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遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

海津の能・井筒

2019年05月04日 | 能楽ー実技

  3つしかないシャクナゲの蕾。
  一度に開きました。



  角度を変えれば・・・・・



              ダンゴ三兄弟。


最近は、能を観に行く回数がめっきり減りました。
能楽堂まで出かけるのも、年数回。

久しぶりの観能です。
毎年、五月の連休中に、海津市歴史民俗資料館で行われている能です。
しかも、極めてローカルで小規模。
宣伝をしていないので、地元でも、ほとんど知られていません。

私の家からは、結構な距離なので、ここ10年ほどは
ご無沙汰でした。


入口に、申し訳のように出された看板。





海津市歴史民俗資料館

ここは、濃尾平野の最南端です。伊勢湾はすぐそこ。
「海津」(津=港)の地名が表すように、かつてこの辺りは海であったのです。


門をくぐると・・・


見渡す限りの水田の中に、威容を誇るこの建物。
お城を模した3層造りです。




入場料は、1000円、呈茶券付き。大変お得です。





治水・輪中、高須藩、能

この辺は、濃尾平野の中でも、一番、水害の激しい場所です。
急峻な山岳地帯と広大な濃尾平野に降った雨は、3つの大河川、木曽川、長良川、揖斐川に流れ込み、最終的にこの地域に集まります。そのため、毎年のように大洪水にみまわれました。

そこで造られたのが、社会科の教科書にも出てくる輪中です。
中でも、最も有名なのはこの地の高須輪中です。
水害から逃れるために、地域を巨大な堤防でぐるっと囲み、その中で住み、稲作を行ってきたのです。

このフロア(2階)には、輪中と治水の歴史が展示されています(今回は、紹介省略)。

ホールには、水郷地帯のかつての婚礼の展示も。



階段をあがると3階です。


海津市には、高須藩が置かれていました。
この海津歴史民俗資料館は、城を模して建設されています(お城のあった場所は、1kmほど北。現在は高等学校敷地)
3階には、高須藩関係の資料が展示されています。


      松平定敬、松平容保、一橋茂栄、徳川慶勝

  高須4兄弟と言われる、幕末に活躍した4人です。

 高須藩は、関ヶ原以来、美濃高須(現、海津市)を中心に領国をもち、3万石の小藩ながら、尾張藩の支藩として、明治まで続きました。そして、10代義建の子、4人が、有力大名の養子となり、幕末動乱期にそれぞれ大きな役割を果たしたのです。

 彼らは能をこよなく愛したと言われ、それにちなんでこのフロアには、立派な能舞台が設けられています。

隣の部屋では、地元の人たちによる抹茶とお菓子のサービスがなされています。



客席は大広間。畳の上に座ります。

私が着いたときには、すでにもう満員。
やむなく、一番前の場所に。
いわゆるかぶりつき。舞台との距離は1mもありません。
おまけに、舞台の高さは50cmほど。座った目の先が舞台です。



立派なチラシが出来上がっていたのですが、事前配布は全く無し。
海津市さん、もう少し、セールスマインドをもったら。



一方、手作り感いっぱいの説明チラシも。



井筒という能


 

                           洗舟筆 『能楽 井筒』
            
井筒の作者は、能を大成した世阿弥です。
井筒は、砧とともに、世阿弥、渾身の作です。

井筒は、伊勢物語を典拠とした夢幻能で、幽玄の美を特色とする能にとって、最も能らしい能と言えるでしょう。

在原業平と紀有常の娘、幼なじみのふたりは成長して結ばれる。が、浮き名を流し、自分のもとから離れがちな業平への想いは募るばかり。女は、業平が纏っていた直衣を身につけて、幼い頃を回想し、二人で遊んだ井筒のもとで、静かに舞を舞い、狂おしい恋慕の情を表す。そして、井戸の水に写った自分の姿に業平の面影を見て、懐かしさに嘆息する。
やがて、夜が明け、在原寺の鐘がなる時には、女の姿は消えていた・・・・・・・すべては、寺に仮寝した旅僧の夢であった。


