シンガポール・マラソン

2008年09月02日 | ジャカルタ通信
ジャカルタヘ来てからは、もっぱら室内ジムのランニングマシンの上をNike+iPodで走るだけで、たまには屋外で走りたいと常々思っていました。
ジャカルタでは市民マラソン大会などが開催されている話もなく、また普段は道路上を走ることなど、とてもできる環境ではありません。


先日、知合いから12月にシンガポール・マラソンがあるという話を聞き、早速ネットで調べたらかなり大きな大会のようで、2002年からスタートし最初は6,300人の参加で、昨年は40,000人が参加し、その内2,500人は海外からと書いてありました。
http://www.singaporemarathon.com/en/

ということで、早速申し込み手続きをしてしまった。

今までは10kmしか走ったことがないのだが、飛行機代まで出して行くのでハーフマラソンに挑戦することにした。
バンコク時代には20回ほど市民マラソンに参加していたが、全て10kmでハーフは未体験。果たして、どうなることやら。

最後に走ったのは浦安のベイシティーマラソンで今回は約3年ぶりとなる。
いまからワクワクしてます。

危機一髪

2008年08月20日 | ジャカルタ通信
インドネシアは8月17日が独立記念日。

この日が金~月にあたると3連休になる。今年は17日が日曜日だったため18日の月曜日が振替休日で3連休。

金曜夜8時の便でバリ島へ着いたのがバリ島時間の11時ちょっと前。いつものように迎えにきてもらい、一路チャンディダサへ。

夜も更けて交通量も少なく、チャンディダサまで後少しというところで車のライト前方に、なな何と一本の椰子の木が道を塞いでいて急ブレーキ。ヒロさん曰く『時々、わざと道を塞いで山賊が出てくることがある。車から出ないで!』と。一瞬、まさかと思ったが、ここはインドネシア。


チャンディダサへ通じる道は一本だけ。とても動かせるものではない。そうこう思案しているとオートバイが来て、一緒に動かすなり助けてくれると思いきや、オートバイを持ち上げて行ってしまうではないか。
まだ、それなりに交通量があると思っていたら、数分のちに数台の車が。十数人で椰子の木を何とか動かして、通ることが出来ました。

今回はマンボウ狙いでしたが、残念ながら姿を見せてはくれませんでした。多少、深場で潜ったせいか「Deco」が出てしまいまった。
どうも、私のダイコンの感度が良すぎる。

酷暑の上海

2008年07月27日 | ジャカルタ通信
初めて上海へ!
ジャカルタから直行便もあるがSQでシンガポール経由。11時20分にスカルノハッタ空港を出発して、上海浦東空港に到着したのは22時30分頃。




この空港は最近、第2ターミナルもオープンしアジアでも有数なハブ空港である。2010年の上海万博に向け準備しているのだろうが、中身はこれからといった感じである。この空港はドゴール空港をデザインしたポール・アンドルーの設計で滑らかな曲線の大屋根がシンプルで美しい。
出入国は非常にスムーズ。カウンターには担当官の応対についてアンケートを4段階で評価するボタンが設置されていて、国を挙げてイメージアップを計っているといった印象である。

空港を出るとムッとする気温でジャカルタの気温よりはるかに高い。最近は異常気象との事で、冬は何十年ぶりという降雪でかなり被害が出て、夏はこの暑さである。街中では上半身裸で都会の中を歩いている人が多く、This is China!
街中は超高層ビルが林立し、そこら中で工事中。ドバイほどではないが、あまりに急激な変化とマネーの集中はいただけない。

市内を車で移動中信号で止まっている時に、カラコロという音でふと横を見ると結構いい車の側にはペットボトルが・・。運転している若い中国人女性は煙草をふかしながら携帯電話。That's China!

今そこにある危機

2008年05月03日 | ジャカルタ通信
「今そこにある危機」とは何か。人それぞれ色んな危機を想像するだろう。
テロか、地球温暖化か、巨大地震か、核か、メタボか、新型インフルエンザのパンデミックか。

最近になって現実味を帯びてきたのが、新型インフルエンザのパンデミックだ。

現在はフェーズ3の段階で鳥から人へ感染している状況で、専門家などはウィルスがいつ突然変異してバンデミックを引き起こしてもおかしくない状況だと発言している。
日本政府も4月9日に、「新型インフルエンザ発生初期の水際対策や対処要領」などについて発表した。

