「無限の住人」舞台挨拶、不死身なのは誰?の質問に木村拓哉「海老蔵!」と即答
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「無限の住人」舞台挨拶、不死身なのは誰?の質問に木村拓哉「海老蔵!」と即答
沙村広明原作の実写映画「無限の住人」の初日舞台挨拶が、本日4月29日に東京・丸の内ピカデリーで行われた。
舞台挨拶に登場したのは、万次役の木村拓哉、凜役の杉咲花、天津影久役の福士蒼汰、尸良役の市原隼人、乙橘槇絵役の戸田恵梨香、凶戴斗役の満島真之介、閑馬永空役の市川海老蔵、三池崇史監督の8名。
ステージにキャスト陣が登壇すると、会場内には大きな歓声が響き渡った。
主演の木村は、感慨深げな表情で観客席を見渡し「本日4月29日をもって『無限の住人』は客席の皆さんのものになります。どうか、かわいがってやってください」と挨拶。
続く杉咲は「たくさんの方々に見ていただきたいので、今日映画を観てよかったって思ってくださったら、大事な人や友達に教えていただければ」と語った。
映画のキャンペーンに参加するのが初となる海老蔵。木村との撮影時のエピソードを聞かれると、木村のアイデアによって万次を追い込むシーンで殺陣が増えたことを明かした。さらに「(木村)先輩から『これ温かいから』と缶コーヒーを渡されたことがあって。実際そこまで温かくなかったんですけど『温かいです』と言いました」と、ニヤリとしながら裏話も暴露。それを聞いた木村は「さっき裏で話してたまんま話すなよ!」と楽しそうに笑った。
また映画の公式Twitterで募集した質問から「不死身だと思うのは誰ですか?」という問いに、木村は「海老蔵!」と即答。「常識を備えつつ、これだけ自由な人はいない」と語ると、海老蔵は「ありがとうございます」と苦笑いする。
一方、杉咲は木村をあげ、「寒いときもコートを着ないし、撮影が終わって疲れているはずなのに、京都から東京への移動中も眠らないんです」と木村のストイックな一面を伝えた。
三池監督は「みんなすごい才能の持ち主で、監督としてはそこにいてもらって、演じてもらってそれを撮っている喜びがありました」と、個性的なキャスト陣との撮影を振り返りる。
そして「血がたくさん出る時代劇というと抵抗があるかもしれません。でもそれを乗り越えていただければ面白い世界がある。じっくり楽しんでください」と作品をアピールした。
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解散騒動で深手負うキムタクが見せた、本物のスターにしか使えない魔法
「この役を演じるのは、この人以外はありえない」というのは、映画監督がキャストについて語るときに取り立てて珍しい表現ではない。沙村広明の同名コミックを映画化した『無限の住人』に主演する木村拓哉について、監督の三池崇史がそうコメントしても、実際に作品を見るまではそれほど強く響かなかった。だが、三池の直感に間違いはなかったようだ。
逃れられない運命を正面から受けとめて生きていく。その覚悟が、不老不死の浪人・万次と20年以上トップを走り続けるスター、木村拓哉の共通点だ。
映画は凄絶な斬り合いで幕を開ける。サイレント映画の大傑作『雄呂血』のクライマックスを思い出させる迫力だ。正義と思った行動が裏目に出て、浪人に身をやつすという境遇も『雄呂血』の主人公と万次は似ている。もちろん、その後にたどる道は異なるし、決定的な違いは致命傷を負った万次が、現れた謎の老婆によって不死身の体となったこと。愛する妹を目の前で殺され、生きる意味を失った男は孤独のまま無限を生きる運命を背負わされる。年月が流れ、隻眼で顔も体も傷だらけの万次のもとに妹と瓜二つの少女・凛が訪ねてくる。無残に殺された父親の仇討ちの手助けを請われ、万次は凛とともにならず者が集う最強の剣客集団「逸刀流」に立ち向かう。
凛と万次の妹の2役を演じるのは杉咲花。父の仇を討つという強くまっすぐな思いを持つ少女と、ぶっきらぼうに振る舞いながら彼女を守り抜くと誓っている男の組み合わせは、リュック・ベッソン監督の『レオン』のようだ。全力で気持ちをぶつけてくる杉咲、それをしっかり受けて返す木村の相性は抜群で、このコンビの魅力が観客の心を鷲掴みにする。緊迫の中に微笑ましさや寂しさ、いたわしさといった多彩な面を持つ関係性だ。
