大阪のまちづくりぶろぐ

大阪でまちづくり活動をおこなっているみなさんの情報発信や交流を行うためのブログです。

CITEトークセッション2011第3回「吉本の波乱万丈の100年と大阪」レポート

2011年11月25日 | CITEトークセッション2011
2011年11月14日(月)に開催されたCITEトークセッション2011「吉本の波乱万丈の100年と大阪」に参加しました。

今年度は5回シリーズで開催され、その第4回目となる今回は、吉本お笑い総合研究所理事の田中宏幸氏がゲストスピーカーとして登場され、「吉本の波乱万丈の100年と大阪」をテーマとした講演をされました。

(会場の様子)

吉本興業の歴史、笑いと時代や大阪の変化との関わり、そして、これからの取り組みについての田中氏のお話は次のようなものでした。

(ゲストスピーカーの田中氏)

・吉本興業のはじまり
吉本吉兵衛とせい夫婦が、天満八軒のひとつである第二文芸館を入手し、寄席経営を手掛けたことにより吉本興業は始まった。吉兵衛はお箸問屋のせがれであったが、寄席好きが高じるあまり、生業が立ち行かなくなったことをきっかけとして、寄席経営を始めた。
始まったばかりの寄席では、落語家に出演してもらうのが難しく、出しモノは諸芸や色モノばかりであった。しかし、入場料の安さ、お客さんや芸人へのホスピタリティ、若い芸人たちの頑張りにより、口コミで人気が出た。
この頃は、サラリーマンとして多くの若い世代が大阪に流入し、大阪が膨張していった時期であったことも、寄席の人気につながった。
2人は、お金が入ると次々と寄席を入手し、チェーン化に乗り出すとともに、上方落語最後のスターとして名高い、桂春団治を看板芸人に迎えたことにより、寄席経営を軌道に乗せた。

・大衆社会の到来とラジオ、トーキーの誕生
大大阪として大阪が発展したことにより、大衆社会が到来した。まちにはサラリーマンが登場し、古典落語の背景である丁稚奉公の世界がなくなった。そのような状況の中、手に何も持たず、洋服を着て、若い工員に向けたネタをすることにより、屈託のない笑いをとったエンタツ・アチャコがスターになるとともに、ラジオの登場により、しゃべくり漫才の人気が不動のものとなった。

・戦争と焼け跡からの復興
戦争が始まった後も、吉本興業は、朝日新聞と提携して戦地慰問団「わらわし隊」を派遣するといった活動を続けるが、戦禍による被害は大きく、終戦を迎えると一旦解散することとなった。その後、焼け残った劇場を映画館として再開するものの、しばらくの間舞台演芸から離れることとなる。

・戦後の復興とテレビの登場
しかし、昭和34年になると「うめだ花月」を演芸場として開場し、その年に開局した毎日放送とともに、吉本バラエティのテレビ中継を開始した。これによりコメディブームが沸き起こった。その後、戦後の復興や経済成長にともなって大阪が元気になると、テレビやラジオの深夜放送が始まり、二鶴、三枝らの新たなスターが誕生した。また、吉本興業自身もテレビ番組制作会社を設立し、大阪らしい視聴者参加型の番組を制作することにより、たくさんのヒット番組を生んだ。
昭和55年には空前の漫才ブームが沸き起こり、多くのスターが誕生する。このころから、漫才が変わり始めた。それまでは、作家がつくったネタをタレントが漫才として披露していたが、自分たちでネタをつくり、自分たちの言葉で漫才をするタレントが人気を博すようになった。笑いがよりアップ・トゥ・デイトなものへと変化したのである。これを受けて吉本では、師匠と弟子の関係によりタレントを育てる方針を転換し、タレント養成所を設立した。ここからは、ダウンタウンやトミーズをはじめとした多くの人気タレントが生まれた。

・携帯電話、インターネットの世界へ
現在は、圧倒的であったテレビの影響力が下火になり、携帯電話やインターネットの普及によって、地方からも情報発信できるようになった。
吉本では、「沖縄映画祭」や「あなたの街に“住みます”プロジェクト」「@ホーム寄席」といった取り組みにより、地方のメディアと協力しながら、地方を盛り上げていくプロジェクトを始めている。笑いを絆のインフラとして活用したいと考えており、みなさんに喜んでもらえている実感はある。今のところ全く儲からないが、この取り組みをどの様に紹介し、維持していけば良いか検討している。