井筒は、伊勢物語を典拠としています。
 業平の歌:
 筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生いにけりしな 妹見ざるまに
 昔あなたと遊んでいた幼い日に、井筒と背比べした私の背丈はずっと高くなりましたよ。あなたと会わずに過ごしているうちに
女の返歌:
くらべこし 振分髪も 肩すぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき
あなたと比べあった振り分け髪も、肩を過ぎてすっかり長くなりました。その髪を妻として結い上げるのはあなたをおいてはありえません。
このようにして二人は結ばれたのです。

この部分、能・井筒の中では、
筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生いにけりしな 老いにけるぞな
となっています。
能・井筒は、年を経たその後の二人という設定です。

地謡いが「生いにけりしなと謡いかけ、
シテは「老いにけるぞや」とこたえるのです。
  井筒で背比べをして遊んでいた私たちは、成長し結ばれました。あれから月日がながれたのですね。私も年を重ねました。

女は、「老いにけらしな」の言葉から、自分の老いに気づき、過ぎた時間を回顧するのです。

 子供の頃、二人で遊んだ井筒のもとへ歩み行き、男の形見の直衣を身につけたまま、子供の頃そうしたように、井戸の水に貌を写します。
そこには、業平の面影が・・・・・一瞬の静寂・・・・・
なんと懐かしいことか、女は深く嘆息し、やがて
萎んで匂いだけを残す花のように、消えていく 
・・・・・・・・・・
過去と現在、夢と現実が交錯し、しみじみとした情感が漂い、夢幻の中に能は終わります。


今日の観能

当日の番組は、井筒の後場(半能)です。
が、そこは、小回りのきく地方の能。
盛りだくさんのメニューです。
1.装束レクチャー
2.作り物レクチャー
3.囃子レクチャー
4.能「井筒」
5.能楽器体験

まず、シテの観世喜正による装束レクチャー。
装束のレクチャーにとどまらず、能の起源、特徴、世阿弥、そして井筒まで、立て板に水を流すように流ちょうな説明です。
饒舌ながら、話しの勘所を押さえた説明はさすが。
後で何人かの人に聞いたのですが、皆、よくわかったと言ってました。

次は、作り物のレクチャーです。
能、井筒では、舞台上の作り物は、井筒(井戸の周りの柵)です。そして、この品は、能、井筒を象徴する重要な物です。

















井筒は、台の四隅に竹を立て、その上部を杉板で井桁に組んだものが使われます。
角には、ススキが付けられます。

この会の趣旨として、単なる説明にとどまらず、体験を、ということでした。
で、会場から希望者をつのり、竹の部分にサラシ布を巻きました。
一人は70代の老人、もう一人は小学生でした。
二人とも、見事に巻き終えました。
さらに、ススキを左右どちらの角につけるか、会場の意向を聞きました。多数決で右側に決定。ススキの位置によって、シテの扇使いが変わるそうです。

これら2つのレクチャーでかなり時間をオーバーしたので、次の囃子レクチャーは、残念ながらはしょりです。
能管、小鼓、大鼓の簡単な説明に続き、井筒での舞い、序の舞の説明と部分演奏。
私としては、もう少し聞きたかったのに、残念。

実は、私、5年前に、伊勢神宮奉納能で、今回の出しものと同じ、井筒(後場、半能)の小鼓を打ちました。もう、冷や汗の連続でした。特に、序の舞は危なかった。
井筒の序の舞は、太鼓が入らない、大鼓、小鼓、笛だけの大小序の舞と言われる舞いです。曲の序の部分が特に難物です。
能の曲は、厳密な8拍子で構成されているのですが、この序の部に限り、拍子があるような、無いような、とらえどころのないリズムなのです。太鼓が入る序の場合は、太鼓がリードして、リズムをつくっていくのですが、大小序の舞いの場合は、大鼓と小鼓の阿吽の呼吸で曲をつくらねばなりません。素人には、とても手ごわい曲です。

海津の能・井筒

簡素な能です。
出演者は、シテ、観世喜正、笛、竹市学、小鼓、後藤嘉津幸。地謡は、わずかに3人。ワキは無し。
シテと囃子方3人の4人は、能楽グループ「能の旅人」を結成し、年一回、公演を行っています。呼吸はピッタリです。いずれも若く、活きの良い能が楽しめます。

