遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能楽資料11 現代の番綴り本(2) 丸岡桂『参考謠本』の衝撃

2020年10月09日 | 能楽ー資料

先に、現行の観世流謡曲大成版の百番集と續百番集を紹介しました。

同じような大綴り本が、それより以前に、2種類、発行されていました。

 

上側:『縮刷 解説参考謠本(天)、(地)』大正八年、観世流改訂本刊行會

下側:『縮刷 参考謠本(人)、(地)』昭和五年、観世流改訂本刊行會

それぞれ、天と地、人と地の2冊ずつです。

これらは、当時、観世流改訂本刊行會から発行されていた改訂謡本を、そのまま縮小印刷し、綴じた物です。

大きさは、16x24㎝ですが、一冊の厚さが3.5-4㎝もあります。

 

まず、大正八年発行の『解説参考謠本』です。

 

いろは順に曲が並んでいます。

 

人気曲『羽衣』を見てみます。

最初の1頁で、曲について簡単に説明しています。

 

謡曲部がはじまります。以前に紹介した、明治、大正の一番綴り本よりも、音符などに相当する記号が増えています。

何よりも特徴的なのは、謡曲文句の右側に、X一、X二、X三、X四、X五・・・と番号がふられ、それぞれの部分について、謡い方の要領が上欄に書かれていることです。

謡曲が音符(記号)通りに謡えることは、謡いをうたう第一歩にすぎません。

謡曲は、それぞれの能の特徴を基に、各段、各部について、強弱、抑揚、テンポ、声の綾、さらには心持ちなど、多くの要素を理解し、声に反映させねばなりません。

大変難しく、奥深いですが、それがまた、謡曲を謡いこんでいく醍醐味でもあります。

しかし、師匠が手本として示す謡いからそれらを感じとり、自分のものにするのは、プロならまだしも、素人には荷が重すぎます。でも、『解説参考謠本』が手元にあれば、謡いの勘所を容易につかめるのです。

 

 

次に、上の『参考解説謠本』から十数年後に発行された『縮刷 参考謠本(人)、(地)』(昭和五年、観世流改訂本刊行會発行)です。

 

同じく、『羽衣』を見てみます。

解題と舞台の展開についての説明。

 

小書き(特殊演出)についての説明。

 

装束、小道具、作り物と全体の謡い方。

 

地拍子の詳細(能の場合の拍子謡い、素謡いでは拍子を考慮せず謡う)

このように、以前の『解説参考謠本』にくらべて、解説部が格段に増加しています。

謡いの部分に入ります。

謡曲文句の右側に、X一、X二、X三、X四、X五・・・と番号がふられ、それぞれについて、謡い方の要領が上欄に書かれていることは、以前の大正15年発行本と同じです。しかし、その数が大きく増え、謡い方が非常に詳細に説明されています。

 

比較のため、現行の『観世流大成版謡本』の中から、『羽衣』を見てみます。

作者、資材、構想。

 

曲趣と節譜解説。

 

舞台鑑賞。

 

辭解(難解字句の解説)。

 

右頁:作り物、小道具、衣装などの説明。

左頁:謡曲部。

 

このように二つを比較をして見ると、両者のコンセプトは非常によく似ています。

現行の『大成版謡本(観世宗家)』は、観世流改訂本刊行會の『参考謠本』を強く意識して編纂されていると考えてよいでしょう。

しかし、『大成謡本』では、『参考謠本』の謡い部上欄の解説に相当するものは全くありません。この点、昭和初期に発行された『参考謠本』の方が、現行の謡本よりはるかに優れていると言わざるをえません。

 

『参考謠本』の『羽衣』をもう少し詳しく見ます。

ほとんどの能は、まず、ワキの謡いや詞から始まります。出だしは非常に重要です。なぜなら、ワキの出方で、演目全体が暗示され、以後の舞台展開を規定していくからです。

 

