弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

マーズ・ヴォルタの衝撃-後編

2006年12月06日 | 音楽

 マーズ・ヴォルタのヴォーカル、セドリック・ビクスラーの歌詞ほど、「死ぬ」「殺す」「食らう」「奪う」「引き裂く」「傷つける」、そして「眠る」といった言葉が多用される世界を僕は知らない。ここにあるのは過剰なまでの「死」の奔流である。言葉はその奔流に抗うというよりも、すでに死んだ者の側から──彼岸から──まだ生きている僕らに問いかけるように、また謎をかけるように、語られる。それらは断じて、安物のアナクロ・ハード・ロッカーがやるような、おどろおどろしさで聴き手にショックを与えんがための、こけおどしの猟奇趣味・残虐表現とは違う。
 僕らは知っている。これはれっきとしたアメリカの「現実」なのだ。しかも、それは死者の、あるいは亡霊の目を通して見た現実であり、だからこそすべてが悲劇に終わることがあらかじめ予期されている現実であり、はじめから普通の意味での「現実感」などは期待されていない。

  子供達よ 覚悟するがいい
  先にあるのは苦しみばかり
  子供達よ 覚悟するがいい
  毒牙よ 消えるがいい
  子供達よ 覚悟するがいい
  ここから去るがいい

 「CYGNUS…VISMUND CYGNUS」(訳 永田由美子)

 しかし、言葉は亡霊のものでも、音楽は異様なまでの生命力に満ちあふれている。
 まるで人間の手に負えない巨大な生き物がそこで呼吸しているような、あるいはのた打ち回っているかのような音の存在感。どれだけ言葉が死の闇を宣告し続けても、あとからあとから湧き出す生命の奔流。この、黒潮と親潮がぶつかり合うような、生と死の逆巻く奔流が、マーズ・ヴォルタの本質ではないかという気がする。
 このセカンド・アルバムについて言えば、「唖のフランシス」というタイトルからも浮かび上がる、語りえない世界、語りえない物語という逆説と、荒れ狂う奔流のような楽曲が同時に存在するところに、『フランシス・ザ・ミュート』の現代性がある。前編で書いた「重さの中にみなぎるもの」というのもそういう意味である。それは軽薄さと享楽の裏返しとして、「癒し」や「救済」に安易にすがりつく現代人へ向けた、挑戦的な重さだという気がする。
 この時代に生きる我々が抱えざるをえない「重さ」の中に、打ち負かすことのできない本物の生命の萌芽がある。それを信じる人のことを革命家と呼ぶならば、マーズ・ヴォルタの音楽は革命家のための音楽なのかもしれない。

 だがロックとは、そもそもそういう音楽だったはずだ。少なくとも僕にとってはそうだ。ロックは、支配者がコントロールできないある種の感覚を磨く。
 「プログレッシヴ・ロック」とは、それを意識的にやろうとするロックの総称だった。しかしその場合の「プログレッシヴ」─進歩的とは、いったい何が進歩・進化だというのだろう?
 ITテクノロジーを使いこなすことが進歩か。SFアニメの主人公のように宇宙兵器を使いこなすことか。はたまたボアマン船長にならってスター・チャイルドになることが進化か。座禅を組んだまま空中に浮かぶことがネクスト・ステージか。
 何かの超能力めいた力を手に入れることに、僕は関心がない。必要なのは、普通の人間に備わっている普通の能力を、充分に発揮することの方ではないか。
 人間にとって本当に必要な進歩とは、隣近所のおばあさんの腰の具合を心配するように、愛娘の腹痛を心配するように、地球の裏側で苦難にあえいでいる人のことを心配できる感性を磨くことだと思う。他者の痛みを、自分のことのように感じられること(突きつめれば他者は他者であって自分ではない、というのは当たり前として)。それこそが人間の値打ちというものだし、表向きはどんなに崇高な理念を標榜していても、非民主的な国家機構が結局は軽んじ、封じようとするのは、一人一人のこの感性が増大することなのだから。
 同情する能力は、人間だけが持っているものだ。他者を思いやる能力、同情する能力の向上という以外に、人間の進化なんて必要あるだろうか?人を慈しむ、生命を慈しむ能力を置き去りにした文明の進歩なんてあるだろうか?(滅びた文明、滅びゆく文明は別にして。)
 マーズ・ヴォルタという、真に「プログレッシヴ」なロックに接して、興奮しながら、そんなことを思わずにいられなかった。

