イケナイ物シリーズ第4弾ではありますが、今回は作家物です。
しかし、贋物を知る上で興味深い品なのです。
口径 4.8㎝、胴径 18.2㎝、底径 10.3㎝、高 26.9㎝。鎌倉時代。
作者は、加藤宇助、共箱に入っています。
【加藤宇助】大正4(1915)年ー昭和56(1981)年。瀬戸の陶祖、加藤藤四郎景正の血を引く瀬戸赤津の名工。
轆轤の技は卓越しており、古瀬戸、瀬戸黒、志野、織部など茶陶に多くの名品を残しています。朴訥とした職人気質の人ですが、加藤藤九郎と同じく、その作品が、期せずして、桃山茶陶に紛れ込んでいる事もあるそうです。
奉施入白山妙理
權現御寶前
尾州山田郡瀬戸御厨
水埜政春
永仁二甲午十一月日
と彫られています。
いわゆる永仁の壷ですね。
昭和34年、永仁2年銘をもつ古瀬戸の壺が、重要文化財に認定されました。しかし、2年後、それは陶芸家加藤藤九郎が戦前に作成した贋物だということになり、文化財指定は取り消され、陶磁研究の第一人者で、文部技官・文化財専門審議会委員であった小山富士夫は責任をとって職を辞しました。戦後最大の贋物事件と言われています。この永仁の壷事件を意識して、あれくらいの物、ワシでも作れるわ、と思ったのでしょうか、加藤宇助は、(贋)永仁の壷の贋物を数多く作っています(贋物の贋物は本物?(^^;)。
共箱入りの作品ですから、ピッカピカです。
ところが、この壷に時代づけをすれば、鎌倉時代の幻の壷かと思える品に変身するのです。
それもあってか、宇助の壷には、底に「う助」の銘がクッキリと彫られています。
不届き者がこの部分を削り取れば、すぐにわかります。
ところが、おもわぬ落とし穴が(^^; 底全体を分厚く塗りこめて、それらしく時代付けをすれば、鎌倉時代の品に化けてしまうのです。「削らず塗るとは宇助さまでも気がつくまい」です。当然、素人何デモ屋の私が気がつくはずがありません。見事に騙されてしまいました(品物はもう手もとにはアリマセン(^^;)
冷静に見れば、これは名工が一気に轆轤で仕上げた壷。それに対して、鎌倉時代の物は、紐作りの後、轆轤成形。必ず器体は歪んでいます。また口部分は接合してあるので、内部には陶工が押さえた指跡がクッキリと残っています。造り方の違いが、器に表れているのです。
加藤宇助はそれほど有名な人ではありません。むしろ、とびぬけた陶磁器職人と言った方がよいでしょう。瀬戸・美濃には、いつの時代も、何でもこなす、隠れた名工がいたようです。ガラクタ蒐集家がイチコロで参るのも、致し方ありませんね(^.^)