coconut moon

ぐうたら母のぼやき日記

すれ違う二人

2005-06-30 14:12:23 | 学校
上の子の、第1回進路希望調査票の提出期限が今日だった。
卒業後の進路を、進学か就職かを書き、進学の場合、進学したい学校名を、第1希望、第2希望と書く欄があって、将来就きたい職業なんぞも書く欄がある。
最後の方に、その希望する将来に向かって努力が必要だと思うところを書く欄があり、一番最後に、保護者の意見を書くところがある。
上の子は、もらってきてすぐに、
「書けない。」
と、紙を投げてよこし、保護者の意見を書くように言ってきた。
「冗談じゃない。これって、あなたが書いたことに対する意見を書くとこでしょ?白紙の紙になにを書けっていうのよ?」
ところが、ダンマリ、むっつり、何も言わない。
仕方なく、コメントを書いた。
今日が提出期限なのに、何も書けない上の子、
「上の方も書いてよ。」
と言うので、
「バカなことを言うんじゃない。あんたの進路でしょ?なんでおかあさんが書くのよ?」
と言うと、
「だって、書きたいように書いたら、どうせなんやかんや文句を言うんでしょ?文句を言われるくらいなら、あなたのいいようにしますから、そうしてください。」
と、嫌味たっぷり、これ以上はないくらいの憎らしい口ぶりで言う
「そりゃあ、おかあさんだって、意見は言うよ。だって、それなりに長く生きてきているし、考えが甘いと思うところもあるし、だから、お互いに意見を言い合って、妥協線を見つけるというか、納得できる線を見つけるために書くんじゃないの?」
「自分の意見を言っても否定されるくらいなら、あなたの言うとおりにします。」
と、また、憎らしさ満開で言う
この子は、失敗を極度に恐れる、
石橋を、叩いて、叩いて、たたき壊して、
「ほら、渡れなかったでしょ?」
と、言うタイプである。
努力もしないで、他人に選択肢を選ばせておいて、失敗したら、他人のせいにするヤツである。
高校受験についても、いい学校を受けて、落ちたらどうするんだとか、もし入れても、中で苦労をするくらいなら、そこそこの学校に行った方がいいとか言うのである。
そんな根性だったら、そこそこの学校に行っても、成績は落ちるばっかりでしょう
上の子は、向上心がないというか、頑張ることをしたくないというか、苦労しないで生きていきたいタイプで、いつの間にか、私の我慢できないタイプの考え方の人間になっている。
話しても話しても平行線である。
seraphimの兄貴の息子さんの話なんぞを聞いていても、目標を持って頑張っているし、どうして目先のことしか見えないのかと、悲しくなる。
受験は、誰にでも来る試練だし、人間、人生のうち、何回かは、頑張らなければならない時があるじゃないと思うんだけど、彼には通じないらしい。
中学受験をさせておくんだった・・・と、臍を噛んだことも、一回や二回じゃない。
所詮、彼の人生なんだから・・とは思うけど、納得できない。
兄貴の息子さんのように超優秀ではないけれど、そんなにおバカではないし、頑張れば、それなりにできる子だと思うのだけど、頑張りたくないのか、頑張る気になれないのか、そのへんもわからないけれど、現実逃避に走ってる気がしてならない。
あの子に、それなりの学校に行ってもらいたいというのは、私自身の世間に対する見栄なのかと、自分自身を責めることもあるけれど、それだけではなく、あの危なっかしい考え方が見ていられないというのもある。
中学生、15歳で、先々のことを全部決められるとは思っていない。
自分の未来を考えるための時間稼ぎとしても、高校、大学に行って学ぶと言うことは、大きな意味があるのではないのか。
貧乏ではあるけれど、頑張る気持ちがあるのならば、いくらでも後押しできるくらいのお金は使える覚悟をしているが、あんな感じでは、どこに行かせても無駄金に思える。
ようやく行きだした塾でさえ、もう、行きたくないといいだしている。
何かを全うするってことをしてみなさい!
本当に、悲しくて情けない。
彼自身も、悩み苦しんでいるのだとは思うけど、考え方が、こちこちに凝り固まっているようにしか思えないのである。
今、書いたこと、決めたことを、絶対に守らなきゃイケナイ、方向転換はできない、ってわけじゃないんだから、もう少し気楽に考えたら?っていうのが通じない。
日本語が通じない、宇宙人と話しているようである。
こんなすれ違う状態が、いつまで続くのか、神経を病みそうなcoconutである。

体をいたわり、体を知る2

2005-06-29 14:33:45 | 雑感
入院、手術が決まってからは、もう、バタバタだった。
特に、仕事の引き継ぎが大変だった。
coconutのやっていた仕事は、入社以来激増し、順を追ってやっていったcoconutは理解していたけれど、それを短期間にいっぺんに誰かに引き継ぐのは不可能で、結局、2人に分担して任せることになり、マンスリーではない業務は、後回しにすることにした。
その間も、検査やらなにやら、病院にも通ったが、会社の健康相談で病気の全容がわかったこともあり、会社側も協力的だったので、とても助かった。

卵巣嚢腫自体は、良性のものであるが、肥大した卵巣の中には、なんだかわからないものが入っていたり、髪の毛のようなものが入っていたりすることが間々あるらしい。
その、内容物によっては、悪性になることもあるらしいので、摘出したあとに、病理検査に出さないと、癌になっていないと断定はできないと言われた。
チョコレート嚢胞といわれるものも、卵巣嚢腫の一つの形らしい。
(医者ではないので、あやふやな言い方で申し訳ないが・・・

入院した当初、術後2日間は、2人部屋に入った。
同室の女性は、今思えば、今のcoconutくらいの年齢で、子宮癌の患者さんだった。
放射線治療の最中で、毎日、遮光した点滴をして、かなり気分が悪そうにしていた。
coconutも、手術前の鬱な状態で、病室では会話もなく、暗い雰囲気が漂っていた。
そしてcoconutも、手術の日を迎えたのだが、その日は、奇しくも、昭和天皇の手術日と一緒、時間帯も同じくらいであった。
その当時の常識として、婦人科系の開腹手術は、おへその下から縦一直線に切り開くのが一般的であったのだが、執刀医の先生は、
「まだ、お若いし、ビキニを着てもわからないようにしましょうね。」
と言ってくださって、表皮は足の付け根くらい、ぎりぎりを切ってくださって、皮の下は縦に切るという、面倒な方法で手術をしてくださった。
通常、縦に切る場合、術後、回復したあと、傷口が引っ張られて、大きなみみず腫れになったらしいが、coconutの場合、今現在は、言われなければわからないくらいにしか、傷口はない。
今では、卵巣嚢腫や子宮筋腫の場合も、開腹しないで取り出せるらしいのだが、その当時には、一番進んだ手術方法であったのではないかと思っている。
あとで聞いたところ、手術も無事に終わり、待機していた両親に先生は、病巣を見せて説明してくださったそうだが、母はちゃんと聞いていたらしいが、父は、取り出された臓器(卵巣)を見た途端、気分が悪くなったらしい(笑)
やはり、女の方が、いざというときは度胸が据わっているのだなあと思った出来事であった。

