大阪のまちづくりぶろぐ

大阪でまちづくり活動をおこなっているみなさんの情報発信や交流を行うためのブログです。

石畳の道が整備されています!

2012年05月29日 | その他
 5月11日~13日に、大阪天満宮北側の石畳完成記念イベントが開催されました。

(イベントのチラシ)

 
 石畳が整備されたのは、大阪天満宮の北側、天満天神繁昌亭・星合の池周辺で、このあたりは、かつて大阪天満宮の境内地で、伝統的様式の建物や「曲がり」や「突き当たり」のある特徴的な道路形状など、昔ながらの雰囲気ある界隈で、また、明治時代から昭和の初め頃まで、寄席や歌舞伎小屋等の演芸場が建ち並ぶ遊行地として栄えた場所でした。現在も、大阪天満宮をはじめ、天神橋筋商店街や天満天神繁昌亭など、多くの人でにぎわっています。

(天満天神繁昌亭前)


(先に見えるのは白米稲荷(稲荷門))


(星合の池(亀の池門)前)


 石畳の整備は、天満地区HOPEゾーン協議会を中心に、住民、商店街、天満宮、繁昌亭など地域が一丸となって進められ、「天神新門界隈」道路修景勉強会や沿道住民等の方を対象にしたワークショップ等で検討されてきました。

 また、天満地区HOPEゾーンでは、『天神さんから大川浜へ―「もてなし」のまちなみづくり』をテーマとして、まちづくりガイドラインが作成されており、大きい建物を建てるときは、2階以下の低層部は、周囲の伝統的様式の建物と調和させることや、1階の入り口付近にはしつらい空間を設け、訪れた人をもてなす場にすることなどが定められています。
 大阪市HOPEゾーン事業については、大阪市のホームページご覧ください。

 市内では、宗右衛門町通でも、電線の地中化とあわせて石畳の整備が進められており、第1期(御堂筋~笠屋町筋手前)が完成、現在、第2期(笠屋町交差点~堺筋)が整備中です。

(「石畳の道 復活!」ポスター)


(心斎橋筋・御堂筋間)


 宗右衛門町では、大阪市の「まちづくり推進団体」に認定された「宗右衛門町活性化協議会」が発足し、地区の将来像やまちづくりのあり方などの議論が重ねられてきました。
 その結果、歴史や風情が息づく個性的で格調高い魅力的なまちなみを再生・創造するとともに、大阪ミナミの環境浄化・活性化を目標とする地区計画が策定され、あわせて、電線地中化、道路や橋の美装化、アーチ・街路灯など商店街施設の再整備などが進められています。
 詳しくは、宗右衛門町のまちづくり(宗衛門町商店街公式サイト)をご覧ください。

(商店街アーチも落ち着いたデザインに)

 また、府内では、「石畳と淡い街灯まちづくり支援事業(大阪府事業)」により、下記の6地区でも石畳の整備が進められています。

○富田林駅南地区【富田林市】
寺内町にふさわしい賑わいとおちつきのあるまち並み創出事業

○枚方宿と枚方浜周辺地区【枚方市】
淀川と旧京街道でにぎわう枚方宿のまちづくりプラン

○岸和田城周辺地区【岸和田市】
「世界に一番近い城下町」の魅力を活かしたにぎわい創出事業

○高野街道周辺地域(河内長野駅から三日市町駅間)【河内長野市】
高野街道にぎわい・まち並み再生プラン(いにしえのみち復活プロジェクト)

○阪急箕面駅周辺箕面公園沿道地区【箕面市】
「箕面ロマン」を体感できる交流空間の創出事業

○太平寺地区【柏原市】
歴史のロマンとぶどうの香るまち


 詳しくは、石畳と淡い街灯まちづくり支援事業(大阪府)のホームページをご覧ください。

 石畳と言えば、京都の花見小路通が有名ですが、このように大阪でも各所で、地域との協働によるまちづくりの取り組みと一体となった石畳整備が進んでいます。こうした石畳が整備されることにより、これを核として、伝統的・歴史的なまちなみ景観の形成やまちのにぎわいづくりが、線的・面的に広がることが期待されます。

北船場を再発見する一日~北船場茶論が開催されます!~

2012年05月25日 | イベント
 5月26日(土)、北船場(淀屋橋・北浜・本町・堺筋本町)周辺において、「北船場茶論」が開催されます。

(北船場茶論のチラシ)


