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Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

梅田宏介課長(仮名)の悲劇

2004年08月11日 21時53分20秒 | クライシス
【交通事故死】

02年1月9日朝7時45分ごろ、北海道恵庭市西島松の道道で乗用車が対向車線にはみ出し、トラックと正面衝突した。
乗用車を運転していた梅田宏介さん(仮名・45歳)は頭などを強く打っており、病院に運ばれたが間もなく死亡した。
現場は片側2車線の直線道路。雪こそ降ってはいなかったが、気温は氷点下3度。路面はアイスバーン状態だったという。
千歳市にある自宅から、札幌市の東隣の江別市にある酪農学園大学に向かう途上の事故だった。
北海道大学に学び、ラグビー部のラガーマンとして青春を送った梅田さんの亡くなった後には、奥様と、育ち盛りの3人の子息が遺された。

梅田さんは雪印乳業大樹工場(北海道大樹町)の元製造課長。同社製品による集団食中毒事件で業務上過失致死傷と食品衛生法違反の罪に問われ、上司の工場長、部下の製造課粉乳係主任とともに被告席に座ることとなり、前月の12月18日に大阪地裁でその初公判があったばかりだった。
梅田さんは、雪印乳業を退職し、千歳の清掃会社に役員として勤務するかたわら、酪農学園大学で専門であるチーズの研究を行っていたという。未確認だが酪農学園大学食品科学科乳製品製造学研究室であろうか。


【雪印乳業集団食中毒事件】

夕食のカレーとともにとった雪印の低脂肪乳1リットルが原因で和歌山県那珂町の姉弟(9歳、6歳、4歳)が激しく嘔吐したのは、2000年6月26日。これが、15府県に渉り14,780人の被害者を生み出した、雪印乳業の集団食中毒事件の幕開けだった。

7月1日。
株主総会を開催した札幌から、急遽大阪入りした石川哲郎社長は、午後3時から雪印乳業西日本支社で記者会見を行った。
この記者会見の席上、同席していた大阪工場長は「仮設配管をつなぐバルブの上部に十円玉大の乳固形物が付着し、そこから黄色ブドウ球菌が検出された」と発言。事前に知らされていなかった石川社長は顔を紅潮させ「きみ、それは本当か!」と叫んだ。
この工場長発言のインパクトは大きく、以降、バルブの乳固形物が食中毒の原因という暗黙の認識の下でマスコミの検証報道が行われ、雪印乳業のずさんな衛生管理の実態が次々と明るみにでた。

■バルブ以外に不衛生な乳固形物が放置されてはいないか?
大阪府警捜査一課と市の生活経済課は業務上過失致傷容疑で大阪工場を捜索し、バルブの汚染が弁の下部にも広がり、タンク内の低脂肪乳に直接触れていたことが判明した。

■低脂肪乳以外は汚染されていないのか?
雪印は、このラインで作られているのは低脂肪乳のみとしてきたが、「毎日骨太」と「カルパワー」も同じ配管を使って生産されていることが判明した。

■仮設配管は大阪工場だけなのか?
当初、大阪工場だけだと言明していた仮設配管だが、後日朝日新聞は、札幌、仙台、静岡、北陸、高松の5工場に存在すると報じた。

■黄色ブドウ球菌以外に問題となる汚染は無いのか?
雪印乳業の検査で、セレウス菌と大腸菌群が発見され、厚生省には報告していたが、マスコミには隠蔽していたことが、後日判明した。

■工程上食中毒を起こしかねない要因は他には無いのか?
雪印は出荷されなかったり、返品された牛乳を、原料として再利用していたことが明るみに出た。再利用に際しては品質保持期限は考慮されておらず、屋外で手作業で処理していることも判明した。しかも大阪工場だけでなく、いくつかの工場で同様の処理がなされていた。

