遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能楽資料9 江戸の番綴り謠本

2020年10月04日 | 能楽ー資料

先に能楽資料7,8で、基本的な謠本について、江戸からの変遷をみました。

一般に上演される能は250番ほどありますが、それぞれの演目についての謡いを一冊の本にしたのが、基本的な謠本、一番綴り本です。さらに、3曲、5曲をまとめて1冊にした3番綴り本、5番綴り本もあります。

普段の稽古や発表会ではこれでいいのですが、多くの演目が次々とうたわれる場合、数十冊の謠本を持っていくのは大変です。また、旅先などで謡いを楽しむにも不便です。

そこで、数十~百番くらいの謡いをまとめて一冊にした謠本が、江戸時代から現在まで出版されてきました。これらについての決まった名称はないので、ここでは、「番綴り謠本」と総称することにします。

 

江戸時代の番綴り謠本6冊です。

大きさは、13x20㎝ほどです。

通常の謠本が、17x23㎝ほどですから、一回り以上小さいです。

 

番数が多いので、いずれも分厚い。2-3㎝の厚さがあります。

 

これら6冊について、写真右上の品から順(時代順)に簡単に説明します。

タイトルが書かれている物はそのまま、題簽がなくなっているものについては、適当な題をつけました。

『観世囃子謡二十番』貞享2(1685)年、山本長兵衛

『観世流外百番謠本』元禄8(1695)年、山本長兵衛

『下掛囃謡大成』享保12(1727)年(宝暦3(1753)年改版)、谷口七左衛門

『囃謡七十五番』宝暦十(1760)年、浪速書林、松村九兵衛、渋川清右衛門、鳥飼市兵衛

『外囃謡八十五番』宝暦十二(1762)年、浪速書林、松村九兵衛、渋川清右衛門、鳥飼市兵衛

『囃謡百十番』明和6(1769)年、京都書林 谷口七左衛門、武陽書肆 山崎金兵衛、須原屋平助

 

 

 

『観世囃子謡二十番』貞享2(1685)年、山本長兵衛

 

早期の番綴り本ですが、「・・為旅行舩中懐中・・」とあるように、もうこの時期、持ち運びに便利で、旅先でも使えるようにコンパクトな謠本として作られたことがわかります。

 

朱の書き込みがなされています。いずれも音の上り下がりなど謡い方に関するもので、所有者(江州石原宿福村某)は、謡いを楽しんでいた人のようです。

 

 

『観世流外百番謠本』元禄8(1695)年、山本長兵衛

 

外百番というのは、通常うたわれる謡い、百番以外の謡いという意味です。

なお、江戸時代、観世宗家は、代々、観世左近太夫と名のるのが通例でした。

 

全体の半分くらいに、びっしりと朱の書き込みがあります。

これは、小鼓の手組を表しています。この本の所有者は、かなり本格的に小鼓を嗜んでいたことがわかります。

 

 

 

『下掛囃謡大成』享保12(1727)年、宝暦3(1753)年改版、谷口七左衛門

 

下掛りは、能のシテ方5流(観世、宝生、金剛、金春、喜多)のうち、観世流、宝生流をのぞいた3流を指します。

「・・・加秘密之拍子附・・・」とあり、謠本の表記に工夫をこらしているようです。

80番の謡曲が載っています。

この本の所有者は、謡いを習っていたようです。しかし、あまり熱心ではなかったようです。

 

しかし、この綴り本には非常に大きな特徴があります。

謠本の最初に、囃子の説明がかなり詳しく入っているのです。

 

能管の唱歌(楽譜)です。

「ヒヤラヲヒヤリ・・・・」は、」笛の音階、旋律を表しています。

小鼓と大鼓の手が書かれています。

〇は小鼓、▲は大鼓です。

このような説明がある謠本は、江戸~現代まで、非常に少ないです。

小鼓などを習う人が便利なようにとの意味もありますが、本格的に鼓を打つには、不十分です。

むしろ、謡いを習う人のための解説と言えるでしょう。謡いだけを習い、謡う(素謡い)なら必要がないのですが、もう少し高度な謠、あるいは、能を意識した謡をマスターするには、どうしても、鼓や笛の知識が必要になるのです。

素人は謡いが中心だったと言われる江戸時代ですが、素謡いにとどまらず、囃子の入る謡いや能楽にも、人々の関心が深かったことが伺えます。

 

 

 

『囃謡七十五番』宝暦十(1760)年、浪速書林、松村九兵衛、渋川清右衛門、鳥飼市兵衛

 

おそらく、観世流だと思います。

 

マスターした曲目に朱印をつけています。

 

本文中には、朱印がびっしりと書きこまれています。この印は、小鼓の手組です。

 

 

『外囃謡八十五番』宝暦十二(1762)年、浪速書林、松村九兵衛、渋川清右衛門、鳥飼市兵衛

一つ前の『囃謡七十五番』と対になった品です。

おそらく所有者も前の本と同じ。済んだ曲に印がついています。

やはり、小鼓の手組が、びっしりと朱で書きこまれています。

書き込みの内容から、かなり本格的に小鼓を習っていた人と思われます。

 

 

『囃謡百十番』明和6(1769)年、京都書林 谷口七左衛門、武陽書肆 山崎金兵衛、須原屋平助

流派は不明(下掛り?)です。

やはり、小鼓の手付が朱書されています。

 

奥付けには、「・・新改正而以秘密之章句加・・・」とあり、非常に興味がわきます。

この出版に先立つこと4年、明和2年には、観世中興の祖と言われる観世元章が、沈滞した能楽を改革すべく、謠本大改訂の試みを行っています。その影響が表れているのでしょうか。

幕府や大名に保護され、大きく変化をしなかった江戸時代の能楽ですが、いろいろな工夫が試みられていたようです。

 

 

コメント (7)
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