今日はゆっくり仕事の勉強ができる時間がとれたので、暑さもなんのその、窓に向かって学んでいた。
一段落して空を見上げると、初秋というのに入道雲の出ている真っ青な空である。
このあいだもわたしは街角で、「ビルの合間に見える真っ青な空」にうっとりしていた。
それも電線がたくさんかかっていた。それがわたしの好きな空だ。
つまりわたしは「都市の空」が好きなのである。
智恵子とは反対だ。
智恵子は、「東京には空がない。安達太良山の上に見える真っ青な空」が自分の空だと言ったとか。
夫の光太郎は東京の自宅の上の空を見上げ「まぎれもなく幼い頃から慣れ親しんだ東京の」空だと思い
智恵子の言葉を「あどけない空の話」として詩に書いている。
愛妻家として知られる高村光太郎。晩年狂気に陥った妻を愛し、見舞って看取った話は有名である。
わたしも少女の頃、詩集「智恵子抄」や、小説「智恵子曼荼羅」を読みふけり、愛妻ぶりにうっとりした。
けれど今になってみると、東京暮らしになじめず、芸術家の夫を支え、経済をたてることに精一杯だった
妻智恵子が、ぽつりともらした「安達太良山の上の空がほんとうの空」という言葉を「あどけない空の話」
という捉え方でひとくくりにしてしまっていた夫に問題があったのではないかと思う。
自分の空が見たいという切実な思いをきちんと受け留める夫がいれば、狂気も忍び込んでこなかったのでは
ないのか?
東京がふるさとで、ビルの間の電線だらけの空が好きだなんて、なかなか「地方ふるさと志向」タイプの日本人
には理解されそうもないわたしは、何年も前からそう思うようになっていた。
結婚して住む場所は夫には慣れ親しんだふるさとでも、妻には異郷なのである。
最近はその逆も多い。
今日の、仕事に関する勉強は新婚夫婦のコミュニケーションのすれちがいをどう予防するかである。
一段落して空を見上げると、初秋というのに入道雲の出ている真っ青な空である。
このあいだもわたしは街角で、「ビルの合間に見える真っ青な空」にうっとりしていた。
それも電線がたくさんかかっていた。それがわたしの好きな空だ。
つまりわたしは「都市の空」が好きなのである。
智恵子とは反対だ。
智恵子は、「東京には空がない。安達太良山の上に見える真っ青な空」が自分の空だと言ったとか。
夫の光太郎は東京の自宅の上の空を見上げ「まぎれもなく幼い頃から慣れ親しんだ東京の」空だと思い
智恵子の言葉を「あどけない空の話」として詩に書いている。
愛妻家として知られる高村光太郎。晩年狂気に陥った妻を愛し、見舞って看取った話は有名である。
わたしも少女の頃、詩集「智恵子抄」や、小説「智恵子曼荼羅」を読みふけり、愛妻ぶりにうっとりした。
けれど今になってみると、東京暮らしになじめず、芸術家の夫を支え、経済をたてることに精一杯だった
妻智恵子が、ぽつりともらした「安達太良山の上の空がほんとうの空」という言葉を「あどけない空の話」
という捉え方でひとくくりにしてしまっていた夫に問題があったのではないかと思う。
自分の空が見たいという切実な思いをきちんと受け留める夫がいれば、狂気も忍び込んでこなかったのでは
ないのか?
東京がふるさとで、ビルの間の電線だらけの空が好きだなんて、なかなか「地方ふるさと志向」タイプの日本人
には理解されそうもないわたしは、何年も前からそう思うようになっていた。
結婚して住む場所は夫には慣れ親しんだふるさとでも、妻には異郷なのである。
最近はその逆も多い。
今日の、仕事に関する勉強は新婚夫婦のコミュニケーションのすれちがいをどう予防するかである。