エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

 奥さん(その1) - カワタさんとの別れ

2017年02月01日 | 雑感

 2016年12月

カワタさんが亡くなったという知らせに驚いた。24年間続いている大学の研究室の教授夫妻を囲む一泊旅行会“T会”で10月末に会ってから2か月とたっていない。 

先生は6年前に亡くなられたが、“T会”は今も連綿と続いている。人数はちょっと減って25名ほどだ。私ら年寄り組とは別に60歳以下の若手も年一回奥さんを囲んでいる。

 奥さんは、“K会”の名で花を送りましょう、と言ったが、これは長老ススキさん、一年上のオカダさん、そして私が反対。そういうことを始めたら、これから何回もやらねばならない。前回それで苦労した、“K会”は任意団体だ。

 私は「奥さん、あなたが亡くなられた時は先生の時と同じように必ず“K会”の名でお花を送ります、でも、それ以外はすべてなしです」といって黙らせた。

私は弔電をうった。他の連中も適当に対応した。

 あとできくと、奥さんは独自で献花したらしい。

 数日後、社葬の案内が来たときに、“カワタさんの”K会“でのパネルを、作ったらどうやろか”、と奥さんは言いだした。“私にはその技術はない”とこれも断った。奥さんは写真が好きで、奥さんの家は家族と我々卒業生、その他、その他、のアルバムで一杯だ。

そのお鉢がオカダさんに廻ってきた。

オカダさんは写真のベテランだ。パネル作りはOKしたが、社葬では混乱するからその後にすると云う。

カワタさんの同級生ススキさんが社葬に行って来た。報告によれば、日ごろ大言壮語するだけあって知事や外務大臣も来た立派な式だったらしい。

 さて、先週の土曜日、オカダさんから、“パネル作ったから見に来い”という電話が入ってきて、奥さん宅に行った。

                                         

先生も学生に人気があったが、奥さんは底抜けに世話好きだからもっと人気があった。

 

逸話も多いが、この話はカワタさんの学生時代、60年近く前の話だ。

カワタさんが車の事故で足をケガしたので、同級生数人で彼を先生宅の長屋にほり込んだ。外出先から帰って来た奥さんは驚いて、“どういうわけ!”と尋ねたら、“カワタの下宿の部屋は二階なので便所がこまるからここに連れて来たのです”。先生一家は当時、ボロ長屋にすんでいた。

“あんたらどうしてここにはいれたの?”と聞くと、カワタさんは、”鍵の隠し場所なんかわかってますがな“、と言うわけで彼は2,3週間先生宅から大学にかよった。

奥さんは腹がすわった人だったが、先生も“そんなことどうでもええやないか”という人だった。だから、学生にとっては絶大に信頼のある夫婦だった。

ただし、カワタさんも奥さんが事故を起こした時にその処理をして恩返ししている。

 

さて、カワタさんはおしゃべりだった、彼の饒舌にうんざりして、敬して遠ざかる仲間もいたが、私は好きだった。

ちょっと体調が悪い、と言ったら冬虫夏草をどさっと送ってくれたこともあった。燃料関係の会社を経営していて、中国と頻繁に取引していた。

この歳になると、友だちが多いのも考え物だ。寂しい思いを何度もしなければならない。