こうした中、私が暮らしているインドネシアは封じ込みに失敗して鳥インフルエンザに感染して死亡している人が一番多い国なのである。
WHOが公表している統計では現在、感染者数が133名で死亡者数は108名ということになっている。
統計でみると一番多いのがジャカルタ近郊で、これはどうみてもおかしい。
鳥を放し飼いで飼っている人たちは圧倒的にジャカルタ近郊以外の田舎の方が多いはずで、ジャカルタ近郊が多いのは単純に検査機関や情報が正確な都市部だからで、実際のところはかなりの数の感染者と死亡者がいるはずだ、と推測する人が多い。

先の日本政府の発表ではプレバンデミックでは海外在留邦人未感染者の早期帰国を積極的に促すと同時に感染者は帰国させないことになってる。

フェーズ4以降になると民間の定期便も運行停止になり、帰るに帰れない状況が想像されインドネシア国内での篭城を余儀なくされる。

ということで、最近はいかに篭城するかというのが現実的な話になっている。

  インターネット上では色々と情報が入手できるが、現地から情報を発信している『Berita Flu Burung (インドネシア 鳥インフルエンザ情報) 』<http://beritafluburung.blogspot.com/>がかなり正確だと思う。

アン・ビリーバブル

2008年03月27日 | ジャカルタ通信
  


航空機利用でのトラブルはよくある話だが、今回経験したことは本当に信じられない事だった。

週明けからの大事な打合わせを控えていたのだが、4連休を利用して6年ぶりのプーケットへ。
ジャカルタからプーケットは直行便がなく、シンガポール経由でのトランジットとなる。JKT⇔SINがシンガポール航空、SIN⇔HKTがシルクエアーで、行きは遅れる事も無く乗り継ぎもズムーズで、期待に胸を弾ませ久しぶりのアンダマン海でのダイビング。
しかし、初日から不運の兆しか。船がエンジントラブルで、結局楽しみにしていたシュミランへは辿り着けず。でも、ボン島で2本潜り、翌日は高速船でリチェリューへ。ボン島でのマンタも、リチェリューでのジンベイにも出会えなかったが、久しぶりにediveの面々とも会う事が出来、一応満足して岐路へ。

しかし、ここからが悪夢の始まりだった。夕方5時50分初のシルクエアーに乗る為に、定刻どおり2時間前にチェックインを済ませ、ほぼ定刻でのボーディングで機内へ。出発時間になり飛行機はドアも閉まり離陸に向けて動き出した。ところが、離陸直前にパイロットからのアナウンスで、エンジントラブルのため、一旦戻り故障を直すとの事。
その後、待てど暮らせど動く気配もなく1時間が経ち、機長から後10分程で終わるとのアナウンス。そして、30分が経過して、またアナウンスの繰り返しで、結局4時間程、機内に缶詰にされて、最後は直る見込みがないとのことで、明日のフライトとなったのだ。
その晩はプーケットタウンのシティーホテルへ連れて行かれ、インフォメーションは翌日との事で、取り合えず就寝。

そして、その後信じられないことに・・・。

明朝の朝、ドアの下にレターが・・。
当然、翌日の午前中の便で午後には戻れるのだろうと思って、読んでみると午後2時のフライトでシンガポール発は夕刻の6時50で、12時半にホテルをピックアップとの事。まあ、しょうがないと諦めて、昼過ぎに荷物を纏めて、ロビーへ下りるとスタッフが慌ててやってきて、何かいい訳めいた話を!『ん?もしかして・・』案の定、午後の2時のフライト予定が夕方になると言い出すではないか。ということは、夕刻発のジャカルタ行きには乗れないことになる。そして、シンガポールからの便は更に翌日だという始末。あっけにとられて、しばし茫然自失。
交渉するも取れている便はそれしかなく、後は全てウェイティングとのことで、さんざ交渉するも埒が明かず、結局納得するしかない結果でした。

ということで、ホテルでもう一泊。

結局、ジャカルタへは日曜の予定から火曜日で、まるまる2日間を無駄にしてしまいました。

シルクエアーに損害賠償できるものだろうか・・・!


なんだか、楽しかったダイビングにけちがついてしまいましたが、アンダマン海のレアものをどうぞ。

ウミウサギガイ

タイガーテイルシーホース

ハナミノカサゴの幼魚

ダイビング・ブログ(2008年2月7~9日)

