入籍する前に、偶然機会が得られたので伯母3人に婚約者(ダンナ)を紹介した。
いろいろと、ひとしきり聞かれた後、「仕事は続けるの?」と聞かれた。
続けると答えたら、「そうよね、何もしないで家で待ってたって、つまんないものね」
と言われた。
何気ない言葉だと思うが、やりとりが妙に心にひっかかってしまって、忘れられない。
何もしないで家で待っている?
そんなことってあるだろうか。洗濯、掃除、料理、育児…どれひとつとっても、きちんとやろうとしたら大変なのに。
伯母たちは、子供の頃から家業とそれらをやらされてきて、結婚してからも当然のように主婦業をやらされてきたはず。
そんな人たちが、家事は「何かやっている」もののうちには入れていないのだ。
いや、こうして書いているうちに思ったが、彼女たちのうち二人は商売をしている家へ嫁いでいる。もしかすると、家事を主としてやりながらも、商売を手伝うこともしていたからこその発言かもしれない。
それにしても、「仕事は続けるの?」と他のおおくの人から言われた。
しかも、私も今まで友人知人が結婚するときに言ってきた。
今回それを聞かれる立場になって、本当に妙な気分だった。
それぐらい、女にとって「結婚と仕事」は、大きな問題なのだと思う。
私は別にすごい仕事をしているわけではないし、稼げるひとでもない。
ワーカホリックになれるほど体も心も精神も強くない。
家事やおしゃれを要領よくこなせるような器用さももっていない。
それでも、仕事はしたい。
人間関係で悩んでも、通勤が大変でも、長い時間拘束されても
いわゆる「社会」とか「ビジネスの世界」の中で、立ち居振る舞う感覚を忘れたくないから。ブランクを空けるのが怖いからだ。
ではなぜそんなに、「ビジネスの世界」に執着するのか。
やはり、「やりがい」という言葉に行き着くのだと思う。言い換えれば「自分のお給料として目に見えるかたちで成果が得られるから」だと思う。
さらに私自身のことに限って言えば、文書を読み書きして考え、情報を伝えることが、(いまはスランプだけど)好きだから。家事も好きだけど、家事よりも好きだから。
結婚してよかった。結婚してよかった。ダンナのことは愛してる。愛してる。大好きだ。
それでも、女としての自分の生を思い悩まずにはいられない。
いろいろと、ひとしきり聞かれた後、「仕事は続けるの?」と聞かれた。
続けると答えたら、「そうよね、何もしないで家で待ってたって、つまんないものね」
と言われた。
何気ない言葉だと思うが、やりとりが妙に心にひっかかってしまって、忘れられない。
何もしないで家で待っている?
そんなことってあるだろうか。洗濯、掃除、料理、育児…どれひとつとっても、きちんとやろうとしたら大変なのに。
伯母たちは、子供の頃から家業とそれらをやらされてきて、結婚してからも当然のように主婦業をやらされてきたはず。
そんな人たちが、家事は「何かやっている」もののうちには入れていないのだ。
いや、こうして書いているうちに思ったが、彼女たちのうち二人は商売をしている家へ嫁いでいる。もしかすると、家事を主としてやりながらも、商売を手伝うこともしていたからこその発言かもしれない。
それにしても、「仕事は続けるの?」と他のおおくの人から言われた。
しかも、私も今まで友人知人が結婚するときに言ってきた。
今回それを聞かれる立場になって、本当に妙な気分だった。
それぐらい、女にとって「結婚と仕事」は、大きな問題なのだと思う。
私は別にすごい仕事をしているわけではないし、稼げるひとでもない。
ワーカホリックになれるほど体も心も精神も強くない。
家事やおしゃれを要領よくこなせるような器用さももっていない。
それでも、仕事はしたい。
人間関係で悩んでも、通勤が大変でも、長い時間拘束されても
いわゆる「社会」とか「ビジネスの世界」の中で、立ち居振る舞う感覚を忘れたくないから。ブランクを空けるのが怖いからだ。
ではなぜそんなに、「ビジネスの世界」に執着するのか。
やはり、「やりがい」という言葉に行き着くのだと思う。言い換えれば「自分のお給料として目に見えるかたちで成果が得られるから」だと思う。
さらに私自身のことに限って言えば、文書を読み書きして考え、情報を伝えることが、(いまはスランプだけど)好きだから。家事も好きだけど、家事よりも好きだから。
結婚してよかった。結婚してよかった。ダンナのことは愛してる。愛してる。大好きだ。
それでも、女としての自分の生を思い悩まずにはいられない。
という一言を、こんなにも受け止めるチョコさん。一緒になって受け止めてみようとして、おれも、その深みに足を取られた気分です。
どうして、こんなに重たいのか。と、おれは自問するのですが…。ここには、個人やアイデンティティーを越えた「女性」性、いわゆるジェンダーの問題が横たわっているからではないかと…。
一時代前、というと'90年代、いやもっと前からかな。「個性」や「アイデンティティー」、「差異」などの言葉が超流行しました。君とおれは違うんだし、その間にある相互理解には根本的な不可能が存在しているのだ、とか…。
この女性の「仕事」問題も、カレとチョコさんにしかありえない独特の形で、解法を模索できるはずです。おれは、それを望んでもいます。
他方、おれたちは「一般ピープル」、一般消費者、畜群でもあるんですよね。この効率社会に生きなければならない畜群としての状況、という前提条件づけがある。
どんなに協力しあっても、どんなに天才的なアイデアを捻出しても、おれたちに無矛盾はありえないだろう。
そこまで含めてカレとよく話し合い、協力しあっていく途上に、現代的な男女関係がある。としか、いまは考えられません。
あきらめないで! あせらないで!
こんなにも考えさせてくれたチョコさんに、感謝。
私はただ重苦しい文を書いただけですよ~
むしろ、こんな重苦しくて硬い記事を何度も読んで考えていただけたなんて、大感謝です。
しかも、こんなに心のこもったコメントをいただけて、本当にありがとうございます。
そうですね、ジェンダーの問題が関係することは、提起する方はそれほどに思ってなくても男性が読まれると、なんというか、対処に戸惑われると思います。
しかしまた、私はそういうハナシが好きみたいで。。
彼(ダンナ)にも、よくそんなハナシをしてたんですけども、実際ほんとに結婚してみて感じるものは、予想とは違った鮮やかな深刻さをもってまして…w
何を言ってんだかわからなくなっちゃいました(笑)
えと、ダンナとふたり、解法を模索しようと思います。
>他方、おれたちは「一般ピープル」、一般消費者、畜群でもあるんですよね。この効率社会に生きなければならない畜群としての状況、という前提条件づけがある。
ほんと、これはそう思います。
それもちゃんと考えに入れて協力しあっていく。そうですね。たしかにそれが現代的ですね。
しばらくこのテの記事が続くと思いますが、本人はけっこう楽しくやってますので、気楽にどうぞひとつ(w)よろしくお願いします。