こうした検証が進む中、当初想定した仮設配管バルブの汚染が真の原因ではないことが分かってきた。
1)この仮設配管を通らない製品も汚染されていたのだ。
2)バルブを洗浄した以後に製造された製品も汚染されていた。
3)大阪市環境保健局の鑑定によると、バルブの乳固形物からは、食中毒の原因である黄色ブドウ球菌が発見されなかった。

それでは、食中毒の真の原因は何なのだろうか?
7月12日、雪印乳業は全国21の牛乳加工工場の操業を停止した。


【大樹工場】

8月18日、大阪市は雪印乳業大樹工場が製造した脱脂粉乳から毒素(エンテロトキシン)が検出されたと発表した。
8月23日、帯広保健所は大樹工場に営業禁止を命じた。
ようやく食中毒の原因が特定できた。大樹工場製の脱脂粉乳が真犯人だったのだ。

発表にある「エンテロトキシン」とは何だろう。
黄色ブドウ球菌は、人間の体内に棲息している常住菌であり、黄色ブドウ球菌自体が人間に悪さをするわけではない。
黄色ブドウ球菌が食品中や人体内で増殖するとき、エンテロトキシンという毒素を放出する。この毒素が食中毒の原因で「腸管毒」または「腸毒素」と呼ばれることもある。

大樹工場の脱脂粉乳製造工程で、黄色ブドウ球菌が猛烈に増殖したことがあり、そのとき菌が産出したエンテロトキシンがふくまれた脱脂粉乳を原料につくられた大阪工場の製品が、中毒をもたらした。というのが事件の大雑把な原因である。
この詳細については、厚生労働省のサイトの雪印乳業食中毒事件の原因究明調査結果についてと題する、最終報告の概要を参考にして欲しい。

帯広から襟裳岬に南下する途中、西を日高山脈に接し東は十勝平野に広がる大樹町(たいきちょう)にとり、雪印乳業大樹工場は町の中心的存在である。町民7000人の内1000人が工場の従業員とその家族。町の酪農家の生産する生乳の全量が大樹工場に納められている。
工場の誇りは、東洋一とされるナチュラルチーズ工場。国内ナチュラルチーズ生産量のおよそ2割にあたる7000トンを製造していた。
なかでもカマンベールチーズは全国的なヒット商品となり、年間3000トンに及ぶ生産が見込まれていた。
同工場では、チーズ製造時に残る脱脂乳を加工して脱脂粉乳を製造。その製造装置内を温水で洗浄した際に生じる加水乳も、脱脂粉乳の原料として再利用していた。
こうして出来る脱脂粉乳の生産高は年間290トン程度で、カマンベールのわずか1割に過ぎない。その1割の脱脂粉乳がカタストロフィーを招いたのだ。


話しは3月31日にさかのぼる。
11時ごろ工場の電気室の屋根を突き破って氷柱が落下し、これが溶けたために電気系統がショートし、停電が発生した。
停電そのものは3時間ほどで復旧したが、一度止まったラインを再整備し通常の状態にもどすの時間がかかったため、一部の工程では9時間半にわたり原料乳は冷却されぬまま、菌増殖に適した環境に放置された。
黄色ブドウ球菌は死滅間際に大量の毒素を産出するという。この9時間半で黄色ブドウ球菌が増殖し、ラインの再稼動のため殺菌が行われた時、エンテロトキシンを放出したのであろう。
エンテロトキシンで汚染された原料乳は翌4月1日脱脂粉乳に加工された。3日になって工場内の出荷検査で、製品から基準を超える異常な数の細菌が検知された。