術後2日間は、2人部屋で過ごしたのだが、やはり辛かった。
同室の女性と、少し話をしたが、やはり、癌であるということは、本人も家族も、重く受け止めており、ちゃんと検診を受けないと駄目よね、と、自嘲混じりに彼女は言った。
その後は6人部屋に移されたのだが、そこにもいろいろな人がいた。
年齢的には、coconutと同じくらいの人が3人、若干上の人が2人、当時40歳くらいの人が一人だった。
子宮筋腫などで、子宮を全摘した人が3人、常習性の流産で、絶対安静の人が一人、切迫早産が一人、それとcoconutであった。
昼間はみんな明るくて、馬鹿話をしたり、お見舞いの品を分け合って食べたり、楽しく過ごしていたが、夜になって消灯時間が過ぎると、すすり泣く声が漏れてきたり、病室なんだと思い知らされる光景が広がっていた。
病気とはいえ、内臓疾患とは若干ニュアンスが違うのだが、病院の食事は、画一的で、みんな、手術をしているので、「長居」をしていたので、普通の食事に飢えていた。
「何が食べたい?」
「麺類!」
「あたしも~!!」
と言う話になり、kuri-zoに頼んで、カップラーメンをたくさん買ってきてもらい、内緒で作って、みんなで無言のまま、夢中で食べたこともあった。
子宮全摘の3人の内、一人は既婚で子供もいる人だったが、40くらいの女性と、coconutと同い年の人は未婚であった。
coconutと同い年の人は、親に結婚を反対されている人と同棲中で、妊娠して子供を産もうと思ったそうだが、両親に物凄く反対されて、7か月になっていたその子供を堕ろしたそうであった。
そのときに、病院の先生に、
「ここまで育った子供を堕胎するって言うことは、殺人なのよ!」
と、物凄く厳しく言われたそうだが、田舎の旧家で育ったという彼女は、親に勘当されることを、その当時は何よりも恐れていたそうで、泣く泣く堕ろしたそうである。
「そうしたら、こんなことになって、罰が当たったんだわ。もう、子供が産めない体になってしまったのは、自業自得なんだわ。」
と、折に触れて言っていた。
ベッドも隣で、仲良くなって、かなり突っ込んだ話もしていたのだが、彼女は私に、
「うちの弟と結婚して、生まれた子供の最後の子供を私にくれない?私には子供が必要なの。」
と、冗談のようなことを、真剣に頼むのだった。
弟という人は、かなりのイケメンだったのだが、
「駄目だよぉ。弟さんの意向もあるし、それに、そんなこと考えないで、自分の人生を前向きに生きようよ。」
と、話したのだが、
「子供がいなかったら、私が死んだあと、誰が私のお墓の世話をしてくれるの?」
と、真剣に訴えたのだった。
東京生まれの私は、自分が死んだあとの、お墓の心配なんかしたことはなかったので、彼女の話は、ある意味、衝撃的だった。
常習性の流産のために入院していた人は、一日ベッドの上で過ごし、トイレにも自分で歩いて行くことは禁じられていて、ポータブル便器を使っていたくらい安静にしていたのだったのだが、何回目かの超音波検査で、お腹の中の子供が全く育っていないことがわかり、掻爬することになった。
入院して初めて、自分の足で歩いて処置室に行き、子供を堕ろして帰ってきた。
その日は一日中、ベッドの周りのカーテンを閉め切って、声を殺して泣いていた。
みんなも、その日は静かに過ごしていた。
切迫早産の人は、ある夜、破水してしまい、夜中に緊急に運ばれていった。
彼女は、早産ながらも、元気な子供を産んだのだが、次の日からは、他の産婦の部屋に移動になった。
誰かが、
「この部屋の希望の星が行っちゃったわね~。所詮ここは病人部屋で、隣の病室とは、天国と地獄の違いよね。」
と、ぽつんと言った。
ただ、彼女は、部屋を移ったあとも、何回もこっちを訪れては、みんなといろいろ話していった。
一緒に過ごした仲間は、彼女にとっても、心の支えだったそうである。

そんなこんなで、その2週間の入院生活は、coconutにいろいろなことを考えさせてくれた。
忙しいのに、時間を作って、毎日のように病院に来てくれたkuri-zo、そのころまだ日本にいたCHIYOは、coconut用にカセットテープを編集してくれた。
遠くにお嫁に行っていたkaorunも、山下達郎のテープを送ってくれた。
病気の時ほど、友達の心遣いが嬉しいことはない。
ここで、辛く厳しい日々を、励まし合って、助け合って過ごした仲間たち(私たちは、内輪で、自分たちのことを自嘲気味に「ムショ仲間」と呼んでいたが・・笑)は、未だにつきあいがある。
臓器が少なくなった分、ホルモンバランスが崩れているので、更年期も人よりは早めに来ると言われていたし、私自身、先生にこう言われた。
「病巣は全部取りました。再発することは絶対にありません。ただし、卵巣はもう一つ残っています。あなたは一回、卵巣嚢腫になっているということは、体質的に、卵巣嚢腫になる可能性があるということです。再発することはなくても、残った卵巣がまた、卵巣嚢腫になる可能性はあるということですから、おかしいと思ったら、すぐに病院で受診しなさい。」

その後、そこに勤めていて、coconutのことも診てくださった先生が、独立開業したので、coconutはそこに通っている(とはいえ、ここのところ、ご無沙汰してしまっているが・・)
癌検診も、少なくとも、1年に一度はやっておいたほうがいい。
どんな病気も、早期発見したほうが、治りも早いし、手遅れになってからでは、後悔してもしきれない。
だから、産婦人科に行くのはちょっと・・・・と言う気持ちはわかるのだけど、それでも、おかしいと思ったら早めに病院に行きなさいよ!とcoconutは思う。
昔、向井亜紀が、子宮癌になったときに、同じようなことを訴えていたが、こればっかりは、他人がいくら言っても、自分自身が痛い目に遭わないとわかんないんだろうなあと、その会見を見たときにcoconutは思った。
でも、痛い目に遭わないうちに病院に行ってくれるように訴えていくのが、痛い目に遭っちゃった人の責務なのかなあという気もする。
幸いcoconutは、その後、子供も授かったが(クソガキではあるが・・・笑)、子宮の全摘であった場合は、子供も生まれず、PTAなんかに関わることもなく、おかしな仲間を得ることもなく、違った人生を歩んでいたと思う。

