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『千の島』からのお土産

2007年08月14日 | ジャカルタ通信
先週末、ジャカルタの沖合いにある『プラウス・リブ』(千の島)にあるコトック島へ一泊でダイビングに行ってきました。


アンチョール・マリーナ15桟橋から約1時間半でコトック島へ。この島は多分周囲2キロぐらいの細長い島で、反対側の海岸まで100m強といった感じ。ここにシンプルなリゾート施設が1軒。ちょっと歩いてみたら、廃墟になったリゾート施設があったので、昔は2つぐらいあったのでしょう。
沖合いには幾つもの島々が見え、ここらの島々には幾つかのリゾート施設があるようで、昔JALが開発し結構宣伝していたリゾートもあります。(今はJALが手放してしまったようですが・・。)


ここコトック島は『ウミワシ』の生息地域で、島の一画にバードゲージがあり『ウミワシ』が5~6匹捕獲されていました。
島の中はかなり鬱蒼としたジャングルの雰囲気で植物の種類も多そうです。


道に無数の小さな「まつぼっくり」のようなものが落ちていて、お土産に拾ってきました。


そんな訳で写真のようなのを作ってみました

アジアカップ決勝戦

2007年07月30日 | ジャカルタ通信
ファイナルがジャカルタで開催されるとのことで、早々にティケットを入手して楽しみにしていたのだが。残念ながら日本はジャカルタではなくパレンバンへ・・。
折角入手したティケットなので、昨夜のサウジ対イラク戦を観戦してきました。
ティケットは一番高い席で500,000Rp、日本円で6,000円ぐらいなのでインドネシアの物価からすればかなりの高額。

『ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアム(Gelora Bung Karno Stadium)はインドネシア・ジャカルタにある競技場。メルボルンのクリケットグラウンドと同等であり、2007年のアジアカップの決勝戦の舞台でもある。競技場は1962年アジア競技大会開催のために作られ、2002年のタイガーカップ決勝では、観客が殺到したため、安全面から大規模な改修工事を行った。』*出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


1962年の第4回アジア競技大会に合わせて建設されたというこのスタジアム。なかなか立派なもので、10万人収容できるらしい。
観客席とグラウンドの間がお堀のようになっていたのが奇妙に感じられたが、上記を読んで理由が判りました。これなら、観客がグラウンドに殺到するようなことは無いんでしょう。


最前列から7番目の席で選手をかなり間近で見ることができ、迫力は感じられたけれど全体の動きを見るのには邪魔なものも多く、試合を楽しむということはあまり出来ません。サッカーはもう少し安くて、上の方から観れる席のほうがいいかも。
TV観戦と生で観るのとは基本的に楽しみ方が違いますネ!TVではボールの動きが中心だけれど、スタジアムではボールの無いところでの、選手の動向も面白いものです。結構、ボールの無いところで選手同士が小競り合いをしています。


やたらと、売り子がうろうろしていて邪魔くさく、うっとおしい状態でした。




最近旨いと思うもの

2007年07月25日 | ジャカルタ通信
これが最近の夕食で、1週間に3~4日は食べてます。

今の住まいにはキッチンがないため、ナイフ一つで調理できる唯一の料理なのです。

中はレタス+キュウリ+トマト+セロリ+パプリカ+チーズのかけらで時々ツナをのせます。

ジムでタップリと汗を流した後、冷たいビールにこのドンブリサラダは最高です。


使ってるドレッシングはKRAFTの「イタリアン」とキューピーの「きざみたまねぎ」
この「きざみたまねぎ」は私のお気に入りです。

一足お先の義務と権利行使

2007年07月25日 | ジャカルタ通信

在ジャカルタ日本国総領事館にて、第21回参議院選挙の投票を済ませました。
海外での投票は初めてで、どんなものかと興味津々で行って来ました。
ジャカルタでは大使館に併設している総領事館の大広間が投票所になっており、中には3名の係員がいて懇切丁寧に対応してくれました。投票に来る人もチラホラといったかんじなので、暇だったのでしょうか・・・。

まずは、身分証明書と在外選挙認証を確認してから、投票用紙を該当する地域の選挙管理委員会へ送付するための封筒に宛先を書いた後に、選挙区と比例区の投票用紙とそれを入れる各々の小さな封筒と更にそれを入れる大きな封筒を渡されます。
その後、ブースにて投票用紙に書き入れ二重の封で密閉したものを係員に渡すと、立会人がそれを確認し署名して終わりです。

記念に写真を撮っていいかと聞いたら、流石に写真撮影は禁止ですと、断られてしまい、そんな訳で投票所の入り口の写真だけ撮ってきました。

まあ、日本の事だから間違いなく選挙管理委員会に届くのでしょうが、どういう方法がとられるのかは定かではありません。日本全国の選挙管理委員会に届けるのだから、郵便物扱いとしてなのでしょう。