田中さんのお話から、笑いは、大阪の変化やメディアの変化に合わせて発信方法を変化させてきたこと、いま大きな変化の時期に差し掛かっていることが良くわかりました。
“笑いは絆のインフラ”という信念のもと、吉本興業で実践されている試みが、地域の活性化につながるとともに、大阪を代表する魅力であるお笑いを通じて、大阪の本当の魅力が発信され、全国に伝わるきっかけになればと感じました。

なお、吉本興業は来年に創業100周年を迎えられます。これを記念した事業についても、トークセッションの中で宣伝されていましたので、ご興味のある方は是非チェックしてみて下さい。

第5回CITEトークセッション2011「大阪とエンタテインメント」は、ゲストスピーカーに大阪ガス エネルギー・文化研究所の栗本智代氏をお迎えして、12月8日(木)に開催されます。テーマは「まち物語としてのエンタテインメント」です。興味を持たれた方は是非参加して下さい。(参加費は無料で、どなたでも参加出来ます)

CITEトークセッション2011第5回「まち物語としてのエンタテインメント」のご案内

2011年11月22日 | CITEトークセッション2011
CITEトークセッションとは、産学公民が連携した「新しい時代に向けた活力と魅力あるまちづくり」をスローガンに、会員組織として設立されたCITEさろん(財)大阪市都市工学情報センターの共催により開催されるまちづくりをテーマにした講演会です。

トークセッションは全5回のシリーズとして開催され、今年の共通テーマは「大阪とエンタテインメント」です。

最終回となる今回は、大阪ガス エネルギー・文化研究所(CEL)主席研究員の栗本智代氏をゲストスピーカーにお迎えし、「まち物語としてのエンタテインメント」をテーマとして、12月8日(木)に淀屋橋odonaのアイ・スポットで開催されます。

栗本氏は大阪ガスCELにて、都市やコミュニティをテーマとした研究活動をされています。まち歩きや「なにわの語りべ」公演等を通じて、都市の個性や魅力を歴史・文化や観光の側面から探求しておられるとともに、著書に 『大阪まちブランド探訪-まちづくりを遊ぶ、愉しむ』、『大阪まち物語』(共著)などがあります。

大阪のまちを愉しむためのコンテンツとして、どんなエンタテインメントが、どんな場所で、どんなふうに展開され、今日の大阪の風景を形作っているのか。それを大阪の中にいる人々はどのように営み、外にいる人やビジターの目や耳には、どのように受け取られているのか。豊富なフィールドワークをもとに大阪の魅力を歴史的、文化的側面から探求し、「なにわの語りべ活動」や「コミュニティ・ツーリズム」などを通じて市民とともに活動を続けるゲストスピーカーと共に、これからの大阪のまちづくりや情報発信、観光の中で、エンタテインメントの魅力をどのように活かしていけばいいかを考えます。

ご興味のある方は是非ご参加ください。

なお、参加費は無料ですが、事前にお申し込みが必要となりますのでお気を付けください。(定員は30名・先着順)
みなさまのお申し込みをお待ちしています。


CITEトークセッション「大阪とエンタテインメント」
◆第5回(5回シリーズ)◆

日時:平成23年12月8日(木) 18:30~20:30
会場:i-spot<淀屋橋odona>
ゲストスピーカー:栗本 智代氏(大阪ガス エネルギー・文化研究所 主席研究員)
テーマ:「まち物語としてのエンタテインメント」
主催:CITEさろん/(財)大阪市都市工学情報センター共催
参加費:入場無料
定員:30名(要事前申込み・先着順)
参加者ならびに連絡先(電話またはメールアドレス)を明記の上、メール、電話、FAXのいずれかで下記までお申し込みください。
(Mail)cite-salon@osakacity.or.jp、(Tel)06-6949-1911、(Fax)06-6949-1925
詳細:「CITEトークセッション2011 第5回のお知らせ

CITEトークセッション2011第4回「吉本と大阪の笑い、波乱万丈の百年とこれから」のご案内

2011年11月04日 | CITEトークセッション2011
CITEトークセッションとは、産学公民が連携した「新しい時代に向けた活力と魅力あるまちづくり」をスローガンに、会員組織として設立されたCITEさろん(財)大阪市都市工学情報センターの共催により開催されるまちづくりをテーマにした講演会です。

