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日本文化講座⑩ 【日本語の特性】

2019-05-31 15:15:06 | 日本文化講座

■ 音読みの日本語 vs 訓読みの日本語 ■

 日本語が上手になった留学生達は 「日本語を話していると気持ちが優しくなる」 と言います。一方、普通の日本人は、中国人や韓国人が母国語で話しているのを聞いていて 「少し乱暴な言葉に聞こえるなぁ」 と内心では思っているのです。何故でしょうか。  日本語で漢字を読む場合、日本古来の大和言葉の読み方である 『訓読み』 と、中国から伝わってきた漢語の読み方である 『音読み』、二つの読み方あることは、皆さん御存知の通りです。 『訓読み』 と 『音読み』 を対比した表をご覧ください。


 読み  読みのルーツ  外海   内海    読み方の違いによる日本人の感じ方

 音読み 漢語(中国語) がいかい ないかい   大きい感じ・外的・外交的・意思的・量的

 訓読み 大和言葉   そとうみ うちうみ  小さい感じ・内的・内向的・情緒的・質的

 

音読み訓読み、いずれであっても辞書を引けば同じ意味になってしまいます。しかし日本人は、全く同じには感じていません。読み方が異なれば、感じ方は違うのです。内海(ないかい)と読めば、“客観的に外の世界にあるもの” と感じ、内海(うちうみ)と読めば “心の中にある小さな海” という風にも感じられるのです。どの漢字であれ、音読みと訓読みによる感じ方の違いは、上記の対比表に記述したようになります。  日本人は、読み方の違いを巧みに使い分けてきました。幼少の子供たちが覚える 「童謡」 は殆どが訓読みです。また 「演歌」 という情感の世界を表現する歌謡曲の歌詞は自ずと訓読みが多く用いられています。音読みにしてしまうと 「演歌」 にならないのです。では、音読みが主体の歌はあるのでしょうか? あります。 「軍歌」 です。1900年代前半の戦争の時代、日本人全体の覇気を鼓舞するために作られた軍歌の歌詞は、殆どが音読みで構成されていたのです。

  《参考》 朝鮮語の “ハングル” は日本語の “ひらがな” に相当しますが、ハングルには、日本語の訓読みに相当する

       読み方の単語は殆ど残っていません。朝鮮固有の文化は絶たれているようです。

 

■ 日本古来の文化芸術 “ 短歌 ”の世界に見られる日本語の特性 ■  

『万葉集』 は5世紀から6世紀にかけて書かれた短歌を集めた、日本最古の歌集です(日本文化講座⑤ 「天皇・言霊」 参照のこと)。この時代は、中国から様々な文献が流入していました。有閑な貴族階級は、漢語の仏教文献を読んでその思想を深く吸収しつつ仏教文化のパトロンとなりました。また、中国の詩人の漢詩を読んでその文言の一部を自らの短歌に取り込むことで教養を競ってもいました。漢語文化の最大の理解者であり、日本語に音読みの漢字を定着させた功労者である貴族階級の読んだ歌が、『万葉集』 の中には幾つも集められています。  このような時代背景の中で成立した 『万葉集』 です。では、『万葉集』 の中に、音読みの歌は何首選ばれているのでしょうか? 一首も選ばれていないのです。政治制度や仏教思想や漢詩など、すべて漢語文献を通じて、日本に多大な影響を与えていたにも関わらず、音読みは、神代の時代から伝承してきたといわれている日本古来の文化芸術である短歌の世界には、影響を及ぼしていなかったのです。

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『万葉集』 の後に編纂された 『新古今和歌集』 の選者である藤原定家と藤原家隆の二人は、『古今集』における秀歌として、期せずして同じこの歌をあげました。

     有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし

 意味を先に考えようとする現代人には、これが最高の歌であると評価される理由が分りづらいのですが、古代の日本人は、意味よりも音(言霊)が形成する世界を敏感に感じ取って評価していたらしいことは分かるのです。

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 大和言葉の短歌のみを収集したことは、『万葉集』 や 『古今集』 の選者が保守的だったからという理由ではありません。現代人より繊細な感性(霊性)で音を看ていた古代の日本人は、大和言葉(訓読み)の中にしか美しさを感じられなかったのです。 現在の日本にも短歌を愛好する人々は多く、短歌に習熟すればするほど、大和言葉の美しさに魅了されてゆくのです。言い換えるならば、大和言葉は、神代の時代といわれる太古の昔に、既に言霊として完成されていたのだと思うのです。

 

