Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

今上天皇のファンです。

2005年06月29日 07時41分43秒 | ニュースコメント
戦没者慰霊のためにサイパンを訪れた際、韓国人戦没者慰霊碑に詣でた天皇・皇后。
この人たちの聡明さには、つくづく頭が下がる。

現今の状況を踏まえ、首相の靖国参拝でささくれだった日韓関係の修復のために一石を投じたとの解釈も可能だろう。
しかし、この人たちからは、そうした近視眼的な弥縫策にとどまらず、慰霊の気持ちがひしひしと伝わってくる。

皇太子時代の両陛下の出席する式典をディレクションしたことがある。
1983年は国連の定める「世界コミュニケーション年」だったが、政府は郵政省を中心に、国内でさまざまな事業を行った。
この一連の事業の実施に深くかかわっていたのだが、年度の終わる84年3月に、当時の中曽根首相主催の記念式典を実施し、ここに皇太子ご夫妻の臨席を仰いだのだった。

皇室参加のパーティの準備は大変だ。
例えば警察だけでも、皇宮警察、開催地の所轄警察、警視庁は沿道警備の警備課、要人警護の警衛課など4~5ヶ所と調整しなければならない。
当時の皇太子ご夫妻は、過剰警備を気にして、警察の出すぎを戒めており、東宮と警察の間がややギクシャクしている時期だった。
たとえば、警察としては、舞台の上にもボディガードをあげて、威圧警備を行いたいが、皇太子ご夫妻は国民との接触の場に警察という夾雑物が入ることを嫌う。
あるいは、万が一の事態があっては責任問題なので、自動車の車列は、信号を無視してでもノンストップで突っ走らせたいのだが、東宮はこれを拒否する。

ちなみに、この水面下でのつばぜり合いの結果、今日では天皇の車列の緩やかな警備が定着している。
03年7月、富良野巡行中の天皇皇后の車列に、軽自動車で接近しようとした男がおり、これを阻止しようとした白バイが、はずみで天皇ご料車に接触してしまった事件があった。これが責任問題に発展しなかったのは、国民との対話のためには受容すべきリスクと考える天皇皇后の意向があってのことだろう。
昭和天皇の時代にはありうべからざる事態と受け止められたはずだ。

さて、84年の記念式典。
世界コミュニケーション年の記念切手のデザインは一般公募で決められた。
その決定案の作者がこの式典に招待されたが、2人の当選者のひとりは、豊田市のラーメン店の高校生のお嬢さんで、彼女は気の毒に難聴で発声が不自由な障害を持っていた。
政府高官や財界、学界の大物が集まる、ホテル・ニューオータニ鶴の間の記念式典会場で、小学生の弟を含め、家族4人で出席したラーメン店主一家は明らかに場違いだった。

記念式典後のパーティで、この一家にこころを配ってくれたのは、世界コミュニケーション年国内委員会委員長として民間の動きを主導していた、元文相の永井道雄さんである。
パーティの終盤。永井さんはこの一家を皇太子ご夫妻のもとに伴い紹介した。
彼女の立場と障害を知ったご夫妻は、体の正面を一家に向け、対話を始める。
パーティの進行をつかさどる立場からは困ったことに、その話しがなかなか終わらないのだ。
言うまでもないことだが、皇室の移動スケジュールは分秒の単位まで詳細に組み立てられている。ホテルの出入りも、沿道の警備もそのスケジュールで準備している。
尼崎の事故ではないが、30秒の遅れは後々のスケジュールに影響してしまう。
侍従を通じ、談笑の切り上げを促すが、ご夫妻は応じない。

警察からは、早くパーティをクローズしてご夫妻を退場させろとディレクターのぼくに矢の催促だ。
しかし、彼女にとっておそらくは一生に一度の晴れ舞台をすばらしい思い出にしてあげようとするご夫妻の気持ちはびんびんと伝わってくる。
難聴でことばの発声に障害がある彼女は、ただでさえ話すスピードが遅い。
そこへ持ってきて、話す相手は皇太子ご夫妻、周囲はダークスーツのお偉方ばかり。
気後れもするだろうし、あがりもするだろう。
満足に話せなくなってしまった彼女に話しを急かせたり、途中で話しを切り上げることは、彼女のような障害を持っている人には一番悪い対応であることを良く知っているのだろう。
彼女のこと正面から受け止め、ゆっくり全部のことばを傾聴し、彼女のペースにあわせ対話をしようとの意志を、全身で表現しているのだ。

ぼくは感動した。
この人たちはこのようにして国民と向かい合おうとしているのだ。
この人たちは、なにが大事なのか、しっかりと自分のものさしを持っているのだ。
ひめゆりの塔の火炎瓶にたじろがなかったこの人たちは、覚悟を持ってノブレスオブリージュを果たしているのだ。

終了後、警察筋からはきついお小言があったが、これ以後ぼくは、この人たちの熱烈なファンになった。


2 コメント

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具体的な話 (ネーム考慮中(仮))
2005-06-29 23:57:24
 はじめまして。

 具体的な体験談で興味深かく拝読しました。

 BIgBangさんのブログにも、サイパンでの両陛下の行動が触れられていました。http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2005/06/post_3a5b.html

 そこにトラックバックされていたブログは、このことに関する韓国の報道がけしからんという話で、筆者の意見がどうこうというより具体性のない議論に思えました。

 やはり現実の体験談のような具体的な話が面白いですね。その人でなければ書けないような。

 ブログであっても。商業媒体の記事であっても。
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TBありがとうございました (o_sole_mio)
2005-07-03 22:45:22
o_sole_mioと申します。TBありがとうございました。



昨年秋の園遊会での棋士の米長さんに対する陛下のお言葉を伺って以来、天皇陛下の他のご発言についても読んだのですが、皇太子殿下のころから「らしい」エピソードをお持ちだったわけですね。勉強になりました。



今後ともよろしくお願い致します。
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