シテ、観世喜正師、謡には定評があります。声量と声の艶は十分。
私の席は、舞台のすぐ下。
シテの息づかいが聞こえてきます。
こんな近くで能を見たことはありません。
目の前には、シテの白い足袋が。
せっかくの機会です。
シテの足の運びをずっと追いながら、井筒の能を鑑賞しました。

さらに、能が終わってから、能楽器体験会がもありました。
能管、小鼓、大鼓、それぞれの楽器を、希望者は鳴らしてみることができるのです。老若男女、多くの人が、普段触ったこともない能楽器に興味津々。特に、子供たちが我先にとチャレンジしているのが印象的でした。
 
とにかく、サービス満点の海津能、皆十分に楽しめたようです。


能の旅人の今年の公演チラシの方は、もうできあがっていました。
いつも、実験的な能にチャレンジしている彼らです。「古式 望月」、どんな舞台になるのか楽しみです。宣伝を兼ねて、写真をアップしておきます。


手づくり能の感想

今回の能、能楽堂での通常の能とはずいぶん異なります。

こじんまりした、手作り感満載の能もなかなか良いものです。

観客のほどんどは普段着。
客層は、老いも若きもいろいろ。特に、5,6才の子供づれのお母さんや小中学生がめだちました。
大丈夫かなあという気もしましたが、観能の邪魔になるような子はいませんでした。
それどころか、作り物体験に積極的に参加し(希望したけれど外れた子も多くいた)、
我先にと笛や小鼓を鳴らす様子は頼もしい限りです。
彼らの内の何人かが、将来、能を嗜んでくれることでしょう。

今、能は危機に瀕していると私は思います。
能楽堂にはそこそこの人が集まるし、海外公演も盛ん ・・・・・・ さすが、世界遺産。

しかし、能は歌舞伎と根本的に異なります。
あらゆるものをギリギリまでそぎ落とした能は、鑑賞者の中で完成されるのです。そのためには、感覚をとぎすまし、自己の中にイメージをつくっていかねばなりません。演じられる能は、そのための触媒でしかありません。幽玄の世界は、舞台上ではなく、私たちの脳の中につくられるのです。ですから、能は究極の参加型演劇なのです。

最も良い参加法は、自分で能を演じることです。特に,謡が重要です。江戸時代からずっと、多くの人々が謡を嗜み、能の世界を自分なりにつくり出してきたのです。
ところが近年、謡い人口は激減しています。人々が参加しない能は、本来の能とはかけ離れた演劇、世界で最も退屈な舞台劇になってしまうのではないでしょうか。

今回のような手作りの能は、能の新しい可能性を示唆しているように思えるのです。


水との闘いと智恵

能が終わって外に出ると、現実に戻されます。

ここは、濃尾平野中の水が集まるところ。
しかも、ゼロメートル地帯。
水害のないときでも、水は留まったままで、ひいてはくれません。

そこで、排水機を使って、水を堤外へ排出する必要があります。


    最近まで使われていた、巨大な排水機

また、水はけの悪い場所でも稲作ができるように、堀田がつくられました。
土を掘り上げて盛り、高くした細長い田をつくるのです。
クリークと細長い田が交互に連なります。
移動は船。
現在は、排水機が完備し、堀田はなくなりました。


  
           再現された堀田




外は、早くも、田植えの真っ最中。
すべて水に覆われたかのような景色でした。



菅楯彦の道成寺

2019年04月24日 | 能楽ー実技
先回見た、道成寺縁起絵巻の冒頭の部分です。
宿の人妻に迫られた若僧が、それを断り、翌朝、熊野詣に出発する場面です。



よく見ると、画面の上部には、その前夜、忍んできた女とそれを必死で断る男の様子が描かれています。

このように、同じ図の中に、時間的に異なる情景を描くことを、「異時同図」と言い、絵巻物ではよく使われる手法だそうです。
一つの構図のなかに、登場人物の動きを、時間の変化を追って描けば、表現のくどさを避けながら、ストーリーが展開できるからです。

