エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

 夏の終わりや大文字

2017年08月19日 | 雑感

      2017年8月19日

 

昨日は送り火の炭を頂くため大文字山に登った。今日の大文字はもう惰性だ。

 

大の字に着くと、高校時代の地元友達のグループと会った。60年前の同級生だ。前は20名近くいたのだが、

だんだん脱落していった。このグループは定年後に集まったらしい。

 

彼らはいろんなお菓子を持ってきている。しきりに薦めるが、私はあまいものがきらいだ。

全部断わっていたら、Eちゃん(同級生)が冷凍保存剤をくれた。首筋や顔に当てると気持ち良い。

これは眼に鱗だった、よかった。こんな使い道があるのだ、これから持って来よう。

 

Hが言うに、「この中で一番健康なのは俺や」

Eちゃんは大文字で転倒、顔を複雑骨折。私は肺を、それに大腸がん、前立腺、甲状腺がん、などみなそれぞれ。

しかし汗を拭いているHの腹は私が小学生だったころの横綱鏡里(わかるかな)級で危険をはらんでいないとは

いえない。指摘して、「自分の年齢をなめるな」、と言ったら奥さんが“ほんとです”同意した。


ところで彼らは、私もこのグループに加われといった。

私は“時間に縛られるのは嫌だし、群れるのもいやだ”と断った。私の友達はTとMだけで充分だ。

年と共にだんだん付き合いがうっとうしくなる。

 

 彼らは先に下山した。私はあとから来たカップルが地形がわからないというので、説明してからゆっくり下山。

途中でかれらのグループを追い抜いた。

 

 わたしの大文字行はただただ体力維持の訓練だ。

私はもと陸上部で、どこに行くのも訓練的歩き方法をとる。

仲間に馬鹿にされるし、自分でも半分納得してないが長年の習慣、習い性になっている。

 

 ところで、大文字の帰りにギンヤンマを見つけた。オニヤンマでなくてもギンヤンマでもこの頃は珍しい。

 

 そして、家に帰って壁に蝉の抜け殻があった。

 

 一首うかぶ、

 

“空蝉と夏の終わりのギンヤンマ”

 

家内に披露したところ曰く 「はい、才能ナシです。もうなんというか手直しできません!」

彼女はこのごろテレビ、プレバトを見ていて、なっちゃん先生の言葉づかいのたくみさにいつも感心している。

まあいいじゃないか。

 

次は、私の疎開の経験です。