2008年02月12日 | ジャカルタ通信
今年のインドネシアでは木曜日が祝日の時に金曜日を一斉休日として4連休にすることを国が決め、先週末がそれにあたっていた。この連休に合わせて年初からダイビング行きを計画していたのだが、どういう訳か休みに入る2日前に急遽、取り消しの決定が公布されるという前代未聞の事態が発生。
スタッフも連休を当て込んでいて、前の日にドタバタと休暇届が届く始末。かく言う私もご多分に漏れず。そんな事言われたって、今さら何かいわんや。という訳で、4回目のバリ島ダイビングに行ってきました。
流石にバリ島も雨期とあって、コンディションはいまいちでしたが、まあ定番ではあるけれどそこそこ楽しめる被写体に出会ってきました。
実は今回の初日が記念すべき200本目のダイビング。先頭の写真は初日のアメッド・ライトウォールでのナポレオンフィッシュ。今まで、何回か出会っていたが200本目を記念するかのように、ゆったりとした勇姿を見せてくれました。




これも定番のトランベン・リバティーレックのギンガメ鰺で、今回はかなり浅瀬で潜ると同時の出現でした。


これまた定番のクダゴンベ。


これもゴンベの一種で、サラサゴンベ、何ともとぼけた顔がたまらない好きな魚のひとつ。


擬態のうまい何とかカサゴ。


マクロでは有名なパタンバイ・ブルーラグーンのオランウータンクラブ。


これも同じポイントのピンクスクワットロブスター。生息している珊瑚の色に溶け込んでいて、判りにくいがとても奇麗なマクロの王者2匹。


これもマクロでイソギンチャクに寄生している体長1cmほどのカニ。名前はマルガザミ。





最後はハダカハオコゼ3種。紫、白、茶とこれも私の好きな魚のひとつ。この魚、潮の流れに身をまかせ、ユラーリ、ユラリととても生きてる生物には思えない。

ダイビングでは魚たち以上に楽しいのが、色々な人たちとの出会いがある。
今回はダイビングは一緒にできなかったが、65歳からダイビングを初め御歳70?歳という兼ねてから噂のK氏。
バリ島20回目というバリオタクでヤクザ商売のN氏。
今回で2回目に出会う、これまたバリ島フリークのスパー関西人のT嬢?。
横浜から来た自称典型的なB型人間というF嬢?。
同じく横浜から来たとても素直そうなK娘。
そして、最後に登場したT嬢の友人でフィットネスS嬢。

3日間の滞在だったが、とても充実して楽しめたダイビングでした。
皆さんありがとうございました。又の出会いを祈念しております。

そして、最後にいつも変わらぬストレスを感じさせぬダイビングを提供してくれるDive Liteのヒロさん。
ありがとうございました。

自宅大公開

2008年02月03日 | ジャカルタ通信
ジャカルタに住んで約2年弱。

最初に住んでいた家は元銀行の頭取が一軒家として住んでいたのを買取り、改造して寮としていたもので20年以上が過ぎていてかなり老朽化が進んでいた。古い家というのは昔から、座敷童やら色々な霊が取り憑いてるような話があるものだが、この家もご多分にもれず噂話が囁かれていた。霊感の強い人間にはかなり感じる事もあるらしく、恐くて住めないと逃げ出した人間もいた。そんな訳で、昨年建替えが始まり今年になって約2か月遅れで竣工し、1週間程前から住み始めた。

インドネシアに限らず、東南アジアの住居は暑さ対策のためだいたい窓が小さく、薄暗くなんとなくじめじめしたものが多いのだが、この建物は大きく開口部を取り開放的で明るくモダンなデザインとした。そのため、ジャカルタの住宅街の中ではかなり際立った印象の建物となっている。