「争か偽事を 「かならず待まいらせ候べく候」 「先の世の契りの
 申候べき。                            ほどを
   疾ゝ                         御熊野ゝ
参候べし」                          神のしるべも
                                      など、
                                    なかる
                                     べき」
「御熊野の
  神のしるべと
    聞からに
 なほ行末の
   たのもしき
        かな
           これまで 
            にて候。下向を
                御待候へ」

 
 さて、もう一枚の絵です。


この絵は、ずいぶん昔、「道成寺」とタイトルにあったので、つい買ってしまいましたが、本当に道成寺かと疑問がわいてきて、お蔵入りになっていた品です。
        (そんな品がゴマンとあります(笑))

今回、絵巻と比較して、はじめてわかりました。

道成寺縁起絵巻の冒頭部を写した絵です。

作者は、菅楯彦。大正、昭和に活躍した日本画家です。独学で絵を学び、歴史画や風俗画を描いた大和絵の画家です。




書かれている文面は、道成寺縁起絵巻とほぼ同じです。
しかし、室町時代の文字より、大正・昭和に書かれた文字の方がはるかに読みづらい。気分を出すために、このような書体にしているんでしょうか。

季節は、絵巻では紅葉の秋、この絵では、梅の初春。
女性は、可憐な少女に見えます。絵巻の女性のような、後の展開を予感させるものは感じられません。

いずれにしても、独特のタッチで、少女と若僧の別れを、たおやかに描こうとしたのでしょう。

菅楯彦が、後の場面を描いたらどんな絵になっていたでしょうか。

残念ながら、それは無いものねだりだと思います。
この冒頭の場面、絵巻にあるような屋内の二人は描かれていません。異時同図ではないのです。
絵は、多分、これで完結。

ところで、この絵、触ってみると、デコデコしているではありませんか。
肉筆だとばかり思っていたのですが、木版画でした。

それにしても、色の濃淡、ぼかし、たおやかな線、文字のかすれなど、こんなにもうまく表現できるのですね。
日本の刷りの技術はすごい!





二つある遊行柳の絵

2019年03月20日 | 能楽ー実技




       先日の冷え込みで雪化粧し直した伊吹山
      (横に走るのは伊吹山スカイライン、冬期閉鎖中)


二つの遊行柳

能・遊行柳には、よく似た絵が二つ存在します。
作者はいずれも、橘守国。


                       橘守国『謡曲画誌』 「遊行柳」(版画)




                   橘守国 肉筆画 「遊行柳」

上の絵は先に紹介した『謡曲画誌』遊行柳の図です。
下の絵も同じく橘守国ですが、肉筆画の遊行柳です。

実は、偶然にも、『謡曲画誌』の原画13枚を入手したのです。江戸時代の版画の原画が見つかることは非常に稀です(詳しくは、後のブログで)。

その内の一枚がこれ。屏風剥がしだと思います。
淡く彩色がなされています。
ところが、この肉筆画は、版本『謡曲画誌』中の遊行柳の図とは異なっています。一方、他の原画は、12枚すべてが『謡曲画誌』中の図と一致します。

両方とも、柳の下に小川が流れ、その脇に立つ人達が柳の大木を眺めています。
しかし、詳細に見ると、2枚の絵は少しずつ異なっています。

では、この2つの絵はどの様にちがうのでしょうか?

①絵の中に書かれている和歌が異なります。
 上の絵は、西行法師の和歌。
     「道のべに清水ながるる柳蔭 
              しばしとてこそたちとまりつれ」
                   西行 「新古今和歌集」
 
 下の絵は、素性法師の和歌。
   「見わたせは柳さくらをこきませて 
                 都に春のにしきなりける」
                          素性 「古今和歌集」

②柳の木が違います。
 上の絵では、朽ちた老柳を一本だけ、下の絵では、柳の大木と桜の大木、2本を描いています。

③人物が違います。
 上の絵では、老人と上人、従僧の3人、下の絵では、上人と従者?の2人が描かれています。

①②③から、上の絵は、能・遊行柳の前場、下の絵は後場を表していることがわかります。

西行法師の歌は能・遊行柳の前場、素性法師の歌は後場に出てきます。
また、桜は、後場に登場します。
さらに、上の絵の3人は、上人一行と老人で、前場の登場人物です。それに対し、下の絵は、上人一行の2人のみ。他に人物は描かれていません。柳の精は、人には見えないからでしょう。

