花は桜木・山は富士

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「あるインド人の日本体験記」

2006-11-24 01:08:20 | 日本について
しかし彼女が連れて行ってくれたマーケットは、
それと比べものにならないほど大きかった。
YTO橋の袂の、アジア大会用の競技ドームくらいもあった。
中に入り、売り場の手前から奥を望むと、巨大な建物の中に、
ありとあらゆる食品があふてれいるのが見えて圧倒された。

彼女はまず私を野菜売り場に連れていった。そこには信じられないくらい
多種多様な野菜が、小さなプラスチック袋に小分けされて美しく飾られていた。
ネギは先を切り落としてあり、見事な大根は二つに切りにして、
半分づつラッピングされていた。袋に入っていないものはまずなかった。
オクラは例外で、小さな網袋に、高価な万年筆を並べたように整然と入れられていた。

なんといっても驚いたのは、キャベツもニンジンもキュウリもナスも、染み一つなく、
ぴかぴかに輝いていたことである。どの野菜も工場で作った製品のように
形と大きさが統一され、まるでプラスチック製品ように見えた。
どういうふうに栽培するとそうなるのか、私にはわからなかった。

さらに特筆すべきは、どこにもハエがいないことだった。
食品があふれているのにハエがいない。信じられないことである。
整然としたその有様は、全体がまるで図書館の室内のようだった。
野菜売り場のあとは、魚と肉売り場へ行った。
刺身を見るのは初めてだった。

彼女に説明されるまで、私はそこが菓子(チョコレート)売り場だと勘違いしていた。
魚独特の嫌な臭いが全くなかったし、パックされた刺身の盛り合わせがあまりに美しく、
チョコレートの詰め合わせ箱にしか見えなかったからである。
それが生の魚を薄く切ったものであることを知ったとき、恐ろしさよりも感動した。

赤い魚は赤く、白い魚はあくまでも白く、あるものはガラスのように透明だった。
それらは糸のような細さに削られた大根と緑の海草の上に、
実に信じ難い繊細な注意力と美意識とを以って、整然と並べられていた。
紛れも無くそれは、四面を海で囲まれた日本人がもつ
「海の豊穣」のイメージの具象化であり、彼らがいかに海を愛しているかを
深く感じさせるものだった。

そしてその形に、私が「日本の美」を見たといえば大袈裟すぎるだろうか。
実際その後、日本の伝統的な芸術品を見るたびに、私は刺身の盛り合わせを
そこに重ね合わせた。インドにいたとき、私は魚が美しいものだと考えたことは
一度もなかった。魚に対する私のイメージは、
たぶん多くのインド人がそうであるように、どんよりとした七月の曇り空のような
鈍色(にびいろ)の、汚れた、たんなる死体にすぎなかった。

(略)

スーパーマーケットでは、誰もが買い物カゴに食品を満載していた。
何と日本は豊かな国なのだろう。これほど食糧ににあふれているのに、
なぜ稚魚までも殺して食べねばならないのだろうか。
野菜と豆だけで充分なカロリーが確保されるはずなのに、と私は考えてしまった。

「喪失の国日本 インド・エリートビジネスマンの『日本体験記』」
M・K・シャルマ著、山田和 訳
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1992~1994年の間、日本に滞在したインド人の目を通しての
インドと日本の違いが沢山書きこまれた本でした。
著者が体験した時からすでに10年以上経ち、現在のインド人も
同様の感想を持つかはわかりませんが、当時の著書には
感動を覚えるほどの衝撃だったようです。

インドも歴史の長い国ですが、海に囲まれた日本という国では
日本人として意識しないレベルで、様々な「美」や「清潔」に囲まれていることを
この本から感じました。
そんな日本人であることを改めて漢字、嬉しく思う今日この頃です。

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