と、いうことで最近のお粗末で情けない日本の三流政治にNO!の一票を投じたのであります。

知る人ぞ知るダルマワンサホテルで

2007年07月16日 | ジャカルタ通信
ジャカルタという街は観光都市ではないためか、ガイドブックの類が少なくマスコミにも取り上げられないような穴場というか、思いも寄らない所がある。市内にはそれなりに有名なホテルが多くあるが、先日招待された結婚披露パーティー会場がここである。
ホテルの名前は『ザ・ダルマワンサ』
南ジャカルタの高級住宅街の一角にあり、低層のため近くを通っても、ホテルだとは気がつかず、外観はどこか中東の国の大使館か超高級レジデンスといった雰囲気。
建物に入ってもホテルの一般常識とはかけ離れた作りで、コンセプトとしてはNHKの朝の連続ドラマ『ドンと晴れ』に出てくる、老舗旅館といったところだろうか。
ここのインテリアはインドネシア人のジャヤ・イブラヒムがデザインしたとの事。
なんでも、アマンジオやバリのレギャンも手がけたデザイナーのようです。


新郎新婦と


日本で懐かしがる人のために、チョット載せました。

ジダンがアジアカップに・・・

2007年07月16日 | ジャカルタ通信
アジアカップが始まりましたが、日本はベトナムでカタールとの初戦をドローで終わり、暗雲立ち込める状況でしたがUAEに勝利し、何とか決勝リーグ進出してくれるでしょう。
ファイナルがジャカルタで行われることもあり、日本の可能性に期待してこちらではかなり盛り上がっています。


そんな中、あのジダンがジャカルタにやってきました。実は、某フランス系の乳製品をつくる工場の除幕式に宣伝の意味で招かれたのです。
この工場は着工がかなり遅れたのですが、ジダンが来るスケジュールだけが先行して決定されたため、それに合わせるべく超突貫工事を余儀なくされたのです。

で、で、でかい!

2007年07月06日 | ジャカルタ通信
ジャカルタにあるスナヤン・シーフードで巨大なロブスターを堪能しました。

こんな馬鹿でかいのは、今までに見たことの無い大きさ。
こんなに大きかったら大味なのだろうと、思いきや、結構しこしこと久しぶりのロブスターの刺身をいただきました。
頭の部分は、後でお粥の出汁になり、これもなかなかの美味しさで、今まで馬鹿にしていたインドネシアのシーフードですが、認識を新たにした次第です。

メナド ブナケン島へ

2007年05月22日 | ジャカルタ通信
インドネシアのスラウェシ島の北端に位置するメナド(マナド)は1600mといわれるドロップオフで有名なダイビングポイント。
スラウェシはオランダ領時代はセレベスと称していたようで、インドネシアではオランダ領時代の呼び名を変更した地名が多い。ジャカルタも以前はヴァタビアといっていた。

今回は4連休を利用してメナドの沖合いに浮かぶ国立公園内のブナケン島まで行ってきました。ジャカルタから南スラウェシのマッカサル(旧名ウジュンパンダン)経由で約4時間半のフライトでメナドへ。飛行場から車で30分の港から更に30分のボートで目的地のブナケン チャチャ ネイチャー リゾートへたどり着いた。


ここは2年ほど前に「ポカポカ地球家族」?というテレビ番組でも紹介されたダイビングリゾートでオーナーはイギリス人の旦那とと日本人の奥さんというとても家族的な雰囲気のあるところだ。また、スタッフも皆フレンドリーで心地よい。
4連休とはいっても移動に時間がかかるため、中2日のダイビングで精々6本が限度と思っていたが、ラッキーなことに到着した当日、午後のダイビングに間に合い、翌日はナイトもやって合計8本も潜ることが出来て大満足。

ここにはJunkoさんという日本人インストラクターもいて、日本人客も多いようだが、今回はカリマンタンに駐在しているという若いフランス人家族の団体さんやカリフォルニアから来たというアメリカ人夫婦と、とても国際的な雰囲気の中でのダイビングでした。

以下の写真はブナケンで出会ったサカナ達。


多分ゴンベの仲間?


多分何とかハコフグの後ろ姿


ヒレボシミノカサゴ?


?エビ


アオウミガメ?


ハタタテハゼ?

未開地プロジェクト(その3)

2007年05月11日 | ジャカルタ通信
打合せしている担当者がオランダ人のコンサルで、毎週のようにオランダとインドネシアを往復しているタフなヤツだ。

このプロジェクトは企画段階で、建築主から全権委任されているこのコンサルが企画書を纏めるのに必要な建築部分の仕事を依頼したもので、まだまだ実現するかどうか怪しいところである。

先日、約束の期日で基本的な計画と予算目論見書を提出して一段落。

写真はスタッフに作らせた模型で日本のような模型材料も無く、いま二つぐらいの出来だが、建築主にはとても喜ばれました。