 当日は、まちバルイベントとして「北船場(バ)ル」をはじめ、さまざまなイベントが催されます。「北船場(バ)ル」とは、5枚つづりのチケットとガイドブックを片手に、さまざまな店を訪ね歩くまちバルイベントです。街を巡り、店をハシゴしながら、観て、飲んで、食べて、出会う人たちとの会話を楽しんで下さい。
 また、「旧くからある街の新しい魅力」をテーマとした「北船場フォーラム」や「御堂筋マルシェ」も開催されます。

 北船場(淀屋橋・北浜・本町・堺筋本町)は、バルの会場のひとつとなる「芝川ビル」や「新井ビル」など、1920~30年代に建てられたレトロな建築が多く存在し、現在もギャラリーや店舗などとして有効活用されているほか、江戸時代後期の町屋の姿を残す「適塾」も一般公開されており、近世から近代にかけての大阪の歴史と文化が感じられるエリアです。
 また、最近では「淀屋橋odona」やセントレジスホテル大阪がある「本町ガーデンシティ」などの開発も進んでおり、歴史的な建造物を残しつつ、新しいビルが建ち並ぶ、散策して楽しい魅力ある街なみとなっています。

 普段、仕事などで北船場になじみのある方やそうでない方も、このイベントを通じて、北船場の魅力を堪能してみてはいかがでしょうか。


◎北船場茶論の概要
◆日にち 5月26日(土)
○北船場(バ)ル 15:00-翌4:00
場所:北船場(淀屋橋・北浜・本町・堺筋)の108店舗
○北船場フォーラム 13:00-15:00
場所:大阪ガス御堂筋東ビル3Fホール
○御堂筋マルシェ 11:00-17:00
場所:淀屋橋odona1F(御堂筋側)
◆ホームページ
◆アクセス
地下鉄御堂筋線・京阪本線「淀屋橋」
地下鉄御堂筋線・中央線「本町」
地下鉄堺筋線・京阪本線「北浜」
地下鉄堺筋線・中央線「堺筋本町」 各駅下車すぐ
◆お問い合わせ先
北船場茶論事務局(ケイオス内)TEL:06-6222-1933


首都直下地震・南海トラフ巨大地震への備え~「東日本大震災総会記念報告会」レポート~

2012年05月22日 | その他
 4月21日(土)、公益社団法人日本都市計画学会関西支部主催の東日本大震災総会記念報告会が大阪市立大学文化交流センターホールで開催されました。土曜日の午前中にもかかわらず、およそ100名の方が参加され、関心の高さがうかがえました。3名の方から報告がありましたが、特に興味深かった明治大学政治経済学研究科の中林一樹教授が講演されました「首都直下地震・南海トラフ巨大地震への備え」について少し触れてみたいと思います。


(当日の会場の様子)


 1995年以降に震度7を記録した3つの大地震、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災は、日本の地震災害の全貌を示しているということです。阪神・淡路大震災は都市施設・建物の振動災害に特徴があり、新潟県中越地震は日本の国土の70%を占める農山村地域で発生した高齢社会での震災であり、一方、東日本大震災は島国日本の海岸線34,000kmの沿岸地域を襲った巨大津波災害でした。阪神・淡路大震災では死者6,437人、負傷者43,792人であったのに対し東日本大震災では死者19,272人、負傷者6,179人、津波は多くの人命を奪うことを物語っています。また、全壊全焼1,000棟あたりの震災関連死者数では新潟県中越地震(16.6人)が阪神・淡路大震災(8.4人)および東日本大震災(11.1人)を大きく上回っており、高齢者の多く住んでいる地域では震災関連死が増加する特徴が見られます。

 首都直下型地震や南海トラフ巨大地震などに起因して三大都市圏である東京、名古屋、大阪では30年以内に震度6弱以上の地震の襲われる確率が高いと言われています。中林先生は阪神・淡路大震災や東日本大震災を教訓にして「事前復興」の取り組みが大切であると指摘しています。事前復興とは、地震などでもたらされるであろう被害をあらかじめ想定して、その状態からの復興を前もって考えておくことです。そうしておけば、実際に被害がもたらされた場合に、すぐに復興へのアクションをとることができます。「事前復興」を策定するには、
 ・どのような復興を目指すのか(復興目標像を明確にした震災復興グランドデザイン)
 ・どのように復興計画を策定するのか(復興震災マニュアル施策編)
 ・どのように復興を進めるか(震災復興マニュアルプロセス編)
などを明確にしていく必要があります。

