江戸の小謡集、6冊目『観世流新改正 泰平小謡萬歳大全』です。
『泰平小謡萬歳大全』
文政六(1823)年、山本長兵衛、79丁。
本の大きさは他の小謡集と同じですが、厚さが他の小謡本の2倍以上ある分厚い本です。
目録には、190番以上がのっています。三月三日、七夕、菊月、鼓瀧などの現行にはない曲も多く入っています。
通常の四季分類、春之部、夏之部、秋之部、冬之部の外に、祝言部、賀之部、婚礼之部、諸祝言部、追福部、酒宴部がもうけられ、それぞれ十数番がわりあてられています。
このように、謡曲が細かく分類されているのが、この本の特徴です。
たとえば、「高砂」は、春之部、祝言部、婚礼之部、それぞれに、異なる小謡がわりあてられています。なお、春之部、祝言部、婚礼之部のいずれにも、婚礼の席で定番の「高砂や、この浦船に帆をあげて・・・・」の小謡いは載っていません。
目録の下側、図の部分を見てみましょう。
能の催しが描かれています。2階にも観客席がある大きな建物です。多分、勧進能の様子でしょう。
右下の図は、大きな能の催しの楽屋。プロの能楽師たちが支度をしています。
興味深いのは、左下、謡講聞場(うたいこうきゝば)です。
右:謡講諷場(うたいこううたいば)
左:謡講屋楽(うたいこうがくや)
謡講聞場では、人々がタバコを吸いながら、障子の向こう側でうたわれている謡いに耳を傾けています。
障子の向こう側、謡講諷場では、数人の人たちが謡いをうたっています。
謡講楽屋では、出番を待つ人たちが練習をしています。皆、多くの謡本を持参しています。謡本入れの箱には取っ手が付いていて、持ち運びに便利なようにできています。これまで紹介してきたような小謡本では役不足、やはり各曲目全体が載っている正式の謡本が必要なのでしょう。
謡講とは、謡いを嗜む人たちが日を決めて集まり、座敷で素謡いをうたって楽しむ会です。江戸時代には、町人の間にまで広がりました。特に京都では盛んで、夕方から、薄暗い蝋燭の燈のもと、障子の向こう側から聞こえてくる謡に耳を傾け、想像力をはたらかせて、謡によって作り出される能の世界を楽しみました。通常の謡いよりも低く小さな声でうたわれたそうです。
現在、京都の観世流能楽師、井上裕久師が、町屋で謡講を試みておられます。
他の小謡集と同じく、上欄がもうけられていますが、教養的なものは無く、すべて、能と謡曲に関する事柄です。
右頁上は、能の分類、下は能のつくりもの図です。
小謡は、この小謡集でも。やはり、「高砂」から始まります。
能面の色々。
小道具のうち、かぶり物。
上欄には、能(申楽)の由来が述べられています。
【當時四座之事】:上掛かり、観世座、保生座、下掛かり、金春座、金剛座について、紋章、各座の別称、座付狂言師が書かれています。なお、喜多流については、喜多七太夫との名が付けられ、「これハ下がかりにて四座の外なり」と、他の四座と同等には扱われていません。
謡本の諸記号の説明。
【口中開合之事】あいうえお・・・の発音の仕方を説明しています。この説明は、江戸時代の能、謡曲の解説本のなかによく出てきます。
能、謡曲の場面をかなり多くの絵で示しています。
鉢の木
鞍馬天狗
湯谷(熊野)
この小謡本では、狂言は扱われていないのですが、絵だけはかなりの数、挿入されています。
末広
靭猿
この絵は、謡曲の神髄を述べたもの。文は、江戸時代、多くの能、謡曲の本に出てきます。
「おんきょくハ
たゝ大竹の
ことくにて
すくにきょくと
ふしすくなけれ」
音曲は、大竹のように、節は少なく、まっすぐにうたうものである。
次の図は、鼓をうつ人の老境を述べたものです。
「老ぬとハかハる事のミ多き中に
つゝミを
はやす
うたひ
人も
なし」
年をとるといろんな事が変わってしまう。鼓に合わせて謡をうたってくれる人がいないのもその一つだ。謡いがなければ、鼓で囃しようもない。
確かに、この絵の左側の人物は、謡ってはおらず、鼓を聞いているだけのようです。鼓を打つ時には、ヤ、ヤア、ハ、ハアなどの掛け声えを掛けて打つので、自分で謡曲を謡いながら鼓を打つことはできないのです。右側の老人は、何とも様にならないなあ、と思いながら、鼓を打って見せているのでしょう(^^;
この場面に書かれた文章は、『謡花伝書』という珍しい書(秘伝書?)に書かれている部分です。当時、普通の人が知る由もないものです。
こんなマニアックなものまで載せている小謡集、奥が深いですね(^.^)