■ 日本語と日本人の脳の特異性 ■  

 下表は、日本人と外国人を被験者とし、3つの音を聞いてもらった実験結果の対比表です。

  ・母音とは日本語の 「あ・い・う・え・お」 であり、子音は母音以外の発音です。

   ・自然音とは川の流れる音や虫の鳴き声を意味しています。

   ・人間の脳の構造は、左脳と右脳に分かれており、左脳は一般的に言語脳といわれています。
 

被験者  母音 子音 自然音  結果の解釈           自然との関係 神との関係

日本人※ 左脳 左脳 左脳 全て言語脳で処理する (自然と会話する)  共生・親和的   血縁・祖先

外国人   右脳 左脳 右脳 言語脳の対応域が狭い (自然を雑音と感じる) 分離・対立的 契約

   ※1 厳密には、ポリネシア人だけは日本人と同じ結果

   ※2 日本人であっても、上記の結果を生ずるのは9歳まで日本語だけで育った人に限定される

 この実験結果から分るのは、「日本人は音として言葉を理解する傾向があり、外国人は意味として言葉を理解する傾向がある」 ということです。

  また、神道の基本思想である 「自然は神なり」 という発想も、虫の声や風の音に耳を澄ます日本人にとっては至極当然であることが分ります。

  さらに、神との関係であってすら 「契約」 とする聖書の発想も、自然から分離してしまった言語脳が、怖れを緩和するために、必然的にロゴス(意味)を主体とする言語文化へと導いてきたことの顕れであることがよく分ります。  ※2 は興味深いことを語っています。「両親が日本人であっても、幼少期に日本語環境に恵まれなかった子供は日本人の脳の特異性を持てない」 ということです。つまり、DNA(遺伝子)が日本人を作るのではなくて、日本語が日本人を作っているのです。

 

■ 音と質の日本語 vs 意味と量の外国語 ■  

日本語と外国語(日本語以外の言語)の違いについて、極論を恐れずに敢えて絞込んで記述するならば、以下のようになります。

○ 外国語は、単語の意味を限定して、文章は論理的に一意に定まるよう、量的な表現を多用する。      (外国語は武器となる)

○ 日本語は、単語の持つ音の組合せを活かして、解釈の多様性が生ずるよう、質的な表現になる。      (日本語は芸術となる)

  故に、外国人は 「日本人は何を言っているのか分らない」 と言い、日本人は 「外国人とのディベート(議論)は、チョー苦手」と思っているのです。日本人のこのような傾向は、とりもなおさず日本語の特性に起因しています。

 

 上記の言語対比を踏まえた上で、日本語の特性として欠くことのできない2つの重要なポイントを説明します。

○○○ 世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語 ○○○  

雨や風といった自然の気象を表現する言葉や、魚を分類する言葉などの具体例を調べてみるならば、日本語の中に存在するそれらの数の多さに誰もが唖然とすることでしょう。日本語は、外的な事物を対象にした場合のみならず、内的な世界に向かう場合であっても極めて繊細なのです。  日本語、英語、中国語、台湾語の4ヶ国語を自在に語れる、台湾の李登輝・前総統は、「じっくり考えたい時、私は日本語で考えている」 と語っているそうです。  私は中国語を話せませんが、100ページ分の中国語を日本語に翻訳すると、どうしても150ページになってしまうことを経験しています。中国語には現在・過去・未来という時制がないこと等も原因の一つですが、対人関係や周辺状況などによっておのずと表現の異なってくる日本語の繊細さが、中国語にはないのです。  この言語的特長は、「日本人が中国人(外国人)に対して、相手を気づかった繊細な表現をしても無駄である」 ことを示しています。中国語には繊細な表現がないのですから、日本語の繊細さがおのずと生み出している 「日本人の謙虚な態度が、中国人(外国人)には伝わらない」 のです。また、「中国の政治的傲慢さの出所は中国語を話す民族であるから」 とも言えるのです。

○○○ 《繊細さ》それは日本語の中に生きている横の秘儀である ○○○

【現実世界での日本の優位性】  認知心理学の表現を借りると、「認識できないものは存在しない」 ことになります。言い換えるならば 「言葉で表現できないものは存在しない」 ということです。つまり、「細やかな表現を持つ日本人にとって存在する世界が、細やかな表現を持たない外国人には存在しない」 のです。このことを逆の方向から表現するならば、「言葉で表現できない外国人に創れないものが、言葉で表現できる日本人には創れる」 ということになります。  常に未知の領域を目指して開発されてゆく最先端産業技術の領域や、繊細な感情表現を背後に内包するアニメなどのストーリー展開において、日本語を話せる人のみが、常に世界の先頭に立って、開発し生産し表現し続けることになるのは必然的なことなのです。


  さて、次に 《繊細》 さ とは全く逆と思われる、《曖昧》 な 表現が活きる日本語の特徴を、その背景から探って見ましょう。

 ●●● 曖昧な表現が活きる日本語の背景 ●●●

 今日では、日本のアニメがもたらした 「カワイイ(可愛い)」 とか 「ビミョー(微妙)」 といった意味の曖昧な単語が、世界中に広がっています。輸入先の各国では、これらの言葉がいろんな場面によって、異なった意味に用いられているため翻訳できず、「日本語の音」 をそのまま印刷して出版しています。  言うまでもないことですが、日本語を話す日本人どうしならば、曖昧語を用いた表現でも即座にコミュニケーションが可能です。その理由は、「細やかな感情表現」 や 「音が媒介する意味の広がり」 を言葉の背後で共有しているからです。