2人の前には次々と強豪が現れる。演じるのは福士蒼汰、市原隼人、北村一輝、そして市川海老蔵といった過去の三池作品の主演俳優たち、さらに戸田恵梨香や栗山千明、田中泯なども登場する。主役級スター同士が斬り結ぶシーンには、妥協ないアクションと華があり、見ていて飽きない。「逸刀流」の若き統主・天津影久を演じる福士は、荷が重いのではという予想を裏切る堂々たる敵役ぶり。他のキャストもケレン味たっぷりに悪を魅せる。設定は江戸時代だが、登場人物の格好や名前、口調は時代も場所もよくわからない無国籍風。不思議とそれが気にならない。型無しではない、型破りなのだ。
三池作品では、いつもたくさんの人が死ぬ。殺される。彼の作品は常に、人を殺すという咎(とが)について向き合い続けてきたのではないだろうか。特に本作では、命を粗末にする者、命を尊ぶ者、両者の違いがくっきりと見えてくる。その差は愛なのかもしれない。愛ある者が人を斬る、その重さが意味するものを考えさせられる。「俺は誰を斬ればいいんだ」という万次が凛に問いかける言葉も印象深い。
木村にとって、映画の撮影時から公開までの1年余はキャリア上で大きな変化があったことは衆知だが、深手を負っても不死身と恐れられて生き続ける万次の孤独が、つらさが見えない/見せないスターの生き方に重なり、独特の効果をもたらしているようにも思える。それにしても、スターとはこういうものだと思わされる。おなじみの俺様っぽい“木村拓哉”印を見せつつも、“万次”として観客を物語に引き込んでいく。本物のスターにしか使えない魔法だ。
『無限の住人』は4月29日より公開中。
★・゜・。。・゜☆゜・。。・゜★
昨日の公開初日
海老蔵さんがサプライズ登場したりして楽しい舞台挨拶だったようです。
木村くんが海老蔵さんに「サスガっすねぇー」と言ったとか…
ちょー匂わせてます(笑)
今流行りの“匂わせ”ね
あは(*≧∀≦*)
まだ映画を観たわけではない。
しかし、気になり色々とネットをさまよいました。
劇場はほとんどが満員で…
意外と男性1人で観に来てる人が多かった
という話を目にした。
たぶん、原作ファンの方々が初日にさっそく観に来てくださったんだろうと。
その感想を聞きたい
ちとコワイけど(*_*)
スターが背負うモノ。
去年からの騒動で
色んなウワサに尾ひれがついてまわり
それがいつしか真実となり
世間一般の認識とされている。
彼らは何も核心部分を話していない
だから想像で 勝手に解釈し…
それが好きとなるか、嫌いとなるかは
大衆が決める。
私も勝手に解釈し
やっぱり好きという結論に至っている。
スターにはアンチが付き物だと思っている。
スターは目立つ 、気になる、
それがいいと感じる人もいれば、その逆もある。
スター故に気になるから、アンチもうまれる。
そもそもが気になる存在なんだ…
好きの反対は無関心
嫌いということは関心があるということ。
関心があるのはいいことだ
なんてね。
だから今のこの状況は
大スターの宿命なんだなと考える。
アンチに共感はできない。
好きになって欲しいと強制はしない。
その逆も、強制されるものではない。
好きになりなさいとなれるものでも無いのと一緒で
嫌いになりなさいと なれるものでもない。
ネットをさまよっていると、アンチエリアに迷いこむことがあるけれど
私はそっと去ることにしている。
たまに私のこの場所にアンチなコメントが届く。
しかし、私はそっと消す。
それは
ここが私の場所だから。
盲目になりすぎてはいけないと
ありがたく読ませていただき
そっと消す。
前に、
ファンとはそもそも勝手な生き物と書いた。
勝手に夢を見て、勝手に好きになり、
勝手に応援する。
それがファンの特権だ
なんて思っている。
ねっ?勝手でしょ?(#^.^#)
私にもなんか好きになれないなーというタレントさんがいる
そういう人は目にしないようにしている。
なんか好きになれないだけで“嫌い”ではないの
嫌いって
嫌い嫌いと言いながらなんか気になり 見ちゃう
ってことだと思うのね。
嫌いにエネルギーを使うより
私は“好き”にエネルギーを使いたい。
スターは大衆が決める。
好きと嫌いが共存する人こそ
大スターなのではないかと思っている。
スターにはその大衆の想いを背負う
覚悟がある。
お花畑Chiwawa