われわれは日本語一つで世界中の事を理解する事が出来る。
それは日本が帝大の時代から努力を重ねて、あらゆる外国の学問を
翻訳してきたからである。たとえばフィリピンでは、医学の教科書は
全て英語であるため、医者は全て英語で医療を行なわなければならないが、
日本の医者は日本語で全てを行なう事が出来る。
その話しをあるフィリピン人にしたところ、「日本語で医療を学び、医療を行なう
医者など、三流の医者じゃないか」という。さらに彼は「経済学はどうだ」と聞くので、
「日本では経済学も日本語で全て出来る」と答えた。
すると相手は「それで大丈夫か」と聞くから、そこで私は
「日本経済は成功しているでしょう」と答えた。
(略)
フィリピンにしても、マレーシアにしても、国として独立しているものの、
日本に比べれば、独立の精神がなく、結局精神活動の上では日本に追いつく事は
出来ないと思っている。なぜなら、日本の真似をしなからである。
そこで、夕食会のスピーチでは「この大学では、ぜひアメリカ、ドイツ、フランス、
中国、インド、日本などの学科を作りなさい。
教授方はそれらのマレー語化に献身しなさい。英語自慢のままではいけません。
もしも貧乏だから学科は一つか二つしか作れないというのなら、日本学科にしなさい。
世界の文献を古典から現代出版物まで全部公平に読める言語は日本語だけです」と
話した。教授方はジョークだと思って笑って喜んだ。
私は日本人に生まれて良かったと思いながら、その方々の笑顔を眺めた。
そもそも英語が出来れば、何でもわかるというのは、あまりに正しくない。
まず、イギリスがした悪業の数々は、英語の本にはまず出て来ない。
それから、イギリスに対抗したライバル国への悪口雑言が沢山あるから、
知らず知らずのうちに世界観が歪む。さらには、インド・中国・二本の事は
不完全にしかわからない。それに比較すれば、日本語による文献の方が、
世界を知る上で遥かに幅が広くて公平である。
「私が『この国』を好きな理由」日下公人 著
----------------------------------------------------------
数年前までは私はびっくりしたことですが、日本のことを知るにつけ
上のような現状に納得もしました。
知的好奇心旺盛な民族性と、多神教の下地からくるタブーの少なさが
どのような国の書物でも翻訳する、出来る要素なんだと思います。
逆に他の国では日本ほどに、外国の本が手軽には手に入らないというのも
日本に住んでいると分からないものです。
昨今は若い人には読書離れが激しいとは聞きますが、いざ読む気になった時に
あらゆるジャンル、あらゆる国の本が簡単に手に入るという国だというのは
幸運と感謝したいですね。
ちなみに日本で読書離れが増えていると言いますが、他の国でも
若者は本を読まなくなっていると聞いたことがあります。
また、日本では漫画文化が多様になって、いわゆる「本」というジャンルの幅も
他国より広いために「読書」というくくりだと「低下」という
集計結果が出るのでは?とも思っています。
実際に読書人数は減っているとは思いますが、単純に「読書」とだけだと
内実が合っているのか疑問には感じます。
それは日本が帝大の時代から努力を重ねて、あらゆる外国の学問を
翻訳してきたからである。たとえばフィリピンでは、医学の教科書は
全て英語であるため、医者は全て英語で医療を行なわなければならないが、
日本の医者は日本語で全てを行なう事が出来る。
その話しをあるフィリピン人にしたところ、「日本語で医療を学び、医療を行なう
医者など、三流の医者じゃないか」という。さらに彼は「経済学はどうだ」と聞くので、
「日本では経済学も日本語で全て出来る」と答えた。
すると相手は「それで大丈夫か」と聞くから、そこで私は
「日本経済は成功しているでしょう」と答えた。
(略)
フィリピンにしても、マレーシアにしても、国として独立しているものの、
日本に比べれば、独立の精神がなく、結局精神活動の上では日本に追いつく事は
出来ないと思っている。なぜなら、日本の真似をしなからである。
そこで、夕食会のスピーチでは「この大学では、ぜひアメリカ、ドイツ、フランス、
中国、インド、日本などの学科を作りなさい。
教授方はそれらのマレー語化に献身しなさい。英語自慢のままではいけません。
