弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

日本にとって「防衛」とは何か―3

2012年01月21日 | 原発 3.11 フクシマ
 沖縄の八重山列島地区では、正規の手続きを無視して強引に、「新しい歴史教科書をつくる会」系の教科書がいったんは採択された。しかしたちまち紛糾し、竹富町が東京書籍版を採択し直すなど、各島で分裂採択のような様相となっているという。
 採択強硬派の言い分はもちろん、尖閣諸島沖の剣呑な情勢が口実だったりする。石垣市、与那国町が「つくる会」系の育鵬社版を採択した。ただしその石垣市でも、3万人(全人口の三分の二にあたる)を超える反対署名が集まっている。
 参照:
 http://www.okinawatimes.co.jp/category/八重山教科書/1/
 同じ沖縄でも、本島と離島では戦争に対する認識、歴史観がやや違うところがある。本島はヤマト本土との関係で煮え湯を飲まされた歴史があるが、離島では逆に沖縄本島(琉球)から差別を受けてきたような歴史もある。そうしたドメスティックな事情もあるので、沖縄といっても、地域によって住民意識は必ずしも一枚岩ではないことは確かだ。
 それでも、八重山の教科書採択問題のこじれ方は、地元の本来の意思とは別に、中国の脅威を煽り、自衛隊/米軍へのアレルギーを薄めたい本土中央政府、はっきり言えば自民・民主の右派議員と文科省の意思が強烈に作用している。なかでも、自衛隊の誘致に積極的な与那国町長などは、本土の傀儡といっても過言ではない。

 ただ、そうした政治的な背景や、一般的な「緊張を煽るから良くない」といった視点とは別に、僕がそうした自衛隊の誘致を進める強硬派の人たちに問いたいのは、自然災害についての視点があるのか、ということである。
 この地域は、台風に対する備えはしっかりしているだろう。だが、もし大地震があって、東北を襲ったのに匹敵するような津波が来ようものなら、ひとたまりもない。自衛隊の艦船や飛行機が何の役に立つのだろうか。東海・南海トラフの延長上付近にこれら南西諸島はある。大津波の襲来は、まったく現実的な脅威である。
 外国との関係悪化は、話し合いで解決できる。もしくは、その可能性がいつでもある。しょせん相手は人間だ。だが、地震や津波とは交渉できない。


■もう一度、中国脅威論の内実を考えながら

 もう一度というより、何度でも問おう。僕が思うようなことは、「非現実的」だろうか。それなら、「現実」とは何だろうか。
 第二次大戦後の60年余、中国・ロシア(旧ソ連)・北朝鮮など、近隣国の「攻撃」によって、ただの一人の日本人も犠牲になっていない。これはまごうことなき「現実」だ。僕が勝手に思い込んでいるのでなく、単なるデータとして、現実だ。
 「防衛」論者は、それは米軍が守ってくれているから、そして曲がりなりにも我が国に自衛隊があるから、つまり日本に一定以上の軍事力が備わっているからだ、と説く。では日本がその軍事力を減らしたり放棄したら、近隣国はたちまち攻めてくるというのだろうか。何の得があって?
 大体が、もしその論法を認めるのなら、中国・北朝鮮など、日本に「仮想敵」視されている国々が軍備増強に走ることのほうが、さらに正当なことだと認めるしかない。近代に日本軍にガチで侵略された経験があり、現代には世界中でガチで戦争を起こしている世界最強国の米国が、日本と韓国に居座っているのである。普通に考えたら、中国や北朝鮮の方にこそ、怯える理由がある。今現在でもまだ差をつけられている軍事力を、できる限り対等に近く持って行きたいと思うのも無理はない──いや、それは僕の気持ちとして言うのではない。日米の軍事力強化を正当化する、その理屈に立てばそうなってしまう、ということである。

 元々、東アジアに覇を唱えた軍事強国日本があり、それを打ち破った米国が日本を属国化するとともに、ソ連を中心とする社会主義体制国家のブロック化も進み、「冷戦」と呼ばれる軍事的緊張の時代が始まった。しかし冷戦が終わり、一方の主役であるソ連/ロシアが役から降りたのが1990年代。
 現在の中国敵視・脅威論は、かつてはソ連/ロシアに向けられていた。ソ連/ロシアの脅威が減衰し、入れ替わるように中国がその経済発展と併行した軍事予算の拡大によって「主敵」視されるに至った。
 だが予算の増大が即「軍事力増強」につながるわけではないことは、軍事の専門家ですら指摘している。攻撃意思、攻撃の必然性、状況の誘因等の問題がある。しかも中国の場合、実際の実力以上に軍事力を誇示して、それで費用対効果を稼いでいるのではないか、と疑えるフシすらある(北朝鮮の場合がモロにそうであることは、もはや周知のとおりだが)。

