中大杉並高校 音楽部

中央大学杉並高校の部活動のひとつ〈音楽部〉のブログです。

活動内容やスケジュール、受賞実績などをご紹介します。

同じ列の最後尾に並び直す

2022-12-30 11:56:18 | 

暮れに卒業生(を含むバンド)が複数組出演するライブハウスイベントに遊びに行ってきました。私(当部顧問)は「バンドマン」という生き方には懐疑的であり、これまでも似たようなことを当ブログで書いてきました。(他の記事を読んでみたいという奇特な方は「雑」というカテゴリを漁ってみてください。)

応援の気持ち、そして「元気でやってるかな」という気持ちでライブハウスに遊びに行った以上、彼らの活動を腐すようなことはすまいと思いつつ、やっぱり「ガッコウノセンセイ」などというお堅いお仕事をしているせいか、「将来どうするつもりなんだ」という思いが彼らの前でもダダ漏れてしまいました。いや、ライブ自体はとっても格好良かったんですよ。間違いなく。

ライブを終えた彼らと談笑する中で、タイトルにつけた表現が彼らの中から飛び出して、現在も頭にこびりついて離れません。(だからこうしてブログに文字を叩きつけているところです。)曰く、一度バンドの活動を止めると、再度動き出す時には「同じ列の最後尾に並び直す」必要があり、それはものすごく煩わしいのだ、と。今は、あちこちから声がかかっていいるようですし、バンドを回す範囲において赤字を出すこともなくやれているようです。きっと彼らは「列」の良い位置にいる手応えがあるのでしょう。

「同じ列」とは何か。たとえばこの日のイベントもライブハウスが主催するブッキングイベントであり、出演するバンドがそれぞれにステージ上で「今日のイベントに自分達のバンドを呼んでくれてありがとう」という感謝の言葉をブッキング担当者に伝えていました。活動を止めると、自分達のライブをみにきてくれる人が減ります。だって似たようなバンドはそこかしこにごろごろ転がっているから。客を呼べないバンドはライブハウスのブッキング担当者に呼んでもらえません。彼らの中には、それなりにバンドマンカーストがあって、もし「声をかけてもらえない」バンドになってしまったら、同じようにたいして客を呼べない格下のバンドと一緒にライブをやり、信頼と実績を再び積み上げなければいけません。ーー「同じ列の最後尾に並び直す」とは、おそらくこのようなことを指しているのだと思います。

「なるほど。大変なものだな。」と思いつつも、どうしても気になったことがあります。それは「なぜ同じ列に並ぼうとするのか」ということです。

 

Twitterのタイムラインを眺めていると、頻繁にサーキットフェスのタイムテーブルが流れてきます。同じエリアのライブハウスが共同開催し、客は見たい出演者を求めてそれらのライブハウスを「はしご」する、というアレです。

私はこういう部活動の顧問をやっていながら、「ライブハウスでライブを楽しむ」という趣味を持ち合わせません。音楽を聞くことは嫌いではないですが、長時間立っているのは苦痛だし、得られるリターンに対してずいぶんお金を払わされるな、という印象もあります。ビールも高いし。教え子が複数出演しているようなライブやフェスなら「行ってみようかな」と思わないことはないのですが、さりとて実際に足を運ぶことはめったにありません。

そういう立場の私が、あのサーキットフェスのタイムテーブルを見ると、いつも不思議に思うのです。

「このタイテを見て、出演するバンド・アーティスト(以下「バンド」)の皆さんは、なんで絶望的な気持ちにならないのだろうか?」と。だって、同じイベントに出演するバンドは皆ライバルですよね?ーー同じフェスに出ているバンドは、基本的には「そのフェス以外でそのライブを見ようと思ったときの単価がだいたい同じようなクラス」だと思います。同列のカーストとでも言いましょうか。例えば下北沢のサーキットフェスにB'zは出てきませんよね。カーストが違うからです。サーキットフェスに出ているバンド同士は、そのフェスの瞬間は仲間かもしれませんが、そこを離れたらお客さんを奪い合うライバルになります。

しかも、私自身が「趣味でライブハウスに行くことはない」と述べたように、「ライブハウスで音楽を楽しむ人たちの総数」というのは、急に増えたり減ったりしません。つまり、「パイが限られている」というやつです。フェスの時にはそのパイを分け合うことができますが、フェスを離れたときには、そのパイを奪い合うしかない。フェスの当日だって、「人を集められるバンド/集められないバンド」がいますが、その集められないバンドはフェスを離れたら、もっと集客に苦労するのではないでしょうか。(バンド単体で集客できないから、フェスに出たりブッキングライブに出たりするわけですよね。)

