遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

台風近づき、故玩館大断捨離、風雲急をつげる

2022年09月19日 | 故玩館日記

大型の台風14号が近づいています。当地でも、風雨がだんだん強くなってきました。

 

中山道沿いに居を構えて300年、積もり積もった不要物の処理が私の使命です(実際のところ、ガラクタを増やしたのは私ですが(^^;)。

まず、今年の5月に、歌川広重『木曽街道五九次之内 みえじ』に描かれた竹藪を伐採しました。

広重の時代とほほ同じ形を保っていた竹藪ですが、水位の低下で繁殖がものすごく、もはや手に負えなくなり・・・

バッサリと伐りました(業者さんが(^^;)。まだ、根の掘り起こしと石垣造りが残っています。これは来年(^.^)

かなりすっきりとした趣きですが・・・

実は、中山道を挟んで向かい側に、使われなくなったオンボロ家が2棟立っているのです。

故玩館から見ても、いかにもむさ苦しい。空家なので、野生動物がわがもの顔で出入りします。

やむなく、解体することにしました。

4日ほど解体がすすんだところで、台風14号接近!

風が強くなってきました。作業途中なので、強風が吹いたらいろんなものがビュンビュンと飛んできそうです。

で、解体屋さんが急遽、不安定な部分を取り除くべく、突貫工事をしています。

私の方も、頭がいたい・・・・

前の家に残っていたガラクタ類を引き上げてきました。故玩館の玄関が塞がっています。

竹藪やボロ家処理の大物断捨離だけでなく、ガラクタの断捨離も待った無しの状態です(^^;

 

 

 

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九谷庄三銘『竹林賢人・牡丹図三足香炉』

2022年09月18日 | 古陶磁ー国焼

先回に引き続き、幕末ー明治期の香炉です。

 

 

 

横(把手含む) 13.6㎝、縦 10.3㎝、高(火屋含まず) 7.8㎝。幕末―明治。

九谷焼の香炉です。

赤絵で、非常に細かな絵付けがなされています。

竹林七賢人図だと思われます(七人そろって描かれていない図も多い)。

反対側は牡丹の花。

 

耳(把手)は獅子でしょう。

地は、青海波や幾何学模様で埋め尽くされています。

底には、「九谷庄三」の銘が書かれています。

九谷庄三(しょうざ)は、幕末に活躍した九谷焼の名工です。人気が高かったのでしょう、同じ名の品がたくさん作られました。結果、どれが本物の庄三の作か、素人では見分けがつきません(^^;   京焼の「仁清」のようです。

今回の品も、「庄三手」としておくのが賢明でしょう(^.^)

 

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薩摩焼『武者・羅漢図五足香炉』

2022年09月16日 | 古陶磁ー国焼

今回の品は、幕末―明治にかけて作られた薩摩焼の香炉です。

反対側:

 

 

横 14.5㎝、縦7.6㎝ 、口径 7.4㎝、底 7.2㎝、高 11.3㎝。幕末ー明治。

太鼓型の胴に五本の猫脚がついた香炉です。

白土の胎土に白化粧をし、その上に精細な絵付けがなされています。

武者合戦図と羅漢図が描かれています。

金で輪郭を描き、細部を色絵でビッシリと描きこんでいます。

反対側も精細図、多数の羅漢さんが描かれています。何かの一場面でしょうか、羅漢さんたちが、香炉を焚きながら掛軸を鑑賞しています。

両側の把手は、細かな龍の細工になっています(片方は、破損修理)。

この時代の薩摩焼は、精細な描写の絵付けとともに、細かな地模様が特徴的です。

今回の品では、青海波や幾何学模様が、色絵盛上げ技法で描かれています。多数の小さな点が、一つ一つ丁寧に色釉で打たれています。

今の我々の感覚からするとクドイですが、当時、このような日本の工芸品が、海外で人気を博しました。

この品は、ガラクタ類に目を向け始めた駆け出しの頃に入手した物です。右も左もわからないまま購入しました。結構なお値段でした。まだ、染付の良さはわからず、伊万里焼は敬遠、色絵の方がなじみやすかったからです。陶器と磁器の区別さえおぼつかないまま、外国人の眼で薩摩を眺めていたのかも知れませんね(^.^)