■ 細やかな感情表現を持つ日本語 ■

 細やかな感情表現の有無を比較するには、小説や映画のラブストーリーの描かれ方を見るのが例として相応しいでしょう。  外国のラブストーリーの面白さは、階級や身分の異なる者どうしが、それらの障害を乗り越えて互いを求め合うという “ 状況の中 ” にある ものが殆どです。 故にストーリー展開に引き込まれる傾向があります。「ロミオとジュリエット」 や 台湾・中国でブレイクした 「寒玉楼」 など、みなこのパターンに分類されます。 一方、日本人が心打たれるラブストーリーとは、「相手を思いやる優しさ」 とか、「相手を労わる美しさ」 とか、「惻隠の情」 といった “ 情感の中 ” に見出されるものなのです。  繊細な日本文学や、日本映画だけを対象にし日本人の審査員だけが選ぶ日本映画大賞の最優秀作品の良さ(美しさ)を、外国人が分るかどうか、日本語の特徴から考えて、かなり難しいと思うのです。


■ 音が媒介する意味の広がりをもつ日本語 ■

 具体例を挙げるならば、「神」と「火水」、「姫」と「秘め」、「松」と「待つ」、「結び」と「生す霊」、「日の本」と「霊の元」、「性」と「生」と「正」と「聖」と「誠」、「愛」と「天意」、「真剣」と「神権」 など、神道の世界では、一つの音を聞いて同音の単語を瞬時に複数思い浮かべることは、「一を聞いて十を知る」 ための大前提になっているのです。神道の世界はここから始まると言っても過言ではありません。  派生的な事例ですが、日本語の特徴として、音で表現する擬態語や擬声語が非常に多いことが挙げられます。 「ヨタヨタ歩く」 と 「ヨロヨロ歩く」 の違いを日本人に説明する必要はありませんが、外国人にこの違いを理解してもらうためには、ややこしい単語を用いて説明することが必要になります。 前編に記述してきたように、古代の日本人は現代の日本人より遥かに音(言霊)に対して敏感だったようですが、現代の日本人であっても、音としての日本語の特徴に多くを依存して使い分けを行っているのです。


●《言霊》それは日本語の中に生きている縦の秘儀である●

【精神(霊的)世界での日本の優位性】

  音は言葉以前の原初的なものです。日本人が自然の美しさや自然に対する畏怖を感じた時、深い感情をともなって、「ああ」 とか 「おお」 等の母音の単音表現が出てくるのです。感情表現としての音、この原初的な音に細やかな感情表現が乗せられた時、日本語は繊細であるが故に強力なエネルギーをもった言霊となります。

  この原初的な音(母音)を日本語の中に持つが故に、日本は言霊を介して宇宙(神)へと通ずる回路を脳の中に保持している、世界で唯一の特殊な民族集団として<言霊の国・日本>を形成しているのです。

 <了> 

 

 

 

 


日本文化講座⑨ 【日本神道と剣】

2019-05-30 15:58:30 | 日本文化講座
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□■□■□ 日本神道の根源となる 『剣の思想』 □■□■□

  日本には、「古事記」や 「日本書紀」 などの文献より、遥か昔の古代日本で書かれ、一般に知られることなく、伝統的な神社に保管されていた古代文献が幾つもあります。 「秀真伝」 「宮下文書」 「竹内文書」 「カタカムナ文献」 などです。「秀真伝」 を基に 『剣の思想』 を解釈すると、以下のようになります。  古代のシャーマン(霊能者)は天から地上に降りる “光の柱” を認めて、それを " 神柱 " と呼びました。これを剣に観立て、神が降り下る神籬(ひもろぎ)として、剣を神社の御神体としたのです。 そして、その形状から漢字の  " 一 " と解釈し、 同時に根源としての " 太極 "  と観ました。 聖書の表現を用いるならば " 天地創造の根元 " に該当します。  また剣には切断するという働きもあります。  即ち、一を断ち(太刀)て二、二を断ちて四、四を断ちて八、というふうに、 『剣』 は、断ち、産み、殖やし、栄える、「性」であり、「生」であり、「正」であり、「誠」であり、「聖」なのです。 それに対し、 『刀』 は、断ち、殺し、滅し、衰亡する、「死」であり、「聖の背理」となるも「聖の負の働き」でもあるのです。  つまり、繁栄・発展を意味する 『剣の思想』 は、神国・日本、国家発祥の原理 だったのです。


□■□■□ 「 剣 と 刀」 そして 「 武道 と 武術 」 □■□■□

 古代の日本は " 祭政一致 " の国家でした。この時代の剣は、全て真直ぐでした。しかし、大規模な争い事が頻発し出した平安時代(784~1185)の中期以降に、実践に適するように湾曲した刀が生産されるようになって行きました。そして間も無く、帯刀した武士が政権を担当する鎌倉時代(1185~1333)へと移行して行ったのです。世界中で出土する直剣と曲刀の発掘年代分布を調べてみると、日本以外の国々でも、ほぼ同様な推移が見られます。  日本を含む世界の歴史は、はたして進歩してきたのか後退してきたのか、下の項目対比を見て考えてみて下さい。  剣 : 直剣(真直ぐな心):両刃:活人剣:武道(剣道):創造:神器:真我(神):神霊界:権威:祭主(天皇)  刀 : 曲刀(曲がった心):片刃:殺人刀:武術(剣術):破壊:兵器:小我(人):物質界:権力:政治家(軍人)
 武道の目的は、天地の理法を知るためにあるのです。つまり天地自然のリズム=呼吸を知ること、そのための鍛錬こそが武道の目的でした。天地自然と一体となるための方法は、仙道・ヨーガ・禅・密教の修行法の中にもあります。それが武道の中にも託されていたのです。仙道の帰神、ヨーガの梵我一如、禅の悟りである見性成仏、密教の即身成仏、これらが意味することを神道では神人合一といいます。武道は、神人合一を体得するための鍛錬方法だったのです。