個室住居部分でガラススクリーンの後ろがベット。


ベッド側から見たところで、この写真は1階の個室で一部居住者の要望から2帖ほどの畳床がある。


一応、キッチンもあり2年弱の非常食生活から抜け出す事ができた。


バスルーム


共用部のリビング


共用部の食堂で、実はこの寮では基本的に希望すれば朝夕の食事はメイドさんが作ってくれる。私は料理するのも好きな為、いまのところ朝食だけここで食べることにしている。

ということで、今年からかなり快適な住環境で暮らし始めました。でも、竣工して直ぐに入居したためシックハウス症候群になりそう。日本じゃ許可にならないかも・・・。

My Log 2007

2007年12月26日 | ジャカルタ通信
【Diving】

■本数   :31本(10年で合計199本)
■ポイント :バリ島、スンダ海峡、ブナケン(マナド)
        プラウスリブ

 *200本記念の年内達成を目論んでいたが叶わず。

【Golf】

■ラウンド数:58ラウンド
■平均   :97.1
■ワースト :110
■ベスト  :86

 *10年前の平均と変わらず、進歩なし。
   来年は平均95を目指す。

【Run】6月からのNike+iPod

■回数   :60ラン
■距離   :560km
■時間   :64.39時間
■カロリー :42,497カロリー

 *半年の記録だが約3日に1回のペース。
   体重も76kgから73kgに減量。
   来年の目標は120ラン、1200km、体重70kg


レスキュー・ダイバーとエマージェンシー・ファースト・レスポンス

2007年11月26日 | ジャカルタ通信
ダイビング始めて10年になる。1997年にNAUIでオープン・ウォーターとアドバンスを最初に取得した後、もっぱらリゾートでのお任せファンダイブのみを楽しんできたのだが、リゾートでのダイビングとなるとある程度の長期休暇がないとそう行けるものではない。ジャカルタ沖合いにあるプラウスリブなら日帰りでも楽しめると聞いていたので、ジャカルタにあるダイビング・ショップをインターネットで探し、主催者の海龍氏のブログなどを読んでいたのだが、ちょっとリゾートのショップとは違った印象をもっていた。そして、半年程前にSea Dragonの門を叩いたのである。インストラクターの海龍氏は多彩な経歴の持ち主で、得体の知れない所があるが、ことダイビングに関しては妥協を許さぬ厳しさをもっている。

彼のところではアドベンチャー的なダイビングが多く、何回か参加した中で、水中というある意味では極限的な環境であるが故、自分の命を他人任せにはできないということを再認識し、レスキューへの挑戦を決めた次第である。レスキューの資格とはいっても2日間の講義と2日間の海洋実習で、この資格を取ったからといって、消防や海保のレスキュー隊のような本格的なことができる訳では勿論ないが、パニックに陥るメカニズムや万一の時の救助や緊急対応を勉強する事は、自分自身への危険回避の役に立つ事だろう。




海洋実習はかなりハードだとは聞いていたのだが、実際のところ本当に疲れた。今回の実習には3名が参加したのだが、私を含め年配が多かったため海竜氏曰く、いつもよりは軽めだったとの事。
色々なシチュエーションでの訓練をおこなったが、最後は実際に水中で意識のなくなったダイバーを救助するというもので、二人で助けにいくというシュミレーションだったが、救助者を海面で曳航しながら人工呼吸をしたり、もう一人は補助者として救助者のウェイトやマスクなど回収していく作業なども思った以上に大変な作業だった。
実習ではなかなか思うようにはいかず、何回となくミスを指摘されたが、筆記試験も最低限の点数で何とかPADIのレスキュー・ダイバーとEFRの資格を取得することができた。と、言っていいんですよね!海龍師匠!

話は余談だが、前の晩の食い物が悪かったのか夜中に吐き気を催し、しこたま嘔吐を繰り返し、最悪のコンディションで参加したのだった。朝から食欲も無く、胃の中は空っぽの状態で、初日の午前中最後の訓練終了時に、また吐き気を催し、海面で嘔吐。出て来た物は胃液のみで、海面には驚く程色鮮やかな蛍光色の黄色い液体が・・・。胃液がこんなにきれいな色をしているとは思いませんでした。(もしかしたら、化学反応を起こしてるのかも・・。)

レバラン休暇

2007年11月02日 | ジャカルタ通信
暫く、ブログをUPするのをサボっていたが、10月12日からのレバラン休暇での旅行記を書くことにします。

昨年はバリ島だけだったが、今年はバリ島からバンコク経由でジャカルタへ戻ってきました。前回泊まったウブドのワカ・ナムヤが気にいったので、同じグループのサヌールにあるワカ・マヤリゾートというビラでのんびりと過ごしました。ここの謳い文句は『隠れ家的リゾート』というふれこみだけあって、かなり奥まったところにあり、まさに隠れ家的雰囲気の漂うリゾートです。泊まったのがガーデン付きビラで結構広い庭があり、リゾート施設というより個人の別荘といった感じ。

   





サヌールはバリ島では老舗のリゾートエリアで、クタやレギャンっといった騒々しい雰囲気は無く、落ち着いたアダルトリゾートです。また、ワカ・マヤリゾートの周りには個人の別荘も多く、洒落た建物が多く見受けられ、欧米人の別荘も多いらしい。

  


中日にはサヌールでダイビングショップを今年からオープンした若い日本人夫妻に、一日案内してもらい、一味違った観光を楽しませてもらいました。
  


バンコクでの滞在はチャオプラヤ川沿いに最近オープンしたミレニアムヒルトン。ここはBTSのサパンタクシン駅からホテルまで20分間隔で渡し舟が往復していて、バンコクでの観光気分を盛り上げてくれる。低層階屋上にあるプールからは眼下にチャオプラヤ川を見下ろせ、一風変わった都会でのリゾート気分を味あわせてくれる。ミレニアムヒルトンはインターネットで先払い予約するとかなり割安です。