とにかく・・・女性と生まれてしまったからは、そのことを受けいれて、自分の体、女性特有の体を知り、自分の体をいたわり、おかしいと思ったら早めに病院に行く!
coconutも、できたら今週中に、久々の子宮癌検診に行ってくるつもりです。
しつこいようですが、お互いに、自分の体をいたわりましょう。

体をいたわり、体を知る

2005-06-28 19:14:11 | 雑感
昨日の話に関連したことであるが、産婦人科というのは行きにくいものであるが、女と生まれてしまった以上、定期的に検診を受けた方がいいというのは、coconutの経験則である。

二十歳を過ぎた頃から、coconutは、生理痛がひどくなってきた
ただ、生理痛は、多かれ少なかれ、誰しもあるようで、
「生理痛がひどくて・・・」
と言うと、
「あたしもよ。」
と言われてしまい、それ以上、苦痛を訴えられなくなっていた
みんな、こんな思いをしているのか・・と思いつつ、腰が割れそうな痛みと、だるさに耐えていた。
毎月、その時期になると、鬱になりながら、苦痛と闘っていたのだが、腰が割れそうな痛みは増すばかりだし、頭痛や吐き気までするようになってきた 
仕舞いには、貧血を起こして倒れるまでになってしまった  
ここまでくると、さすがに母も心配し、病院に行くように言った。
でも、産婦人科に行くのは抵抗があり、迷っていたが、さすがに耐えきれず、近所の産婦人科に行った。
そこは、一応、いろんな科のある、中程度の病院だったのだが、診察してくれた院長は、診察室に入ってきた私に対して、
「どうしたの?」
と聞くので、
「生理痛がひどいんですけど・・・」
と言うと、詳しい話も聞かないし、なんの検査もしないで、
「じゃあ、薬をあげるから、1か月飲んでみて。それで治らなかったら、もう一回来月に来てね。」
と言われ、正味数分で終わってしまった。
これには、勢い込んでいったので、肩すかしの感じだった
しかし、もらった薬を飲んだが、一向によくならず、翌月また、そこを訪れた。
「よくならなかった?」
「はい。」
「じゃあ、注射してみようか。」
といい、また、検査も何もせず、よくわからない注射をされてしまった。
ところが、その注射が、体に合わなかったらしく、全身に紫色の発疹が出てしまったのである  
こりゃ駄目だ・・と思い、病院に行くことを断念してしまった。
一度、頑張って行ったのに、くじけてしまい、その後は病院不信になってしまい、行こうとも思わなくなってしまった。

ところが、体調不良は待ってはくれず、その後も、どんどんひどくなっていく一方だった
それから数年後、coconutは、ロシア系のアメリカ人女性に、個人的に英会話を習っていた時期があった。
英会話を習うといっても、週に一回、2時間程度雑談を英語でするといった程度だったが、そのときに、彼女にも、coconutの体調不良は心配されてしまい、外国人の女性が通うという産婦人科の女医さんがいるから、そこに行くといいと言われた。
体調として限界を感じていたcoconutは、藁をもすがる思いで、その病院に行くことにした。
そこは、超都心の、その割には古ぼけたビルの2階にある、そうと言われなければわからないような病院だったが、行ってみると、いろいろな国籍の女性でいっぱいだった。
不思議な異空間だったが、そこの女医さんは、話を聞き、血液検査や、いろいろな検査をして、coconutにこういった。
「卵巣嚢腫ですね。子宮内膜症もありますね。どうして、こんなになるまでほっておいたの?」
「・・・・・・・・・・」
話を聞いて、目の前が真っ暗になってしまった。
まさか、本当に病気を抱えているとは思わなかったのだ。
そこで、ホルモン剤を出してもらい、飲むように言われ、月一回の病院がよいが始まった。
通院すると、必ず、血液検査もされ、超音波で卵巣の状況を見た。
正常な卵巣は、小指の先くらいの大きさなのだそうだが、coconutのそれは、握り拳大にに肥大していたのだった。
ただ、そのホルモン剤を服用してから、体の変調があちこちに出てきた。
まず、3週間で、5kg太った。
体力ががた落ちして、よく、貧血を起こすようになった。
薬で生理を止めていたので、生理痛は起きなくなったが、それ以外の体の不調はひどかった。
それでも我慢して飲み続けたところ、1年間で、ウズラの卵大まで卵巣は小さくなった。
ところが、体調不良がひどくなったので、薬の服用を一時的に止めたところ、1か月で、鶏卵大にまで大きさが戻ってしまったのだった。
これにはもう、愕然とするしかなかった。
私はこの、訳のわからない薬を一生飲んでいくのか?と、またまた目の前が真っ暗になった。

ちょうどその頃、勤めていた会社で、健康相談があった。
社長が、自分の同級生だった女医さんを会社に招いて、健康相談の日を設けてくれたのだった。
coconutは、その健康相談に申し込み、今までの経過を聞いてもらったところ、その先生はかなり驚いて、こう言った。
「その薬は多分、肝臓を壊す副作用のある薬でしょう。毎月、血液検査をしていたのは、そのためだと思います。これは、重大なことです。私が知ってる産婦人科の権威の先生がいらっしゃるので、紹介状を書いてさしあげるから、一刻も早くそこに行きなさい。本当に素晴らしい先生で、全国から、その先生の診断を受けるために、患者さんがいらっしゃるのよ。」
coconutは絶句した。
その先生は、少し涙ぐんで、
「大変な目に遭ってしまいましたね。」
と言ってくださったので、coconutも素直に、その先生の言葉に従うことができたのである。

ほどなく、紹介状を持って、その病院に行き、検査を受けたところ、これは手術するしかないと言われてしまったのであった。
その病院で、初めてcoconutは「人間」として扱われた気がして、どうしてもっと早くここに来られなかったのだろうかと、涙が出てしまった。
先生は、今のcoconutの体の状態を懇切丁寧に説明してくださり、手術についても、詳しく説明してくださった。
「お仕事の関係もあるでしょうし、会社ともよく相談して、手術の日を決めましょう。」
と、いろいろなことも気遣ってくださる。
そこでcoconutは、手術をすることに決めたのであった。
手術の前々日に入院して、各種の検査をし、術後の入院は2週間、家で安静1か月といわれ、休むための仕事の準備や、仕事の引き継ぎなどの猶予を頂いて、手術を言い渡されてから2か月後、coconutは手術に臨むことになったのである。