もしも貧乏だから学科は一つか二つしか作れないというのなら、日本学科にしなさい。
世界の文献を古典から現代出版物まで全部公平に読める言語は日本語だけです」と
話した。教授方はジョークだと思って笑って喜んだ。
私は日本人に生まれて良かったと思いながら、その方々の笑顔を眺めた。
そもそも英語が出来れば、何でもわかるというのは、あまりに正しくない。
まず、イギリスがした悪業の数々は、英語の本にはまず出て来ない。
それから、イギリスに対抗したライバル国への悪口雑言が沢山あるから、
知らず知らずのうちに世界観が歪む。さらには、インド・中国・二本の事は
不完全にしかわからない。それに比較すれば、日本語による文献の方が、
世界を知る上で遥かに幅が広くて公平である。
「私が『この国』を好きな理由」日下公人 著
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数年前までは私はびっくりしたことですが、日本のことを知るにつけ
上のような現状に納得もしました。
知的好奇心旺盛な民族性と、多神教の下地からくるタブーの少なさが
どのような国の書物でも翻訳する、出来る要素なんだと思います。
逆に他の国では日本ほどに、外国の本が手軽には手に入らないというのも
日本に住んでいると分からないものです。
昨今は若い人には読書離れが激しいとは聞きますが、いざ読む気になった時に
あらゆるジャンル、あらゆる国の本が簡単に手に入るという国だというのは
幸運と感謝したいですね。
ちなみに日本で読書離れが増えていると言いますが、他の国でも
若者は本を読まなくなっていると聞いたことがあります。
また、日本では漫画文化が多様になって、いわゆる「本」というジャンルの幅も
他国より広いために「読書」というくくりだと「低下」という
集計結果が出るのでは?とも思っています。
実際に読書人数は減っているとは思いますが、単純に「読書」とだけだと
内実が合っているのか疑問には感じます。
漫画も漫画で、くだらないものもいっぱいありますが、勉強になるものや為になるものもたくさんあります。それも含めれば、読書離れなんて恐くない……かな?漫画の字は絵と同じなので、ダメですね……。
「字を読むと頭が良くなるから読みなさい!」
といわれるともっと読みたくなくなるのが人の心。
あまりとやかく言わない方がいいのかも知れません。
あと、小さい頃に親からあまり絵本を読んでもらっていないと、本に抵抗があるとか。私は本が大好きですv
時代や地域を選ばず、どんな本でも訳されていて、どこにでもある、というのは日本だけだとは知りませんでした。
その昔、遣唐使も売れそうなものではなく、書物を好んで持って帰ったそうです。日本人はいつの時代も本が好きですねv
私は幼少時代は特に本好きでもなく、漫画ばかりでした。
が、漫画から空想、想像する楽しさを学び、そこから小説などへ移行しました。
ひょんなことから日本そのものに興味を持ち、現在では多数の本を読んでいます。
なので、漫画とはいえ、どこから本の読書に変わるか分からない、と私は思っています。
もちろん、漫画とはいえ唸るほど深い内容のものを読んで欲しいですが。
日本人の本好きは私も日下公人さんの本を読むまで知りませんでした。
「古本屋街」があるなど、世界的に見て大変珍しいのでしょうね。
いまだに本を読むと頭がよくなるなんて(ぷっ)
本気で信じてる人がいるのを知って驚きましたwww
おそらく本とゆう形態ゆえ「漫画」と「小説」を同じ土俵で論じてるのでしょうがw 両者はまったく別の芸術です
漫画は映画・写真・演劇とゆうビジュアル(映像)芸術に分類されるもので
小説・詩・俳諧などの文字芸術とは何の関係もなく比べる事すら意味のない事です
あえて漫画を文字芸術として比較するならネーム前のシナリオ段階で比べるべきでしょうw(何の意味もないですが)
こんなことが分かってない人間がまだいるんですねw
ビジュアル芸術と言い張ろうとも書物として扱われているものですし、また文字芸術とビジュアル芸術を比べることが意味の無いこととも思いませんが。
上のコメントの方の文は読解力、国語力の低下がよくわかる例ですね。
本=小説と考えるあたりあまり書物を読んでらっしゃらないようで。
とゆう→という ですよ。