○ 「武士道」に生きていた『剣の思想』 ○

 「 神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う 」 これは、鎌倉時代にできた武家の根本法である 『貞永式目』 の第1条です。剣ではなく刀を帯びていた武士であっても、「武士道」 精神の中には 『剣の思想』 が生きていました。しかし、時代が進むにつれて、しだいに、" 神への道 " ではなく、" 殺人の術 " へと変容してしまい、武道本来の目的を見失った武道家ならぬ武術家たちが多く跳梁跋扈するようになってしまったのです。


○ 「新撰組」という剣戟集団に見られる“死の美学” ○

 「新撰組」は、明治維新(1967)前後、1963から1968までの5年間存在しただけの剣戟職能集団でした。彼等は武士道によって棚上げされていた剣戟(剣術)を復活させ、自滅を厭わぬテロ行為で激動の政局に関わった最も過激な集団でした。  脱藩者や浪人や耕作地を持たぬ農民からなる「新撰組」は、“士農工商” という身分制度外に存在する集団でした。「武士道」 が定着していた江戸時代にあって、“士農工商” の制度枠内にあるならば、剣術は嗜みではあっても職能とは成り得なかったのです。身分制度外にある、いわば無法者とでも謂うべき、そんな彼等が、剣術を恣に振るうことのできた歴史上最後のチャンスが、明治維新前後の動乱の時代だったのです。  刀を手に江戸幕府側に付き戦局に立ち向かった「新撰組」は、近代兵器を持って明治維新を行おうとした「志士達」の前に、当然の如く敗れ去りました。そんな「新撰組」のことを、大衆は共感を持って受け入れてもいたようです。「所詮かなわぬ人生を、花火のように一瞬の輝きと共に終えて行く」 そんな “死の美学” が、江戸時代に流行った荒事歌舞伎のように、大衆から共感を得ていたようです。  しかし、どれほど大衆受けしようとも、「新撰組」の行為に “神への道” は見出せません。「志士達」 の 「 『国を守る』 志」 に比べたら、「新撰組」 の振舞いなど 「自暴自棄な 『傾き者(目立ちたがり屋)の犬死』 に過ぎない」 とまで言ってしまっては言過ぎでしょうか。
 

 

□■□■□ 日本神道の深み (その1) 【 万年単位の根本思想 】 □■□■□

 儒教、仏教、キリスト教は " 千年単位 " の思想ですが、日本神道は " 万年単位 " の思想です。千年単位の思想の基は、全て日本神道の中にあるのです。「孔子も仏陀もキリストも、時空を超越した高度な霊格者であったが故に、その根元となる場所を知っていた」 と古代文献には書かれています。
 

◆拝金主義、権威主義を常套手段とする政治家に導かれている中国や北朝鮮や韓国に、 儒教の本質は見出せません。  

◆仏教の発祥国・インドは、今日では既にヒンズー教国です。  

◆儒教と大乗仏教は、日本にもたらされたことにより、拝火教の秘儀を知っていた聖徳太子によって   日本神道思想の中で適切な解釈がなされ、日本に深く根付くことになりました。  

◆密教の法灯は、中国人の恵果から日本人の空海に伝授され、日本古来の修験道と呼応しながら   その役割を十分に果してきました。  

◆禅宗は、無形の智慧として保たれていた神道に適切な解釈表現を与え、一部呼応する修行法を与えました。

◆古代キリスト教については、既に<日本文化講座④>の中で記述しています。

◆占いの原典であるはずの易経思想も五行思想も、その根元は日本神道の 数霊・言霊 の中にあるのです。  

◆日本仏教諸宗の開祖の一人として名高い日蓮(1222~1282)は、伊勢で霊感を受け   「日本の国難の柱となる」 自覚を持ち、元寇から日本を守る一翼を担いました。  

◆密教の天才・空海(774~835)は、自らが開いた 真言密教の本山である 「高野山を売ってでも、   **と**の神社を守るように」 と言い伝えていたのです。  

◆2世紀から6世紀頃にかけて、儒教や仏教が中国や朝鮮から日本に伝えられましたが、   聖徳太子(574~622)は 「日出る処の天子、日没する処の天子に、書を致す」 と認めた国書を   随(中国)の煬帝に送りました。単なる政治家としてのプライドなどではなく、日本神霊界の深みを   知悉していたが故の表現です。
 聖徳太子のみならず、その後の日本の歴史上の国学者(神道思想家)も、現在の国学研究者や神道に通じた民間人も、日本神道思想の深みを知悉するが故に、近年の中華思想や大韓国思想に基く、近隣諸国の政治的・文化思想的な思い上がりに対して、敢えて事挙げすることなく沈黙しています。  「神国・日本を謀る国々に、既に誠は失われて久しく、それ故に彼の国々の繁栄は危うい」と知っているからです。


