地図のない街

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いまさらですが 障がいってなに?

2012年12月29日 16時08分46秒 | 雑記
障がい…障害者。
この定義が最近よくわからなくなってきました。

わたしの感覚では、『日常生活に支障をきたす問題を抱える人』が障害を持つ人。
でも、この、『日常生活に支障をきたす問題』が一人でクリアできるならば、
障がい…障害者とは言えないのかな? と思うときもあります。

ふつうに、働いていて、私生活でも何ら問題ない人、そんな人いるのだろうか?

人には趣味と言っても、パチンコに没頭したり、毎晩晩酌をしないと気がすまない。
問題にはならない、病気ではないと言われれば、そうですかと引き下がるしかない。

上の二点は例えだけれども、
本人の自覚と、周りの認識の違いってかなり大きいと最近思うのです。
病気ではないはずの人と話しているときに、会話が成り立っているようで、
ちぐはぐの内容をお互い受け止めあっていたことがあります。

わたしの症状の一つかと思ったのですが、
ほかの人も「あの人と意思疎通するのは難しい」と言います。

なにかに、寄りかからないと意思決定ができない人。
信じてるなにかや人、ネット過信。
これは人任せですよね。
自分が存在しない。

コミュニケーション障害なる言葉も出てきました。
過度ならば障がいなのかもしれませんが、
コミュニケーションなんていつでも、だれでも課題になるものではないでしょうか?

以上は、障害に近いものや中毒性のあるものに限定した話でした。
それ以外にも、まだまだ『問題』はあると思うのです。

一例として。
今年、ニュースで大きく取り上げられた、いじめ。
加害者も、被害者も、それを取り巻く人々、さらにはマスコミとネットでの取り上げ方。
一つのことから、歯止めのかからない負のスパイラルがかかったように見えました。
個々が自分に置き換えることのできないそんな人が増えたように感じました。
そんな人々も『問題』を抱えてるのではないでしょうか。

障がいと一言で言いきれないのが現状ではないでしょうか?
もしくは、障がいという言葉を置き換える時期に来てるのかもしれません。

追記、まとめとして。
一人一人が、日常で何らかしらの課題・問題を抱えてる中で……
障がいという言葉にしばられることはされたくない。
障がいを持つことに卑下しないほうがいい。
障害者を見下すことも、してほしくない。

生きていくうえで、自分自身を確立するなか誰でも、
課題・問題は抱えているのだから。