 減災を考慮した「災害に強いまちづくり」から事前復興も考慮した「災害にも復興にも強いまちづくり」を目指すことは災害大国日本にとって非常に意義深いことだと思います。そして最後に中林先生は、興味深い言葉で締めくくられました。

二つの「そうぞう力」=「想像力」と「創造力」を研こう。
Imagination can create more effective measures.
災害を想像できなければ、対策を創造できない!


「関西まちづくり賞」レポート

2012年05月18日 | その他
 4月21日、公益社団法人日本都市計画学会関西支部が主催する「関西まちづくり賞」の表彰式及び受賞者の方々によるプレゼンテーションが行われました。この賞は、同支部の独自の特徴的な取り組みであり、関西の都市計画・まちづくり分野における地域独自の取り組みや次の時代につながる新しい試みなどを対象とし、「新しい試み」「継続的な活動」「協働の取り組み」「他の地域で参考となる提案」といった視点から、特に、都市計画の発展に資する特色あるものを表彰するものです。
平成23年度(2011年度)は、以下の3件が選ばれました。

 ○『都市農村連携による交流拠点施設「ささらい」の整備運営』(兵庫県篠山市)
日置里づくり地区協議会、藤岡俊夫・亜樹子(芦屋ぷりん とあっせ)

 ○『旧二葉小学校校舎の保存再生と神戸市立地域人材支援センター管理運営』(兵庫県神戸市)
旧二葉小学校の活用検討委員会、特定非営利活動法人 ふたば

 ○『市街地再開発事業から防災街区整備事業に切り替えて「身の丈に応じた再開発」を実現』(大阪府岸和田市)
東岸和田駅東地区防災街区整備事業組合、西松建設(株)、(株)石本建築事務所、大和ハウス工業(株)、(株)都市問題経営研究所、ジェイアール西日本コンサルタンツ(株)


 この日、表彰式、記念撮影に続き、受賞者から各事業についてのプレゼンテーション、さらには受賞者、審査委員や会場の方々も交えたミニ・シンポジウムが行われましたので、そのレポートを簡単に・・・

(表彰式の様子/左は支部長である大阪府立大学の増田教授)

○兵庫県篠山市の交流拠点施設「ささらい」
 日置地区では、「公」と「私」の境界領域であり、そして、人と人との温かいふれあいを育む舞台ともなる「軒先」が多く残っており、「軒先」空間に注目し、道文化の薫るにぎわいと美しさのある街道筋を蘇らせたいとの思いから、平成17年から「ひおき軒先ミュージアム」というイベントが行われており、その紹介ビデオが流されました。このイベントでは、着物を仕立て直したのれんが掛けられたり、古い壷に花を活けたり、とても華やかな雰囲気になるそうです。
 今回の受賞の対象となった施設「ささらい」は、築150年の地元の庄屋さんの蔵屋敷をリノベーションしたもので、野菜料理専門店、プリン専門店、調味料等の販売店、古本屋、自然素材服の店といった個性的な店舗が集まり、また、「蔵じかん」と題して、様々なワークショップが行われる商業・交流の機能を持つ複合施設です。
 大阪・京都・滋賀などから、多くの方がこの施設を目当てに日置地区を訪れ、地区の活性化を牽引するシンボル的な施設になっているそうです。
 審査委員の方から、民間が行った歴史的建築物保全のユニークな手法であること、地域の食文化の再生をめざし、地産地消を基本としていること、地域の一体感を生み出すとともに、外からの観光客を呼び込み、継続的な実施が見込まれること、が受賞のポイントであったとの説明がありました。

(「日置里づくり地区協議会」の方による説明)