長くなるので、明日に続く。

切実な問題

2005-06-27 17:17:33 | 趣味と生活
上の子が教えていただいた英語の先生の送別会の日、coconutは場所を間違えて、遅れて行ってしまった
時間的には、始まってから10分ちょっとしか経っていなかったけど、端の方におとなしく座っていた。
基本的に人見知りなので、余りよく知らないメンバーだと、分け入って座るなんちゅ~ことはできないからである。
隣には、今回、発起人らしき昨年度のPTA庶務、大酒飲みの「な○○」がいて、その向かいには同じく庶務の「の○○」がいた。
「な○○」は、あっという間に大生2杯を飲み干し、焼酎のロックを大きなグラスで、私が覚えているだけでも3杯飲んだ。

横長のテーブルだったので、奥の人とは結局、一言も話さなかったが、気がつくと、先生の隣にいたはずの、去年のPTA会長のなぎちゃんが隣にいた。
なぎちゃんとは、子供同士は同じ学年だが、一回も同じクラスになったことはないし、去年の地教連でさんざっぱら顔を合わせていたけれど、プライベートな話はしたことがなかった。
学年懇親会で、去年の冬に、一緒に飲みに行ったことはあったが、席も近くなかったし、挨拶程度で話もしなかった。
なぎちゃんはcoconutと違って人見知りはしないし、「な○○」も「の○○」も一緒にPTA頑張った仲なので、なぎちゃんが来た途端、話が盛り上がった。

ところがなぎちゃん、来るなり、とんでもないことを言い出す。
「ねえねえ、老眼来てな~い?なんか私、最近ヤバイのよねえ・・」
いやだぁ~~~・・ぎゃははははと大笑いになったが、結構みんな、心からは笑えない
「あら、だって、40過ぎたら、いつ老眼になってもおかしくないのよ。」
しばし、老眼話題で盛り上がったあと、今度はこんなことも言い出す。
「なんかねえ、更年期も近いなあって思うのよね。」
これは、不肖coconut、人ごとではない
実はcoconut、卵巣嚢腫で左の卵巣を摘出しているので、病院の先生からも、人より早く更年期が来ますよと言う、ありがたくもないお告げを受けていたのだった
「いや、私もねえ、手のひらと足の裏が、異様にほてっちゃって、寝られないのよね。」
と、coconutが言うと、
「それ、ホットフラッシュって言うんですって!私もそんなような状態になっちゃって、仕方がなくて病院に行ったのよ。そうしたら、そう言われた。」
と、なぎちゃん。
「へぇ~。そうなんだ。名前が付いているのね。」
と、coconut。
「私もね、ひどかったんだけど、病院で漢方薬をもらって飲んだら、ずいぶんよくなったのよ。」
そうなんだよね。
婦人科系統の病気は、しばしば、漢方薬を処方されるんだよね。
coconutも、昔々、市販の「ジツボサン」という漢方薬(字を忘れた・・・。「じつ」は「実」で、「さん」は「散」だったと思うけど、「ぼ」がわからん・・・「母」かなぁ・・)を、よく煎じて飲んでいた。
これがまた、すんごく癖があってマズイのだが、慣れてくるとそれなりに飲めるし、何よりも、ちゃんとのぼせが引いてくれたので、重宝していた。
病院に行くようになってからは、ツムラの漢方薬をもらって飲んでいた。
ただ、この「のぼせ」に関しては、結構みんな、身に覚えがあるようで、自分の体験を話しながら、真剣に聞いている(酔っぱらいなのだが・・・爆)
「子供だってまだ手がかかるし、自分の体はいたわらないと駄目よぉ。病院に行って、自分にあった漢方薬をもらってきなさい。」
なぎちゃんは、カリスマ占い師のような口ぶりで、みんなにお告げをたれるかのように、厳かにのたまう。
「でも、産婦人科に行くのってイヤだよねえ・・
みんな、当然ながら経産婦のくせに、口々にイヤよね~と言い合う。
気持ちはわかるよ。
子供を何人産もうが、何歳になろうが、産婦人科に行くのは嫌だって言うのはわかる。
coconutの場合、ずっと診てくださる女の先生がいるので、その点、気が楽ではあるが、出産以外に産婦人科のお世話になったことがない人にとっては、大問題だと思う。
なぎちゃんも、病院に行くにあたって、女医さんがいる大きめの病院を探したそうである。
この、病院探しというのは、他の科の病院探しよりも、神経質になるというのもわかるよね。

更年期というのは、長い人は10年くらい続くと言われているし、確かに個人差のある問題だから、女性でも、わかる人はわかる、わからない人はわからないまま一緒を終えるのだろうが、家族や周りの人にも、理解して欲しい問題ではあると思ったよ
coconutの場合、本当は、癌検診も半年ごとに行くように言われているのだが、ここ2年くらい行っていないかもしれないし、漢方薬も、ずいぶん飲んでいない。
アイスノンを使ったりして、だましだまし過ごしているが、やっぱ、病院に行った方がいいよなあ・・と思いつつ、結局後回しにしてしまうcoconutであった。

勉強したら?

2005-06-26 14:48:11 | 子供
明日、明後日と、子供たちは期末試験です。
ところがどっこい、どっちも勉強してる気配すらない
あそこの中学校、1学期は中間試験がないので、下の子にとっては、人生最初のテストなのだが、全くやる気がない・・・・
やる気がないのか、なめているのか、やり方がわからないのか、その辺は定かではないが、先週も、一回もプールも休まずに行ったし、家にいるからといって、勉強するわけでもなく、NINTENDOGS(DSの犬育成ソフト)をやっているか、大好きな「はやみねかおる」の本を読んでいるか、テレビを見ている。
今、一番の頭痛の種、上の子ですら、最初のテストのときには、2週間前から勉強したっていうのに(ああ!あの頃の、あの子の真面目さを今!!)今からこんな事で、どうするのだろう・・・・
こっちはもう、怒るのですら疲れ果ててしまった状態。
上の子は上の子で、やっと行きだした塾の方から、模試を受けるように言われ、それがイヤでふて腐れているし、ど~すりゃいいのさ?このあたし・・

