう我が家の上の子も、2回ほど死にかけています(^^;
そのたびに、適切な処置をしてくださった人がいたので、今こうして憎ったらしい顔をしてのさばっていますが、もし、処置を誤っていたら、「いい子だったのに・・」と、悪いことはみんな忘れて、涙にくれていたかもしれないのでした。
本当にいろいろなことがあった2004年もあと少しで去っていきます。
来年こそは、いいことが多いように祈っていきたいと思います。
私の周りの家族や友達、私を支えてくれたみんな!本当にありがとう!
こんな私だけど、これからもよろしくね!
みなさん、よいお年を!