□■□■□ 日本神道の深み (その2) 【「剣・誠・男」 と 「鞘・愛・女」】 □■□■□

  『剣の思想』 で説明したように、剣は天と地を結ぶ神柱であることから、「至誠、天に通ず」 という表現が容易に想起されます。剣道などの道場で 「至誠」 ないし 「誠」 と書かれた額を掛けている処が多い理由が分るでしょう。陽(男性原理)の 「剣」 に対し、これを納める 「鞘」 は陰(女性原理)を表します。  2001年12月1日、日本の皇室に産まれた " 愛子様 " は、21世紀の女性天皇となるでしょう。 「1」 と 「2」 のみで構成される生年月日が数霊となって、そのことを象徴しています。また、名前の " あい " を言霊で解くと " 天意 "  即ち " 天の意志 " を表しています。 また、「あ」 と 「い」 は、日本語(大和言葉)の 「かな」 の最初の二文字ですから、言霊の国・日本自体が、天(神)の意志によって創られた " 神の国(契約の国) " であることを示してもいます。  " 愛子様 " が生まれてから、卓球・ゴルフ・テニス・水泳などのスポーツで、"あい" を言霊に持つ "愛ちゃん" や " 藍ちゃん " や " 亜依 ちゃん" 達 が、世界を相手に華々しい活躍を始めました。天皇家と天皇家を補佐する一群の人々が日本の雛型となり、日本が世界の雛型となっているのです。  繁栄・発展を意味する " 誠の剣をもつ日本人男性 " を補完するために 、恒久平和を意味する" 愛の鞘となる日本人女性 " の役割が、愛子様の誕生によって予告され、既に現実が呼応し動き出しているのです。

 

□■□■□ 再度、日本神道の根源となる 『剣の思想』 を語る □■□■□

 お解りいただけたでしょうか?  天地を結ぶ神柱である剣は、それ自体が天(神)の意志であり、愛 を表しているのです。 日本神道の 『剣の思想』 は、『人に天意に添わんとする誠があれば、繁栄・発展をもたらし、人に天意そのものである愛があれば、恒久平和をもたらす』 ことを意味しているのです。

 天意から遠ざかり政治謀略を旨とする世界の国々・人々、および日本人でありながら神国・日本、国家発祥の原理である 『剣の思想』 を忘れ去り、理解できなくなってしまった人々が、互いに神の道から外れた 「刀の思想」 を振り回し、世界を繁栄から遠ざけ、世界を混乱させ苦しめ破壊するかもしれません。

 その場合は、真澄の心をもつ至誠の人に託された真剣(神権)が振るわれ、天地を自在に動かす神力となって、やむを得ず別の解決方法を採ることになります。 

<了>

 


日本文化講座⑧ 【武士道】

2019-05-29 16:11:17 | 日本文化講座

【新渡戸稲造(1862~1933)によって、英語で書かれた『武士道』 】

  『武士道』は新渡戸稲造が、日本語ではなく英語で書いたことで今の世に残っています。新渡戸は、国際機関で働く日本人の一人でした。彼は友人であるベルギーの法学者ラブレーに「日本では宗教教育なしで、どのように道徳教育を行っているのか」と尋ねられ、返答に窮したあげく『武士道』を著したと序文に書かれています。

 


 【 『武士道』の背景と概要 】

  誤解なき様に、最初に記述しておきます。「武士道」 は武士階級だけの道徳ではありません。日本人として生きる全ての人々の道徳でした。  日本には近代になっても西欧に見られるような哲学的な思想書がありませんでした。その理由は、儒教や仏教や神道などの思想が 「武士道」 に吸収合併されていたからであり、また、「武士道」 は知識のための知識を重視しませんでしたから、学問としての哲学思想は必要なく、実生活における智恵としての存在に留まっていたからです。新渡戸の時代にはまだ、無言の感化力をもつ 「武士道」 という “不文律” が日本に存在していました。当時の日本人にとって 「武士道」 は空気のように当然の道徳だったのです。

 

 【 武士 と 刀 】

  武士(=侍) が、危険な道具である刀を持つということは、自制心、責任感、自尊心を持つことでした。刀を簡単に使った武士は 「刀を使わなければ問題が解決できないのか」 とバカにされました。「武士」 という漢字を分解して解釈すると、「戈を止める士(=人)」 となります。 つまり " 戦わずして治めるために、自己を修める " ことが武士の本当の力量を示しました。  最近の過激な格闘技では、登場する日本人選手を演出するために「武士道」という言葉が使われていますが、余りにも本質から懸離れた誤用です。また映画などで刀を振り回しているサムライの姿を見て、武士=戦士と思っているなら、完璧な間違いです。刀は本来、自らの心に向けられるべき物でした。  <日本文化講座⑨「日本神道と剣」:参照>