空梅雨は続き、今日もいい天気です。
ここんとこ、家事をさぼっていたので、昨日あたりから少しずつやっています。
お風呂場の大掃除、黴取りを終え、今日は、居間のカーペットを干しました。
居間には、某ディスカウントストアで買った電子ピアノがあるんだけど、子供たちがピアノをやめてから、気を抜くと、もの置き場になっています
学校から持ってきた手紙や、あとで片付けようと思った資料などが山積みになってしまい、ともすると、学校への提出期限ぎりぎりに発掘しちゃったりしているんだけど、今からその「山」と格闘しようと思ってる(笑)
こうやって、気合いを入れて「闘うぞ!」と思ってから取り組まないと、結局、「山」に負けるのよね  
さっき、ちらっと見たら、「進路希望票」なんかもあって、これなんかは、本人がまず書いて、保護者は感想なんぞを書くんだけど、本人が、全く書くことがない、と持ってきたので、感想じゃなくて、「本人に希望すること」でも書いて本人に戻そうと思っています。
これも、期限がぎりぎりだから、焦ってるんだけど、ど~も最近、真剣になれない。
本人にやる気がないのに、私ばっか焦ったってどうしようもないじゃん・・という気持ちが、自分の中にあるからだろうなあと思ってます。

この期に及んで、テレビを見て大笑いしてる声が聞こえてる
お願いだから、試験前だけでも勉強したら??  

空梅雨異聞

2005-06-25 17:49:31 | 雑感
今日は仕事だった。
例によって、朝から自転車漕ぎまくって頑張ってきました。
梅雨入り前は、寒くて、雨ばっかりだったのに、梅雨入り宣言してからは、蒸し暑いながら、天気もそこそこで、今日なんかは、真夏を思わせる日差しと気温。
もう、体中の水分が出ちゃったかと思わせるほど、汗をかきまくり、「アヤシイオバサン」丸出しで、町中を走り回ってきました
暑いのは確かに大変なんだけど、仕事を終えて家に帰ってきて、シャワーを浴びると、生き返ったような気分で、その瞬間のみは充実している(笑)
そこで、冷たぁ~いビールを飲めば、言うことなしなんだけど、さすがに昼間っからビールは自制している(自爆)
私的には、仕事の日は、雨が降るよりも、天気だった方がありがたいし、梅雨は、洗濯物も乾かないし、布団も干せないし、家の中もじめじめしてきて、黴生えちゃうぞ!って感じで好きではないのだけど、この空梅雨とも言える状況で、各地では、いろんなことが起きているらしい。
ダムの水位が下がって、死体が出てきたというのを、ワイドショーでやっていた
もちろん、殺人事件ということだが(重石をつけられて、沈められていたらしい)、水位が下がらなければ、事件そのものが発覚することがなかったであろう。
その場合、いつまでもいつまでも、冷たい水の底にいなければならなかったのかと思うと、やりきれないし、何を目的の「ダム」かは知らないけれど、生活用水や飲料水に使われるダムだった場合、そこの水を使用していた人たちは、お気の毒としか言いようがない
ああいった大きな「水たまり」の場合、自然といろんなものが入ってるだろうし、各家庭に行く頃には、ちゃんと処理されて、殺菌、消毒済みの水になるとは思うけど、気分的に、いいもんじゃないよね
もう一つ、これも、ワイドショーネタなんだけど、どこかの山間の村では、上下水道が普及しておらず、生活用水はすべて、湧き水を利用しているそうである。
例年、梅雨の今頃は、水量も豊かな時期であるが、今年は渇水で、田畑に引く水どころか、生活用水も枯渇してきているそうである
湧き水は、ホースで集められ、その集めた場所から、各家庭にやはりホースで水を引いているらしいが、その、水の分配のことで、傷害事件が起こったというのである
とある水の集積場から、5軒の家に水を引いているのだが、集積場よりもやや上にある1軒の民家は、集積場に来る前の、ホースの所から自分の家に水を引いているらしいのだが、この渇水で、水が少なくなったことを、残りの4軒のうちの1軒の住人(というか、実家がその家という男の仕業らしい)が逆恨みをして、上の方の住人に対して、鎌を振り回して、怪我を負わせたというのである。
その町役場の人は、
「あそこは、地形的に、上下水道を普及させるのは難しいのです。」
と、困惑したような顔でコメントしていた。
これだって、空梅雨が招いた悲劇だよね。
その地方は、去年はいくつもの台風の襲来で被害を受け、今年はまた、渇水で被害を受けているという話だった。
都市部に住んでいると、見えなくなっていることが多くあると思うが、同じ日本の中でも、こういった生活をしている人たちが、まだまだいるということを、忘れてはならないのだと思う。
こういった事件にならなくても、農業をしている方々にとって、水不足は深刻な話だろうし、ひいては私たちの生活にも、それは跳ね返ってくるのである。
野菜の高騰、米不足・・・・そんな事態が待ちかまえていることになるのである。
今の時期、キャベツが採れすぎて、廃棄されているというニュースを聞くけれど、もう少ししたら、今度は、採れなすぎて、高値になる。
毎度、こう言ったことの繰り返しであるが、野菜なんぞは、保存するにしても限界があるし、自然の力の前には、人間は無力なんだと思ってしまう。
世界から、安い輸入野菜が入ってきてはいるけれど、安くておいしければ、やはり国産の野菜を食べたいと思うもんね。

やっぱ、梅雨は雨が降ってくれないと困るよね。
ただ、できうることならば、coconutが仕事の日は、晴れてくださいとは言いませんが、曇り程度にとどめておいてください(笑)
結局、我が儘なcoconutでした

