先のブログで『樹下高士琴弾図玉壺春瓶』を紹介しました。この品は、伊万里焼か中国物か判断がつかなかった物です。最終的に、中国明末の品ということで決着しました。決め手は、器を作る時に、上下二つのパーツを接合する胴継ぎの技法が使ってあったことです。
そこで、他にも胴継ぎの器がないか探したところ、2点見つかったので報告します。
以前紹介した旅持ち茶籠に入っていた茶道具の一つです。
径 5.4㎝、口径 2.1㎝、底径 3.7㎝、高 5.6㎝。17-19世紀。
中国南部民窯かその影響を受けた東南アジアの品でしょう。
胴のまん中(写真では下から三分の一の位置に見える)の凸帯が見られます。これは胴継ぎの痕に違いない・・・・・
で、内部を覗くと、
筋状の接合痕がはっきりと見えます。
こんな小さな壷まで、上下二つのパーツを合わせて造るなんて驚きです。
もう一つは、青磁尊式花瓶です。
高30.0㎝、外径17.2㎝、底径12.5㎝。中国明時代?
中央の帯部に、片切彫りで細かな模様(花びら?)が刻んであります。この帯の上側凸帯が怪しい(^^;
内部を覗いてみると、
接着部が帯状にはっきりと見えます。
今回、内部を穴のあくほど覗いて気がつきました。この花瓶には青磁釉が内側にもたっぷりとかかっています。しかし、中央より下は、青磁色がほとんどなく、白っぽい状態です。これは、花瓶の内側下部にまで酸素がまわらず、還元が進みすぎて、青磁色を示す酸化第一鉄からさらに金属鉄へと変化したためと思われます。青磁を焼成する時は、やみくもに酸素を絶って熱するのではなく、最後に空気を入れて一焚きするそうです。微妙な酸化ー還元調整が必要なのですね。
こんなに大きさが違う品ですが、両方とも同じ胴継ぎの技法が使われていることにあらためて驚きました(^.^)