つまり、橘守国の2枚の絵は、非常によく似た構図の絵ではありますが、遊行柳の前半と後半、それぞれを描き分けた物であったのです。

結局、『謡曲画誌』遊行柳には、能前場から、朽ち柳下の老人と上人一行」の図が、能後半から、桜の木の下での蹴鞠図が取り上げられているのです。

前場と後場からそれぞれ一枚ずつ、これが『謡曲画誌』の編纂方針だったのでしょう。
そのため、この原画はボツになった!



橘守国肉筆画 「遊行柳」に描かれた後場の情景によく似ています。

実は私、まだこの地を訪れたことがありません。

いつか、柳葉と桜の花の下で、橘守国の原画を見ながら、描かれてはいない柳の精を捜してみたいと思っています。




鼓の会で囃子を打ちました~遊行柳~

2019年03月18日 | 能楽ー実技
 春ですね。
 クリスマスローズが満開です。







先日、鼓の会があり、遊行柳の囃子を打ちました。

小鼓との出会い

何十年も前、謡、仕舞を習い始めて何年かたった頃、外にも何かやってみたいと思うようになりました。

      おお、そうだ。鼓だ!

当然、何の知識もありません。触ったこともない。
どうやら、能の鼓には2種類あるらしい。大鼓と小鼓。

そこで、能楽堂でじっと観察(鑑賞ではなく)。すると、どう考えてみても、小鼓は、大鼓の3倍くらい数多く打っているのです。

どうせやるなら、多く打てる方がいい!・・・・・
という、笑えるほどイージーな判断で小鼓に決定!

それが間違いのもとでした。
ポン、ポン、ポンとよい音が出る、はずでした・・・・・・・が、バケツの底を叩くほどの音さえしない。
後で知ったのですが、小鼓を始めたら3年間は音が出ないと心得よ、だったのです。

それにもう一つショックだったのは稽古場の見学。
高級そうな着物を装った、上品な御高齢の女性(お婆さん)が、ヨゥ、ホゥと掛け声をかけながら、小気味よくポンポンと打っているではないですか。しかも、無本。

こんなことが、自分にできるのだろうか?

ゴムボートでひとり、大海へ漕ぎ出すような気持ちでした。

素人が舞台に立つ

最初は、心臓が喉から飛び出るかと思いました。
ここはどこ、わたしはだれ・・・・頭が真っ白になり、舞台上で立ち往生。
回を重ねるうちに、少しずつ慣れてはきましたが、今でも、緊張がとれません。

舞台は忘れそうになった頃にやってきます。その時はあれこれ反省しても、すぐに忘れてしまいます。
情けないことに、いまだに、満足に帯が結べません。袴の紐もすぐに緩んでしまう

一番の問題は、ぶっつけ本番であることです(大きな曲では、事前の申し合わせもありますが)。
普段の稽古は、師匠と一対一。師匠が、謡、笛、大鼓、太鼓を一手に引き受け、それに合わせて、小鼓を打ちます。
ところが、いきなり、さあ本番。横に並ぶのはプロばかり。

能の囃子は、能管、小鼓、大鼓、太鼓、すべて一人ずつです。(翁の場合は例外で、小鼓が3人)

謡いも含め、それぞれが主張し、せめぎ合うところに、何とも言えない緊張感が生まれます。
予定調和の安全運転では、面白くない。

ですから、プロの方も手加減をしてはくれません。




                      ↓組み立てると


          my 小鼓(蕪蒔絵鼓筒、江戸中期、古皮)
蕪絵は、「根が張る」を「音が張る」ともじって、好んで使われます。
蕪は「良く実る」から転じて「良くなる」とも。こんな所にも、遊びごころが。


