遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

『納札 東西名物名所合せ』(10)

2021年02月09日 | 納札・紙物

『納札 名所名物合せ』の最終回です。

『東西名物名所合せ』の納札交換会は、先回のブログの江戸の天愚會と今回のブログで主に紹介する浪花の曙會が主になって行ったようです。

 

右:浪花 曙會
    浪花名物 新町廓
左:贈催主 天愚會 西田亀 大中雲峰 後藤花雪 森田正
    江戸名物 吉原

浪花 曙會、江戸 天愚會の一号札(4.6x14.3㎝)2枚です。単色の地味な刷りながら、縦長納札のデザインは洒落ています。

 

一丁札の倍(9.5x13.9㎝)、折帖1頁分の大きさの納札です。納札睦會の幹部名が書かれています。
睦會は、全国各地にあったようです。この納札に書かれた幹部の人たちは、全体の世話人ということでしょうか。名前が書かれたうちの何人かは、現在も続く東都納札睦会のホームページの上部に写真がのっています。いずれも、粋ないで立ちです。

   

東西名物名所合せ
   明治初年の高麗橋
  このほとりに住む
  森田正

 上の納札と同じ大きさの札です。但し、この納札は、先回のブログの西田亀、大中、後藤の納札と同様、左右がセットで一枚の横長納札となります。しかも、個人的な好みが非常に強く前面に出ています。今回の納札は、大阪高麗橋の明治初めの光景を描いたもので、森田正本人がそのほとりに住んでいがるのです(^^;

 

『納札 東西名物名所合せ』の最後に貼られている納札です。

    【寛政時代道頓堀之図】

これまでで最大(14.2x19.2㎝)の納札で、見開き両頁にまたがっています。右下に書かれているのは、


浪花澪標會 井田捨、やま一、にし岡、彫寿、西村庄翁                   大正十年十月二三日


浪花の澪標會が、大正10年10月23日に出した物であることがわかります。

この折帖の納札を多数出している天愚會は江戸の交換会ですが、左上に、「浪花 天愚會 御連中さん江」とあるように、この浮世絵のあて先は、浪花の天愚會です。睦會と同じく、天愚會が各地にあったことがわかります。

 寛政時代道頓堀之図は、江戸時代の大阪を描いた浪花情緒あふれる浮世絵です。上方歌舞伎が全盛期の頃の、良き大阪の風情を描いています。

 顔見せや 衣に指し 橋の霜   大江丸                    大友大江丸(1722 - 1805):江戸時代中、後期の大阪の俳人。


納札(千社札)は、元々、神社仏閣に納め、貼り付るために作成されたものです。
屋号や名前を黒の単色刷にした札がほとんどでした。その後、錦絵のような美しい色摺の納札が多くなり、納札を交換する催しが盛んになりました。色絵納札は美的にもすぐれ、復刻されることがない品です。特に今回のような品は、明治、大正と変わる世に、人々が浪速の街にもっていた郷愁が感じられる逸品です。

 

納札や千社札には、何の関心も知識もなかったのですが、10年ほど前、能楽の資料として、古い納札帖入手しました。それをを少しずつ読み解いていきました。思ったより手間と時間のかかる作業でしたが、100年前の庶民の習俗を知り、粋でいなせな町民文化の一端を知ることができました。納札で取り上げられていた名物や名所は、当時の人々に身近なものばかりです。けれども、今では消えているものも多くあります。納札は、ともすれば記録に残り難い生活文化の貴重でもあることをあらためて思いました(終)。

コメント (2)
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