 何より、中国には日本を軍事攻撃するメリットは何もない(攻撃しないメリットなら山ほどある)。
 経済的に日本を飲み込むことができるようになったというなら、そんな中国が軍事的に日本を攻撃する必要性は、ますますなくなった。「経済的に飲み込む」ことの真相はさておき、その状況推理にあえて乗っかれば、逆に中国が日本に軍事侵攻する可能性がこれほど希薄になった時代は、近代以降随一といっていいかもしれない。
 アメリカがやっているような、軍事力行使と経済覇権主義をセットで推し進めるやり方を、中国が常習的にやってきたのなら話は別である。しかし少なくとも現代中国は、外国に対してそれを一度もやったことがない。朝鮮戦争への義勇軍派兵を別にすれば、中国が隣国と戦闘状態になったのは、ソ連とベトナム、いずれも同じ社会主義国との「路線対立」が元の、政治的というか、教条主義的な見栄の張り合いに起因する衝突において、である。

 さらには、先にも書いたように、近年増強したといっても、中国の軍事力は(あれでもまだ)米国の軍事力には到底追いついていない。いまだ両国の軍事力は非対称である。
 僕はそれでいいと思う。軍縮は、どちらかが非対称をあえて引き受けることからしか始まらない。基本中の基本である。「対等」を求めれば、すなわち衝突、共倒れの道しかない。
 中国がいつまで「非対称」に甘んじていてくれるか、心許ないのなら、なおさら日本は自身が「非対称」を推進することで、「安全保障」を高めるべきだ。つまり(3国に限った場合)、
 ①アメリカの軍事力>②中国の軍事力>③日本の軍事力
という力関係を維持する。そのうえで、①がみずから弱める意思のありそうもないことを踏まえて、③を弱めることで②の増強を抑制する、できることなら②③で足並みを揃えた縮小の段取りを付ける。それが理想だろう。
 だが現実には、日本はアメリカの要請を盾に③を増強する方向で、つまり中国に対する「非対称」を「対等」に持っていく方向に動いている。それならば、②が増大に向かうのも仕方ないだろう。中国からすれば、ただでさえアメリカに対して劣っているのに、日本までもが増強してくるなら、ますます増強する必要性が増す。

 つまり一言で、日本が「自衛」力を増せば増すほど、近隣諸国の「脅威」も増す。それについて、どこまで行ったら「安全」という、終わりはない。相手の国を滅ぼし、全人民を皆殺しにするしかないだろう。
 もちろん、そんなことは歴史上、どの国家・民族も成功したためしはない。だから皆殺しにする代わりに、そこを占領地・植民地にして統合する、という方法が発達した。日本も戦前それをやった。
 しかし統合・支配したらしたで、今度はそこの先住民たちの抵抗に会う。すると外に向けていた軍事力を、今度は「テロ対策」として内に向けることになる。だがテロ対策の果てに、ついに反対者を根こそぎにして平和を勝ち取った大帝国というのは、やはり歴史上一つもない(『1984』などのSF小説を除けば)。現実のそれら「帝国」は、すべて内外の圧迫の下、結局滅びた。
 そんな歴史を経た上で、日本国憲法9条のような考えにやっとたどり着いたのが、今の人類のはずである。それでもまだ、「現実」を見ようとしない「理想主義者」たちが、日本の軍事力の増強を図っている。3.11という、決定的なパンチをボディーに食らってもまだ、リングサイドに追い詰められ、足がふらついてもまだ、起死回生のパンチを繰り出せると信じている人達が。

 今の若い人達には、「ソ連の脅威」などといってもピンと来ない人が多いだろう。「ソ連の脅威」を政府やマスコミが盛んに煽っていた時代のことを、想像しにくいだろう。同様に、やがて未来の世代においては、「中国の脅威」もピンと来なくなる日が来るに違いない。
 自衛隊は、段階的に災害救助隊へと再編されていくのが、日本にとって最も現実的な道筋だと思う。自衛隊が軍事攻撃の役割を担わされていた時代を、奇妙な、変則的な時期だったと振り返ることのできる日が来るように。


 近いテーマのことを、以前ホームページの方にも書いたことがある。今エントリーとセットで読んでください。
 現実主義者であるために
 2007年 政策提言のようなもの②

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (百枝 明彦)
2012-02-20 13:41:53
まったく その通りです。
返信する
生贄がいる (うろこ)
2012-02-25 11:48:17
「自衛隊の増強・現状保持」を強弁する人は「他国が攻めてきたらどうする!?」と言うけど、そういう人の本音って「他国が攻めてきた時、自分が戦場に行くのは嫌だから、代わりに行く人が必要」じゃないでしょうか?結局、自分の安全の為に「生贄」が必要、と。
返信する
レス遅れてすみません (レイランダー)
2012-03-01 20:39:01
百枝さん

ありがとうございます。


うろこさん

無意識に「生贄」を盾にして、安心・安全を求めている。確かにそれもあるでしょうけど、それ以上に僕が感じるのは、そういう人達の多くが、そもそも戦争というものについてのリアリティがゼロ、ということです。ネット上でお気楽に好戦的なことを書き殴っている人間に、共通している特徴ですね。
実際の戦争には、映画みたいに劇的な挿入音楽なんかない、ということすら想像できてなかったりして。それくらい幼稚だったりする。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。