トークセッションは全5回のシリーズとして開催され、今年の共通テーマは「大阪とエンタテインメント」です。

第3回はゲストスピーカーに同志社女子大学の影山教授をお迎えして、2011年10月24日(月)に開催されています。「大阪のメディアエンタテインメント」をテーマとしたお話の詳細は、下記をご覧ください。

CITEトークセッション2011第3回「大阪のメディアエンタテインメント」レポート

第4回となる今回は、吉本お笑い総合研究所理事の田中宏幸氏をゲストスピーカーにお迎えし、「吉本と大阪の笑い、波乱万丈の百年とこれから」をテーマとして、11月14日(月)に淀屋橋odonaのアイ・スポットで開催されます。

(チラシ画像)

田中氏は1978年吉本興業株式会社入社され、桂三枝、明石家さんまのマネージャーを経て、多くのテレビ番組、イベントのプロデュースに携わられました。東京支社長、総務部長、㈱ワイズビジョン専務取締役を経て、現在、吉本お笑い総合研究所理事として、創業100周年記念事業統括プロデューサーを務めておられます。

1912年(明治45年)吉本吉兵衛とせいという20代の若い夫婦が天満の寄席小屋の経営に乗り出すところから始まった吉本興業。ほとんど無謀とも思える彼らの挑戦がなぜ成功をおさめたのか。彼らのビジネスを支えた当時の上方演芸界、大阪の状況とは?大衆社会の到来、ラジオやトーキーの登場によって、演芸・エンタテインメントの世界はどのように変わっていったのか。戦中の「わらわし隊」とは何であるのか。戦後の焼け跡からいかに復活したのか。テレビ、そして携帯電話、インターネットの世界にどう対応してきたのか…。吉本興業という一企業が、大阪の人々やまちに支えられながらこの激動の100年を生き延びてきた歴史、そして今何を考え、何をやろうとしているかを紹介していただきながら、大阪の笑いとエンタテインメントについて考えます。

ご興味のある方は是非ご参加ください。

なお、参加費は無料ですが、事前にお申し込みが必要となりますのでお気を付けください。(定員は30名・先着順)
みなさまのお申し込みをお待ちしています。


CITEトークセッション「大阪とエンタテインメント」
◆第4回(5回シリーズ)◆

日時:平成23年11月14日(月) 18:30~20:30
会場:i-spot<淀屋橋odona>
ゲストスピーカー:田中 宏幸氏(吉本お笑い総合研究所理事)
テーマ:「吉本と大阪の笑い、波乱万丈の百年とこれから」
主催:CITEさろん/(財)大阪市都市工学情報センター共催
参加費:入場無料
定員:30名(要事前申込み・先着順)
参加者ならびに連絡先(電話またはメールアドレス)を明記の上、メール、電話、FAXのいずれかで下記までお申し込みください。
(Mail)cite-salon@osakacity.or.jp、(Tel)06-6949-1911、(Fax)06-6949-1925
詳細:「CITEトークセッション2011 第4回のお知らせ」

CITEトークセッション2011第3回「大阪のメディアエンタテインメント」レポート

2011年11月01日 | CITEトークセッション2011
2011年10月24日(月)に開催されたCITEトークセッション2011「大阪のメディアエンタテインメント」に参加しました。

今年度は5回シリーズで開催され、その第3回目となる今回は同志社女子大学教授の影山貴彦氏がゲストスピーカーとして登場され、「大阪のメディアエンタテインメント」をテーマとした講演をされました。

(会場の様子)

影山教授は、毎日放送のプロデューサーを務められた後、現職に就かれています。専門は放送を核としたメディア研究(メディアエンターテインメント)で、著書に「テレビのゆくえ」「おっさん力」などがあります。また、大阪市広報報道アドバイザー、上方漫才大賞審査委員のほか、朝日放送(ABC)ラジオ「和歌子と影山教授のパレット」(毎週日曜アサ9時45分~)のパーソナリティも務められるなど、研究だけではなくメディアの現場でもご活躍されています。

(今回のゲストスピーカー:影山教授)

毎日放送時代には、「ありがとう浜村淳です」や「MBSヤングタウン」といった番組の制作にかかわっておられたそうで、当時のエピソードなどを散りばめながら、大阪や関西の復権のためにメディアはどうあるべきかについて、お話を聞かせていただきました。(以下はお話の要約です)

・メディアエンタテインメントとは?
メディアをエンタテインメント的見地より研究するもの。これまでは、ジャーナリズム的見地からメディアを研究することが多かった。私が名付け親だと思う。今は全国の大学でメディアエンタテインメントと名付けられた学科が2~3ある。