【責任の所在】

この工場の品質管理責任者が梅田課長である。
部下から黄色ブドウ球菌を多量に含有しているとの報告を受けたが、大量に製造した脱脂粉乳を全く出荷せずに廃棄処分とした場合の損失や責任問題を考えた梅田課長は、上司である工場長から強く叱責されることを恐れて当面の報告を見合わせた。
やがて、工場長は出張に出てしまったため、報告の機会を逸した梅田課長は、ひとり問題を抱え込み思い悩むことになる。
梅田課長の結論は、汚染が基準以下の製品は出荷し、それ以外は再利用することだった。
この時、梅田課長の念頭にあったのは、黄色ブドウ球菌の含有量であり、中毒を引き起こす毒素であるエンテロトキシンは視野に入っていなかったものと思われる。
大量のエンテロトキシンを含んだ脱脂粉乳は9日になり溶解され、希釈化のため別の生乳と混合し加熱殺菌の上、工場長の了承を受け出荷された。出荷前に黄色ブドウ球菌の検査は行ったが、エンテロトキシンのチェックは行っていない。
後日(8月23日)、工場長は「ブドウ球菌がゼロだったので…。毒素まで頭が回りませんでした」と述べている。

食中毒発生後、工場長は大樹工場の脱脂粉乳が事件の原因となったのではと危惧を覚え、操業記録の確認を命じた。しかし、工場には装置の洗浄記録など必要な記録はなく、書類の記載漏れも膨大だった。操業停止に追い込まれること恐れた工場長は激高し、部下に記録の捏造と改竄を指示した。

食中毒の原因が大樹工場と特定されたことを受け、梅田課長は判断の責任を問われ、翌01年7月、工場長、製造課粉乳係主任とともに、業務上過失致死傷で起訴された。
また、工場長と梅田課長は、記録を改ざんして保健所に提出したとして、食品衛生法違反の罪にも問われた。

梅田課長は交通事故死により公訴棄却となったが、残る2人の被告には03年5月、地裁において業務上過失傷害罪で(死亡との因果関係は認めず)有罪との判決が出た。
また、工場長は食品衛生法に基づく虚偽報告についても有罪と認定された。


【中間管理職の悲哀】

故人を鞭打つとの謗りを恐れずいうならば、近来に例を見ない大型食中毒事件である今回の事件での、梅田課長の責任は大きい。
と同時に、梅田課長の判断ミスを招いたのが、当時の雪印乳業に瀰漫していた、杜撰な衛生観念であり、社員教育の不徹底、安全と安心に重きを置かない当時のトップのリーダーシップであることも事実である。
このように考えると、そのポストに座ったのが、梅田課長以外の別の管理職であっても、同様な判断を行った蓋然性は高いといっても、あながち間違いではないだろう。企業の体質・文化こそがこの悲劇を招いたのだ。

あいついで、企業の不祥事が新聞紙面をにぎわす昨今。
不祥事の真の原因がその企業の企業文化にあると考えられる事例は数多い。
原子力関係の不祥事の多くは、通商産業省を頂点とする原子力関係者のサークルの閉鎖性と隠蔽体質に根ざしているのではないのか。
相次ぐ談合疑惑や社会保険庁のていたらくも、自動車会社のリコール隠しも、組織風土やお家大事意識が生み出しているのではないのか。

企業文化・組織風土・社員意識は決して被告席には座らない。
被告となり、社会から指弾されるのは、たまたま運悪く不祥事の引き金を引いてしまった個人なのである。

梅田宏介課長は、そんな役回りを担ってしまった他山の石なのである。
会社の常識にしたがって行動しても、いざとなったら、会社は助けてはくれない。会社の中にいても、社会の常識を判断基準とする健全さを持ち合わせることが、今まで以上に重要だとの教訓を、梅田宏介課長の悲劇から学びたい。

ご冥福をお祈りする。



本稿をまとめるにあたり雪印乳業食中毒事件を考えるを参考にしました。感謝します。

イラク人質事件とテレビ報道

2004年06月25日 11時39分27秒 | クライシス
イラクで韓国人人質の金鮮一さんが殺された。
韓国では、主要新聞各紙が、6月23日朝刊で生存の誤報を流したことに関するお詫びを掲載したり、
外交通商部の対処の国会で追及されたり、
遺族が盧武鉉大統領の献花を拒否したり。
騒ぎは収まる気配を見せない。