○旧二葉小学校校舎の保存再生
 二葉小学校校舎は、約2000人の在校生がいたこともあり、また、阪神・淡路大震災のときにも健在であったが、平成20年の新校舎の完成を受け、校舎としての役割を終え、廃止されることとなりました。それに対し、校舎に強い愛着を持つ地元住民がその保存の運動を起こし、神戸市役所は、その歴史的価値を重視し、建物の保存と地域の拠点として活用することを決定、平成22年11月に「神戸市立地域人材支援センター」として、生まれ変わりました。
 現在、NPO法人「ふたば」さんが、指定管理者として運営されており、誰もが気軽に参加できる文化講座・体験学習の実施による交流・学びの場、地域活動の支援や地域活動を担う人材育成のための拠点となっています。
 特にユニークで、会場の誰もが気になったであろう取り組みがコスプレ撮影会「コスメル。」。「コスプレ」というと、「若い人たちが変な格好して集まって悪いこととかするんとちゃうの・・・?」とか、ちょっと抵抗感のようなものを持つ方もいるかもしれません。実際に、地元ではそのような意見もあったそうです。
でも、心配していた問題もなく、これまで居場所がなかった少年・少女たちが集える場所を生み出し、また、地元の活性化にも一役買っているとのことでした。というのも、このイベントの参加には1500円の参加料が必要なのですが、その代わりに地元の商店街で使える500円分の金券がついているそうです。そして、特徴的なのが、参加者は扮装したまま商店街の買い物ができるということです。
 そのような工夫や商店街の方々の理解のおかげで、今では全国から500人の参加者が集まる目玉イベントになっているそうです。
審査委員の方からは、今後も廃校になる学校が増えていくことが見込まれること、全国ベースの広域な取り組みになっていること、そして、ほぼ毎日、終日、イベントの予定でいっぱいであるほど成功していることが評価されたと説明がありました。

(NPO法人「ふたば」の方による説明)


○東岸和田駅東地区防災街区整備事業
 この事業は、従来、平成5年に市街地再開発事業として都市計画決定されたのですが、開発の核となる予定だった百貨店が撤退し、事業が頓挫し、計画どおりの事業実施を断念せざるを得ませんでした。
 その後、デベロッパーから、事業規模を縮小し、定期借地による商業施設とマンションからなる事業への転換の提案がなされ、その方向での地元調整が進められましたが、権利関係の調整が難航して困っていたところ、国に相談されたそうです。そこで、国から、土地⇒土地の権利変換が可能で、権利者の全員合意が必要でない新しい事業手法「防災街区整備事業」を使っては、との提案があり、それが見事にこの開発にマッチし、うまく事業化することができたとのことです。
 審査委員の方からは、全国初の「防災街区整備事業」による事業であること、難しい権利者調整をこなしたこと、マンションを居宅介護支援や生活支援サービスを受けることができる高付加価値型高齢者向けのものとするなど、これからの高齢化社会を意識した計画であることが評価されたと説明がありました。

(東岸和田駅東地区防災街区整備事業組合の方による説明)


○おわりに
 審査委員長である京都大学の中川大教授は、「今回は応募数は少なかったが、どれもすばらしいものばかりで、審査するのが大変だった。」とおっしゃってました。昨年の震災、原発問題など、厳しい状況が続くなか、なかなか新しい開発事業などが進みにくい社会経済情勢であり、まちづくり賞の対象となる案件も少なくならざるを得ないのかもしれません。でも、厳しいときだからこそ、お金に頼らず、産学公民が一丸となって、知恵を出し合い、熱意を持って取り組むことで、規模は小さいながら成功し、これからのまちづくりの手本となることができる、今回の受賞案件を見ると、それを実感することができました。

(ミニ・シンポジウムの様子/左端が審査委員長の京都大学の中川教授)


木曽川と大阪を結ぶもの~福沢桃介と関西電力古川橋変電所~

2012年05月11日 | その他
今回は、大都市大阪の成立過程で不可欠なインフラのうち、大きな役割を果たしている電力について、その発展期について書いてみたいと思います。

京阪電鉄の京橋駅から、京都方面へ乗り門真市の少し向こう、古川橋駅を過ぎた進行方向の右手に、倉庫のような、工場のような、異様に大きい建物があったことをご存じな方が多くおられることと思います。相当古い建物だったので、現在では解体されているようです。この建物に興味をもったので少し調べてみました。

