セコニック スタジオデラックス L-398
セコニックの露出計のスタンダードとして、数多くのカメラマンが愛用するL-398Aの初期モデル
1976年発売 セレン式で電池不要の入射光式露出計
入射光式露出計は、被写体に当たる光を測定して露出を決めるので、
被写体の反射率や背景の明るさに影響されない標準露出が得られる。
しかし、被写体の側での測定が基本になるので、少し離れた場所だとそれだけが煩わしい。
写真を撮るには光のことをよく理解していないと、思い描く表現とはかけ離れたもの仕上がってしまう。
刻々と変わる光の中、絞りを変えながら何枚も同じシーンを撮ってみたり・・・
「光を読み、操る力」があれば、求める表現に最適な光の演出が出来るわけだが、
絶対音感ならぬ、絶対光感を体内に持っておけば、その自分の中の基準から±補正して、
自分の思い描く適正露出を導き出していけるのだと思う。
写真が上手いと言われる人たちは、それが体内にある人なのではないだろうか!?
それは、どれだけ色んなシーンを上手く表現出来るかと、試行錯誤して得た経験値に等しいのでしょう。
経験値=レリーズしてきた枚数、そこから得られた膨大なデータベースが頭の中にあり、
それがグラフ化されていて、直面しているシーンに最適な露出が、
グラフのこのあたりと感覚的に設定できてしまうのではないだろうか!?
なので、プロと言われる人たちは、自分が導き出した適正露出の確認ために、
単体露出計を使っているのではないのだろうかと、勝手に思ってみたり・・・
私にはそのような膨大なデータもないし経験値からグラフ化も出来ない。
なので、この露出計を使い光を数値化することにより、その数値から光感を鍛え
曲がりなりにも光を操れるよになれれば良いかな。
それと「シーンを切り取る力」が重要ですね。
絶妙な光加減の写真でも構図やアングルがしっかりしていないと、何を表現したいのか解らなくなってしまう。
見えている世界からその一部を切り取ることにより、新しい世界が生まれるわけです。
その新しい世界は、その一瞬でしかない。
その一瞬という世界の時間を止めてしまうわけです。
止めてしまった世界には戻れないし、やり直しがきかない。
最高の一瞬を切り取る、その思いを込めてレリーズされた1枚1枚の中の世界は、
たとえ気に入らなかったとしても、時間が経つことによりどれも最高に見えたりする。
それは最高の連続の中では、どれかが浮き出ることがないから気が付かないだけだ。
光・シーン・時間
これを意識することによって、更に表現力が高まるのではないだろうか!?
カメラを持ったものは皆、表現者なのだから・・・
=へばまんだのぉ~=
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