この機会に、あらためて日本人人質事件について考えてみたい。

4月8日(木)夜8時33分、イラクで日本人3人が拘束との第一報がNHKで流れた。追いかけるように、アルジャジーラが放映した一部編集済みのビデオが各テレビ局から流された。

4月9日(金)早朝、3人の家族は、相次いで上京。
今井紀明さん(18)の父隆志さん(54)と母直子さん(51)は、兄洋介さん(23)を伴い札幌から。
高遠菜穂子さん(34)の弟修一さん(33)と妹井上綾子さん(30)は千歳から。
郡山総一郎さん(32)の母きみ子さん(55)は宮崎の佐土原町から。
3家族は北海道東京事務所を拠点に、支援者のバックアップを受け精力的な活動を開始した。

このイラク人質事件の被害者は、“自己責任”をキーワードとしたバッシングを受け、後味の悪い展開を見せるが、この原因はいつにかかって、金曜から日曜にかけて3日間の家族の行動と、それを助長したテレビ報道が原因と私は考えている。

「画が無いものはニュースではない」というのは、テレビの、特にワイドショーの基本認識である。
木曜日の第一報以来、テレビは画の少なさに悩んだはずである。
当時アルジャジーラのビデオ以外に何が存在しただろう。
・スタジオのキャスターとイラク通のコメンテーター
・首相官邸前広場の報道記者のレポート
・アンマンからの特派員の現地レポート
・過去の資料映像(サマワ・奥大使遭難他)
いずれも緊迫感にかける映像である。
政府の要請を奇貨としてイラク国内から記者を引き上げた大手報道機関は、いずれも深刻な素材不足に直面したのだ。

金曜日早朝。
そんな状況で登場したのが、被害者家族である。
その番組出演を確保するため、テレビメディアはジャーナリズムの矜持を片隅に追いやり、家族の囲い込みに走ったといえば言いすぎだろうか。
特に、スタートしたばかりで、低視聴率と低評価に悩んでいた報道ステーションにその傾向が顕著だった。
家族をおだてにおだて、のせにのせた責任がテレビ報道にありはしまいか。

突然人質の家族という立場に立たされての困惑はいかばかりだろう。真っ当な対応が出来なかったとしても、責めることはできない。
彼らの対応のガイドラインとなったのは、北朝鮮拉致被害者の家族会の対応であり、彼れと行動をともにした支援者のアドバイスだろう。
ちなみに、今井直子さんは共産党の党籍を持つと報じられている。
高遠修一さんは千歳のJCで活動しており、千歳市長選でも保守系の候補を応援しているようだ。また、郡山総一郎さんは自衛隊の経験があるなど、3家族それぞれに政治的立場を異にするが、
これらの立場を超えて共同歩調をとった。

自衛隊撤退要請。小泉首相への面会の要求。外務省職員の難詰・面罵。15万人の署名の提出。
テレビはこれらの動きを概ね無批判で報じた。
署名の総理府への提出は11日(日)の夕方である。金曜の夜に拘束が明らかになってから、日曜日の夕方までの間に15万人の署名を集めきるという手際の良さはどうだろう。
組織的活動なくしてはありえないことではないだろうか。

月曜日午前中、人質家族は北海道東京事務所の電話とファックス番号を公表し、情報の提供を求めたところ、寄せられた連絡のほとんどは、批判と非難と中傷だった。
彼らの行動に割り切れぬ思いを抱いていた人や、人質家族と反対の政治的立場に立つ勢力、愉快犯的野次馬が一斉に反応したのだ。2ちゃんねるには土曜日から人質家族批判の声が増加し、日曜には既に批判の嵐になっていたが、電話番号の公開がその批判に突破口を与えたといえよう。