・テレビに登場する大阪と実態にはどうしてギャップがあるのか?
大阪で暮らしている多くの方は、ご自身が良く知っている本当の大阪の魅力が全国に伝わっていないと感じているが、これはエンタテインメントとしてテレビから発信される大阪像に問題があることから起きている。

テレビの放送は東京にあるキー局が中心となり全国放送されている。このため、視聴率についても東京での視聴率だけが重視されており、これにより全国放送される番組が決められている。
たとえば、大阪で人気のある「探偵ナイトスクープ」という番組は、かつてゴールデンタイムに全国放送された際、関西で20%を超す視聴率を獲得しながらも、関東では2%しか獲得できず全国放送は打ち切られた。
また、東京の人間は大阪のことには興味がなく(これは大阪の人が他の地方に興味がないことと同じではあるが…)、大阪で制作された番組では東京で視聴率を取れないため、大阪のテレビ局(準キー局)が制作する番組自体も少なくなっていった。大阪で制作される数少ない番組も、東京の制作会社が手掛けることが多くなり、大阪から情報発信する機会が少なくなってしまった。
このようなテレビ業界の構造から、東京にあるキー局が求めるわかりやすい大阪像が全国放送に乗ることになり、俗に「T・T・Y」と言われる、たこ焼き、タイガース、吉本が大阪の印象として定着し、そこから抜け出せなくなった。

大阪のテレビ局で制作する番組内容が、吉本の芸人頼りになってしまっていることも問題があると考えている。特定のプロダクションが肥大化してしまったことにより、放送内容が画一化してしまい、大阪からの発信力を低下させる原因になっている。

また、テレビ番組の中で行われている演出も、大阪の印象をステレオタイプ化させている原因の一つだ。地方から出てきた学生に対して、一般人に取材して番組を作成しなさいという課題を与えた時の話であるが、よくテレビ等でインタビューが行われている阪神百貨店前の歩道橋で話を聞こうと試みたところ、誰も応じてくれないためショックを受けたということがあった。その学生は、テレビで受けた印象から、大阪の人はカメラやマイクを向けると誰もが率先して話をしてくれると考えていた。
大阪の人間は確かにノリが良いと思うが、そのほとんどは、探偵ナイトスクープなどのテレビ局のカメラに対して、演出した自己を見せているだけだ。また、大阪で制作される番組にはロケものが多いのだが、その中で偶然出会うユニークな人たちも、予め仕組まれた演出の一つである。
テレビの中で行われている様々な演出について、それが演出されたものであることに気付かない人が多くいることが、大阪の印象を歪めているのではないか。

・阪神淡路大震災と東日本大震災の際にメディアが果たした役割は?
ラジオ放送は、救援物資に関する情報等をタイムリーに伝えるとともに、被災者の声に応じた放送を行うことで、被災者に寄り添ったものとなっていた。
しかし、テレビでは各局が津波の衝撃的な映像を入手・放送することを競っていた。津波の映像を見る被災者の気持ちに寄り添えていなかったし、よりニュース性の高い素材を手に入れようと競い合って取材することが復興の妨げにもなっていた。
また、震災発生からしばらく経つと、復興に向けて頑張ろうという趣旨の番組を繰り返し放送していたが、これも被災者の気持ちに寄り添った放送だったとは言い難い。
非常事態では、個々のテレビ局が独自に取材する必要はなく、各局が協力して役割分担をすれば良い。本当に必要なことを伝えるために“大同団結”するべきだと思う。

・関西の復権に向けてメディアができること~文化の地産地消を目指す
映画「阪急電車」は大阪のテレビ局が中心となって制作した映画である。全国でもヒットしたが、やはり関西での興行成績がよかった。これは、地域で興味のあることを地域のメディアが発信する “文化の地産地消”につながる取り組みである。テレビでこのような取り組みが出来るようになれば、関西の復権につながる。
大阪に住んでいる方々は、東京で起きていることではなく、大阪のことを知りたいと思っているが、大阪のテレビ局は取り上げることが出来ていない。
これは、テレビ局の人間が忙しすぎて情報を知ることができないことも原因の一つとなっている。これを解消するためにも、各テレビ局でバラバラに取材や放送をするのではなく、同じことをしても良いのではないか。文化においても“大同団結”を図るべきである。
メディアで働く人たちは、様々な情報に触れていると思われがちだが、その忙しさから人付き合いの範囲も狭く、手に入る情報の幅も少ない。できるところは協力して、忙しさを軽減することにより、地域の情報に触れる機会をつくることが必要だ。
また、地域の情報に偏った放送では、視聴率が取れないという事情もある。地域のまちづくり情報について、テレビ局がエンタテインメントとしておもしろく発信する工夫も必要であるが、行政も含めて、まちづくりに取り組んでいる方たちが、興味を持ってもらえるように自ら発信していくことも必要だ。