『羽衣』では、まず、ワキの漁夫白龍とワキツレが謡いだします。

「風早乃。美保の浦曲(ウラワ)を漕ぐ船乃。裏人騒ぐ。波路かな」

最初の注意書きX一は次のようです。

ワキハ漁夫ノ身ナレバ、格別取ルニ及バザレド、一曲總体ニ気品ノ大切ナルヲ思ヒ、殊更賎シゲニ扱フコトナク、而モシテノ天女トハ、上界下界両端ノ対称ヲ明カナラシムルヤウ、通ジテ素朴ニ率直ニ、且ツツヨ/\トアルベシ・・・

これを読むと、ワキとしての謡い方の大よそがわかります。

 

位とは、能のすべてを規定する概念です。謡や囃子、舞いはもとより、演じ方などを、重さで表します。「位が重い」場合、重厚にしっかりと演じられ、「位が軽い」ときは、軽快に演じられます。謡いならば、「位が重い」場合、緊張感を保ちながら重々しくゆっくりとうたいます。

 

また、「風早乃。美保の浦曲(ウラワ)を漕ぐ船乃。裏人騒ぐ。波路かな」の最後の最後の部分は、謡本では「・・・波路かな 打上 X四」となって、打上の横に、X四の注があります。

 

X四には次のように書かれています。

一セイノ段落ヲ附クル大小鼓ノ手ノ名称、素謡ニハ直接関係ナキモ、コ>ニハ一息ヲキテ、別ニ次ナルサシニ移ルベシ

「・・・波路かな 打上 X四」の打上げとは、能舞台において、ワキ、ワキツレの一セイの謡いに合わせて大鼓、小鼓が演奏する際、最初の一小節の終わりに鼓のが打つ手組です。簡単な締めに相当します。通常の謡いでは、鼓などの囃子は入りませんから、好きなように謡えます。しかし本来の謡いでは、ここに小休止が入り一息つくような感じでうたう必要があるのです。

このような注や説明が、『羽衣』一曲で、103箇所もあります。

これにしたがって、謡い方の要領を会得すれば、謡いは格段に上達します。

『縮刷 参考謠本』は、今でも、古書として安価に入手できます。

謡いをされる人は、ぜひ手元に置いていただきたいと思います。

 

さて、現行の観世流大成版謡本は、十四世観世宗家左近元滋が、それまで様々であった観世流謡いの統一という大事業を、有力能楽師や能楽研究家たちを結集して出来上がった謡本です。刊行が始まったのは昭和15年頃と言われていますが、戦争、戦後の混乱期にあたっており、実際に広く普及したのは昭和30年代です。その際、明治、大正、昭和にわたって謡本の改訂に取り組んだ、丸岡桂の観世流改訂本刊行會が念頭にあったのは確かだと思います。

出来上がった大成版謡本は完成度の高いものです。しかし、どういうわけか、謡い方に関する詳細な説明はありません。『参考謠本』の一番重要な所が抜けているのです。

うがった見方をすれば、その分、能楽師の先生方に、謡いを教える余地を多く残したのかも知れません(^^;

 

このように見てくると、明治41(1908)年、観世流の謡本を改革しようと、観世流改訂本刊行會(能楽書林)を設立し、他に先駆けて改訂謡本を出し、さらに、解説参考謠本、参考謠本を発行(明治11年ー大正8年)した丸岡桂の業績は非常に大きいと言えます。

 

あまり知られていませんが、丸岡桂は、発明家でもありました。

明治35、6年、ライト兄弟が初のフライトを行った同じ頃に、足踏式の螺旋翼機を製作しました。この人力ヘリコプターは、実際には飛ばなかったそうです。が、彼の発明した螺旋翼機は、記録に残る日本初の航空機なのです。

そして、空中飛行を試みたその数年後に、観世流改訂本刊行會を興したのです。

空への夢は実現しませんでしたが、その後彼が取り組んだ謡本の改訂は、江戸以来の謡本を大きく変えました。現在、私たちが謡っている近代謡曲のルーツは、明治から大正にかけて、丸岡桂が行った謡本改革にあるのです。

 

単純な尺度では測りしれないマルチ人間、丸岡桂。

明治の人は偉大ですね(^.^)

 

 

コメント (6)
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