これは、ある意味、情報を垂れ流すテレビ報道に対するアンチテーゼである。

外務省の竹内行夫事務次官は12日(月)午後の記者会見で、イラク日本人人質事件に関し「自己責任の原則を自覚していただきたい」と述べ、人質となった3人の行動に疑問を呈した。
本来外務次官が語るべき言葉ではないと思うが、高まる人質家族への反感を背景に、「自己責任論」に火をつけることとなった。

人質問題の潮目が、12日(月)に変わったのである。
3人の人質が解放されたのは4月15日だった。

ケイタイで取りつけ騒ぎ

2004年06月05日 18時05分20秒 | クライシス
昨03年12月に起こった佐賀銀行騒動を考えます。
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緊急ニュースです!
某友人からの情報によると26日に佐賀銀行がつぶれる そうです!!
預けている人は明日中に全額おろすことをお薦めします(;・_・+ 
一千万円以下の預金は一応保護されますが、
今度いつ佐銀が復帰するかは不明なので、 不安です(・_・|
信じるか信じないかは自由ですが、中山は不安なので、明日全額おろすつもりです!
松尾建設は、もう佐銀から撤退したそうですよ! 
以上、緊急ニュースでした!! 
素敵なクリスマスを☆彡
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絵文字のあしらわれたこのメールが発端になり、師走の佐賀に、時ならぬ取付け騒ぎが発生しました。
メールの送り主は22歳の女性。クリスマスイブから日付が変わった25日午前1時半ごろ、自宅から26人の知り合いにこのメールを送信。やがてメール転送、メーリングリスト、BBS、そして口コミを通じ噂は広がり、25日午前中には佐賀銀行にも問い合わせが入り始めます。

昼ごろからは、店舗やATMでの払い戻しが増え、一部の店舗では現金が不足し始めます。
3時に店舗のシャッターが閉まった後も、店内には多くの客が残り、5時ごろにはATMが長蛇の列となりました。
ATM操作に慣れないお年寄りが手間取ると行列の苛立ちは募り、現金を追加するためATMを一時使用停止にすると、行列に緊張感と不安感が高まります。
噂を信じていなかった人にもその不安感は伝染し、噂を知らなかった人にはゆがんだカタチで情報が伝わりデマが拡散していきました。
NTTドコモ九州によると、午後5時ごろから佐賀県全域で携帯電話がつながりにくい状態となり、一時発信規制を行ったそうです。
「佐賀銀行のが記者会見するとのテロップがテレビに流れた」との根も葉もない噂が広がりました。
列は列を呼び、7時ごろには本店営業部にある8台のATMには300人の列ができました。
銀行は、倒産情報はデマであるとのチラシを配布しましたが、不安感はおさまりません。
ATMの稼働時間は通常9時までですが、延長していた最後のATMを終了できたのは10時半を回ったころと報道されています。

佐賀銀行の対応を見ていきましょう。
・午前中の問い合わせで、佐賀銀行は既に異常に気づいていました。
・午後1時からの定例常務会の冒頭でこの件が報告され
・2時過ぎには、メールの現物を入手します。
・15時 被疑者不祥で刑事告訴するとの方針を決めて常務会終了
・17時45分 佐賀署にデマメール送信者を氏名不祥で告訴し受理される。
・17時50分 頭取記者会見
新聞報道で、銀行トップの動きを見る限り、告訴に固執し、顧客対応・マスコミ対応には関心が向いてないように見うけられます。
記者会見が遅れたことで、テレビの夕方6時のニュースには入りませんでした。騒ぎを鎮静させるための有効な手段をみすみす見逃したことになります。
記者会見では、記者の質問に「ピークは過ぎた。本店で最大30人程度が並んでいる。」と答えたようですが、実際には、その時点でも200人は並んでいたようです。現場を自分の目で確認することを怠っていたといわれても仕方ありません。
金融機関の取付け騒ぎが起こったときの伝統的対処方法は、店頭に現金の山を作り、顧客に安心感を与えること、店頭に並んだ客は全て店舗ロビー内に誘導し、周囲への波及を防ぐことです。
しかし、街中のATMでの払い戻しが増えた今、伝統的対処の有効性については疑問のあるところです。
佐賀銀行は店頭で、破綻の懸念はないと説明するチラシを配ったり、ハンドマイクで説得しましが、効果はなかったようです。