遊行柳という曲

遊行柳の手付け(楽譜)です。
何の変哲もない謡本ですが、赤で小さく書いてある部分が小鼓の手です。これがすべて。後は、練習あるのみ。
一番の難関は、暗譜です。







小鼓を始めてみてわかったのですが、早い曲よりもゆっくりしたものの方が、はるかに難しい。
勢いで打っていくのと違い、ゴマカシがききません。

ゆっくりの曲は位の高いものが多く、情感を表現できなければ退屈このうえない。

ですから、寂閑とした雰囲気を保ったまま、最後は消え入るように終わる遊行柳は、謡も囃子も力量が問われる能です。

今回の囃子は、遊行柳、後場です。 

夜、柳の精が白髪の老翁姿であらわれ、遊行上人一行に、柳にまつわる故事を語る場面から始まります。
年老いて、弱々しい老翁ですが、華やかな都の情景を生き生きと語ります。

「~柳桜をこき混ぜて、錦を飾る諸人の、華やかなるや小簾の隙、洩れくる風の匂ひ来て~

能・遊行柳は、桜の季節の物語りなのでしょうか?

西行が、柳の下で休み、歌を詠んだのは水無月(7~8月)半ば。
芭蕉がこの地を訪れ、句を詠んだのは6月初旬。

能・遊行柳、導入部、道行きで、
「♪~心の奥を白河の。関路と聞けば秋風も。~♪」
と従僧たちが謡います。

寂しさを出すため、季節は設定は9月に設定されているのです。

ですから、後場に、「~柳桜をこきぜて~」とあるのは、桜で華やかさを少し加えて、老柳の精が、よわよわしく舞を舞い、消えていく寂寥感をきわだたせるためと考えられます。

このように、デリケートな雰囲気を小鼓で打てたでしょうか。
もしよかったら聞いてみてください。青柳之舞の小書付きです。

囃子 「遊行柳 青柳之舞

ps. 誤ってICレコーダ全削。あわてて復活ソフトかけるも、一部上書きされ、最後の部分が欠けています。まちがえた箇所もいくつか。それに鼓の音もイマイチだし・・・言い訳ばかりですがよろしく。
ps. 小書きとは、能の特殊演出のことです。小書きがつくと、通常とは少し異なるバージョンとなり、難易度が上がります。「遊行柳 青柳之舞」の場合は、シテの舞いが、通常の序之舞から青柳之舞に変わります。





能・遊行柳

2019年03月17日 | 能楽ー実技

                        フッキソウ

庭の片隅に、また、見逃しそうな花が咲いています。

フッキソウ(富貴草)、キチジソウ、キッショウソウなどと、結構な名前がついていますが、名は葉の様子から来ていて、花はイマイチとか。
私としては、ドウダ!と言わんばかりの花よりも、ひっそりと咲くこんな花に心が動きます。


高札についてしばらく見てきました。
キリシタン札や明治政府、五榜の掲示のドタバタ劇から高札の終わりまで、まだまだ続きます。

が、少し疲れたので、能のよもやま話などをボチボチ。

例によって、たまりにたまった能関係の故玩を紹介しながらです。
お付き合いをよろしく。


能楽の絵

能を描いた絵は、江戸時代から、多数描かれています。

江戸時代は、基本的には、絵師による肉筆の一品物。
歌舞伎とちがって、人気役者の浮世絵に相当する物は存在しません。 
ただ、わずかですが、勧進帳(安宅)や俊寛など歌舞伎にもある(元々、能を歌舞伎にアレンジした)演目や歴史上の有名事件などには、能の浮世絵があります。
明治以降は、肉筆と錦絵の両方があります。残された品も多いです。

次に描かれた場面についてです。
能絵には、大きく2種類あります。
①実際に能舞台で演じられる様子を描いたもの。
②能のストーリィのなかのある情景を写実的に描いたもの。
②に関しては、能舞台では、あらゆるものをギリギリまでそぎ落としてあり、演出も実にあっさりしています。ですから、情景はすべて想像で描かれたものです。