 公式サイトはこちら。「VISIT OUR MYSPACE」から、myspacemusic提供のサンプルが数曲聴ける(ダイジェスト・ヴァージョン)。日本発売元ユニヴァーサルのホームページはここ

追記:本文修正について(12/24)
 やってもうたー・・・・この項、当初書いた時には、タイトル曲「フランシス・ザ・ミュート」は楽曲が存在しない無音のタイトル曲だ、などという早合点で論を進めてしまいましたが、実はアルバムとは別に曲としてちゃんと存在していました。『フランシス・ザ・ミュート』の初回版に付属のDVDに、ボーナス・トラックの形で入っている、ということがわかりましたので、それに合わせて本文の該当部分を修正しました。
 以前からのマーズのファンならとっくに承知のことであったと思われますが、なにぶん遅咲きのファンであり、情報探査能力も弱くて・・・よく調べもせずに書いてしまったことをお詫びします。
 うっかり八兵衛の血が先祖のどこかに入っているらしく、年に1回くらいはこうした早合点のポカをやる男だということです。今後ともそういうポカを見つけた方は、遠慮なくつっこんで下さいm___m。
 なお、ここで書いた内容は、もう一度内容を練り直した上、ホームページ「訳詞と考察」のコーナーにて再掲載する予定です。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (rei)
2006-12-06 23:29:44
おお、熱く語っておられますね。
恥ずかしながら、私もまだ聞いたことがありません。
前身バンドであるat the drive inはレイジファンからも人気があるみたいですが、マーズヴォルタの方はイマイチの様です。普通のモダンなロックファンには何よりも曲の長さが耐えられないかもしれませんね。
個人的には,最近toolを通じてプログレに興味があるので、これを機会にチェックしてみたいと思います。

『V For Vendetta』ですが、主演はナタリー・ポートマンですし、制作はマトリックスの何とか兄弟ということで、それなりに有名みたいです。普通にレンタル店に行けばあると思いますよ。
原作の方も買って読んでみたのですが、映画版の方の仮面の主人公“V”は、某マルコス副司令官の影響を受けまくっているような気がします。何とか兄弟はレイジのファンみたいなので、不思議な話ではないのですが。

『私に名前は無い。自由と正義を求めるあらゆる人々の理念こそが私の素顔だからだ』とか言える大人になりたいです。
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Unknown (レイランダー)
2006-12-07 17:14:51
実はうちの近くのよく行ってたTUTAYAがつぶれちゃって以来、ビデオ屋には行ってないんです。今度別の店であらためて探してみます。

そう言えばtoolっていうのも相当売れてるんですよね。確か前作が全米1位とか?
At The Drive Inは聴いてないんですが、よりパンクっぽいそうですね。余裕があったら調べてみようかと思ってます。マーズの1STのライナーでは、ロッキング・オンの編集長がAt The Drive Inへの思い入れを熱く語ってました^^。
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Unknown (rei)
2006-12-07 23:39:02
toolはこの手の音楽としては異例の売り上げを記録しているようです。ヘヴィなギターリフが中心なので、ヘヴィロック/ニューメタルとしてカテゴライズされることも多いみたいです。
ちなみに、ギターのアダムはレイジのトムの高校時代の同級生だそうで、ボーカルのメイナードともトムは仲がいいようです。
というか、メイナードはaxis of justiceのライヴにも参加していて、レイジのコーラスとしても参加した事があります。know your enemyのアノ怪しげな声の人です。

私自身はまだ、toolについてもプログレについても勉強中なので、音楽性について上手く言い表すことはできませんが、聞きやすさなら最新作の10,000days、完成度なら前作のlateralusがオススメです。

さて、もうすぐ週末。土曜になったらマーズヴォルタを買いに行かねば!
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