影山教授のお話からは、大阪の本当の魅力を全国に発信するためには、メディア自体の抱える問題の解消と、情報の受け手である我々が、テレビで放送されている内容が演出された一面でしかないことを知るとともに、メディアを情報発信の手段として活用することが必要であると良くわかりました。
まちづくりの取り組みというと、どこか固い話題のように思いがちですが、実際に参加してみると楽しいものが多いですし、生活に直結した話題として多くの人に興味を持ってもらえるものだと思います。そういった魅力をわかってもらえるように情報発信していくことが大切なのだと感じました。

第4回CITEトークセッション2011「大阪とエンタテインメント」は、ゲストスピーカーに吉本お笑い総合研究所理事の田中宏幸氏をお迎えして、11月14日(月)に開催されます。テーマは「吉本と大阪の笑い、波乱万丈の百年とこれから」です。詳細につきましてはわかり次第このブログでもご案内いたします。興味を持たれた方は是非参加して下さい。(参加費は無料で、どなたでも参加出来ます)

CITEトークセッション2011第2回「エンタテインメントの歴史と現在」レポート

2011年10月18日 | CITEトークセッション2011
2011年9月27日(火)に開催されたCITEトークセッション2011「エンタテインメントの歴史と現在」に参加しました。

今年度は5回シリーズで開催され、その第2回目となる今回は、大阪樟蔭女子大学学芸学部国文学科教授、雑誌『上方芸能』編集代表の森西真弓氏がゲストスピーカーとして登場され、「エンタテインメントの歴史と現在」をテーマとした講演をされました。

(会場の様子)

森西教授は、放送や出版など幅広いメディアを通じて伝統芸能への案内役を務めておられ、著書には『上方芸能への招待』などがあります。また、文化庁文化審議会委員などを歴任されるとともに、1993年には「咲くやこの花賞」を受賞されています。

(今回のゲストスピーカー:森西教授)

伝統芸能とはなにかという解説にはじまり、大阪との関わりや現状と課題についてまで及んだ森西教授のお話は、次のようなものでした。(以下はお話の要約です)

・伝統芸能とは?
大阪において伝統芸能と呼ばれているものには、「能楽」、「歌舞伎」、「文楽」、「地歌・上方舞」などがある。現在は伝統芸能と呼ばれているこれらのものも、生まれた時点ではそう呼ばれてはいなかった。

「能楽」は室町時代に生まれ、江戸時代までは現在でいう公務員にあたる人たちが従事していた芸能であったが、明治維新により大名につかえていた家元に当たる人たちが、いわばリストラされたことにより凋落していった。その後、家元に近い人たちが復興に向けて動き出すとともに、海外視察でオペラなどの文化サロンを体験した当時の知識層(元大名など)が、能楽による文化サロンをつくったことをきっかけに復興した。

「歌舞伎」や「文楽」などは江戸時代に生まれたが、自ら興行を行っていたため、明治維新の影響を受けることなく興行を続けることができた。しかし、主に時事を題材にした演劇を見せる新派と呼ばれる劇団が大阪で旗揚げし、人気を奪われたことなどから衰退が始まった。歌舞伎は新派の演目を取り入れるなどの取り組みを行うが、人気の回復に失敗し、明治40年頃以降は伝統を意識して純化していくことになる。

このように「能楽」は貴族的芸能であり、「歌舞伎」、「文楽」、「地歌・上方舞」、は庶民の芸能であった。明治以降に新たな芸能が生まれたことなどにより衰退したものの、その後に復興を遂げたことから、昭和20年頃以降に文化として認識されるようになり、伝統芸能と呼ばれるようになった。

・大阪のまち・人との関わり
「能楽」については、豊臣秀吉が自分を主人公にした演目をつくらせている。豊臣家の没落後は上演されることもなくなったが、いくつかは再上演されている。また、大阪市内には能楽堂がいくつもある。