まず、予備知識として、福沢桃介という人をご存じでしょうか?明治元年(1868年)武蔵国(現、埼玉県)生まれ、かの高名な福沢諭吉の娘婿となり、多くの仕事を経て、明治の終り頃に名古屋電燈で木曽川水系の電源開発に取り組み、その後、大正9年に大同電力株式会社を立ち上げ、木曽川水系の電源開発および大阪方面への送電線の工事を行っています。これにより、木曽川の水力発電による電力を、深刻な電力不足の状況の大阪へ送ることができるようになりました。昭和12年(1937年)逝去。
福沢桃介さんは、木曽川水系で、八百津発電所をはじめとして、賤母発電所、大桑発電所、桃山発電所、読書発電所、落合発電所、大井発電所を建設し、関西へ電力を送っています。これらの発電所は、現在は関西電力の所有となっています。

さて、本題の、古川橋駅近くの古い大きな建物について、近くへ行ったついでにウロウロとまち歩きしてきました。既に述べましたが、大きな古い建物はなく、変電所の建物と鉄塔などの送電関係の設備がある、大きな変電所がありました。関西電力の古川橋変電所の看板がかかっておりました。入口の横に、下のような大きな記念碑があり、春先に行ったので横に植えてある桜が満開でした。


(記念碑の写真)

記念碑の横に、下の写真のような説明板があり、そこに以前見た、古い建物の写真もありました。

(説明板の写真)

説明板は、既に解体した変電所建物についての説明でした。内容は、はるか木曽川で発電した電気を、大阪送電線でこの地の大同電力大阪変電所に送電し、そしてこの変電所から大阪および周辺地域に送電していたと書いています。

(大同電力大阪変電所の写真、説明板から拡大したもの)

記念碑の銘板は、達筆すぎて読めませんでした。説明板によれば大同電力の創始者、福沢桃介さん自筆の書だそうです。

「曾水一条電 浪華萬燭春」

読み方は、「そすいいちじょういなずま なにわばんしょくのはる」で、意味は、「木曽川の一筋の水が電気となり、浪速のまちをあかあかと照らす。まるで春のようだ・・・」

福沢桃介さんは、木曽川で発電した電力を大阪へ送電できたことを喜び、感慨深く、また、大阪の町が発展していくことを望んで、さらに、その思いを後世の人たちに伝えたいとこのような詩を残し、銘板にして変電所の正面に掲げたのではないでしょうか。もし、今日の大阪の繁栄をご覧になったらさぞかし喜ばれるのではないでしょうか。また、関西電力は、このように記念碑の形で残すことで、桃介さんの思いと変電所が大阪のまちづくりに役立ったことを、後世に伝えようとしているように思いました。

小生、学生時代(随分前のこと)に、旧中山道(主に木曽路)の妻籠、馬篭宿場他に旅行したことがあります。その時に、木曽川に沿って水力発電所があったことを思い出しました。大河木曽川、奥深い山の緑の中に、近代の建築物である発電所がポツンと存在しているが、周辺の景色、景観になんら違和感なく存在していたことが印象的でした。木曽川と関西・大阪、一見関係ないように思いますが、電気の道でつながっていることが、よくわかりました。
東北大震災以降、よく聞く言葉に「絆」があります。木曽川と関西・大阪、この間を電気の道(送電線)でつながっている。このことも、「絆」、「縁」と言えるのではないでしょうか、大事にしたいと思う今日この頃です。もし、将来、木曽路へ行くことがあったら、桃介さんの遺した、水力発電所・桃介橋等の近代建築遺産を見て、明治の偉人たちの強い想い・信念他を是非共有したいと思います。

(ところで)
福沢桃介さんのことを、webでしらべてみると、川上貞奴さんとの関係を書いてあることを見つけました。川上貞奴さんといえば、明治時代、夫の川上音二郎さんと共に、欧米へ講演旅行を行い、「オッペケー節」で大盛況をおさめた、日本で初めての女優として有名です。学生時代の日本史の教科書に書いていました。川上音二郎さんと死別後に、福沢桃介さんとの縁があったようです。
双方、歴史に名を残すもの同士、お互いひかれあうものがあったのでしょうね。

(参考HP)
・関西電力 東海支社HP 木曽川開発の歴史
  http://www1.kepco.co.jp/tokai/kisogawa/kisogawa.htm
・南木曽町観光協会公式HP 福沢桃介記念館 
  http://www.town.nagiso.nagano.jp/kankou/midokoro/nagiso/midokoro_43.html