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【あの人は今こうしている】中嶋広文~早食い、大食い界のスターだった~(ゲンダイネット)

2008年03月28日 | 大食い早食い
【あの人は今こうしている】中嶋広文(早食い、大食い界のスターだった)
(ゲンダイネット)2007年12月18日 掲載

「ギャル曽根をはじめとする大食いタレントが市民権を得、また、7月にアメリカであった「国際ホットドッグ早食い選手権」で6連覇中だったフードファイター小林尊クンがアゴを痛め、惜しくも連覇を逃したニュースはマスコミを賑わせた。ところで、同じホットドッグ選手権で96年から3連覇した中嶋広文さん、今どうしているのか。

 中嶋さんに会ったのは、JR甲府駅から車で10分の食堂「甲州ほうとう 小作」。
「県外からお客さんが来られるときは、よくこのお店にご案内してるんです。山梨といえばほうとうですからね」
 中嶋さん、礼儀正しくこういった。差し出された名刺を見ると「株式会社クロスフォー 第三営業事業部部長」とある。
「まだテレビに出ていた頃、地元のこの会社の社長に拾っていただき、もう丸10年になります。宝石のメーカー・卸の会社で、社員は約40人。ボクは通信販売の責任者を任され、部下が4人います。給料? おかげさまで、というところでしょうか」
 では、もう早食い・大食いの世界に興味はないか?
「いや、出たいなって気持ちはありますよ。たまに、昔、お世話になったテレビ局の方から“そろそろ出ない?”と声をかけていただくこともある。だけど、もうボクがやっていた頃よりレベルが上がっちゃって、出ても勝てませんね、きっと。体もきついですし……」
 中嶋さんのあとを継ぐ結果になった小林尊クン。彼の活躍をどんな目で見ていたのか?
「小林クンが最初に出てきて、50本食べたときは信じられなかった。ボクの記録(24本半)のだいたい倍だから、100メートル走でいえば、ボクが9秒99で走っていたとすると、彼はいっぺんに半分の4、5秒で走っちゃったようなもの。ホント、時代がかぶらなくてよかったですよ、ハハハ」
 さて、中嶋さんは20歳の夏休み、「笑っていいとも!」の夏休み特別企画「早食い選手権」に出場し、チャンピオンになった。
 以来、盛岡のわんこそば大会で新記録を樹立したり、ニューヨークのホットドッグ早食い選手権で3連覇するなど活躍し、注目された。

「今はもう街を歩いていても、ボクのことに気づく人はほとんどいません。それでも、太ってしまったら、やっぱり日頃からたくさん食べるんだ……と思われそうで、暴飲暴食しないよう気をつけてます」
 身長173センチ、体重60キロは以前のままだそうだ。もともと大食ではなく、この日食べたほうとうも普通の1人前だった。
 25歳のとき、7歳上のOLと結婚。小学校1年、幼稚園年少組の2人の娘をもうけ、この3月に建てた、甲斐市内の一戸建てに家族4人で暮らす。
「下の子が幼稚園でご飯を3杯おかわりしたりして、すっごくよく食べるんですよ。性格も負けず嫌いなため、大きくなって、早食い・大食い大会に出て、ボクの後継者になってくれたらいいな、とカミさんとよくバカ話をしてます、ハハハ」


中島さん、以前と変わらずお元気そうなので安心しました。
テレ東の大食い選手権については一切触れられてませんね。黒歴史なんですかね。


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