日本画家、山田北雲による二曲屏風、『小鍛冶』です。
高さ175.2㎝、幅180.8㎝。大正時代。
【山田北雲】(やまだほくうん) 明治、大正に活躍した日本画家。詳細は不明。
能『小鍛冶』の舞台を描いた能画です。
【あらすじ】帝が夢にみた不思議な剣を打たせるため、勅使は三条の小鍛冶宗近(ワキ)に刀剣新造を命じます。宗近は、相槌を打つ名手のいないのに困り果て、稲荷明神に参詣します。すると、童子(前シテ)が現れて、古今東西の名剣の霊験を語り、相槌を約束して稲荷山に消えます。 宗近が家に戻り、鍛祭壇を整えて神に祈りを捧げていると、稲荷明神(後シテ)が現われ、相槌を打ち、名剣、小狐丸が完成します。稲荷明神の霊狐は、雲に乗り、稲荷山へ消えて行くのでした。
三条宗近は鍛治祭壇をしつらえ、刀剣を打ちます。
すると、稲荷明神が現れ、
相槌を打ちます。
稲荷明神の頭には狐。
作者、山田北雲は、今では、ほとんど無名の画家ですが、画力は確かなようです。
私がこの屏風を購入したのは、能絵の珍しさからです。『小鍛冶』自体は、多く描かれている画題です。この絵の特徴は、囃子方が大きく描かれていることです。
元々、能画では、能のストーリー展開に直接関係しないので、囃子方が取り上げられることはあまりありませんでした。特に明治以降の能画は、シテに照準をあてたものが主流となり、囃子方の存在は非常に薄くなりました。
これには、能楽界に厳然として存在するヒエラルキー(シテ方>ワキ方>囃子方>狂言方)も影響していると思います。
そんな能画の中で、囃子方を浮かび上がらせたこの絵は異色の一品と言えるのです。
笛(能管)方:
鼓(小鼓)方:
鼓(大鼓)方:
太鼓方:(出番(キリ)が来るまで控えている):
作者の山田北雲がどのような画家なのかは不明です。
近代日本画には、忘れられ、発掘を待っている絵師たちの品が、まだまだ多くあるのだと思います。
さらに近代の無名画家となれば、大正印判みたいなもんです(^^;
屏風の場合、大きいですから迫力はあります。ただ、昨今の住宅事情では、大きさがアダになって、粗大ごみ扱いです(^^;
能絵という題材ゆえに、一般的でない部分もあったのかも知れませんが
そういった意味では100年以上を経て持つべき人のところへやって来たということですよね
TVのお宝発掘番組とかでも、屏風はその大きさ故に仕舞い込まれているいるケースが多いようですから
いまだに未発見のお宝も存在しているんでありましょうか・・・。
日本の家屋では、もう無用の長物です(^^;
ただ、キャンパスが大きいですから、迫力は十分です。それに折れているので、立体感が出ます。昔でいうシネマスコープ(古い(^^;)
まだスペースがあるので、開けれるうちに他の屏風も開けてみましょう。力仕事です(^^;
能楽界も代替わりがすすんでいます。が、何百年と続いてきた体質はそう簡単には変わりません。時代の変化に呑まれてもいけないですが・・・難しいところですね(^^;
このような方の描いた絵がまだまだ残っているのでしょうね。
しかし、特に、このように大きな屏風のようなものは、邪魔物扱いされ、消えてなくなってしまいそうですね(~_~;)
囃子方が描かれている能画もあるのですね。珍しいですね。
能楽界には、厳然としたヒエラルキー(シテ方>ワキ方>囃子方>狂言方)が存在するのですね。
それを知らない現代人にとっては、そのヒエラルキーとは全く逆のヒエラルキー構造を思い浮かべてしまいます(~_~;)