どぅ-ち-むに-日記

「どぅ-ち-むに-」とは沖縄の方言で独り言。日記スタートから8年!。今年もてーげ(てきとー)な日記をよろしくお願いします

感謝です。

2017-04-24 07:51:11 | Weblog
動画や写真を何度もアップしていたのでご存知だと思いますが、先週末の土曜日は、6年1組の恩師「比嘉聡」先生の退職祝いを、1つ、2つ上の先輩方と合同で行いました。当日、会場のNBCには100人を超す参加者と、比嘉先生だけでなく当時の室川小教員も御参加頂きました。

あれから四半世紀。皆さん素敵なLadies and gentlemenになってましたね!!。

実行委員の皆様のおかげで、最高の時間を共有出来ました。本当にありがとうございます。

これがフィナーレじゃなくて、また新たな会(パーリー)の始まりだと思い、沖縄を後にしたいと思います。

ちなみに、こんな僕が、17期を代表して「思い出の話」という挨拶を任されまして。

持ち時間5分で纏めたのですが、色々あって最後まで読み上げられなかったので、アップしておきます。

話長いぞ的な雰囲気でしたが、実際時間計って5分挨拶文ですからね!!(苦笑)。

以下、挨拶文ですっ!!。

ただいま紹介に預かりました17期生6-1の川上直樹です。

比嘉先生、長年の教員生活本当にお疲れ様でした。

17期を代表して『思い出の話』をという事ですが、あの当時は、一人ひとりの毎日が全て思い出話しに出来るような濃厚な日々でした。きっとこの会場内でも、様々なエピソード話花が咲いているのではないでしょうか?。

1組男子の朝の日課はメジロの餌作りと、先生のパジェロが到着するかの確認。そして先生のポロシャツが黒の日は機嫌が悪い確率が高いということから、服の色までクラスに報告する事でした。

学年行事として皆の思い出に残っているのは、やはり運動会ではないでしょうか。室川幼稚園の頃から、6年生が踊るエイサーを憧れの眼差しで見つめ、最上級生になってエイサーを踊る日を楽しみにしていたのですが、、、僕らの代は、まさかの空手の型演舞でしたw。

先生の熱血指導下、皆気合い入れて練習したので、鬼気迫る非常に迫力ある演武だったと思います。

僕ら生徒は、女性教員の仲松先生や田崎先生の授業を聞かず、困らせて泣かせてしまう事も何度かありました。そういった事は当然担任の比嘉先生の耳に入る訳で、こっぴどく叱られた事を覚えています。

どーゆー叱られ方だったのかは割愛しますが、想像に容易いと思います(苦笑)。

しかし比嘉先生は、生徒同士の喧嘩や問題には、ある程度の距離を置いて接していました。

生徒間の問題というのは、授業を聞かないという単純な話ではありません。お互いに言い分があったり、それまでの経緯もすっ飛ばして先生が介入すると、その場では収まりますが、その後確実に大きな確執になります。生徒間の問題は、直接介入せず、黒子としてヒントを与えながら出来るだけ自分達で解決に導く。

福祉の現場で障害者の支援に携わる仕事をしていますが、その手法は非常に参考になっています。

本日の会場、NBCという場所は、僕が社会人になり初めて就職した場所で、エスコートという役割担っていました。ある日、結婚式の相談でNBCを訪れていたのが、6-2担任の仲松郁子先生でした。僕は必ず自分が担当したいと伝え、実際に先生の式でエスコートをさせて頂きました。新郎新婦入場時、新婦元職場の円卓には、室川小学校の先生達がいて、大きい声で「なおきー!なおきー!!」と新郎新婦をそっちのけで大きな声援をかけてくれたのは、昨年お亡くなりになった6-3担任、仲村順子先生でした。きっと今日もこの会場で皆の事をあの時と同じように大きな声で励ましながら、ニコニコと笑顔で見守ってくれてるのではないでしょうか。。。

内地に出て、そして親になって改めて感じた事は、ひとり親世帯や、両親が共働きで一緒の時間が取り難い沖縄の子供たちにおける、先生という存在の大きさです。

その大きな責任と役割を全うした先生方と、そして今現在も現場に立つ先生方に本当に感謝の気持ちと尊敬の念を感じます。

最後に、重ね重ねになりますが
比嘉聡先生、教員生活本当にお疲れ様でした。

多忙な中、お越しいただいた先生方、
そして、こんな素晴らしい会を企画して頂いた先輩方を始め、実行委員の皆さん、本当にありがとうございました。

ご静聴ありがとうございました。

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