【 武士 と 切腹  】

 切腹とは、自ら刀で腹を切る自殺のことです。欧米人はこれを腹切り(ハラキリ)という言葉で認識しているようです。  どうして切腹などしたのでしょう? その理由は、「罪の償い」 「不名誉(恥)の払拭」 「誠実さの証明」 「朋友の救済」 などです。これらに該当しない場合は「犬死」と言われました。 「自らの行為が誰かの不都合になったので、責任をとって自ら命を絶つ。しかし自分は私利私欲のために行ったのではない。その証拠に切腹して身の潔白を証明する」 という論理です。
 

【 女性 と 武士道 】

  「婦」 という字は 「箒を持った女」 と書きます。従って 「家を治めるのが第一義」 という考え方です。女性は男性の奴隷であると考えているのではありません。「お互いの性差を認め、得意な領域でしっかりと義務を果たす」 という考えです。具体的には 「女は男を立てて家庭を守り、男は主君を立てて国を守る」 という役割分担です。  良家の子女は必ず懐剣を持ち、その使い方をマスターしていました。自らを守るためであっても、相手を倒すためのものではありません。例えば貞操を汚さんとする相手に対して、自分の命を絶つことで抵抗したのです。
 

『武士道と云うは、死ぬこととみつけたり』

  佐賀藩士・山本常朝が1716年に著した 「葉隠」 の中の有名な一節です。この書物は、江戸時代に書かれた武士のための論語と言われています。

 この言葉の本旨は、「死んで生きること」 即ち 「小我(人)を捨てて真我(神)に至り」 「永遠の生命を得る」 ということです。  

 封建制度下の武士道として、この言葉を読むならば、「大義(主君・国家)の為には、自らの身命を捨てる覚悟で、誠を貫いて生きる」 ということになります。

  精神薫陶の武士道として読むならば、「常に死を思い、明鏡止水の境地で、唯今を生き貫く」 という心構えを意味しているようです。

  「武士」 を賞賛するのに 「潔い」 という言葉がよく使われますが、 「潔い」 ことの究極の行為として、「切腹」 や 「散華」 を肯定することにもなりました。武士道思想に慣れ親しんでいた日本人は、死の潔さを、桜の花の散り際の美しさに託したのです。日本人が桜の花を愛でる理由の一つです。
 

『 かくすれば かくなるものと 知りながら 止むに止まれぬ 大和魂 』

  「こうすれば助かるとは知っているけれど、俺はそっちを選ばずに、敢えて死んで行くよ。それが日本人の魂さ」 と歌った吉田松陰(1830~1859)は、「松下村塾」 の塾生達に、短歌の内容どおりに " 大和魂 " を実践してその気概を示し、20代の若さで死んで行きました。その後、塾生達は逸材となって明治維新という改革を遣り遂げました。日本を守ったのです。

  キリストは、殺されるかもしれないエルサレムへ行き、敢えて入城し、そこで現実に殺されました。この行動によって12名の弟子達は " 気づき " を得て使徒となりました。キリスト教が世界に広まるキッカケとなったのです。

  吉田松陰もキリストも、『一粒の麦』 となって死に、一粒の死によって他の多くを救ったのです。新渡戸の書いた「武士道」が、1901年に英語で出版され、キリスト教世界の読者に共感をもって読まれたことは、" 武士道が人類の普遍的な思想に通ずるもの " であったことを示しています。
 

『 武士道は不死鳥である 』

  と新渡戸は書いています。不死鳥とは " 死がない鳥 " という意味ではありません。" 火の中で死に、その灰の中から再び甦る鳥 " です。即ち生死・時空を超えて一羽で天翔ける 「火の鳥」 は、「霊の鳥」 であり、常に 「一人」 です。

 日本語の言霊感覚に鈍くなった現代の日本人や、孤独を羞じる現代人の柔弱な心には、やや理解しずらいかもしれませんが、神道のエッセンス(精髄)が武士道に集約されていることの証拠表現です。

  天(神)の使者としての不死鳥のように、心は常に天(神)に真向かい、愛と誠を貫き通して生きてこそ、武士道を実践したと言えるのです。                                                  

 

<了>

 

 

 

 

 


日本文化講座⑦ 【易経】

2019-05-29 15:22:01 | 日本文化講座

◎ 「韓国の国旗を描いて、その意味を説明してください」

 と韓国人のサークル参加者に、国旗を書いてもらいましたが、過去100人近い韓国人で、間違いなく書けた人は、 わずかに一人 !!!  説明できた人はゼロ !!!  素晴らしい!!!   韓国は繁栄(?)することでしょう。

 


◎ 韓国の国旗は

 ・「太極旗」と呼ばれており、この「太極旗」には「易経」の思想が表現されている。

 ・中央の ○ は太極を表し、すべての根源・根本・中心を表しています。 ・太極を分けている赤と青の2色は、陽と陰、+と-、男と女 などの万物を構成する2元を表し、太極が陽と陰の2つに分れて活動を開始する様子を表しています。この紋様を日本では巴紋と言っています。

 ・「繋がった線」と「切れた線」 はそれぞれ陽と陰を表し、この陽と陰の3つの組合わせは全部で8組ありますが、太極旗はそのうちの4組を象徴的に表しています。

 ・易経を元に編出された易学では、この陰と陽の6つの組合わせを基本として用いていますが、これは全部で64組あり、生物を構成するDNAの基本数と同じです。 易経は、古代のシャーマン(霊能者)が直感的に会得した世界認識体系であり、韓国の国旗には万物世界を認識・解釈することのできる基本原理(太極が展開する様子)が描かれているのです。

 
◎ 韓国の「韓」の字は?