お金を払って見に来てもらうためには、他のバンドとは異なる魅力をアピールしなければなりません。しかし、ここで述べているようなバンドって、エレキギターを弾く人や歌を歌う人、ドラムを叩く人がいるバンドばかりです。あんなにたくさんのバンドが出ているのに、使われている楽器の種類はかなり限定的です。リズムは8ビートや四つ打ち、シャッフルビートであり、例えばラテンのリズムにはそうそう出会いません。パフォーマンスは一律に「熱量」が重視され、「客が腹を抱えて笑う」ことを目指したバンドにもそうそう出会いません。サーキットフェスのタイムテーブル表は、そんな似たようなバンドが山ほどいることをまざまざと見せつけられるアイテムです。それらと差別化をしなければ集客ができないし、集客できたとしてもパイは限られています。それってかなり絶望的なことだと思うのです。それなのにライブハウスで頑張ってライブをすることで、彼らはどんな成功イメージを持っているのでしょうか。

もちろん、「そもそも音楽で商業的な成功を得ることを求めていない」「趣味で山に登る人がいるように趣味でステージ歌っている」「お客さんがたった一人でもその人のために歌うよ」という人もいると思います。その人たちを否定する気はないですし、演者とリスナーの幸福な邂逅(かいこう=出会い)の場としてのライブハウスを否定する気もありません。私がここで述べているのは「バンドで商業的に成功したいと思っている人」です。その人たちは、ライブハウスでライブをすることで、その先にどんな成功イメージを描いているのか?それが不思議なのです。

たとえばそれは、「ライブハウスで活躍して注目を浴びることで、レーベルとの契約を得て、果ては武道館を満員にする」というストーリーでしょうか。もちろんあり得ないことではありません。ただ、武道館を満員にしているバンドって、「ライブハウスでの成功の末に武道館にたどり着いた」のでしょうか。ーー「ライブハウスで頑張ったから武道館にたどり着いた」のではなく、「レーベルの積極的なプロモーションがあったから武道館にたどり着いた」「タイアップによって知名度が上がったから武道館にたどり着いた」「何かの曲がSNSや動画サイトでバズったから武道館にたどり着いた」といった側面がかなりあるのではないでしょうか。(今年のCount Down Japan 2223の30日のヘッドライナーはAdoさんですって。彼女はライブハウスで頑張った人ではないですよね。もちろん、ライブハウスでライブを頑張った結果としてあそこにたどり着いたバンドもたくさんいますが、ブレイクのきっかけが本当にライブハウスの活動にあったかどうかは分析の必要がありそうです。さらにいうと、タイムテーブルにはアジカンがいて、Acidmanがいて、ホルモンがいて、9mmがいて、挙げ句の果てには佐野元春までいる。ベテランは椅子を明け渡してはくれません。)

だとしたら、成功するための戦略は「誰かに積極的プロモーションしてもらうために頑張る」「タイアップを得るために頑張る」「SNSや動画サイトでバズるために頑張る」ということもあるはずなのです。最近、身近な人がこんなことを言っていました。「ライブハウスで夢を追うのって、お祭りの出店のクジに期待するようなもの。そこに本当にアタリは入っているの?」と。

表題の「列」の話でいうと、それが「列」なのであれば、いずれ順番が回ってきます。しかしライブハウスでのライブ活動は、本当に順番が回ってくる列なのでしょうか。CDJには還暦をゆうに超えた佐野元春が出てきちゃうんですよ。列はちっとも進みそうにありません。(もちろん全てのミュージシャンが還暦まで現役で活動をするなんて思っていません。極論は承知の上。)

長い長い長い列に並び、年齢を重ねた先に待っているのは貧困です。本校の生徒はその多くが恵まれた家庭の出身です。生活や家庭環境の豊かさが人格に表れており、気持ちの良い人たちの集まりです。しかし「貧すれば鈍する」という言葉があるようにーー小学館『ことわざを知る辞典』によると「貧乏になると性質や頭の働きまでも鈍くなる。また、貧乏するとどんな人でもさもしい心をもつようになる。」とありますーー経済的な環境は人格に大きな影響を及ぼします。貧困に陥って「結婚もできない」「病気になっても病院にいけない」「今日壊れた冷蔵庫を明日買い換えることができない」なんていう目に遭い、挙句その人間性まで変わってしまったら本当に悲しいと思うのです。そして、実家住まいの若者には、ここらへんがピンとこないと思うんですよね。「最低限生活はできている」と勘違いしますから。

音楽をやめろとは言いません。でも、「列」には並ばないでほしい。その列はお祭りの出店のクジを引くための列だと思った方がいい。(だから列をショートカットする発想も行き詰まるでしょう。) 音楽表現をしながら、それがまとまった経済的リターンに繋がるような、そういうモデルを模索してほしい。少なくとも、本校の卒業生をそれを考えるだけの頭脳と、それを実行に移すだけの行動力を持っているはずなのだから。


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