花は桜木・山は富士

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「英国貴族の見た日本、それは世界の模範となるものだ」

2006-09-13 11:39:15 | 日本について
1906年2月19日の早晩、セイヴォリー艦長の指揮する
英国海軍の巡洋艦ダイアデム号が、コンノート号が、
コンノート公アーサー殿下とガーター勲章使節団の一行を乗せて、
横浜の港に入って来た。この時ほど、栄光に輝いた日の出は
なかったのではあるまいか。

(略)

錨を下ろすと同時に、駐日英国大使サー・クロード・マクドナルドが、
殿下の日本滞在中、その接待の役を努める何人かの著名な日本の政府高官と一緒に
乗船してきた。その中でも特に著名な人物は黒木(為もと)大将と
東郷(平八郎)提督であったが、彼らの偉業は世界中に鳴り響いていたのである。

我々が彼らと始めて会見した時、少なからず興奮していたことは想像できると思われる。
東郷提督は静かな口数の少ない人で、どちらかといえば物憂げな表情をしていたが、
機嫌の良い時には極めて優しい微笑を浮かべることがあった。
彼の表情は優しく穏やかで、話しかけられていない時は、
時折、瞑想に耽っているらしく、ほとんどいつもじっと地面を見つめて、
頭を少し右へ傾げていた。これと反対に黒木大将は、日焼けしたがっしりした体格で、
まるでオリンピック競技の選手のように鍛錬された、典型的な軍人タイプであった。
彼はいつも陽気で、愛想がよくどっしりとしていて、
物事の良い面を見ようとする人物であった。

この二人ほど一目見た時、対照的な人物はないだろう。
しかし、二人には共通した特色があった。彼らの謙遜と自制心は、
まさに人々の心を捉えるものがあった。彼らが話すのを聞いて、
本当に彼らが日本の歴史の上ばかりでなく、世界の歴史に残るような
立派な役割を果たした人物だとは信じられないだろう。

両者ともに、誇らしげな様子は全く見られなかった。
ここに私が特に強調しておきたいのいは、私の日本滞在中に
いろいろな種類の多くの日本人と話をしたが、さきの日露戦争の
輝かしい勝利を自慢するかのような発言を、一度も耳にしなかったことである。

戦争に導かれた状況と戦争そのものおよびその結果について、
全く自慢をせずに落ち着いて冷静に話をするのが、
新しい日本の人々の目立った特徴であり、それは全世界の人々の
模範となるものであった。
このような謙虚の精神をもって、
かかる偉大な勝利が受け入れられたことはいまだにその例を見ない。

「ミッドフォード日本日記 英国貴族の見た明治」A・Bミットフォード 著
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