 韓国の 「韓」 の字の一部は、元々 「占い (易)」 の意味を含んでいます。どの部分がそれなのか?自分で調べてください。(どうせ調べる気はないでしょうから、正解: 「ヰ」 の部分)

 

◎ ソウルにある景福宮(李朝の王宮)の建物の外壁には

  日本の皇居に相当する、韓国・ソウルにある景福宮(李朝の王宮)の建物の外壁には、多くの漢字が書かれていますが、これらの文字の内容をご存知ですか? これらも古典文献の主要な文言です。


 

●自国の文化を語れないって、恥ずかしくありませんか?

  韓国は、日本のように文化伝承性の優れた国ではないようなので、ここに記述してある程度の内容すら、きちんと説明できた韓国人に出会ったことはありません。それにしても、あなたが韓国人で、自分の国の国旗を正しく描くことができず、漢字の国名が意味することも知らず、また景福宮の文言さえも知らないのなら・・・・・・・、韓国人として、恥ずかしくありませんか?

 

●「自国の文化教育」 より、「反日教育」 を優先している国

  韓国に産まれた子供達は、自国の文化もなおざりに、人を愛することより歴史を通じて他国民を恨むことを教えられてしまいます。何処の国に産まれようと、本来、純粋無垢であるはずの美しい魂を、汚されてしまう可哀想な子供達だと思います。  日本の書店には、ジェームズ・アレンの 「原因と結果の法則」、ナポレオン・ヒルの 「思考は実現化する」、S・スマイルズの 「自助論(西国立志伝)」 などの、成功哲学といわれる分野の自己啓発書がたくさん売られています。どれか一つでも買って読んで見てください。  韓国という国家は、「反日教育」を通じて国民全体に『成功できない人生の法則』を教育していることが分るはずです。
 

【 易経 と 日本文化 】

  易経の「易」という漢字は、そもそも「日」(上部)と「月」(下部)で構成されています。言うまでもなく、「日」は陽、「月」は陰です。即ち、易経=陰陽経です。日本には、平安時代(784~1185)に陰陽師といわれる呪術師たちがいました。易経などを基にして様々な秘儀を体得していた人々です。今日の日本にも古代の陰陽師と同等以上の力を持つ霊能者達が厳然と存在します。<組織拡大をめざす仏教系宗教団体などはまったくの論外>

 韓国が国旗や国名に易経を用いるようになった時を遡る遥か以前に、易経は古代の日本に伝えられており、そのエッセンス(精髄)を速やかに理解し会得することのできる神道の祭祀集団が、古代の日本にはいたのです。  国旗に関する個所で記述してきたように、日本人は韓国の国旗を「大極旗」と呼んでいますが、正確には「大極展開旗」というべきものであることは、上記の説明で良く分ると思います。「大極旗」と言うのに相応しい図形は、実は日本の国旗なのです。日本の国旗「日の丸」の赤丸は、太陽でも有り太極でもあるのです。  易経などに基く文化は、今日の日本文化の表には殆ど現れ出て来ませんが、疑い様も無く日本文化の基層の一部を構成しています。表文化に対して裏文化とでも言いましょうか。大きな樹木に必ず深い根が有るように、今日の日本の繁栄は、表文化を担う政界や経済界などの人々の努力によることは言うまでもなく、それと同等以上に天皇家を中心とする裏文化の使い手達の研鑚努力によるところが大きいのです。 <日本文化講座⑨ 「日本神道と剣」: 参照のこと>     

<了>

 

 


日本文化講座⑥ 【茶道】

2019-05-29 12:48:40 | 日本文化講座

 【茶道はここから始まった】  

 ある人が 「仏教の真髄はなんですか?」 と、趙州禅師に訊ねました。禅師は 「喫茶去 (お茶を飲むことだよ) 」 と答えたそうです。この中国の禅話を元にして、日本の一休禅師は 「無心にお茶を飲む時は、どう言う境地か」 と、弟子の村田珠光(1422~1502)に訊ねたところ、村田珠光は 「柳は緑、花は紅です」 と答えました。これを聞いた一休禅師は 「よし!」 と言い彼に印可を与えたそうです。  “当たり前のことの中に、真髄がある” ということを悟るのが茶道の目的であり起こりでした。 日本の茶道は、この村田珠光から、武野紹鴎、それから千利休へと継承され確立してゆきました。