「歌舞伎」は、江戸幕府の始まった西暦1603年に京都で生まれたが、元禄(1688年)以降は大阪で盛んになり、道頓堀に歌舞伎座が5つあった。なお、歌舞伎で舞台転換のために使われる回り舞台は、大阪で発明されたもの。

「文楽」は約400年前に大阪で生まれ、大阪で育った芸能。道頓堀に当時の文楽を代表する竹本座があったほか、3大名作と呼ばれる『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』といった演目も大阪で生まれた。

「地歌・上方舞」は遊郭を中心に流行し、大阪の町人文化を代表する芸能であった。町人の娘は三味線や踊りを習ったりしていた。

このように、伝統芸能と大阪のまちや人との関わりは深く、まちおこしに活用できるのではないかと思う。

・近代化の影響、現状と課題
大正時代は、芸能の曲がり角とも呼べる時期であった。工業化が進み人々忙しくなるとともに、機械化が進んで映画、レコード、ラジオなどが登場したことから、かつて空間と時間を共有するものであった芸能は、家で楽しめるものへと変わって行った。このような流れに影響を受けて、文楽などの伝統芸能は衰退し、これに従事する人も少なくなるなど、産業として成り立たなくなってしまった。

現在の大阪では、伝統芸能を守るために民間の人が立ち上がり、様々な取り組みが行われている。大阪市中央区にある山本能楽堂では、毎月第1・第3土曜日に「上方伝統芸能ナイト」という伝統芸能になじみのない初心者でも気軽に楽しめるようなイベントを開催しているほか、文楽応援団という民間のボランティアグループにより、大阪市中央区にある国立文楽劇場での演目解説などが行われている。

芸能はライブで見ると良い。定期的な上演ができるようになると従事する人も増えるので、伝統芸能を守ることになる。伝統芸能にふれる機会は、増えているので是非活用して欲しい。

伝統芸能にふれるとなると、理解しなくてはという思いにとらわれて難しく考える人もいるが、歌舞伎役者の所作のカッコ良さや衣装の色彩の美しさといった視覚的な良さを感じることから始めても良いのでは?
物語を理解したくなれば、解説本や劇場でのイヤホンガイドなどの助けを借りることもできる。楽しみ方も様々なので、良いと思うところを見つけて、気軽に体験して欲しい。

森西教授のお話から、現在において伝統芸能と言われているものは、大阪にかかわりの深い魅力の一つであり、かつては娯楽として観覧したり、習ったりしていたエンタテインメントであることが良くわかりました。また、せっかくの魅力を活かすためにも、伝統芸能に向き合う際には肩の力を少し抜いて、自分なりに楽しむことが大切なのではと感じました。

伝統芸能にご興味のある方は、山本文楽堂や上方芸能ナイト、国立文楽劇場、文楽応援団のホームページをご覧の上、是非とも劇場に足を運んでみて下さい。



第3回CITEトークセッション2011「大阪とエンタテインメント」は、ゲストスピーカーに同志社女子大学教授の影山貴彦氏をお迎えして、10月24日(月)に開催されます。テーマは「大阪のメディアエンタテインメント」です。
放送の現場で豊富な経験を積んだ後、大学教員としてメディア研究に携わるゲストスピーカーに、大阪のメディアエンタテインメントの特色や歴史を聞きます。同時に、まちづくりとは切っても切れない情報発信の側面から、在阪メディアの元気のなさや大阪イメージの偏りなどの課題を指摘してもらい、その中で今後、メディアエンタテインメントが目ざすべき方向性などについて共に考えます。

ご興味のある方は是非ご参加ください。

なお、参加費は無料ですが、事前にお申し込みが必要となりますのでお気を付けください。(定員は30名・先着順)
みなさまのお申し込みをお待ちしています。


CITEトークセッション「大阪とエンタテインメント」
◆第3回(5回シリーズ)◆



日時:平成23年10月24日(月) 18:30~20:30
会場:i-spot<淀屋橋odona>
ゲストスピーカー:影山貴彦氏(同志社女子大学教授)
テーマ:「大阪のメディアエンタテインメント」
主催:CITEさろん/(財)大阪市都市工学情報センター共催
参加費:入場無料
定員:30名(要事前申込み・先着順)
参加者ならびに連絡先(電話またはメールアドレス)を明記の上、メール、電話、FAXのいずれかで下記までお申し込みください。
(Mail)cite-salon@osakacity.or.jp、(Tel)06-6949-1911、(Fax)06-6949-1925
詳細:「CITEトークセッション2011 第3回のお知らせ」