彼に何が起こったか

2005-06-24 10:47:38 | 雑感
「父が1人の時襲った」両親殺害の15歳供述 (読売新聞) - goo ニュース

兄に殴られ奥歯折る 弟、反感募らせ殺害か (共同通信) - goo ニュース

一時期、「荒れる17歳」がキーワードのように、17歳の凶行が報道を賑わわせる時期があった。
ところが、ここのところ、「15歳」が世間を騒がせている。
折しも、立て続けに、15歳の凶行が連続して起きた。
両者は、まったくタイプの違う問題かもしれないけれど、根本の所は似ているのかもしれない。
成増の「管理人夫婦殺害」に関しては、父親に、「頭が悪いと言われた」「休みの日もこきつかわれた」と子供は供述しているが、子供に対して「頭が悪い」とは、私自身言ってしまいがちな言葉ではあるし、「こきつかう」についても、第三者の目で見たときに、どううつったのかは不明で、親としてみたら、「手伝い」の範囲だったのかもしれないし、それを逸脱していたのかもしれない。
両親とも亡くなってしまった今は、うかがい知ることもできない。
空き家への侵入で、警察沙汰になって以来、両親の態度が変わったと少年は供述しているようだが、この時期の男の子は、本当に何を考えているのか理解しがたいところもあり、本人自身も敏感というか、過敏になっているので、親のちょっとした変化も、彼にとっては、劇的な態度の変化に思えたのかもしれないし、本当に、親自身が、態度を激変させたのかもしれない。
「彼の側の証言」しか、もう真相を探るすべがないのである。
父親は憎んでいたが、母親には同情していたと言いつつ、滅多刺しにしているし、犯行後の周到な準備と、その後の稚拙な逃亡は、心身のアンバランスを如実に示しているような気がする。
余談だが、ガス爆発を引き起こすような仕掛けを彼がしていったために、友人のKくんは、大変な思いをしていた。
彼は、某エネルギーメーカー(爆)勤務なのだが、ガス爆発があると、現場にかり出される。
もう、世間様からは、記憶の彼方の出来事になってしまったかもしれないが、歌舞伎町の風俗ビルの爆発で、多数の死者が出たときには、数週間、寝られない日々を送ったそうである。
爆発の原因を究明するまでは、原因究明とともに、マスコミの対応も一手に引き受けさせられるそうで、かなりの厳しい思いをするらしく、今回も現場に行ってきたそうで、よれよれになっていた。
今回は、自殺ではなく、最初から、ガス爆発を引き起こすための仕掛けをしていたわけではあるが、今、ガス栓を開いても死ねないそうで、ガス爆発なんか引き起こしてしまうと、それこそ、近隣中に迷惑を掛けるので、
「ガス自殺しようなんていう、馬鹿げた考えだけは起こさないでね~。」
と、この前も、真剣に頼み込んでいた
話はまた逸れてしまったが、彼の場合、ある程度の実刑にはなるのだろうが、結局、まだ「若い」うちに世間に出てくるのだろう。
しかし、その後も、両親ともにいない状況で、誰が彼の今後を世話していくのだろうか。
また、彼のことのみならず、少年院なりに行った子供が、社会に復帰したときに、受けいれてくれる人間がいなかったときに、その子はまた、同様の犯行を繰り返すのではないかと危惧する。
受けいれてくれるはずの両親が、必ずしも「まっとうな人間」であるとは限らないし、そういった親元に帰らなければならない子供は、自立するなりしたほうがいい場合もあると思うし、また、そういった子供の社会復帰を手助けするような施設というのはないのであろうか。
去年一年地教連に参加して、いろいろなケースも見てきたが、犯罪を犯してしまうような子供の場合、親が悪いのでは?と思われる家庭も数多く見受けられ、親元に帰すのが一番であるというのは、残念なことではあるが、幻想であると私は思っている。

福岡の弟が兄を刺殺した事件の場合は、恒常的に、兄が弟をいじめていたと報じられている。
事件の直前も、兄の方がのこぎりで、弟を傷つけたと報じられている。
このニュースを見たときに、うちの上の子は、
「これって、正当防衛でしょ?弟は悪くないでしょ。」
というので、その場で子供に、「正当防衛」と「過剰防衛」とその他の話をした。
確かに、兄の方に原因はあるのかもしれないが、ここまでくると、正当防衛どころか、過剰防衛ですらないと思われる。
兄の方は兄の方で、体が病的に細いことから、「キモイ」と言われて、学校とかで恒常的にいじめを受けていたそうである。
外でいじめられてたまった鬱憤のはけ口を弟に求めていたのだろう。
こんなことが許されていい訳はないが、兄の方も苦しんでいたのだろう。
母親一人で難しい「17歳」と「15歳」を見ていたのだから、さぞ大変であったろうとは思うけれど、もう少し、彼女自身もアクションを起こせなかったのかと残念でしかたない。
兄弟仲が悪いのは、彼女自身わかっていただろうし、兄の方が、学校でいじめを受けていたことだってわかっていたのではないか。
その現状を打開するために、母親がもう少し、積極的に動いてくれていたらと残念に思う。
凶行を目の当たりにした妹と、家に駆け込まれて、結局、自宅が惨劇の舞台になってしまった近所の方は、本当に本当にお気の毒だと思う。

うちにも「15歳の男の子」を抱えているので、こういった問題は人ごととは思えない。
多感で、不安定な時期であるし、いろいろなものや人に、訳もなく反抗したい時期なのかもしれない。
親と出歩くのを極端に嫌がるので、高校の説明会にも、親子別々で参加する子が多いと先生もお話されていて、こんな時期に受験生になってしまうお互いの不幸を嘆いたりもしている。
でも、考えてみたら、私たちの時代、高校の説明会なんて言う物自体もなかったと思うし、私自身に関して言えば、高校受験に限らず、自分のことはすべて自分で決めてきたし、金銭的な負担以外に親を頼ったこともなかった。
もちろん親は、ある程度の手綱を握った上で私を泳がせていたのだとは思うけど、今の子は、いろいろなところから、「干渉」されている分、ストレスも多くたまるのかもしれない。
少子化のツケが、こんなところにまで及んでいるのかもしれない。
こういった事件が少しでも減るように、そして、うちの「15歳」が、ある程度「横揺れ」しても、本道を外さないで生きていって欲しいと、心から願っている母なのであった。