佐賀銀行は、連結自己資本比率8%を越え、BIS(国際決済銀行)の基準をクリアした地域の優良銀行です。専門家の目から見れば、堅実で安全な地方銀行です。
その佐賀銀行で、何故このようなパニックがおきたのでしょう。
そこにはいくつかの伏線があります。
まず、03年8月26日の佐賀商工共済協同組合の破綻の記憶です。
陣内孝雄参院議員が暫く理事長を務めていたこの組合は、資金運用で失敗した穴を埋めるため、投機的なアルゼンチン債に手を出し、アルゼンチン経済の崩壊による利払い停止のあおりを食い、債権総額約56億円で破産申請を行ったものです。
15700人の組合員には、掛け金の2割程度しか戻らないといわれていました。
九州北部をエリアとする情報サービス、コンサルサービスの企業、データマックスのサイトには、佐賀銀行の中でも、三田川支店(上峰町)は現金がなくなるほど、多くの人が押し寄せてきたとのこと。これは、昨年破綻した佐賀商工共済協同組合(佐賀市)に対し、上峰町住民だけで約4億円引っかかっているといわれている。との噂が紹介されています。
次に、12月に入ると、10日に豊栄建設が、県内過去最大の135億の負債を抱え、民事再生法の適用申請を行います。メインバンクである佐賀銀行は79億円が回収不能になる恐れがあると翌日の新聞で報道されました。
さらに、佐賀県のトップゼネコンで、デマメールでも言及されていた松尾建設にも倒産の噂が根強くあり、これはそのまま佐賀銀行の不安材料と受け止められていました。
そして、12月3日のZAKZAKには、 足利銀行の次は「九州北部のアノ有名地銀」という記事が掲載されています。この記事は佐賀銀行を指した記事ではありませんが、対象を特定していないだけに、漠然とした不安感を醸成しました。

このように、佐賀銀行の財務状況とは無関係に、佐賀銀行および金融業全般に対する不安感が一般化していたようです。しかし、佐賀銀行はこうした一般の空気を理解せず、適切な情報公開を怠っていました。広報担当の専門セクションも存在していないようです。これらの背景として、地銀特有の地元での殿様意識の存在を指摘する向きもあります。
こう考えてくると、佐賀銀行に起こったことは決してひとごとではありません。97年の拓銀以来、大銀行だから安心だとの昔からの「常識」はひっくり返され続けてきました。いままたUFJが漂流し始めています。
地域や顧客は信頼してくれているだろうとの根拠無き思い込みを捨て、堅実かつ誠実に情報公開を行い、理解を求め続けていくことが、今重要だと心すべきでしょう。メールを媒介とした取付け騒ぎは、今後も必ず再発するはずです。

元となったデマメールを発信した“中山”さんは、04年2月17日、信用棄損の疑いで書類送検されました。
佐賀県警は、佐賀銀行からの告発を受け、発信元を辿り、中山さんに行き着いたようです。
彼女はメールの送信前、友人から電話で「佐賀銀行がつぶれるって知っている」と聞かれ、経営危機と信じ込んだということですが、悪意は無かったようです。事実、彼女自身も預金を下ろしていました。
また、警察サイドも犯意や、メール送信と取り付け騒ぎの因果関係の認定は困難でしょうから、捜査はこれをもって終結するでしょう。
なお、佐賀銀行は後日、この一連の騒ぎにより、450~500億円の預金が流出したと発表しています。

デマによるパニックの古典的事例としては73年12月に起こった豊川信用金庫の取付け騒ぎが有名ですが、このプロセスは、日本テレビのサイトディープ・ダンジョンver2.1に詳しく書かれています。