 【 茶道の本質 】

  茶道は元来、禅宗を背景として成立し、作法や道具よりもその精神世界が重んじられてきた芸事で、逆にいえば、禅宗の核心を、儀式にも似た作法や掛け物、茶碗などの道具で表現することが、その本質とも言えるのです。「茶禅一味」という言葉がこれらのことを表しています。

【 茶道の精神 】

  茶道の精神とは、反骨と寛容、自由と束縛、清と濁、そして陰と陽が一体となった、まさにきらびやかな前衛芸術的な精神であり、別な表現で言うならば、宇宙の生成発展する有り様を内包した精神とも言えるのです。

【 茶道の美の核心 】

  ひとことで 「侘びさび」 と言われていますが、これは、無限のメタファー(隠喩)によって生じる、はてしない広がりと、底無しの深淵さに満ちた世界であると言えます。

【 対比の中にある茶道美 】

  質素を旨とする「侘びさび」の茶道に、「黄金」の茶室を持ちこんだのは他ならぬ安土桃山時代の前衛芸術家、千利休その人でした。 これは決して矛盾ではありません。仏教の無常観を背景に、朽ちる様の両極ともいえる「黄金」と「侘びさび」を互いの中に観るのです。

【 茶道の参加者 】

 「亭主」:お茶を立て客をもてなす人です。 「正客」:もてなされる中心 人物です。 「末客」:客の最後です。(客の側から亭主を補佐する役目があります)

【 茶室の掛け物(掛軸) 】

  茶室内の床の間には、たいてい禅語の書かれた掛軸が掛けてあります。これを墨蹟といいます。墨蹟はそれを書いた僧侶そのものであると考え、誰もが茶室に入った時には、墨蹟に対して一礼します。

【 茶道の三音 】

  釜のたぎる音、茶杓で茶碗を打つ音、水指から釜や茶碗に水を注ぐ音、この3つの音を言います。 茶会席の進行と共に聞くことのできるすべての「音」が「静寂」を表現しています。音による瞑想空間の演出ですが、これも【対比の中にある茶道美】といえるでしょう。  (日本文化<日本神霊界>は、「動」ではなく「静」を基本にしています)

【 茶道は「男の世界」のものだった! 】

  いまでこそ「茶道」はお金と時間に余裕のあるご婦人や嫁入り前のお嬢さんのお稽古ごとのように思われていますが、茶道の発祥当時(安土桃山・戦国時代)の歴史を眺めてみると、むしろ女たちを拒否する「男の世界」の芸事であったことがわかります。明日、死ぬかもしれない戦国時代の武将たちにとって、茶室こそが唯一、気を緩めることのできる「癒しの空間」であったのです。

【 茶道といえばこの人物 : 千  利休( 1522~1591) 】

 この人がいなければ、茶道文化の流れはできなかったと言えるほど重要な人物です。利休の茶道の心(美意識)を、最も端的に表したものに、藤原家隆(『新古今和歌集選者(1158~1237)』)の短歌(5・7・5・7・7)があります。

      「花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや」 

 春爛漫が待ち遠しいという人たちに、山里の雪の間から少しだけ顔を見せている草が感じさせる、楚々とした、ささやかな春の気配というものを見せてあげたいものだ、という内容です。

○茶道用語 『 一期一会 』

 「一生(一期)に一回しか会えない」という心づもりで、もてなしの『唯今』を大切にするという意味です。茶道成立の時代背景(戦国時代)を知れば、その研ぎ澄まされた『唯今』の瞬間を感じることができるでしょう。

○茶道用語 『 雪月花 』

 「雪」:茶道では「雪」を「花」と見ます(隠喩)。ですから雪の日には、決して床の間に花は活けません。 「月」:くっきり見える満月ではなく、満ち欠けする過程や、雲間に見え隠れする月を美しいものと見ます。 「花」:花は満開だけが素晴らしいのではなく、それぞれに最も美しい段階があることを日本人は知っています。人も花も咲き乱れる状態よりも「命のありよう」に重点が置かれているのです。

○茶道用語 『 残心 』

  弓道では、「弓を放った直後、そのままの姿勢で静寂を保つ構え」を「残心」と言います。茶道の場合も同様に、「所作の一つ一つに心を込め、余韻をもって所作に当る」ことを意味します。「残心」の心得は、日本人の日常生活の中でも随所に活かされています。

○茶道用語 『 和敬静寂 』

  茶道に必須の四文字です。  「和」:人の和、道具の取り合せ、空間と時間(季節)の調和を意味します。  「敬」:人を敬い、道具、空間、時間(一期一会・季節)を大切にすることです。  「清」:人は茶室に向う露地という空間を通りつつ心を清め、棗や茶杓などの道具は袱紗をさばいて清めます。(神道 関連用語「禊ぎ」) 「寂」:単なる「静か」ではありません。「侘びさび」の「さび」を表します。

□□□ 道について □□□

  日本には、茶道の他に、華道、書道、香道、武道(柔道・剣道・弓道・合気道)など、「~道」の付く芸事がいくつもあります。上記では作法や用語を持つ仏教 (禅)の関わりで説明していますが、本来の「~道」の本質は、日本に仏教が伝わる以前からあった神道の中にあります。

<了>