身近な(?)有名人

2005-06-24 01:04:23 | 友達
昨日(もう、一昨日かあ・・)、高校時代の友人たちと飲みに行った
みんなにメールを出したのだが、不参加の返事か、全く返事なしのどっちかだったので、最初は、kuri-zoと私だけの予定だったのだが、kuri-zoと待ち合わせをして、お店に向かう途中、わさわさとメールや電話が入ってきた。
「今、飲み会中なんだけど、切り上げて合流する。」
とかいうので、
「いやあ、とりあえず2人だけだから、ムリしなくていいよ~!」
とか返事したのだが、結局、男の子(って年齢ではないが・・・)3人があとから来て、最終的には5人になった。
一人は、
「今、仙台で、東京に向かっている。」
とメールが来たので、これにはさすがに
「来なくてよろしい!」
と、冷たい返事をだしておいた(笑)
いつも幹事のKクンは、名古屋に出張中だったらしく、本来はまめな子なのに、今回は返事もよこさなかったので、不審に思って電話をしたら、名古屋のホテルにチェックインしてる最中だったらしい。
kuri-zoが、
「いつもまめに連絡してくるのに、今回は来ないから、入院でもしてるのかと思ったの。元気ならいいわ。ほんじゃ~ね
と言って電話を切ってしまった(爆)
銀座の居酒屋は、個室だったのだけど、kuri-zoと二人で飲んで食べて騒いでいたら、元テニス部部長、昔天敵だったKくん、マイペース、個性派Sくんが、数分差で入ってきた。
二人とも、
「連れがいるんですけど。女性二人です。」
と言ったところ、別の「女性二人連れ」の部屋の案内されたそうで、二人とも店員さんに、
「いや、こんなに若くないです。」
と、同じことを言ったらしい  
Kくんは、別の飲み会を早めに切り上げての参加だったし、Sくんに至っては、富山に出張の予定だったのを、最終の飛行機に乗り遅れたとかで、急遽参加したと言っていたが、kuri-zoと私の推理だと、乗り遅れたのではなくて、わざと乗らなかったのでは?と踏んでいる。
恐るべし!kuri-zoと私の魅力!!
冗談はさておき、なんの脈絡もないメンバーだったけど、何故かまた、異常に盛り上がり、大笑いしていた。
学校時代のこと、子供のこと、仕事のこと、今日来なかったメンバーのこと・・・話した話した(笑)
そして、coconutが始めたゴルフの話にもなり、Sくんが
「お前、体系的にはうまそうにみえるよなあ。」
「体系的にはってど~ゆ~意味よ??」
「だって、女子プロゴルファーってみんな・・・・・(にやにや笑い)」
「・・・・・・・・・  
しばし、バカにされたcoconutだが、そのとき、驚きの体験をしたのだった。
kuri-zoも、Kくんも、Sくんも、全員igu-igu弟のことを知っていたのだった。
知っているどころか、尊敬しているようで、
「お前、まさか習ってるわけじゃないよな?」
と言われたので、
「ま・・まさかぁ・・・会ったこともないよ。」
と言ったら、
「そうだろうなあ。お前なんかが顔を拝めるような人ではない!」
とキッパリ言われてしまったのであった
igu-iguの弟さんって、そんなに有名人だったのね~~・・・
igu-iguのとうちゃん(FATHERのほうね・・笑)なら知ってるし、旦那も知ってるけど、弟さんは知らない(爆)
今度、サインもらっておいてね(爆)<igu-igu
ちゃんと「coconutさんへ」って書いてね~~(自爆)
こんな身近(ではないけど)に有名人がいるなんて知らなかったわ~
その後、うちのクラスの、元アイドル歌手の消息の話になり(最近、音信不通らしい)、盛り上がったところで、個室だったので時間が終了、追い出されてしまった(笑)
その後、Sくんが知ってるカウンターバーに移動したのだけど、10時を過ぎて、脳外科医のYくんが合流。
仕事のあとに、セミナーに参加しての帰りだそうで、医者になったあとも、勉強を続けて、日々研鑽を重ねている、医者の鑑のような子である。
去年会ったときには、顔色も悪くて、かなり疲れている様子だったが、だいぶ復活していた。
静かなカウンターバーで、ぎゃはははと大笑いをして、11時半過ぎくらいに解散。
Sくんがカードで精算したんだけど、かなり酔っぱらっていて、
「いいって!いいって!」
といいながら、明日の始発のフライトで富山に行くために取ったホテルにタクシーで行ってしまった。
「ヤバイよぉ・・」
kuri-zoが言う。
みんな、カクテル1,2杯か、バーボン1,2杯しか飲んでいないんだけど、お会計が5人で3万8千いくらかだったそうな・・
酔っぱらいのSくんに払わせてしまって・・・  
しっかし、銀座のカウンターバーはさすがに高いね。
その後、Yくんもタクシーでご帰還、Kくんとkuri-zoと私は、地下鉄で帰ったのだけど、みんな方面が違うので銀座で解散。
coconutは、地元の足の最終1本前に乗り込んで、自分も酔っぱらいなのだが、「酔っぱらいが多いなあ」とか思いながら家に帰ってきたのであった。
家に帰ると、上の子がまだ起きていた
「何やってるの?」
と聞くと、
「美術の宿題。」
「・・・・・・・」
仕方なく、ヤツが宿題を終わらせた2時過ぎまで、一緒になって起きていました。
ああ・・・・そのうち、がっくりと具合が悪くなるんだろうなあ(笑)<わし
ま、楽しかったからいいんだけどさ~・・・・

