B&B&B

回り道を全力疾走

救世主を求めない。

2010-03-24 16:55:51 | 未分類
区役所に手続きしに行こうとする途中。

男女の2人組に止められた。


チャリで漕いでいる人を止めるんだからよっぽど必死なんだろうと思い、自転車から降りた。

あぁ…女性の方が可愛いかったから止まったのかもしれない。

それか、相手が日本人じゃなかったからかも。


まぁ、理由は何にせよ、止まってしまったもんはしょうがない。話を聞こうと腹をくくった。

区役所が閉まるまであと1時間半ほどあるし、付き合ってやるかという気持ちで。


内容としては、発表をしなくちゃいけないらしく、俺はただ聞いていればいいとのこと…。
よく先が見えない。


留学生の課題ならアンケートやらインタビューやらのはずだが…。


その発表の一ページ目の資料を見て全て 納得した。


人はなぜ死ぬのか!?

と書かれてあり、下にキリストらしき写真が。


それから延々と30分ほど聖書の内容がいかに現実世界とリンクしているかみたいなことについて話を聞いた。

その間、俺はひたすら頷き、共感する素振りを見せた。

そして一通り発表?が終わったかと思うと、すぐさま過越祭を教会で一緒にしましょうという話に持ち込まれてきた。


もう、そっち系は福岡で十分味わったからいいんです。


二度と教会には行きたくない。
みんな無料でコンサート。無料で食事を与えてくれて、ひたすら教会のイベントに誘われる。

そしてキリストの教えを植え付けられる。洗脳だ。

かなりステレオタイプの意見だが、韓国系のクリスチャンはかなりしつこい。

そんな体験があったから過越祭とやらも絶対に行きたくなかった。


発表を聞くだけなら、笑顔で黙ってきいているが、勧誘となると話は別だ。


徹底的に否定する立場をとる。


ってか、人間って救われるべき存在なの?

そもそも、救われるって何?

別に死んだあと地獄に行こうが天国に行こうが、死んでしまったらよくわからないでしょ?

それを信じて天国へ行ける確証がない。それをどう証明してくれるの?


八百万の神を昔から信じてるんだけど…そっちの話は嘘っぱちだと?


聖書は解釈次第でどうとでも言える。所詮は後付けでしかない。

予言だって、漠然とした抽象的なことを書いていれば、さも的中したかのように言い表せる。


なんてことを、東京の街中で討論してました。


外国人といっても日本語が堪能で、日本語検定で言えば2級はいけるレベルでした。


それでもやはり日本語の議論ではネイティブが強い。


まぁキリスト教の議論でもあるから知識においては相手の方が強いが、

屁理屈ならいくらでもこねれる。


結局は、あなたがイヤだと言うなら強制はしない。

というなんか煮え切らない終わり方で1時間のその人たちとの会話が終わった。


彼らとの根本的な価値観の違いとしては、彼らは救われたいと思っていて、多くの人間は救われるべきだと思っている。

俺の考えとしては、別に自分に罪があるなら救われなくてもいいと思うし、神にすがる生きたかはしなくないと思っている。


きっと、彼らと分かり合えないポイントはそこじゃないかなぁとチャリを漕ぎながら考えた