花は桜木・山は富士

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「掃海艦派遣」(クェート)

2006-04-05 16:56:29 | 良い話(アラブ諸国)
パート1・15 :バーチャバカ一代 ◆3iCOYKds :02/02/24 22:32 ID:tQ6+jATg

 2月末に戦争が終わると、アメリカはペルシャ湾の機雷の掃海艇の派遣を
正式に日本に要求してきた。ペルシャ湾に出入りする船は日本船か、
日本が借りた船の数が圧倒的に多く、また自衛隊の掃海技術は国際的な定評があった。

 本来なら日本側が進んで掃海艇派遣を買って出てもおかしくない所である。
しかし、社会、公明両党など野党側は「自衛隊の海外派兵につながる」と強く反対した。
掃海艇派遣の決定をするのに1ヶ月以上を要し、さらに掃海作業に
最も威力のあるヘリコプターを積んでいく事を禁止された。

 第一掃海艇群6隻が出発したのは4月26日。わずか400トンの掃海艇群は、
速度が遅く、35日から40日もかけてインド洋を渡った。
しかしドバイの人々は日の丸を振って、掃海艇群を歓迎し、
現地の日本企業の売り上げは倍増したという。

 その後、酷暑のペルシャ湾で、掃海艇群は一触即発の機雷に接近して、
死と隣り合わせの処分作業を続け、計34発の機雷を爆破処理した。
航路の安全を確保した後、呉市の基地に無事帰還したのは10月30日だった。
広島県クウェートのアルシャリク駐日大使は呉まで出迎えて、こう述べた。

『機雷掃海の任務を終え、帰国されたことに感謝します。初めて日本が海外に自衛隊
  を送ったことの意味は、湾岸各国だけでなく全世界が高く評価すると思います。』

 130億ドルの拠出と在日米軍基地の提供とで、わが国は湾岸戦争の
最大の貢献国だったのに、"too little, too late(少なすぎ、遅すぎ)と酷評され、
罵倒された。

 しかし130億ドルの千分の1の費用で行われたこの掃海作業への感謝は
心のこもったものだった。

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