開かずの踏切

2005-06-23 15:11:29 | 学校
うちの子供たちの通う中学校のほんの手前に、踏切がある。
その踏切を渡ってしまえば、もう、学校に着いたも同じであるのだが、その踏切は、朝夕のラッシュ時には、開かずの踏切となる。
月曜日の朝や、雨の日など、踏切の開かない時間は、とてつもなく長くなるらしい。
うちから学校までは、徒歩で20分弱と言ったところであるが、下の子は、さすがにまだ1年生だし、7時40分くらいには家を出るのだが、昨日は、あの子が踏切についた時点から40分も開かなかったそうで、遅刻してしまったそうである。
8時くらいに家を出る上の子は、言わずもがなである。
狭い道路で、踏切自体も、車がすれ違うのは難しいくらいの幅であるので、踏切が開かなかった日には、一体がそこの中学生で溢れかえるらしい。
子供たちは毎日、とんでもなく重たい荷物を持って学校に行くので、そんなもんを持ったまま、踏切の開くのをじっと待っているのも可哀想な話なのであるが、踏切が開かなかったせいで遅刻した場合も(「踏切遅刻」という名称が着いているらしいが・・)遅刻扱いとして、成績表にしっかりつけられるという、ダブルで可哀想な思いをするのである  
実際、30分も40分も踏切が開かなかった日は、クラスの半数近くが遅刻するらしいし、教職員の中にも遅刻する人が出てくるようだ。
昨日なんかは、上の子の話だと、踏切が開いたのが8時40分頃で、あやうく1時間目が始まると言ったトンデモナイ時刻に、集団で教室になだれ込んでいったらしい(もちろん、うちの子も一緒に・・である
この、「踏切遅刻」に関しては、うちの子たちが入学するずっと以前から、保護者の間で問題視されていて、学校の方に何回も、踏切遅刻は遅刻扱いしないで欲しいという申し入れがなされたが、ことごとく却下されてきたらしい。
学校側の説明によると、
・踏切遅刻の子供を遅刻扱いしないようにした場合、本当に「踏切遅刻」なのか、「踏切遅刻の子供たちに便乗した、本当の遅刻」なのか、判断できなくなってしまう。
・実社会に出た場合、「踏切が開かなかったので遅刻しました。」は言い訳にならないので、そういったことに対応できる子供にすることも教育の一環である。
ということらしい。
ただ、そうすると、踏切を挟んで、学校側に住んでいる子と、反対側に住んでいる子との間に格差が生じるだろうという指摘をしたところ、今度は保護者の側から反対意見が出た。
「踏切の学校側に住んでいる人間にとっては、踏切が開かないことによって、電車に乗れないということが生じています。条件は同じだと思います。」
・・・・・・・・・・・
でもさあ、今、問題になっているのは、「学校に遅刻する」ということであり、学校側に住んでいる人間の「便不便」を問うていることじゃないわけじゃない?
議論のすり替えというか、論点をぼかしてるというか・・・  
その件に関してだけ言えば、踏切の向こう側から改札に行ける地下通路を近々建設するらしいし、そ~したら、その問題はクリアになるじゃないのよね。
その地下通路が本当にできあがった場合でも、朝のラッシュ時に、通学のための子供たちに「線路を渡る」目的のためだけで使わせてくれるかは疑問だし、使わせてくれたとしても、数百メートル大回りしなければならなくなるのよね。
3年生の男の子あたりは、電車が来ないのを見計らって、踏切をくぐって行ってしまう子もいるらしいのだが、それに対して、真面目な女子から先生方に猛抗議もあったらしい。
「なんで、社会的なルールを破って、踏切をくぐった男子が遅刻を免れて、ルールを守って踏切が開くのを待っていた私たちが遅刻になるのですか
の猛抗議だったらしい。
指導者同志なんぞは、踏切遅刻は遅刻じゃないようにしましょうよと、かなり前から主張しているクチなんだけど、一向に議論は進展しないようである。
「一部、ズルする生徒は出てくるかもしれないけれど、子供を信じましょうよ。」
と、学年会のときも話していた。
もちろんそういったことも重要だが、そうやって、踏切をくぐっていく子の中で、もし万が一、事故が起きたらどうするのだというのが、一番の心配の種である。
歩道橋のような、線路上を渡る通路のようなものを造れないのか聞いたのだが、それを造る地面がないというのと、実際造る場合、行政と鉄道会社で費用を負担しなければならないので、両者が渋っているというところらしい。
大きいとはいえ、まだまだ子供であるし、電車の動きは予測できないときもある。
轢かれて、死傷した場合、取り返しがつかないことになる。
お金を惜しんで、ニュースになるような事故が起きてから慌てて建設するくらいなら、最初からやってしまったほうがいいではないか。
それができないのなら、せめて、踏切遅刻は遅刻じゃないということにして、子供の心にゆとりを持たせてあげたっていいじゃないか。
子供が信じられなければ、踏切遅刻をした子の親に、うちの子は、何時何分くらいに家を出ましたと一筆取ればいいだけの話ではないの?
  
これから梅雨本番、雨が降るたびに、子供たちが踏み切り遅刻しそうになって無茶しないか、ドキドキするのは本当にイヤである。
校長が替わったので、もしかしたら、踏切遅刻は認められるかもしれないと、前回の学年会で指導者同志は話していたが、その後、一向に進展はなさそうである。
早くこの問題、なんとかした方がいいと思うんだけどなあ。
    

誰も知らない

2005-06-22 12:14:18 | 趣味と生活
とはいえ、カンヌで柳楽優弥クンが賞を取った、是枝監督の映画の話ではない。
今、coconutが密かに悩んでいることの話である。
igu-iguの勧めもあって、今月から、coconutはゴルフを習いに行っている。
日頃の運動不足を思いっきり痛感する日々である。  
情けないくらい、うまくならない。
昔、体育会系のテニスをしていたので、どうしても、体が「平行移動」してしまうのだ
テークバックのときに、右の方に体が動いてしまう。
先生に直されて、その場は理解したつもりになるんだけど、どうしても頭と体が連動してくれないのだ
入った「入門」クラスは、来月から「初級」に格上げされるのだが、coconut自身は、ついて行けるか不安であったが、igu-iguちゃん!を連発していた先生によると、もう一度最初から教えないとイケナイと思ったから大丈夫・・というメンバーらしいのだが、それでもcoconutには、みんな上手に思えていた。
あとはもう、羞恥心を捨てることと、開き直り!!って感じだあ!と思っていたのだが、今週の月曜日に、先週行かれなかった分の振り替えをしたところ、そこのクラスは、本当にぎょ!っとするくらい上手な人が集まっていて、さらに凹むことになってしまった
coconutは今のところ、ゴルフクラブも毎回貸していただいて、運動靴にユニクロの上下で頑張っているのだが、その月曜日の振り替えたクラスの練習の時に、先生が、
「はい!次は、ナンタラカンタラでやってみましょう!」
「・・・・・・・・・
そう、coconutは、その「ナンタラカンタラ」のクラブがどれだかわからなかったのであった  
近くにいた、非常にお上手な、そのクラスの方に、
「すみません。今、先生がおっしゃったのは、どのクラブですか?」
と、聞いたところ、
「えっ??
と言われてしまい、
「あのぉ~、実は、今月始めたばかりで、7番以外で打ったことがないので・・・
と言うと、借りたクラブの中から1本をcoconutに手渡し、
「せぇ~~んせぇぇ~~!!この方、7番以外で打ったことがないんですってよぉ~!教えてさしあげてくださるぅ~~?」
と、遙か遠くにいる先生に向かって大声で呼びかけてくださった
おかげで、その場にいた、すべての方の注目を浴びてしまうことになった

ま、今からプロゴルファーとしてデビューするわけもなく(当たり前だ!!・・・爆)、高校時代の友達なんかと、楽しくゴルフできるくらいになりたいと思っているだけなので、そんなにうまくならなくてもいいんだけど、それでも悩んでいることがあるのだ
ちょっと、先生には言えない、聞けない。
igu-iguにだって、わかってもらえないはず・・・
きっと、兄貴やべっき~やさとちゃんはわかってくれるかも・・・しょむいっちゃんやigu-igu、korisuなんかにはわかってもらえない悩みだと思う。
それは・・・・・
ゴルフクラブを構えたとき、胸が挟まるのである!!
挟まって、動かすときに邪魔になるのである!!
そんなはずはない!
あの、人造胸人間「叶美香」だって、ちゃんとゴルフをしているじゃないか!!
coconutの場合、胸というよりは、「寄せ集められた肉」だし、それに「太い二の腕」も、スイングの邪魔をしているのだと思う。
なんとかこの状況を打開しようとして、必要以上に前屈みになったりして、もがき苦しんでいる
毎回毎回、必死に事態を打開しようと、悪戦苦闘しているcoconutの姿を「誰も知らない」
(お後がよろしいようで!)