農業をするのに、農機具は不可欠ですが、「帰農」などと言って農業で生計を立てようとする人が、安易に考えないように、チャンちゃんが2019年以降に、買った4つの主要な農機具を、その金額と共に掲載しておきます。
【トラクター:144万円(クボタ・新車)】
トラクターは、農業に不可欠な必需品です。チャンちゃんは長年プー太郎しているのに、ドラえもんのポケットを持っているので、同年(2019年)に新古車のワゴンRも一括払いで買ったのですが、そっちは120万円でした。150馬力のトラクターのほうが軽自動車より高いんですよ。
【軽自動車:110万円(スズキ・新車)】
2021年以降、コロナで慢性的な半導体不足になり、新車がなかなか手に入らないという状況ゆえに、中古車価格が暴騰していました。使用期間6カ月のダイハツの中古車が127万円で、スズキの新車が110万円だったので、当然、新車を選択しました。ローンでは納車がいつになるかわからないという状況だったようです。2022年の1月に、全額の110万円を一括払いし、3月10日に新車を受け取ることができました。
チャンちゃんは、このスズキの軽トラをキャンピングカーにする予定です。農業なんて、農地があるからやっているだけ。なので、そのうち、さっさと農業からトンずらして、ノマドになって、どっかに行っちゃいます。
【脱穀機:25万円(三菱・中古)】【稲刈機:18万円(クボタ・中古)】
脱穀機は、昨年、米作を止めるつもりで2000円でスクラップにしてしまいました。もともとおコメの消費量は極小の体になっており、そろそろ地球生命圏を卒業する予定だったからです。ところが、何ゆえか魔が射して、今年の4月に、またこの中古を買ってしまいました。
稲刈機は、昨年まで親戚のを借りていたのですが、魔が射したついでに、こっちも中古を買ってしまいました。
田植機は、まだ使えたので買っていませんが、中古は新品の5割ほどの価格で販売されています。おそらく、歩行型2条植えの中古だと20万円ほどでしょう。
もしも、米作農家をするなら、
トラクター 軽自動車 脱穀機 稲刈機 田植え機 = 合計
144 + 110 + 25 + 18 + 20 = 317万円
が必要になります。
3000㎡(3反)にもとどかないような僅かな面積の田圃しかないのに、壊れた機械を修理したり買い替えたりしながら、米作を続けている人々は、経済的合理性という視点で見ると、超絶に "愚か者" ということになるでしょう。農林省の統計でも、「200円の米を作るのに、300円かかっている」と明記されています。農家の皆さんは、合理的な数理計算に暗く、人件費という概念がないので、「トントンで何とかなっている」と思っているようですが、全然トントンになんかなってないですよ。
チャンちゃんは今年1500㎡(1反5畝)の田圃でお米を作りましたが、これによる収穫米を全部JAに売っても、玄米ベースで18袋×8千=14.4万円にしかなりません。ここから、農地の固定資産税(2万)、水利費(4万)、苗代(1.5万)、肥料代(2万)を差し引けば、残りは4.9万。人件費や機械の燃料費や整備費を考慮していない4.9万円を単年度の実収入として、購入した農業機械の297万円を返済するには60年かかります。農業機械が60年ももつわけないですから、これで米作農業をするなんて、ドン引きするほどの愚行だっちゅうことが良く分かるでしょう。プー太郎のチャンちゃんはドラえもんのポケットを持っているので、こんなんでも give & give の生き方を崩すことなくボランティア農業を継続できますが、普通の人では、全く無理ですよ。くれぐれも、チャンちゃんのマネなどしないように。
ついでに、別の側面から、従来型農業不要論を書いておきます。人間は、進化すればするほど、食べなくても生きてゆけるようになります。地球の周波数がドンドン高くなっている今現在、少食、微食、不食の人々は、日増しにドンドン増えています。重たい体を維持するために、食べ続けるなんて、"愚かさの極み" というものです。
【先進宇宙文明では食事の必要などない】
より本質的な視点で、農業に関するこういった状況を語るなら「採算割れで農業人口が減少している現実は、地球進化の方向性に合っている」ということなのです。
「多食」という心理の背景には、欠乏への「怖れ」があります。高次元へと進化する人々は、あらゆる「怖れ」から解放されています。「怖れ」を持つ人々には、「愛」がありません。「愛」がある人々は、「怖れ」を持ちません。「愛」と「怖れ」は、対極にあるものであり、同居できないからです。「怖れ」がベースにある人は 「take & take 」 の人生になります。それでは徳が積めないので定常的に徳がありません。「愛」がベースにある人は 「 give & give」 の人生が可能になります。敬神の志も併せ持っているので、神の徳によって運を添えてもらえるからです。
【その循環に身を置く】
人を計るのに、噂ほどあてにならないものはありません。あてになるのは、過去の足跡のみです。見るべき足跡のない者が流すデタラメな噂を信じるのは、同様に見るべき足跡のない者達です。家や車の立派さや社会的な肩書など、その人のもつ「徳分」のバロメーターになど、全くなりません。あくまでも、実績ベースの足跡のみです。
以上