江戸時代の絵は、ストーリィ中の情景描写が多い(②)。
逆に、明治以降はほとんどが舞台絵です(①)。


能 『遊行柳』

 遊行上人(ワキ)が従僧たち(ワキツレ)を伴い白河関を越えて陸奥にやって来ると、一人の老人(前シテ)が現れ、かつて遊行聖が通った古道を教え、そこに生えている名木「朽木柳」に案内する。老人は、西行がこの柳のもとで休み、歌を詠んだ事を教えると、柳の蔭に姿を消します(前場)。
             (中入り)
 その夜、一行が念仏を唱えていると、老柳の精(後シテ)が現れ、上人の念仏で草木まで成仏できた事を感謝する。老柳の精は、華やかだった昔を慕い、柳にまつわる様々な故事を語り、よわよわと舞を舞う。やがて、夜明けとともに消えてゆき、あとには朽木が、残っているだけだった(後場)。

観世小次郎作。
世阿弥の名作『西行桜』を意識して作られました。

派手な場面は何一つないけれど、しみじみとした情感あふれる、能らしい能です。

   「道のべに清水流るる柳蔭 しばしとてこそたちどまりけれ」
                           西 行


    http://www.longhat.fan-site.netfolder_hosomichitr_05page_tr05_01.html
        史蹟:遊行桜;栃木県那須郡那須町芦野

芭蕉は、謡曲にも造詣が深かったようです。
奥の細道では、「殺生石」を訪れた後、この地に足を止めました。
敬愛する西行法師が詠んだ「清水流るる」の柳を訪れ、その下で、自分も休んでみたかったのでしょう。
感慨に耽っているうち、気がつけば、田植えは終わっていた。                         
    田一枚植えて立ち去る柳かな」
                芭 蕉


能・遊行柳の絵 




      「遊行柳」(河鍋暁翠 『能楽図絵』)明治32年
    河鍋暁翠は、河鍋暁斎の娘。女性画家。





            遊行柳(作者不明『能狂言図画』)明治時代

いずれも明治時代の木版画、能舞台を描いたもの。
老柳の精(後シテ)が、作り物から出て、遊行上人(ワキ)に、老柳を表す柳の故事を語っているところです。




謡曲画誌

稀覯本です。
江戸時代、本格的に能を解説した唯一の絵入り本。
全八巻のうち、1,4,6,7,8巻しか持っていません                 (ん万円もつぎ込んだのに)。
復刻がなされています(勉誠出版、2011年)が、これはオリジナル。


        橘守国画『謡曲画誌』享保20(1735)年

橘守国は、上方の浮世絵師。詳細不明。
『謡曲画誌』は、50代の作と言われている。

遊行柳は、四巻に載っています。






まず、『遊行柳』全体の解説を2ページほど、書いています。

絵は2枚。いずれも、能の中の一場面をリアルに描いています。

   前場。土地の翁(前シテ)に案内され、老柳の下で、遊行上人(ワキ)が十念仏を唱えている情景。


   後場。柳の精が語る、柳にまつわる故事の一節。
  華やかな都の様子を語る場面です。
 
「🎵~蹴鞠(しうきく)の庭の面。四本の木蔭枝たれて。 暮に数ある沓の音。🎵~」 

 正式の蹴鞠場には、4本(柳・梅・松・楓)の式木が植えられていました。よく見るとそれらが描かれています。

 蹴鞠は、遊行柳のストーリーとは何の関係もない(しいて言えば、柳の木が関係している?)のですが、能の本文(謡曲)では、このように、シュールに飛ぶことが多くあります。
 
謡曲はこの後、次のように続きます。

「🎵柳桜をこきまぜて。錦をかざる諸人の。花やかなるや小簾の隙洩りくる風の匂いより。手飼の虎の引綱も。ながき思いに楢の葉の。その柏木の及びなき。恋路もよしなしや。🎵~」
                              手飼の虎=飼猫 

じつはこれ、源氏物語、第34帖若菜上の一場面です。

「桜の花の下、蹴鞠に興じる柏木たち。その時、女三宮の飼猫が紐をからませ、御簾を上げてしまう。女三宮を見てしまった柏木は・・・・・・」


                  源氏絵 若菜上
   (源氏絵屏風六曲一双の一部。詳細はまたいずれ)


ことば遊びのように、ぴょんぴょん話しが飛んでいく。
能の特徴のひとつです。
こんなところが、移り気な自分に合っているのかも。