 

 

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肥高山富善銘釉下彩梅鳥紋飯茶碗(五客)

2022年09月14日 | 古陶磁ー国焼

今回は、明治に肥前で作られた飯茶碗、五客です。

 

径 1.8㎝、高台径 4.3㎝、高 8.2㎝。明治。

先回と同じような飯茶碗です。先回は山水紋でしたが、今回の品には梅花、草花、鳥が描かれています。

本体と蓋は、内、外共に、同じ絵付けです。

 

例によって、この品も、じっくりと眺めるのは初めてです。

染付で梅の幹と花を描き、ピンク、緑の色釉を使って上絵付をした・・・・とばかり思っていました。でも、よく見ると、すべて上釉の下にあります。釉下彩なのですね。この時代の先進技術を使ったのでしょう。特に、緑の線の鋭さと色の鮮やかさには驚きます。

対照的に、染付部分は少しボケています。鳥の飛び方もおぼつかない(^^;

 

 

内側の梅は、本体、蓋ともに、外側の梅枝の続きが描かれています。

今回の品の蓋表には、「肥高山富善製」と書かれています。

明治期、肥前では、新しい窯が続々誕生しました。中でも、富永源六が創始した源六焼が有名です。この窯は、明治21(1888)年、佐賀県嬉野市嬉野町で起こり、釉下彩の高級食器を生産して人気を博しました。

富永源六の弟、富永善九郎が作ったのが、「肥高山富善製」と銘がある今回の品です。はっきりとした製作年はわかりませんが、明治中頃だと思われます。伊万里の伝統を生かしながら、新しい時代にマッチした磁器を生産しようとした人たちの心意気が伝わって来るようです。

 

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函館焼?色絵山水奈良茶碗(五客)

2022年09月12日 | 古陶磁ー国焼

今回は、幕末期の奈良茶碗です。

径 10.3㎝、高台径 4.6㎝、高 8.8㎝。幕末期。

幕末に作られた色絵の茶碗です。

奈良茶碗は、飯茶碗の一種です。江戸時代、お茶をいれて炊いた奈良茶飯(粥)が流行し、それをよそう茶碗に付けられた名称です。普通の飯茶碗との違いは、はっきりしません。少し上手で、少し大振りの飯茶碗をそう呼ぶ事が多いように思われます。

今回の品が入っていた箱に「なら茶碗」と書いてあったので、タイトルにしました(^^;

本体、蓋の両方、内と外に、同じ絵が描かれています。

蓋部内側:

本体内側:

外側には、山水が雄大に描かれています。

なかなか味わい深い絵付けです。

金で書かれた詩文「柳枝経雨重松色带烟深」は、唐代の詩人、張謂の漢詩、郡南亭子宴の一節です。
亭子春城外 朱门向绿林。
柳枝経雨重 松色带烟深
漉酒迎山客 穿池集水禽。
白云常在眼 聊足慰人心。

文人趣味の茶碗ですね。

この品物には、角印が朱で書かれています。

調べてみると、似たような書印の器がありました。

函館八景紋盃(『土と炎の芸術〜ふるさとに息づく技と心〜』岐阜県博物館、1993年)

函館焼については詳しいことはわかっていませんが、安政五(1858)年、函館奉行所が、美濃国岩村藩から陶工を招き、陶磁器生産を行ったのが始まりとされています。北海道初の陶磁器生産でしたが、原料を美濃から運ぶなど、採算がとれず、わずか3年で閉窯となりました。

函館に因んだ絵付けの品が代表的な物ですが、美濃焼風の品も多かったと思われます。美濃からの半製品に函館で絵付けをして、焼成した品です。

今回の品は、このような、函館焼の名目で焼かれた美濃焼ではないでしょうか。

遠く離れた美濃と北海道函館を結んだ焼物・・・ロマンがありますね。しかし、現実は厳しく、本当に短い命でした(^.^)

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